六じゅうはち
グッチオは武器屋から帰る道すがら言い出した。
「ネリキリーが怪我をしたし、明日は約束したシェランの泉に行かないか」
「シェランの泉か」
カレヌは少し迷うそぶりをした。彼はコナーやバンスタイン、イーネスたちと行動を共にしている。
マラニュは「お前が行くなら行く」とネリキリーに丸投げだ。
「急ぎの依頼は受けていないから、自分は構わない」
ネリキリーはグッチオの誘いに応じた。
晄蓮の咲く泉に興味を惹かれてもいた。
「水酔馬相手にこの槍を試すのもいいかな」
ネリキリーの言葉を受けて、カレヌは斧槍を振る。
「水酔馬は出ないぞ。夜光狼は出るかもしれんが」
グッチオがカレヌの言葉を正した。
「そうだっけ」
「晄蓮の咲いている間は出ない。水の魔物も、美しい花を散らすのは遠慮するらしい。代わりに夜光狼は出るかもしれんが」
「じゃあ夜光狼を狩ってやる」
カレヌは勇ましい。夜光狼は下位とはいえ、中級の魔物になるのに。
ネリキリーとしては、まだ当たりたくない魔物だ。
「今の時期は夜光狼もシェランの泉にはあまり近づかないし、繁殖期ではないから群では行動しない。出会っても四人なら十分対処できるだろう。」
何でもないことのようにグッチオは言った。夜光狼に関しては倒せる自信がありそうだった。
「晄蓮が咲くのは夜明けだ。真夜中に西門で会おう。6時間も馬で駆ければシェランの泉に着く」
夜のクレーム平原を走るのは初めてではない。
草原に敷かれたしるし石が、銀の点になって、草原の中央に伸びている。
クレーム平原、ひいてはオーランジェットの東西南北を結ぶ「銀色の街道」のように、敷石が敷き詰められているわけではないが、要所要所を結ぶ場所には迷わぬように、しるし石が置かれていた。
このあたり、オーランジェットの国力を感じざるを得ない。
月明かりに照らされた、草が銀色の艶を帯びて光る。
草いきれも陽の下より穏やかに思えた。
先を行くグッチオの携帯灯に遅れぬように、ネリキリーはスプラウトを走らせた。
やがて、せせらぎの音がした。
「まもなく着くぞ」
グッチオの言葉が流れてくる。
東の空がわずかに白み始めていた。
清流の脇をたどっていくと、明けの明星のように輝く泉が見えた。
シェランの泉。
クレーム平原にはいくつかの泉があるが、この泉が一番に大きい。
平原を潤す命の泉。
ネリキリーが少し神妙な気持ちでいると、遠吠えが静かな平原に響き渡った。
夜光狼だった。
四人は一様に身構えた。
だが、声が近づいてくる様子はない。
夜光狼は名前の通り夜行性だ。夜が明けていく今、ねぐらに帰るのだろう。
草原の中を青白い光が二つ動いていた。
「狩ろうぜ」
とカレヌは言ったが、ネリキリーは静止した。
今は夜光狼の討伐依頼はない。
向こうが襲ってこないのにわざわざこちらから危険を冒す必要はないと考えたからだ。
「得られるのは、素材を売った金だけだ。しかもたった二匹」
夜光狼はそれなりの値段では売れる。だが、秋の繁殖期に出される依頼の時に、狩れば、種の均衡は守れる。
子狼も捕獲できる。
「みんなは?魔物がそこにいるんだぜ。冒険者なら見逃す手はないだろう」
カレヌはみなに賛同を求める。
「俺は、こいつに従う」
マラニュがネリキリーを支持する。
「夜光狼を狩っていると晄蓮の開花を見逃すかもしれないしなあ」
グッチオも消極的だった。
「……みんながそう言うなら」
カレヌは少し不満そうだったが、最後には納得する。
「秋になれば夜光狼をいやというほど狩れるさ」
グッチオがカレヌを慰めるように言った。
夜光狼の遠吠えがまた聞こえる。
会話を止めてそちらを眺めれば、青白い二つの影が、払暁の平原を駆け抜けていった。
地平が薄紅色に染まり始めた。
泉からシャラリと得もいわれぬ音が流れて来る。
「始まったぞ」
グッチオが静かな喜びを込めて囁く。
水面から細い茎を出して誇らかに首を上げて花はいた。
白のなかに、明け色の薄朱紅がほのかにさしている。
花弁が開く。
晄蓮が音を立てて花開くさまは、水音と共にひとつの調べを奏でていく。
四人はしばしその調べと風景に魅入られた。
「この晄蓮が咲く音を聞いているときに願い事を三回唱えるといいらしい」
グッチオが言った。
「そういう大事なことは早く言ってくれよ」
カレヌは小さく何かを呟きはじめた。
他の三人もそれに習う。
ネリキリーは調べに合わせるように、小さく願い事をささやく。
そして、また静寂が戻る。
それがネリキリーには心地よい。
絶え間なく花の咲く音を聞いてると、心が研ぎ澄まされて、広がっていく。
こんなに穏やかな気持ちは、久しくなく、ネリキリーは自分が微笑んでいるのが分かった。
やがて、花開く音が消え失せ、水音だけがひびく。
晄蓮の葉には光珠のような露が宿っていた。
夜はすっかりと明け、太陽がクレーム平原に活動の息吹をもたらした。
カスタード団の入団に挑戦する前にシェランの泉に連れて来てくれたグッチオに、ネリキリーは深く感謝した。
「ありがとな。グッチオ」
カレヌも同じ気持ちだったようだ。
マラニュは、口には出さないが、胸に手を置いて感謝している。
言葉にするのは、少してらいがあるようだった。
ネリキリーも胸に手を置き言った。
「感謝する」
「大袈裟なんだよ。俺が来たいから誘った。冒険者を辞める前にこの音を聞いて、願っておきたいこともあったし」
グッチオは少々照れていた。
「そういえば、お前らは何を願った?」
グッチオが深呼吸をしてから、訊ねてきた。
「もちろん、ロマみたいに成れますように」
カレヌは即答だ。その顔は生き生きとしていて、彼らしい活力に満ちた表情をしていた。
「俺も似たようなものだ」
マラニュが髭をさすりながら言った。
「お前は?」
マラニュがネリキリーに話を向けた。
「故郷の土を再び踏むことと」
「こととって、二つお願いしたのか?」
カレヌが勢いよくネリキリーの方を見た。
「ひとつのだけとは、言わなかったから。駄目なのか?」
ネリキリーはグッチオに確認をした。
「ひとつだけ、と言う風には言われてないが」
グッチオの答えを聞いて、ネリキリーは頷く。
「なら、問題ないな。もうひとつの願いは竜に逢うこと」
「しまった。それ俺も願えば良かった」
カレヌが残念そうに言った。
「無欲そうな奴のほうが、実は強欲なんだな、で、グッチオは?」
カレヌがくさす。
「ん、俺?俺は冒険者を辞めたら、嫁さんが見つかって、子供の顔をみること」
「え、グッチオも二つじゃないか。俺も女ができるように願えば良かった」
「それでは、願い事が三つになるだろう。どちらが強欲なんだ」
カレヌの言葉にマラニュがあきれたように指摘した。
「なら、近々また来て願い事をする」
カレヌが言うと、グッチオは残念そうに首を振った。
「新しい願い事は、前の願い事が叶わないと駄目なんだ」
「え、そうなんだ。グッチオ、そんなに詳しいなら、もっとちゃんと教えてよ」
カレヌが大きなため息をつく。
知っていればカレヌだとて、ロマのようになどという抽象的な願い事ではなく、具体的なものを口にしたろう。
これには、ネリキリーも同情をした。
しかし、願ったことは取り消せない。
晄蓮に次の願い事をするならば、カレヌは死にもの狂いで努力しなければならない。
だが、そんな風に努力しても、英雄ロマに追い付けるかは未知数だった。