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六じゅうろく

 かなり飲んだと思ったが、目覚めは快適だった。

 さて、グッチオはどうだろうとネリキリーは思った。

 支度を終えて、階下に降りると宿の女将(ビナス)が、簡単な朝食を出してくれる。


「朝早くなのに、いつもありがとう」

 ネリキリーが受け取って礼を言う。

「自分たちが食べる分と一緒に作るだけだから」

 女将(ビナス)の顔に微笑みが乗る。この宿に来てから、八か月になる。


 メーレンゲに最初に投宿した処は、安宿というのにふさわしい場所だったが、ここは違う。

 部屋はさほど広くはないが、清潔で風呂も部屋の一つ一つに付いている。


 外はまだ、朝日が顔を出したばかりだった。他の客たちが起きるのは、もっと遅い。

 ネリキリーは、宿屋を営むものと同じに動き出す。

 なので、食事は他の客より簡素だった。

 だが、ネリキリーには十分だ。


 すばやく食べ終えてネリキリーは冒険者組合(ギルテ)の修練所に向かう。


 ネリキリーはそこにグッチオの姿を見つけた。

 自分より先についていたらしい。ネリキリーの心配は無用だった。


 流れるように体術の型を行うグッチオの姿をネリキリーは暫く眺めた。


「見てるだけじゃ強くなれないぞ」

 型を流すのを止めて、グッチオがネリキリーに言った。


「おはよう。そうだな。だけど、グッチオは随分と体が柔らかいな」

「ああ、おはよう。柔らかくないと体術の蹴りが上がらないからな」


 グッチオは何もない空間を蹴り上げた。

 体が斜めになる。片足立ちで均衡を保っている。鍛えられた体幹。


 素早い蹴りは空間を引き裂くようだった。


 ネリキリーはそれを食い入るように見つめた。


「先ずは体を暖めろよ。型を教えるから、真似してついてこいよ」


 グッチオが隣に並べと指示をした。


「よろしく」

 ネリキリーはグッチオに胸に手を置いて礼を送った。

「そういうところ、律儀だよな」

 グッチオは喉の奥で笑った。


 ネリキリーが横に並ぶとグッチオの顔が引き締まった。

 彼は動き出す。

 先程の蹴りとは真逆のゆったりとした動き。


 揃えた足を開き、両手を上げて、下ろす。


 下ろしながら、腰を落として、片足を上げて、更に開いていく。


 出した足に体重を乗せる。


 動きに会わせて腕を開き、また閉じる。


 後ろ足に体重を戻して、また足を上げて一歩進む。

 もちろん、腕もそれに合わせて動かす。


 ゆっくりと体が空間を切り取っていく。


「呼吸は深く、かつ乱すなよ」

 グッチオがネリキリーに注意した。

 ネリキリーの呼吸は上がってきている。


 ゆったりだから楽かと思っていた意識が覆される。

 ネリキリーは努めて呼吸を意識した。


 ゆっくりとした動きのまま、修練所を一周する。

 腰は高く、低く、所々で脚を蹴り出すように高くあげるが、動きはゆるやかに。

 だが、それがかえって難しく、筋力を使う。


 型が終わる頃には、ネリキリーは汗みずくになっていた。


「わりときついだろう」

 同じように額に汗をしたたらせて、グッチオが言った。

「わりとではなく、かなりきつい」

 剣や槍、弓矢といった武器を使うのとは違う筋肉を使う。


「だけど、ネリキリーは勘がいい。魔物には、あまり通用しないから、オーランジェットでは、体術は、あまり重要視されていないんだ。冒険者になるなら、一定以上の水準は満たさなければならないんだが。……カロリングで前にもやっていたのか?」


「こういうゆっくりした動きの型はやっていなかったが、高等学院(リゼラ)で、少々な。実戦もたびたびあったし」


 ネリキリーは上級生や下級生とお菓子をかけて戦った、かつての自分を思い返した。


「実戦をたびたび?」

 不思議そうなグッチオに、ネリキリーは、シュトルム・エント・ドラクルについて説明する。


「カロリングの高等学院(リゼラ)では、面白いことをするんだな」

「オーランジェットではやらないのか?」

「さっきも言ったが、武器を使った戦闘に重きをおいているからな。大ねずみ(クルイーザ)なんかの、あまり危険がない下級魔物を狩ることはあったけど」

「それもすごいな」

 大ねずみ(クルイーザ)は、普通のねずみの三倍はある、名のごとく、大きなねずみだ。

 集団で、家畜に襲いかかるので見つけたら、即、駆除の対象だった。


「さて、汗もひいたところで、そろそろ実戦といくか」

 グッチオがこぶしを片方握って左手に打ちつける。

「望むところだ」

 ネリキリーも肩をほぐして身構えた。





 いきなり、グッチオの脚が目の前に飛び込んでくる。


 咄嗟に脇に逃げて、ネリキリーはそれを躱した。


 相手が足を下ろす瞬間を狙って、左手で突きを入れた。


 グッチオの両手が振り上げられて、ネリキリーの突きを拒む。


 すぐに足払いをかけようとしたが、反対に脇腹に手刀がめり込んだ。


 グッチオの対人戦での反射は、すさまじい。


 ネリキリーは後退して少し間を取る。


 かすかに挑発するような光がグッチオの瞳に宿っている気がするのは、ネリキリーの錯覚か。


 お互いに隙を見つけようと、手を、足を出すが、相手に届かない。


 時間制限はないが、マラニュがやってくるまでには決着をつけたい。


 ネリキリーは、軽く跳躍をして、相手の懐に飛び込もうとした。


 グッチオが両手を抱きしめるようにして、羽交い絞めにしようとする。


 そうだ、これは、試合ではない。


 ネリキリーは捕まる瞬間に身をかがめて、グッチオの腕から逃れた。


 だが、相手の脚が回されて、蹴りが肩へと入った。


 態勢を崩したネリキリーは、続けて出された蹴りを躱せない。


 無様に床へと転がる。


 完敗だった。


 ネリキリーは立ち上がって髪をかき上げた。


「もう一戦、行くか?」

 グッチオが余裕な顔で訊いてくる。


「むろんだ」


 ネリキリーはグッチオの目を見据えながら、低く応じた。



 警戒していたのに、伸びた脚が肩を絡めとり、ネリキリーは引き倒された。


 これで六日連続の敗北である。

 それでも一戦一戦の時間は長くなっていき、手応えを感じつつある。


 グッチオが倒れたネリキリーに手を差しのべた。


 ありがたく、その手をつかんでネリキリーは立ち上がった。


「また、負けた」

 ネリキリーはあがった息を吐き出すようにしながら、呟いた。


「動きは良くなってるさ。脚もかなり上がるようになってきた。正直、何度もひやりとさせられたよ」

 グッチオの息も荒い。


 あらかじめ濡らしておいた手巾(ハンドル)で体を拭き、鎧下を着替える。

 鎖帷子を着込んで、依頼を受けに行く準備をした。




「マドレーヌさん、水くれない?」

 グッチオがマドレーヌに頼んだ。

 冒険者組合(ギルテ)の待ち合いには、勝手に飲めと、水差しがおいてあるが、あいにく空になっていた。


 時間は三時に近い。

 朝早くから動くネリキリー達は、すでにいくつかの採取の依頼を済ませている。


 隙間の時間で、他の冒険者の姿はない。

 査定や勘定もその分早い。ネリキリーが早朝から動く理由でもある。


「お水と言わず、お茶でもいかがですか?」

「マドレーヌさんが入れてくれるのか?それはとてもうれしいな」

 グッチオが相好を崩す。

「ここのところいろいろ大変でしたからね。私と冒険者組合(ギルテ)からのお礼です」


「お礼なら、色をつけてくれてもいいんだぜ?今度、一緒に食事するとか?」

 グッチオがここぞとばかりにマドレーヌを誘った。マドレーヌは言われ慣れているらしく、にこりと笑ったが、承諾はしない。


「そう、色なんですよ。ちょっと珍しいお茶を販促でいただきまして。ラスクさん、少し休憩を取ってもいいですよね?」

 マドレーヌは上司のラスクに確認した。

冒険者組合(ギルテ)からのお礼というなら、休憩にしなくてもいいだろう」

「私もゆっくり楽しみたいので。それに、ケジメは大切です」

 マドレーヌは姿勢を正して言った。


「それでは私が飲めないだろう」

「そうゆうことですか。では、不肖、マドレーヌが職員皆様にもお茶をお入れいたしましょう」

「頼むよ。差し入れの焼き菓子も一緒にみんなに配ってくれ」

 ラスクの言葉にマドレーヌは手をこぶしにして、胸を二回叩いた。


 マドレーヌはいそいそと立ち上げってお茶を入れに行こうとする。しかし、表に出ているのはラスクとマドレーヌとガゼルの三人だが、奥にはもっといる。一人で入れるのは大変ではないだろうか。


「マドレーヌさん、お茶を入れるのを手伝いましょうか」

 ネリキリーは思わずそう口に出していた。グッチオが驚いたように彼を見た。


「マドレーヌさんは薬茶師(ヴァリスタ)の資格も持っているんだぜ。下手なやつが手伝うなんて言わないほうがいい」

 ガゼルが淡々とした口調で、ネリキリーの申し出を一蹴しようとする。

 当のマドレーヌはネリキリーをじっと見ている。


「いいでしょう。お手伝いさせてあげます」

 マドレーヌが大きく頷いて、ネリキリーの手伝いを許可した。

「俺はマドレーヌさんが入れたお茶がいいな」

 グッチオはさらりとマドレーヌを指名した。まあ、むくつけき男が入れるお茶よりはマドレーヌが入れてくれたお茶を飲みたいのはネリキリーも同じだった。

「安心しろ。お茶を運ぶのを手伝うくらいだ」


「いえ、ネリキリーさんには、私と、ラスクさん、ガゼルさんのお茶を入れてもらいます」

 マドレーヌが、きっぱりと宣言した。

「出来ますよね?」

 少し挑発的に聞こえる。資格を持っているヴァリスタに気軽にお茶を入れると言ったことを怒っているのだろうか。


 ネリキリーは、ファンネルもお茶を入れることにこだわりがあったことを思い出す。


 “ただ、お湯を入れればいい、煎じればいいというわけじゃないんですよ”


 店が始動する前に、そう言って教えてくれた彼。

 たった、5種類のお茶を、合格するまでに、何度入れ直したかわからない。


「ちょっと待っててくださいね。奥の人にお茶を入れてお菓子を配ってきますから」


 マドレーヌは奥に引っ込んでしまう。

 どうやらネリキリーは、ここで「お点前」を披露しなければならないらしい。

「たかが、お茶。されどお茶か」

 ファンネルの口癖をネリキリーは口の中で復唱した。



「これは、薄紅葵(マロウアイ)

 出されたお茶にネリキリーは絶句する。


「やはり、ご存じでしたのね。近年、カロリングで流行って、栽培量も増え、オーランジェットへも輸入が多くなっています。オーランジェットでも栽培はされていますが、魔物が出るので大規模栽培がなかなかできなくて」


 カロリングの大きな商会が販売を促進しているのだとマドレーヌは言った。


 マドレーヌはグッチオとネリキリーのために薄紅葵(マロウアイ)を入れてくれる。

「上手に入れると、三色の色を楽しめます」

 どうぞと、マドレーヌが二人に差し出す。


 味や香りは草薬茶に分類されるので、お茶の木から採取されて加工される樹茶よりは、手放しで美味しいとは言えない。

 しかし、水色(すいしょく)の変化は、珍しく美しい。


 マドレーヌの入れてくれたお茶は、空色、紫、そしてリモーネを入れて薄紅へと変化する。

「楽しいな、これ」

 グッチオは気に入ったようだ。


「じゃ、ネリキリーさん、お願いします」

 マドレーヌが道具を示した。


 ネリキリーは真剣にお茶を入れていく。

 温度や茶の量を間違えると、最初の空色がでず、いきなり紫になってしまうからだ。


 なんとか、空色のお茶を三杯分入れる。

 すこし、紫っぽくはないだろうか。

「どうぞ、召し上がってください」

 三人は、ネリキリーの入れたお茶をすすった。色が次第に変化していく。

 マドレーヌはおもむろにリモーネを入れてお茶を薄紅色に染める。


「合格です」

 マドレーヌが重々しく言った。

「ありがとうございます」

 軽く会釈してから、癒され楽しむためのお茶の時間なのに、グッチオと闘っている時のような気持ちだったことにネリキリーは気がつく。


「さ、お菓子。お菓子。これ、美味しんですよ。リアクショーさんが差し入れてくださったのです」

 しかし、喜ばしげなマドレーヌの声が上がると、ネリキリーはすぐに肩の力を抜いて、お茶を楽しむ気持ちになった。



 五人でしばらく談笑していると、どやどやと扉から冒険者の一団が入ってきた。


「いいもん食べてる」

 目ざとくイーネスが言った。

 今日は、コナー達と一緒に依頼をこなしていたマラニュが当然のように、ネリキリーの隣に腰かけた。


 ラスクとガゼルとマドレーヌが立ち上がる。


「お疲れ様です。みなさんも清算待ちの間に、お茶をいかがですか。今日は気分が良いので、私とネリキリーさんが入れて差し上げます。」

 マドレーヌは、そう言ってネリキリーを巻き込んだ。

「いや、自分は」

 あんなに緊張して、お茶を入れたくない。


「お手伝いしてくれるって言いましたよね?」

 マドレーヌは少し首を傾げて、ネリキリーを見下ろす。

「そうですね。言いました」

 ネリキリーは諦めた。マドレーヌのほほえみは、否やを言わせない。


 緊張をともなう茶の時間はもう少し続くらしい。



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