六じゅうに
「ネリキリーさん、グッチオさん」
建物を出ると、町の人が数人。その中にジュリエッタもいた。
「ハウサオロンを退治に行くのですよね。お気をつけて」
ジュリエッタが心配そうに声をかけてくれる。
「ありがとう。町に被害が及ばないようにします」
ネリキリーはジュリエッタを安心させるべく、一度立ち止まって姿勢を正し、胸を軽く叩く。
グッチオがそれに続き、マラニュがやや遅れて同じ礼を取った。
ジュリエッタの顔が少し柔らかくなる。他の町の人たちもだ。
騒ぎ立てはしないが、オーランジェットの人だとて町の人たちは、魔物に対するのが日常の冒険者とは違う。
女性、老人、子供もいる。
この人たちを守らねばとネリキリーは改めて感じた。
守るべき人たちを後に、足早に武器庫に向かう。
すでに冒険者達が武器を手に厩舎に向かっているのとすれ違う。
「西門前に集合だと」
ちょうど出入口から出てきたシレーがネリキリー達に言った。
「分かった」
グッチオが短く言った。
ネリキリーは長槍と弓、今日は短弓でも複合弓を選ぶ。軽く扱いやすいうえに長弓に迫る威力だ。
「大剣より長槍がいいぞ」
マラニュが自分の大剣だけで出ようとするのをグッチオが止めた。
「お前に、使う武器を指示されるいわれはない」
硬い声でマラニュが噛みつく。
「その分危険が増すのを承知の上なら、大剣でもいい。だが、弓は絶対に持て」
ネリキリーは諭すように口をはさんだ。
「承知した」
マラニュは仏頂面ではあったが、大人しく弓を取りに行く。
「なんで、ああも人につっかかるかね」
グッチオがやれやれといった風に手にした槍を振る。
「侮られたくない、ってところだろう」
ネリキリーは弓の弦を確かめながら答えた。
厩舎には、スプラウトが残っていた。
「ネリキリーさんのために確保しときましたよ。ついでに、ダリウステンも。マラニュさんの体格だと、この馬が最適だからね」
奇獣の厩舎番はネリキリー達のために馬を確保してくれていた。
「ありがとう。助かります」
ネリキリーは厩舎番に謝意を示した。
マラニュが軽く頭を下げるのを見届けて、ネリキリーはスプラウトに乗る。
「小象はいないのか」
グッチオが尋ねるが、厩舎番は首を振る。
「子象は5頭しかいないから。早々に借りられたよ。グッチオさんには、このモードヌイを取っといた」
「モードヌイか。いい選択だ。感謝する」
グッチオが礼を述べた。
「がんばれよ」
さほど緊張を感じられない厩舎番に送り出され、三人は西門へと向かった。
「遅いよ」
カレヌがネリキリー達に言って、マラニュを軽く睨んだ。すでに西門の前は冒険者達でいっぱいだった。
「みんな聞いてくれ」
中級冒険者のシンセールが小象の上で大きな声で注目を即した。
「ハウサオロン、6匹が出現したのは、メーレンゲにほど近い、ネフェル湿地だ。奴らはメーレンゲに向かって行進中との情報が入っている。そこで、討伐隊を派遣するが、現場の指揮は私が取ることを冒険者組合から依頼された」
彼が今回の討伐の指揮者になったらしい。
メーレンゲに代々住む商家の息子で、父親は三十人会に席を占めている。シンセールは手堅い闘いをするし、人望もある。まとめ役には適任だった。
「緊急のことで個々の契約は後回し、依頼料は規定で、ハウサオロン一匹につき三万リーブ。一匹に対して八人から10人で対処予定のため、一人おおよそ三千リーブだ。不満がある奴は、今受けている依頼を優先してくれていい」
シンセールが言うと、「ここまできて、今さら帰るかよ」と声が飛ぶ。
「そうだろうが、一応、言うのが決まりなんでな」
少し首を傾げてから、シンセイールは槍を担ぎ上げた。
「班には必ず一人は中級が入れ。それ以外は、任せる」
シンセールが口にした冒険者の組み合わせの指示は大雑把なものだったが、冒険者同士の相性もある。すでに何度が一緒に依頼をこなした仲のほうが勝手が良い。
自然、ネリキリー達は、コナーやバンスタイン達と一緒になる。少し離れたところでマラニュが目をさまよわせていた。
「マラニュ、こっちだ」
ネリキリーはマラニュを呼び寄せた。カレヌは少し不満そうにしたが、声にはださない。
「一緒になってもいい?」
ルチナとジョウンが合流を申し出る。いつも二人で組んでいる女冒険者だ。
体の線に沿った、革に鋲を打った動きやすそうな鎧を着ている。兜はつけておらず、白い布で作られた鉢がねをつけていた。
「コナーがいるところなら安心だから」
「みんな構わないか」
コナーは顔を左右にして皆を見る。誰も否やは唱えない。
「歓迎しますよ、ベッラ」
イーネスが少し気取って胸に手を置く。
「ベッラは止して。ここでは冒険者だもの」
ルチナが少し困った顔をした。彼女達は貴族出身なので、ベッラの呼びかけは正しい。
もっとも、その呼びかけは、昔ほど厳密では無くなっていて、敬愛する女性全般にも使われ始めている。
周りの冒険者たちも、協力する班が決まり、冒険者たちはハウサオロンの待つクレーム平原へと騎獣を進めた。
六十あまりの騎獣がクレーム平原を走っていく。
しかし、子象の足に合わせているので、馬の最大速度ではなかった。
空を流れる雲が日差しを遮っては流れて、春の陽の、光と影を作り出す。
時折、風と違う方向に草が動くのは、クックルかアルミラッジか。それとも他の生き物か。
下級の魔物でも知恵はある。
大勢の人間が集まっているときは、やみくもに襲ってはこない。
「お前は、落ちついているな。ハウサオロンを狩ったことがあるのか」
マラニュが馬を寄せてネリキリーに声をかけてきた。
ネリキリーは顔をわずかに左に向かわせ、「ない」と答えた。
「中級を狩るのは初めてだ」
目の端にマラニュの驚いた顔が映る。
ネリキリーは自分が落ち着いて見えるのかと内心、考えた。
落ち着いていると言うより、何も考えないようにしていると言ったほうがいい。
「魔物を狩るときは、何も感じないようにしている」
ネリキリーはマラニュに言った。
「何も感じないように?」
「迷いが出れば、それだけ危険が増すから」
「なるほど」
マラニュの態度は、最初に出会った時より、かなり軟化していた。
グッチオの言う、鼻柱を折られた成果か。
いきなりの中級の魔物に対峙する緊張からか。
「お前は、ハウサオロンについてどれくらい知っている?」
マラニュがまた、話しかけてくる。
「そういうお前は?」
ネリキリーは逆に同じ問いを返す。
「鰐に似ていて硬い鱗に覆われている。しかし、後ろ脚が発達していて、直立歩行をする。大きさは小象より一回り大きく、尾の攻撃に注意せよとあった」
よどみなくマラニュが答えた。わずかに、どうだという響きが混じる。
「そうだ。最大の弱点は前足の下の腹部。さらに注意すべきは、直接の攻撃魔法は持たないが、その咆哮があまりに聞き苦しく、人の耳に異常を起こさせる。ゆえに狂った、音楽と呼ばれている」
ネリキリーはマラニュの回答を補足した。
狂った咆哮を防ぐには空気を震わせて、音に対抗するしかないが、それは矢の軌道に影響する。
その連携を取ることが要になる。
「マラニュは歴代8位になった弓の腕だ。コナー達も期待しているだろう」
「歴代3位のお前に言われても、嫌味にしか聞こえん」
マラニュは怒ったように前を向いたが本気ではないと知れる。顎髭に覆われたその横顔にネリキリーは軽い笑いを向ける。
それを見たのだろう。マラニュはまたこちらを向いた。
「俺を馬鹿にするな」
今度は少し本気で怒ったようだ。
「馬鹿にはしていない。面白いとは思っている」
「お前!!」
馬の上だというのに、マラニュはネリキリーにつかみかからんばかりだ。周りの冒険者が笑いながら様子をうかがっているのも、怒りの一因だろう。
ネリキリーは少し馬を離した。マラニュが落馬しては困るからだ。
「元気がでたな。そのくらいの勢いで、ハウサオロンにも向かっていって欲しいな」
その言葉を聞いたとたん、マラニュの目が丸くなる。
「お前、俺をわざと怒らせようと……」
表情の豊かな顔。面白いという気持ちもあながち嘘ではない。
ネリキリーは、ちょっとウィローを相手にしている気持ちになる。
雪の日に拾った白い魔物を傍らにおいている弟の姿。白い魔物はお気に入りの冬ショーロを食べている。
あんまり、食べさせると、魔物の口からキノコが生えるぞ。ネリキリーが言った冗談を、ウィローは真剣にしばらく悩んでいた……
弟を思い出して、自然、ネリキリーは微笑んでいた。
「すごく、優しい顔をするんだな」
マラニュが呟いた。
風に乗って伝わる彼の声音に先ほどの怒りはない。だが、ハウサオロンに対峙する過度の緊張感もなくなっていた。
「ネリキリー、マラニュ、いいか?」
二人のやり取りが一段落したと見て取って、班の指揮を執るコナーが馬を寄せてきた。
ネリキリーは顔を引き締めて、コナーの言葉を待った。
「話題にもなっていたようだが、君たち二人とルチナとジョウンには弓での攻撃を任せたい」
「了解しました。風の魔法は誰が?」
「風の魔法は私の得意とするところだが、ここはグッチオに任せようと思う」
魔法を使うのは後衛だ。もうすぐ冒険者を辞めるグッチオの事情を考慮しての配置だった。
「俺は火のほうが扱いやすい。でも、風もそこそこいけるから。任せてくれ」
先を行くグッチオが前向きのまま、軽く手にした槍を振る。けれど作戦が上手くいけばその槍の出番はなさそうだった。
「弓手四人が、ハウサオロンを牽制しつつ、グッチオが風の魔法で咆哮を相殺。俺とコナーが前衛に出て、敵の攻撃をかわしつつ、カレヌとイレーヌが腹の部分に集中して攻撃、ってとこだ」
バンスタインも近くに寄ってきて、おおよその動きを説明した。
「コナーさんが前衛ですか。後ろから状況を把握して、指揮をしたほうが良いのでは?」
ネリキリーがいぶかしげに言うと
「それもありなんだがな」
バンスタインが手綱を持たない手で首の後ろを掻いた。
「全体の指揮は、シンスール殿が執る。それで問題ないだろう。それに中級の私が前に出なくては、な」
確かにコナーは、この班で唯一の中級冒険者だった。
さらに、オーランジェットの人間、特に貴族は、魔物を狩る責をフロランタンから預かっているという自負が強い。
コナーは、前衛で直接、魔物と闘うことを自らに課しているのかもしれない。
「分かりました。弓での援護はお任せください」
ネリキリーは軽く会釈をした。
「私たちも弓は得意なほうだから。弓矢隊だけでハウサオロンを仕留めてしまうかもしれないわ」
「そうそう」
ルチナとジョウンが後方から明るい声で、勇ましい発言をした。
「いや、大鰐なんて、俺たちで串刺しです」
カレヌが負けじと声を出す。
「そりゃ、いい。何にもしなくて、依頼料が入るなら万々歳だ」
バンスタインの豪快な笑い。マラニュも少し笑っていた。
皆の意気が上がり、戦闘への意欲となる。
それを見越したように、先をいく冒険者の声が張り上げられた。
「いたました。前方、1000ダレヌにハウサオロンが六匹」
ネリキリー達は、一斉に闘いの態勢に入る。
目を凝らせば、草原の中に黒いしみのような生物がこちらに向かっているのが見えた。