四じゅうしち
メーレンゲの町に魔法灯が点り始める。
点灯士が魔法の灯を次々とつけてゆく。
大人達にとっては珍しくもない光景。
だが、子供達は灯りの点いた魔法灯を喜んでいる子も多い。
反対に、友達と遊んでいて、家に帰る時間だと残念そうに言っている子もいる。
仕事場から家に帰る人々が急ぎ足で行く中、ネリキリーはゆっくりと通りを歩いていた。
夕飯を取るために出てきたが、今夜は冒険者が集う酒場や食堂では取りたくない。
ネリキリーは賑やかな大通りから外れ、少し狭い路地に並ぶ店を物色しはじめた。
ここにも魔法灯はあるが、大通りよりかなり少なく、所々は陰に沈んでいた。
地元の人が利用するような小さな店が並んでいた。
八百屋や肉屋、金物屋などは早々に店を閉めているところもある。
食堂と酒場も三、四軒あるようだ。
その中で一軒だけ、趣を異にしている店があった。
高杯から零れ落ちる星を意匠にした看板が魔法灯に照らされている。
店はまだ開いているようだ。ネリキリーは好奇心に駆られて店の扉を押した。
部屋の中は明るかった。街灯のかすかに黄色味をを帯びた光ではなく、灯火は白く輝いている。
「ようこそ、お客人」
奥にいた店主であろう人物が立ち上がって、ネリキリーのそばに寄ってきた。
「察するにあなたは冒険者ですな。いや、長年商売をやっていますとな、相手の職業がすぐわかるようになるのですよ」
店主はしたり顔でいうが、ネリキリーは冒険者の証の襟飾りをつけたままだ。
それを見れば、7歳の子供にだって彼が冒険者であることは判るだろう。
しかし、ネリキリーはあえてそれを指摘せずに答える。
「良く判ったね。まだ駆け出しだが、確かに私は冒険者だ。」
「いや、ご謙遜を。なかなかの実力者とお見受けしましたぞ」
店主がお世辞を口にした。ネリキリーは苦笑を浮かべる。
「この町にきてまだ一年だ。駆け出しというのは本当だよ。ところでここは何の店なのかな?」
ネリキリーは店の中を見回した。商品らしきものは何もない。
「ご存じないのに、ここへいらした。あなたは、かなり運の良い方ですな」
商売人らしく、褒め言葉を連発する店主にネリキリーは少し辟易する。
加えて彼はネリキリーの質問に答えていない。
ネリキリーは黙って踵を返した。
「お待ちください、お客人。良いのですか?ここは真証石屋でございますよ」
「真証石屋?」
聞き慣れない言葉にネリキリーは足を止め、店主の方へ振り向いた。
「真証石屋をご存じないとは、本当にまだまだ、駆け出しなんでございますね」
やれやれと言うように店主は首を振った。
「で、真証石屋というのは何なのだ」
ネリキリーは再ど質問を口にした。
「魔法が封じ込めれれた晶石でございますよ」
どうだと胸を張って店主は答えた。
「冒険者組合にはそんな素材は売っていないし、魔導学の古文書でも見たことはない」
偽物屋か、とネリキリーは店主を軽く睨む。
「怖い顔をなさいますな。真証石はほとんど流通がないうえ、扱いが難しく、誰でもが気軽に使えるものではないのでございますよ」
店主はネリキリーの顔をじっと見つめた。ネリキリーも無言で相手の様子を観察した。
微笑みを張り付けたその顔は、手練れの商人にも詐欺師にも見える。
「ご覧になりますか」
先に口を開いたのは相手だった。ネリキリーは無言でうなづいた。
「おかけ下さい」
店主が示す椅子に座ると相手は卓を挟んで差し向いに座った。
彼は懐から小さな箱を取り出した。そして箱を慎重な動作で開く。
濃紺の絹が内側に張られた箱の中には子供の指先ほどの小さな玉石があった。
それは透明な石の中に細い金のような線が幾筋か浮かんでいる。
「この金のような線が多いほど魔力を多く宿しているのですよ」
「ただの針水晶ではないのか?」
ネリキリーはよく似た鉱物の名前を出した。
「そうおしゃると思っておりました」
店主は笑いを深めると、真証石とやらを卓に置いて、立ち上がって魔法灯を消した。
店が暗くなると卓の上の真証石がほのかに光を放った。この輝きに似た光をネリキリーは以前に見たことがあった。
トナイオンの角。
「トナイオン、いや、天馬の光の魔法か」
ネリキリーが確かめるように言葉を口にすると、店の中に明るさが戻る。
「やはり冒険者。天馬の光の魔法を良くご存知ですな。それにトナイオンを知っていらっしゃるとは」
言いながら店主は席に戻った。
「いかがですかな?魔法が封じ込めてあると信じていただけましたかな」
「信じよう。だが、光る珍しい石というだけなら、私には必要ないものだ。宝石には興味がない。ただ、珍しいものを見せていただいた。それには、感謝する」
「慌てなさるな。これは美しく、ただ珍しいだけの石ではありませんぞ。ここから魔法が取り出せるのですよ」
それは本当だろうか?
「ただ、この石は少々気難しくて相性が悪いものには反応しない。そして、相性が合う人間は稀にしかいない。なので、特別なお客人にしかお売りできないのです」
「まるでこれに意思があるように言うな」
店主は謎めいた微笑みを浮かべる。
「あるかも知れませんぞ。なにせ、これは幻獣の涙が固まってできたと言われておるものですから」
眉唾な話だ。
ネリキリーは両断しようとした。
幻獣は涙を流さない。
「馬鹿な。幻獣は涙は流さないはずだ。強固な魔力を持つ幻獣はその肉体を保護されている。よって、他の獣と違って生理的な涙を流す必要はない。例外は、上半身が人型をしている人魚くらいだ」
人魚の涙は、貝の中に入り込むと美しいバラ色の真珠になると言われていた。
そして。
「フロランタンの涙だというのではないだろうな」
ネリキリーはフロランタンにまつわる逸話を思い出す。
「とんでもない。竜王フロランタンの涙でしたら、こんな些細な魔力ではありますまい」
「では、なんの魔力だというのだ」
「もうお客人は答えをおっしゃったじゃないですかな」
「天馬?」
然りと店主は首肯する。反対にネリキリーは首を左右に振った。
「幻獣の心は、獣の心。獣は心で涙は流さない。心が涙を流すのは、人を人足らしめるもの。しかれど、幻獣はその身を人へ化すこともある。人の身なれば、心が涙を流させることもありましょう」
どこか謡うように店主は話す。
「だが、それは世界に魔力に満ち溢れていた頃の伝説。しかも高位幻獣の話だろう。竜やフェニクス、歳ふりたリュークスの話もあるにはあるが」
「しかし、人狼の話もございますよ」
「人狼は魔物だろう。327年前に、ブラデン地方で出現し、退治されたと記録がある」
「よくご存じで」
間髪を入れずに返したネリキリーを店主がうれしそうに褒めた。
「お客人は、真証石に魔力が封じ込めていることを肯定なさった。高位幻獣が人になることも信じておられる。なのに、なぜ、天馬が人形を取らぬとお思いですかな」
問われてネリキリーは何故だろうと自問した。
そう、答えは。
「天馬にはこれから、万が一だが、騎乗することがあるかもしれない。人の形をとるものの背中に乗るのが嫌なのだろう」
人とは身勝手なものだ。獣の姿を、己と違う姿をしていれば、それを「道具」であると割り切れる。
だが、人となり、人語を解すものに自分の重い体を乗せるにはためらいが生じる。
「貴方はお優しいのですな。しかるに真証石に呼ばれましたか。……安心なさい。同じ天馬でも人形を取るは、300年生きて、四翼を持つ天翼馬となったもののみ。かのものは雲の上を行くので、人を乗せることはまずありえない」
二対の羽を持つ天翼馬は竜やフェニクスに次ぐ高位幻獣だ。
しかし、そうなればますます怪しい。いぶかしむネリキリーの気配を悟ってか、店主は言った。
「試してみますか。小さな魔法をご自分で使ってみれば、私の話が偽りでないと知れましょう。そう、小さな風を起こして、この手巾を揺らしてみてはいかがですかな」
店主は刺繍された上等な手巾を取り出した。ネリキリーはその言葉に心惹かれる。
「商売物だろう。封じられた魔力を開放すれば、魔力が減って困るのではないか」
「なんの。小さな風を起こしたところで魔力はそう減りませぬよ。しかし、お気になるなら、お代を10リーブほどいただきましょうか」
いかがなさいますかと、店主の目が誘っている。
ネリキリーは思案する。もし、本当に魔力が石から取り出せるなら、ネリキリーには僥倖だ。
「いいだろう」
ネリキリーは誘いに乗った。彼は金を取り出して、卓の上に置いた。
「どうぞ、お手に取ってお試しください」
言われるままに、極小さい石を手に乗せるが、ネリキリーは魔導式を展開するのをためらう。
魔法が呼び出せなかったら、彼はおおいに失望するだろう。
「どうなさいました?」
「いや、何分、初めてのことなので」
EGO OPT 1aps//Ae MOV//Vent
風は起こらなかった。ネリキリーはため息をついて、石を返そうとした。
「己でなく、石に意識を向けてくださいませ」
真剣な瞳の店主の忠告を聞いて、ネリキリーは再び魔導式を展開する。
1APS Duc mag //Ae MOV//Vent
ふわりと、部屋の空気が動き、店主の持つ手巾が揺れた。
「揺れましたな」
店主の顔は誇らしげだ。ネリキリーは手の中の石を見つめた。金の線が少し減ったように見えるのは気のせいか。
「石の中の金線が魔力なのです。使ううちに線は無くなり、最後は石が散ってしまう」
「どれくらいこれは持つ?」
「さようですな。この石なら、下級の魔物を倒すくらいならば、100回から120回。中級の魔物ならば10回ほど倒すくらいは持ちましょうな。魔物の種類によりますが」
「そんなに」
こんなに小さな玉石にそれほど大きな魔力が秘められているとは。
「いかがですかな、欲しいと思われませんか」
「いくらだ」
してやったりという顔をして店主は笑った。
「1万リーブ」
「高い。下級の魔物を倒す相場は、高くても1体100から150リーブ程度だ」
「では、9000リーブでは?」
「冒険者になって日が浅い私にはとても無理だ」
ネリキリーにはあまりに高い買い物だ。あきらめるしかないと腰を浮かす。
「では、8000、いや7500では?」
ネリキリーを引き留める相手の様子に、彼は「真証石は使える人が少ない」という店主の言葉を思い出した。
「真証石は扱える人間が少ないのだったな。前に売れたのは何時なのかな」
売り手は限られているということだ。そして、オーランジェットの人間はネリキリーと比べ、魔力が大幅に高い。さほど、この玉石を必要としないはずだ。
「解りました。6500で」
「5600、俺が出せるのはそこまでだ」
「ほとんど半額ではないですか」
店主の声に嘆息が混じる。だが、ネリキリーもこれがギリギリだ。残りはひと月分の生活費のみになる。
「どうする?私は今すぐこれが必要なわけじゃない」
ネリキリーは、まだ手にしていた石を転がして見せた。
「良いでしょう。初回のお客様ということで、5600リーブで手を打ちましょう」
「では、交渉成立だな。支払いは冒険者組合の証書でよいか?」
「よろしいですよ」
ネリキリーは懐から支払いの証書を取り出して、金額と署名を記入する。これを冒険者組合に持っていけば、ギルドに預けてある金から、店主に支払われるはずだ。
「店主、名前を教えてほしい」
「クレマ・デサントと申します」
ネリキリーは教えてもらった名前を証書に書き入れて店主に渡した。
「小さいので、使用するときは無くさぬようお気をつけてくださいませ」
ネリキリーはその言葉にふと思いついて、銀貨をいくまいか取り出した。
石の魔力を使って銀貨を細い線にして、さらに編む。
小さな籠と鎖が瞬く間に出来上がった。
店主がそれを見て目を丸くした。
「器用なことですな。生業になるほど」
「昔、習った杵柄だが、私は芸術的な感性がなくてね。人に売れるほどのものは作れない」
鎖が付いた小さな銀の籠に真証石を入れて、ネリキリーは立ち上がった。
「では、店主。ありがとう。よい買い物をした」
「今後ともごひいきに」
慇懃に店主が礼を寄越す。
ネリキリーが外へと出る後ろから、店主が「カロリングの者がこれほど交渉上手とは思わなかった」と言うのが聞こえてきた。