表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王道、ふあんたじぃ  作者: 野月 逢生
第一章 
46/90

よんじゅうご

 早春の庭。

 命の色がひそやかに息づく風景は、花の盛りに劣らない美しさがある。

 淡い緑を含んだ木々や草。沈丁花(ダフネリア)の香りがかすかに漂ってくる。


 ファンネルの屋敷には今までに無かったほど、人が集まっていた。

 高等学院(リゼラ)の恩師であるオルデン師夫妻をはじめ、ディゴヤ師、ロトレク師などの幾人かの(マター)講師(レックス)


 ファンネルの高等学院(リゼラ)時代の友人だという人も五人ほど。

 うちの二人は奥方と婚約者が一緒だ。

 ファンネルとルベンス講師と三人の男性は、まだ、良い人を見つけられないのかと言われていた。


 さらに、花の少ない庭を彩る令嬢たち。

 アンゼリカ嬢は舞踏会で顔を知った下級生を誘っていた。

 セリア嬢、クレア嬢、ジョゼット嬢、シンシア嬢、キトリ嬢。そして、ハリエット嬢。

 ハリエット嬢の心の姉妹であるミリエル嬢の顔は見えない。


 令嬢たちの付き添い嬢も控えめながら、花を添えてくれる。

 ただ、ライサンダー夫人は、別格だ。まるで露に洗われた薔薇のよう、とはルベンス講師の談である。

「ケルンはなんで、姉妹を誘わなかったの?」

 ネリキリーはケルンに尋ねてみた。

「一番上の姉さんは婚約者と出かけてる。二番目は先に同級生のお茶会に承諾をしていた。下の妹は一人じゃ、嫌だってさ」

「それは残念だね」

「これからは毎日開店しているんだろ。そのうち案内するよ」


 近所の人も顔をのぞかせていた。

 家まで招き入れる招待客ではなく、門を少し入ったところにしつらえられた卓に用意されたお茶を飲んでは帰っていく。


 ネリキリーはイリギスとケルンだけでなく他の寮生にも声をかけていた。

 ルシューやクレソン、マルト達が来てくれた。高等学院(リゼラ)の寮生はみな、給仕をしていた。

 人手が足りなそうなところをケルンが皆に手伝いを呼び掛けてくれたのだ。

 シュトルム・エント・ドラクルの後のお茶会の経験が役に立っている。


 イリギス、ケルンをファンネルに紹介したとき、ファンネルは、「三頭犬(ケルペス)か」と少し含み笑いをした。

 ケルンが「ネリキリーがお世話になって」とまるで兄みたいなことを言う。

「お世話になってるのは、こちらだよ。これからもよろしく」

 とファンネルは微笑した。


 そして、今日の主賓は、ボード伯爵令嬢、シャルロットだ。

 身分ならば、イリギスが上だろう。しかし、彼は高等学院(リゼラ)の後輩として、ここに来ていた。


 招待客が集まった頃、ボート伯爵家の馬車は、二台連なって現れた。

 門に横づけにされた豪華な先頭の馬車から、お付きの人が降りる。

 ドーファン上級生だった。

 少しは予想していたが、当たってもさほどはうれしくない。


 シャルロットがドーファン上級生の手を借りて、軽快に馬車から降りる。

 もう一つの馬車からは、当然フォーク、セーブル、クルトン、ボトルの四人の上級生が出てくる。

 馬車が去っていく。適当に時間を潰して、戻ってくるよう指示してあるのだろう。


 シャルロットが五人の男にかしづかれながら、庭を横切ってくる。

 まるで小さな女王様だ。

 誇らかに笑う顔はまるで光を発しているように見える。

 ファンネルが彼女らに挨拶をする。

薬茶師(ヴァリスタ)ファンネル・メルバ、お噂はかねがね」

 どうやらドーファン上級生はファンネルの名前を見知っていたようだった。

 二人が談笑を始めると、シャルロットがネリキリーのそばへとやってきた。


「ネル、お久しぶりですわ」

 その胸元にはネリキリーが贈った銀の矢じりが輝いていた。ネリキリーの胸はそれだけで暖かくなる。

「お元気そうで何よりです」

「ええ、元気ですわ。ネルが贈ってくださった矢で毎日稽古をつんでますもの」

 シャルロットが矢を射る真似をする。

「それは嬉しいです。……何かお飲みになりますか」

 ネリキリーは給仕の役目を思い出してシャルロットに尋ねた。

薬茶店(ヴァリア)になるのですものね。でも、ヴァリアって何がありますの?」


 カロリングには薬茶店(ヴァリア)は多くない。それに、シャルロットはまだ七歳の伯爵令嬢だ。

 知らないのは当然だ。

「体に良いお茶がたくさんあります。心を安らがせるカミツレ、酸味がある薔薇の実のお茶、あと、変わったところで薄紅葵(マロウアイ)がありますよ」

薄紅葵(マロウアイ)、どんなお茶ですの?」

「色が変わります。飲んでみますか?」

「ええ、ぜひ」

 シャルロットは興味深々だ。


 薄紅葵(マロウアイ)が用意されている卓まで案内すると、アンゼリカ嬢がこちらに来た。

「アンゼリカさま」

 シャルロットの顔が明るくなる。

「シャルロットさま、ごきげんよう」

 アンゼリカ嬢の挨拶にシャルロットは自分が他の来客達と誰とも挨拶をしていないことに気がついたようだった。


 彼女はまっすぐにネリキリー目がけて歩いてきたからだ。


 シャルロットの目が少しだけ泳いだが、何事もなかったように挨拶を返した。

 その様子を見て、アンゼリカは愛しげに笑う。


「どうぞ、シャルロット、アンゼリカ嬢」

 ネリキリーは薄紅葵(マロウアイ)を二人に勧めた。

「色が変わるお茶ですわね」

 薬茶師(ヴァリスタ)を目指しているアンゼリカ嬢はすぐにそれが何のお茶か判った。


 きれいな青いお茶が茶杯(テブラ)の白に映えている。

 二人は空の色のお茶を飲む。

 飲んでいるうちに、お茶の色が紫へと変わる。

「色が変わりましたわ」

 シャルロットが喜びを含んだ驚きの声をあげた。


「シャルロット様、それだけじゃないのですわ」

 アンゼリカ嬢が茶杯(テブラ)を卓に戻した。

 シャルロットもそれを真似る。

 アンゼリカ嬢がお任せしますわ、と視線をネリキリーによこした。

 ネリキリーは、うやうやしくリモーネを二つの茶杯(テブラ)に入れた。

 夜明けの空が明け染めるように、お茶の色が薄紅に色を変える。

 その色に染まるように、シャルロットの頬も上気した。

「なんて素敵なのでしょう」

 弾んだ声が、湧き水のように庭に広がった。


 その声に引き寄せられて、大人達が集まってくる。


「ネリキリー君にお株を奪われてしまいました」

 ファンネルが二人が飲んでいるお茶を見て、苦笑した。

「二人で造ったような庭なんだから、株分けは当たり前だろう」

 ルベンス講師が陽気に言った。

 そうだねと、ファンネルは相槌を打つと、回りのものに

「みなさんも、飲んでみてください」

 と、声をかけた。


 皆は色が変わるお茶を楽しんだ。特にご婦人方にはすこぶる好評だった。



 令嬢達がイリギスにお茶を入れてもらって、華やいだ声をあげた。

「楽しいわ。こちらをあの子への贈り物にしようかしら」

「婚約のお祝いなら、先ほどお部屋で拝見した銀細工のほうが良ろしいのではなくて」

 令嬢たちがこぼれるように笑いさざめく。


 若い令嬢達にお茶を給仕すると、イリギスはライサンダー夫人へと歩み寄った。

 彼は洗練された仕草で茶杯(テブラ)を差し出す。ライサンダー夫人は礼を言って優雅にそれを受け取った。まるで、そこにだけ強い光があたったように感じる。


「何というか、イリギスだよなあ」

 ケルンがつくづくという風に嘆息する。


「大変ですわ。ラウィニアお姉さまが、イリギス様の毒牙にかかってしまいますわ」

 守りにいかねば、とシャルロットがアンゼリカ嬢に言った。

 シャルロットにはイリギスがどう見えているのだろう。ネリキリーは少し気になる。


「悪い竜からご婦人を守るのは、騎士の務めですよ。ここは私たちが行きます」

 ルベンス講師がファンネルを促して、ライサンダー夫人の近くに行った。


「竜は良いものばかりではありませんの?」

 シャルロットが不思議そうに言った。竜王フロランタンをはじめ、おおむね竜は善の側だ。


「悪い竜はだいたい退治されてしまったから、今いる竜は良い竜だよ」

 後ろからひょいと現れたディゴヤ師がシャルロットに答えた。

「けれど、竜はとても情熱的だから、人間に恋をすると、その人をさらって閉じ込めてしまうと言われている。あなたはとても可愛いから、竜に攫われないよう気をつけなくちゃいけないね」

 ディゴヤ師は少し脅すような声音をだした。そして一転して明るい声をあげる。

「でも、シャルロット嬢にはたくさんの騎士がいるから、大丈夫かな?」

 ディゴヤ師はネリキリーやドーファン上級生達を見回して片目をつぶった。




「さて、ネリキリー君、こちらへ」

 ファンネルがネリキリーを呼んだ。

 そばに立つとファンネルは一同に紳士の挨拶をする。


「このたびは、私のささやかな草茶店(ヴァリア)開店のお披露目にお越しくださり、まことにありがとうございます。このカロリングで店を開くのは子供の頃からの夢で、こんなに早く実現できたのは望外の喜びです。高等学院(リゼラ)の皆様にもご尽力をいただいて、母校の近くに店が持てたこともうれしく思っております」

 ファンネルは再び礼をとった。


「この屋敷と庭は、隣にいるネリキリー・ヴィンセント君の熱心な協力によって甦りました。私一人では、ここまで早くは出来なかったでしょう。彼はまた、ここにいる若者たちをこの庭に呼び込んでくれました。このような新しき縁(えにし)を結びえたこと、それも私を幸せな気持ちにさせてくれました」

 ファンネルは一同を見回すと、ネリキリーに向かって言った。


「ありがとう、ネリキリー君、これは私からのお礼の気持ちだ」


 ファンネルは銀の胸飾りをネリキリーにつけてくれた。


 ネリキリーが母に贈った葉の円環(カロリング)によく似た銀細工。

 オルデン師の奥方が笑っている。


 ネリキリーは言葉もなく、黙ってうなずいていた。


 大きな拍手が一同から沸き起こる。


 熱くなった瞳から涙がこぼれないようにネリキリーは空を見上げる。

 早春の空はやわらかに青く、隔てなく。もし竜の翼があったら、どこまでも飛んでいける気がした。


 ネリキリーは大切な人たちの顔を見渡した。

 ファンネル、ルベンス講師、オルデン師夫妻、ディゴヤ師、ルシュー、クレソン、マルトにフェノールにジャンニ、ドーファン上級生たち五人。

 アンゼリカ嬢にかわいいシャルロット。

 きっと、今日初めて会った人たちも大切な人になるはずだ。


 そして、中でも大切な二人の友達。

 イリギスとケルン。

 明日は、二人と故郷へと向かう。

 この空の向こうにいる大切なものたちのもとへ。


 北にあるグラース村にはまだ雪が残っているだろう。

 りんごの花はまだ咲いていない。

 けれど、雪の下には、春のめざめが息づいている。


 ネリキリーは、二人と共に春を行くのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ