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王道、ふあんたじぃ  作者: 野月 逢生
第一章 
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よんじゅうさん

  窓の向こうでは雨が降っている。

 春が近づいている証拠だ。

 今日は庭の手入れではなく、書斎の整理をルベンス講師としていた。

 しかし、ルベンス講師は、ごたぶんに洩れず本を読み耽ってしまっているので、作業は専らネリキリー一人で行っていた。


講師(レックス)、一つ尋ねてもよいですか」

 作業の合間にネリキリーはルベンス講師に声をかけた。

「よいぞ、何だ?」

 本から顔も上げずにルベンス講師は承諾した。

「ルベンス講師って本当は貴族の出身なんですか?」


 ルベンス講師は高等学院(リゼラ)を奨学金を受けて入学、卒業した。

 その上の大学(コーリッジ)で学び研修する傍ら、母校である王立高等学院(リゼラ・デ・リア)で講師をして学費を稼ぐ苦学の人。

 それが、ルベンス講師の来歴だ。


「なぜそう思った?」

 ルベンス講師はまだ、顔を上げずにいる。

「アンゼリカ嬢とライサンダー夫人が訪問した時に、ファンネルさんは、講師(レックス)をルベンス・ローファットと紹介してました」


 はっ、と声をあげて、ルベンス講師が身を起こした。

「あの時か。そう言えばそう言っていたな。ファンネルはガキの頃からの付き合いだから、いいところの令嬢たちを前にして、うっかり言ったんだろうな。まあ、座れ。別に皆をだましているわけじゃない」

 ルベンス講師の勧めに従ってネリキリーは手近な椅子に腰を下ろす。


「確かに俺は貴族だった。11歳の頃までは」

 貴族は、生まれたら一生貴族。王にその身分を剥奪されるまで。そうではないのだろうか?

 よほどネリキリーの顔に不審が表れていたのか、ルベンス講師は苦笑した。


「売爵って言葉を知っているか?文字通り、爵位を売ることだ」

「でも、爵位は王が叙勲するもので、それを売ることは出来ないはずです」

「建前はそうだ。しかし、人の作った規則には何事も例外がある」

 ルベンス講師は人差し指を立てて左右に振った。


「もともと俺の家、ローファット家は地方に小さな領地があるだけの家格も低い男爵位だ。それを継いだ先代の男爵は、金持ちの家の娘を貰えばよいものを、平民の娘に惚れちまって、結婚までする。ここまでなら美しい愛の物語だが、男爵は妻と10歳足らずの子を残して病気で死んでまう。一転して話は悲劇になる」

 ルベンス講師は顎に手を当て、しばし沈黙する。


「そこに現れるのは、親戚たちと領地のために父が残した借金。家事しか知らない妻と10歳の子に領地経営ができるはずもなく、親戚の薦めにしたがって、領地と爵位を親戚の一人に売ることにした。後継者に不都合がある場合、もしくは、領地を保つのが無理な場合、救済処置として紋章院と貴族院が認めれば、爵位を売ることができる。最終的には王の認可が必要だがな」

 ルベンス講師はそこまで言うと、剃り残しがあるなと顎をなぜた。


「こうして、妻と子は平民になり、借金を返して残ったのは、親子二人で五年くらいは何とか食べていける金だった。子供は努力して高等学院(リゼラ)大学(コーリッジ)に進学して、言語学の講師なんてやっているというわけさ」


 ルベンス講師の話は想像していたよりも重い話だった。


「なんて顔をしてる。俺は気楽な今の暮らしが気に入ってるし、母親も俺が大学(コーリッジ)に入った年に、良い人の後妻になって幸せに暮らしてるぞ」

 その言葉にネリキリーは胸を撫で下ろした。


「僕、ルベンス講師は、庶民の暮らしが好きで酔狂で平民として暮らしているか、自由奔放過ぎて勘当されたのかな、って思ってました」

「それが俺の印象か?こんなに真面目な男なのに」

「言語学者としては真面目ですけれど」

 ここに来るときのルベンス講師はファンネルさんに食事をたかっているばかりの印象だ。

 しかも、手伝いをしなくても良い時間を見計らって。

「ここにいるときのルベンス講師は、食いしん坊で、お酒好きで、やや、怠け者?ですね」

 ネリキリーがそう言うとルベンス講師は声を出して笑った。


「しかし、なんでまた、俺が、貴族かなんて訊いてきた?お前はそういうことには、本質的に頓着しない性格だと思っていたけどな」

「まるで、僕が礼儀知らずみたいな言い方は止めてください」

「お前はいい子だよ。いい子すぎるくらいだ。だが、お前は位の高いものたちに気を使ってはいるが、へつらってはいないだろ」

「それが高等学院(リゼラ)の方針でしょう?」

「それは理想だけどなー」


「僕だって身分の高い人に気後れするときはありますよ。ドーファン上級生達とか、初めの頃のイリギスとか。今だって育ちが違うなって卑屈になる時もあります。……こんなこと聞くのは失礼ですけど、ルベンス講師は貴族に戻りたいと思ったことはないですか?」


「今日はずいぶん切り込んでくるな。何か悩んでるのか?そうだな、まるでないとは言わない。平民になったばかりの頃はしょちゅう。高等学院(リゼラ)に入って1年くらいまでは、何回か思ったよ。だが、言語学者になるのが目標になってからはないな。領地を取り戻しても有閑貴族にはなれないし、なるつもりも無かったからな」

 ルベンス講師はきちんと答えてくれたうえで、からかうような目つきになった。


「これから、俺が貴族になりたいと思うのは、身分のえらく高い令嬢と恋に落ちたときくらいだな」

 もっとも、令嬢の方が身分を捨てると付いてきてくれる可能性の方が高いだろう、と少々自惚れた観測をルベンス講師はする。

「ネリキリー、お前は、身分の高い令嬢に本気で恋でもしてるのか?」

「そんなのじゃないですよ。それはまったく心配ありません」


 自分が気になるのはイリギスのことだ。


 オーランジェットの王様になれるくらい身分の高いイリギス。

 今は隣にいて、同じ目線で物を語れる。

 しかし、いつかは彼を仰ぎ見るようになるのだろうか。

 その時、僕は彼を今のように心から「友」と呼べるのか。


 身分の高低をあまり気にしないとネリキリーが言ったとき、安心した赤ん坊のような顔で、「ほっとする」と言ってくれたイリギス。

 王でなくても、もっと高い身分になった時、彼はやっぱりそう思ってくれるだろうか。


 そして、彼がそう思ってくれたとして。

 その思いに自分は、変わらず応えてあげられるのか。


 応えてあげたいと思うネリキリーの心が、彼に憂いをもたらしていた。


 沈黙したネリキリーにルベンス講師は、「何があった?」と問いかけてきた。

「少し、立場や身分の違いってものについて、考えることがあって」

「立場と身分か。先だっての二尾狐(サキオーキ)で、感じるところがあったってことだな。オーランジェットの人間が鼻もちならない奴だったか?」


 どうだろう?とネリキリーはグラース村での出来事を思い起こす。

 カーネビもフーシュも初めは強引に思えたものだ。冒険者の三人もそれぞれ違う迫力があった。

「鼻もちならないというより、自分たちの優位性を疑ってない気がしました」


 盟主国の自負、矜持。それだけの実力を持っているからこそ、それは強烈だった。

 ネリキリーはルベンス講師に感じたことを話す。

「すごい人たちでした。特に冒険者を統率していたロマさんは」

 イナリーを家に置くことに賛同してくれた時、その戦いぶり、真夜中に一人で村を見回ってくれたこと。

「明け方にちょっとだけ二人で話しをしました。すごく緊張するのだけれど、落ち着くというか。不思議な気持ちになりました」


 英雄(ユリウス)、ふと、そんな言葉が浮かぶ。


「ロマっていう人は、ずいぶんと魅力的な人物だったらしい。熱に浮かされたような顔をしてる」

 ルベンス講師は揶揄するような、危ぶむような口調で言った。

「男が惚れる男か。こっちのが厄介なんだよな。女との恋は二人で幸せになるためのものだが、男惚れは死に引きずり込まれることがある。あらかたの武勲詩は戦士が全滅するのが定番だ」


「ルベンス講師だって武勲詩は好きじゃないですか」

「美しい言語が並ぶ芸術としてな。現実にその実体を求めようとは思わん。女性に向けるもの以外の情熱は、すべてここに詰まっている」

 ルベンス講師はやや芝居がかって、手にしていた本を指で叩いた。


「まあ。ロマという人物を見て、まだ若いお前が惹かれたのも判る。だが、なんで身分や立場を気にするんだ?言っちゃなんだが、お前たちの一家をはじめ、村人たちはオーランジェットの人間と互角に交渉をしてるじゃないか。お前だって、そのロマさんをさらっと、家でお茶を飲むように勧めているし」


「寒い中、自分の村を見回っている人がいたら、もてなすのはあたりまえでしょう?」

「つまり、お前が労っているわけだ。それは同等の立場か、上の人間がすることだよ」

「でも、それはお礼で」

 ルベンス講師の言葉にネリキリーは混乱する。


「何事も、ものの取り方、見かた次第ってことだ。身分や立場なんてそんなものだ。そんなこと気にする暇があったら、本の一冊でも読め。知識は人を豊かにする。どれだけ自分の中身を豊かにできるか、その豊かさを人と分け合うことができるか。それが人間の価値だと俺は思うね」


 講師(レックス)らしいことを言って、ルベンス講師はまた本を読み始めた。



 書斎の扉が音を立てて開いた。

 少しきしんだ音だ。後で油をさしておこうとネリキリーは考えた。

「もう、お昼になるけど。……なんだ、二人してさぼり?」

 腰かけているネリキリーとルベンス講師を見て、ファンネルはちょっと眉を寄せた。


「少年のささやかな悩み事を聞いてたんだよ。それも教師の務めだ」

 ネリキリーはファンネルから視線を向けられ、反射的に立ち上がった

「青春は悩まし。ピットはあまりいい相談相手とは思えないが。……食事は後にするか」

 ネリキリーは慌てて首を横にした。

「食べます」

「食欲があるなら、大丈夫だね」

 ファンネルは二、三度うなずく。


 ルベンス講師も立ち上がった。

「悩める若きネリキリー、わが言葉を訂正する。人生を豊かにするのは、本だけじゃないな。旨い食事と友との交流もだ」

 おおぎょうな台詞を口にしてルベンス講師は、真っ先に階下へ降りて行った。


 ルベンス講師の様子に、ネリキリーはファンネルと顔を見合わせ、笑い合う。


 ルベンス講師と話をしていたら、少し心が軽くなった。

 物事は、取り方しだいか。

 先ほどまでの自分の心、悩みは、少しだけ傲慢だったのかもしれない。


 できるだけ曲がらずに、全てを見よう。

 高みに登るだろう、友に、これからも友と思ってもらえるように。


一角兎(アルミラッジ)

小さな一本角を持つ兎型の魔物 可愛い外見をしていながら、不意をついて獲物を襲う。 外面が良くふるまうことを「アルミラッジの耳が生える」という。肉質はたんぱく。牛乳煮込みがおすすめ。


こまどり(ラブリィ)

青とオレンジの可愛い小鳥 ラブリィは古語で「愛しい」 幼子や恋人への表現や、恋人や夫婦間でこまどりの意匠の小物を送りあう習慣がある。 童話「こまどりロビンのおつかい」はかわいらしくも悲劇的な内容で有名。


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