シガツ レイ ニチ
エイプリル・フールだというので、それにちなんだ作品を書いてみました。
楽しんでくれれば、幸いです。
冬の終わり、もしくは春の始まりは、一年の中で「月のない日」から始まる。
一ヶ月を30日、それが12回だと5日間が余ってしまうので、春の五月、夏の八月、秋の10月、冬の12月に一日増やす。
それでも一日余るので、冬の終わり、春の到来を祝う日が三月と四月の間に取られた。
これが、どこにも属さない日、楽日となった。
この日には、王様や貴族が庶民のために、酒や果汁を給仕する。
酒が入れば、羽目を外したくなるのが、人の常。
たわいない冗談を言い合う風習が、やがて人にいたずらをしたり、かつぐ風習、「愚者の楽しみ」へと変わったのは、千年ほど前ということだ。
愚者の楽日
かついだほうもかつがれたほうも笑って、春を迎える、空白の日。
朝に弱いケルンに、ネリキリーはいつものごとく声をかける。
「ケルン、朝だよ」
予想通りケルンは起きようとしない。
「起きないなら置いてくよ」
軽く揺さぶってやると、やっとケルンは眠そうに目を開けた。
愚者の楽日にはあちこちで屋台が出る。
王宮や貴族、大商人などが振る舞う酒や果汁などの店だ。食べ物を提供するところもある。
王様が全ての人に給仕をするのは無理なので、いつの頃からかこういう形になったらしい。
人気の屋台は早々に品物が無くなるので、振るまいを貰いたかったら、早めに行かなければならない。
去年はケルンが寝坊して、中心部には行けずにいた。
「分かった。起きる」
ネリキリーの本気度が伝わったのか、ケルンはのろのろと起き上がって支度を始めた。
二人でイリギスの部屋を訪ねるとすでに仕度をした彼が出てきた。
「おはよう。晴れて良かった」
「おはよう」
「おはよう。愚者の楽日は、空がまさしく能天気になるらしくて、この100年、カロリングの首都で雨になったことはない」
ケルンが断言したが、目に笑いがうかんでいた。
「それ、本当?」
ネリキリーは一応確かめた。
「ケルンの嘘ですよ。愚者の楽日にこの100年で、雨が降った日は23回あります」
イリギスが否定した。ケルンはやっぱりすぐにバレるよな、と肩をすくめた。
「そうなんだ。それでも晴れるほうが多いのか」
ネリキリーはイリギスの言葉に廊下の窓の外を眺めた。
寮での朝食は取らずに出ることにする。
外出届けはすでに昨日のうちにすましていた。
屋台が出る中心部には、馬車で30分弱、徒歩で1時間くらいで着く。
寮の門まで着くと、後ろから同級生のジャンニが駆け寄ってきた。
「ネリキリー、寮母さんがお前に渡したいものがあるって呼んでる」
ネリキリーは一瞬、ジャンニが自分をかついでいることを警戒したが、たとえ嘘でも寮母さんの呼び出しなら、確かめなければならない。
「じゃあ、伝えたぞ」
ジャンニは門の外に去っていった。
三人は急いで、玄関脇にある寮母さんの控え室に向かう。
「私は渡したいものがあるなんて、呼んでませんよ」
寮母さんがネリキリーを呼び出しているというのは嘘だった。最初に疑った通りだ。
「今日は愚者の楽日だものね」
寮母さんは苦笑する。
「ちょっと待っていて」
と彼女は部屋の中に引っ込んだ。それから手に小さな紙包を携えて戻ってくる。
「嘘を本当にしましょうね」
寮母さんは茶目っけたっぷりに言って、ネリキリー達三人に親指の先ほどの紙包を三つずつ渡してくれた。
「牛酪飴を作ったのよ」
牛の脂肪分で作られる牛酪は焼いた麺麭に塗ったりするが、寮の食事では麺麭には安く大量に手に入るオルオ油ばかりだ。
「これは角黒毛牛の乳から作ったのよ」
嘘か真かわからないことを寮母さんは言った。
角黒毛牛は幻獣で、人には飼われていない。ただ、飼われている普通の牛とも交配を行うためその血を引く牛はいる。
30年という幻獣にしては短い寿命であり、まれに本物の亡骸を手に入れたりして、食べた者の話が聞かれる。
本物の角黒毛牛は信じられないほど旨く、その乳もとんでもなく美味しいという話だ。
ネリキリー達は寮母さんからの飴をありがたく貰う。(寮母さんの言葉を疑う素振りなんて、とてもできない)
イリギスの馬車で半分ほどの距離を稼いでもらう。中心部には人が多いので馬車の乗り入れは禁止だからだ。
それから徒歩で中心部に行くと、すでにそこは人でいっぱいだった。
はぐれないように三人でゆっくりと移動する。
「高いよー、まずいよー」
愚者の楽日特有の呼び込みが行きかっている。中には【口がまがるほど美味しい】なんて看板が掲げられているものもある。
「あれって不味いってことでしょう?売れるの?」
ネリキリーは隣にいるケルンを見上げる。
「どれくらい不味いか試してみる物好きな奴がけっこういるから、わりと売れるらしい」
少し試したい気もするが、美味しいものを飲み食いにきたのだ。今年は見送っておこう。
中心部の中で、最も人気なのは、王冠の看板がある「王の出店」だ。
10台の屋台に、それぞれ長い行列ができていた。人のことは言えないが、まだ8時を少し回ったところだというのにだ。
売り物は葡萄酒が1リーブで葡萄の果汁が半リーブ。
古い時代には無料だったそうだが、今は人も増えてお金がいる。
杯は三口くらいで飲めてしまうほどの小ささ。けれど質は良いのでお値打ちである。
変装した王様が売り子になる時間があって、それを見破った人は、一人一杯と決められている飲み物を、ただでおかわりができるらしい。
「嘘」
先頭の男が、空になった杯を差し出してた。王様ならば、杯におかわりが注がれ、違うと売り子の手が差し出される。
給仕の手が差し出されて、男は残念とばかりに一杯の倍の値段である罰金2リーブを払う。
「王様の変装は年々上手くなっていて、声色も使い分けてるって噂だ」
「だが、誰かは当てるのだろう?」
「子供が当てることが多いから、王様が何か手がかりを与えているんじゃないかな。どうする?並ぶか?」
ケルンが親指で列を指した。
いや、いいとイリギスが首を振った。イリギスが並ぶと違う意味で人だかりが出来そうである。いまもイリギスの華やかな美貌に視線が集まっていた。
三人は王の屋台から少し離れたところにある屋台に並ぶ。
同じく葡萄酒と葡萄の果汁が並んでいるが、行列の陰に隠れているためか、並んでいる人数が少ない。
太り気味の壮年の男が、三人に葡萄果汁の杯を渡してくれた。
適度な甘みが喉を通る。
「これ、美味しい」
ネリキリーが声を挙げると、男が顔を崩す。
「そうだろう。王の屋台に負けてない味だと俺は思うね」
「ここはどこの方の屋台なんですか」
「内緒だ。大ぴらにはしたくないとのお館さまの意向でね」
「嘘だ」
ネリキリーの後ろに並んでいた青年が屋台の男の言葉を否定した。
今の短いやりとりのどこに嘘が入っていたのだろう。
「王様に負けないではなく、王様のより旨い、だね」
青年は小声で言った。
「嘘でもうれしいことを言ってくれるね」
男はさらに笑み崩れる。
「お世辞ではないさ。毎年飲み比べているが、こちらのが旨い。おかわりもできるし」
青年はささやくような声でいうと、今度は酒の方をと、1リーブを屋台の男に渡す。
つられるようにネリキリー達も、もう一杯頼んだ。
その光景に引かれてか、はたまたイリギスと青年の様子の良さに引かれてか、何人かが屋台に寄ってきた。
「しまった」
青年が小さくつぶやくと、あたりに聞こえるような声で言い出した。
「美味しい、美味しい、ここの葡萄酒はなんて美味しんだろう」
旨いが、不味い、不味いが旨いの、クラウン・アルデス。
寄ってきた人間の半分が去っていく。
残って試した者たちは、一口飲むなり、心得たような顔をして。
「なんだ、これは、美味しいじゃないか。けしからん」
「こんな美味しいものを売っていいと思っているのか」
と口々に言った。青年は安心したようにネリキリー達に片目をつぶった。
「これで来年分も安泰だね」
さんざん屋台を巡ってからネリキリー達は寮へと戻る。
寮では、有志の師や講師が給仕をしていた。その中にはディゴヤ師やルベンス講師の姿もあった。
おかずは、クラウン・アルデスにあやかって、衣をつけない「空揚げ」。
これは師達の給仕と共に、高等学院での伝統だった。
食べ終わると、初めて食べる1年生に空揚げが何の「肉」でできているかが明かされる。
「嘘だろう」「騙されたあ」と一年が叫ぶのもお約束であった。
ネリキリー、イリギス、ケルンも1年の時に見事に騙された。
「今日は雨が降らなくて良かったね。さすがは100分の23」
食後のお茶をイリギスの部屋で楽しみながら、ネリキリーはイリギスとケルンに笑いかけた。
口の中には寮母さんからもらった飴。濃厚な飴はとても美味しく、角黒毛牛の乳というのもまんざら嘘ではなく思える。
するとイリギスが、からかうように言う。
「そのことなんだが、実はその確率は、オーランジェットのものなんだ」
ネリキリーは目を丸くした。そういうことか。
イリギスもちゃんと愚者の楽しみを仕掛けていたということだ。
「オーランジェットの愚者の楽日もこんな感じなのか」
ケルンがまいったなと両手を頭の後ろで組んだ。
「オーランジェットでは、子供たちのいたずらが多い。靴をこっそり裏返しにしたり、杯をさかさまにしたりね。たまに幻獣が人に紛れていたずらをすることもある」
「さすが、幻獣の国。だけど、幻獣にいたずらされたら、手も足もでなさそう」
「紳士の帽子に花をつけたりと、たいていは平和ないたずらだけどね」
イリギスは故郷を思い出したのか、ちょと遠い目をした。
「さてと、そろそろ引き上げるよう」
ケルンが腰を上げた。
ネリキリーがふと見れば外には綺麗な月が見える。
月のない、始まりと終わりでも、空に月はかかる。
「おやすみ、イリギス。明日も晴れるね。愚者の楽日の翌日は100分の46で雨が降るらしいけど」
え?と自分を見つめるイリギスの目の前で、ネリキリーは微笑みながら扉を閉めた。
かつがれたふりをして愚か者を演じる。これもこの日の楽しみ方のひとつだから。