よんじゅういち
早朝だというのに、家族以外の者からも見送られて、ネリキリー達は王都へと出立する。
宣言通りロマの姿は見えない。
オグーラの話だと、伯父のニチュード達と森へ見回りに行ったという。
かわりにフーシュの姿はあった。
魔物に備えるために、村の人達の背には、老若男女区別なく弓が背負われていた。
出立の挨拶を交わしてイリギスが馬車へ乗り込んだ後に続く。
村への心配と、別れの寂しさと高等学院の生活に戻れる安堵がない交ぜになった感情と共に王都へと馬車は走った。
「ネルたち兄弟は仲が良いな」
イリギスはほほえましいというように言った。
「そうだね。でも、兄とは、もっと小さな頃は喧嘩はしょっちゅうだったよ。取っ組み合いもしたしね」
「そうは見えなかったな」
「喧嘩の原因はくだらないことだけどね。顔を洗う順番や食事の肉の大きさやら」
おやつの炒り豆の多い少ないで、二人して豆を数えたことを思い出して、ネリキリーは苦笑した。
「ウィローが生まれてからかな、喧嘩をしなくなったのは。兄と喧嘩をしてると赤ん坊なのに、解るらしくて泣くんだよ」
「ウィロー君とは喧嘩はしなかったのか?」
「今は元気だけど、弟は小さい頃は体が弱くてね。熱なんか一週間に一度は出てた」
熱のあるときのウィローは弱々しくて、ほんとに生きているか、何度も小さな手を握って確かめた。
「だから、うちの家族はウィローに甘くなる」
今回の件も、ネリキリー自身もイナリーを狩るのを忍びなく思っていた。しかし、それ以上にウィローがイナリーをとても可愛がっている。それが家で飼うことにこだわった理由だ。
「本当にありがとう」
「私は、オーランジェットに連絡しただけだ。魔糖の残滓も結局は冒険者組合が供給する。礼を言われるほどのことはしていない」
「イリギスがいてくれて、僕は心強かったよ」
「そう言ってもらうと、私も少しは役にたったと思えるよ」
イリギスは少し照れているように見えた。
「イリギスには弟さんがいるんだよね。仲は良いの?」
「悪くはない」
手放しには兄弟仲が良いとは言えないようだ。イリギスは貴族なので、いろいろあるのかもしれないとネリキリーは漠然と想像する。
「イリギスが自分の領地もあるから、うちのようにいつでも一緒ってわけにはいかないものね」
「……ローデン、弟の名前だが、ローデンはいつでも私のそばにいたがる。今回も着いてきたがって困ったよ」
つまりはお兄ちゃん子すぎて困るということか。こんな優れた兄がいたなら憧れないほうが無理だろう。
物語の中の殺伐とした兄弟関係ではなさそうで、ネリキリーはほっとした。
「弟さんはイリギスのことが大好きなんだね」
ネリキリーが頷きながら言うと、イリギスはなんとも複雑な顔で応えた。
日没を少し過ぎた頃、グラッサージュ家の馬車は高等学院の門の前に到着した。
高等学院の寮に帰ると案の定、ケルンがかみついてきた。
「二人で、ネルの故郷へ行ったって?何で俺を誘わない」
「緊急な話だったからな」
イリギスがケルンに連絡する間が無かったと言った。
「ケルンのことは、すっかり頭から抜けてた」
ネリキリーは二尾狐をどうすればよいのか、いっぱいいっぱいだった。それに、実際にケルンに来てもらっても、結果的にはやることはなかったろう。
イナリーをかまい倒す姿は想像できるが。
ネリキリーの言葉にケルンは大げさに頭を抱えた。
「俺は君たちのなんなの?」
「同級生」
「同室者」
二人は即座にケルンに返した。ケルンの顔がますます情けなくなる。
「親友でしょ。……せめて友人」
えっ?と聞き返そうかと思ったが、冗談にしても酷すぎる反応だろう。いつもケルンにからかわれているネリキリーとしては少しだけ意趣返しをして満足する。
「何、笑ってるんだよ、二人とも。俺をのけ者してそんなに楽しい?」
ケルンは完全に拗ねている。
「いや、僕たちは無事に高等学院に戻って来たんだなって、つくづく思ってさ。イリギスもそう思うだろう?」
こんな風に軽口を叩ける日常がうれしい。ここ数日はちょっとした非常事態だったから。
ネリキリーはそんな風に思っていた。
「そうだな。私たちは戻ってきた。共に学ぶ友のいる高等学院にな」
イリギスの晴れやかな笑い顔がケルンに向けられる。
ケルンはその笑顔をみて、これだからイリギスは、と嘆息した。
「おかえり、二人とも。今期もよろしくな」
ケルンは手を差し出してくる。三人は互いに握手をした。
「ただし、次にネルの故郷に行くときは、必ず俺も誘うように。これは約束の握手だ」
釘を刺すのを忘れないケルンを見て、ますます高等学院にいることをネリキリーは実感した。
日常が戻ってきた。
高等学院で学び、ファンネルの庭に通い、寮でイリギスやケルンたちと過ごす。
前より頻繁に故郷から届けられる手紙には、強い魔物は森や村に現れていないと書かれていた。
森の最奥に狼や猪がいるのは当たり前のこと。人の脅威にならない限り、そっとしておくのが不文律となっている。
やはり、首雀は周期的に大量羽化した霙蛾を追ってきたのだろうと魔法生物は結論づけたということだ。
「ネルの村はアーデイス山脈から吹き下ろす風向きのために霙蛾が来やすいらしい」
もっと詳細な報告が来ているのか、イリギスがそんな風に説明してくれた。
「以前に森林官が在住していたというのも、そのためだろうね」
森林官が住んでいたからこそ、グラースに人が集まり、村へと発展し、人が多くなった村が自分達で対処できるようになって、森林官の役目を村に委譲した。
おそらくはそんな経緯だろう。記録をきちんと調べてはいないので、推測の域だけれど。
意外なことに子供達には、ロマよりもフーシュのほうが好かれているとあった。
ロマにはどことなく、人を図るような、切り込むようなところがある。
子供たちはそれを敏感に察しているのじゃないかとネリキリーは思う。
フーシュは子供の誰かが「案山子さん」と呼びだしたらしい。言われてみると、のっぽで細い姿は畑の案山子に似ている。
ウィローからの手紙の余白に、フーシェを模したのっぽの案山子が立っている姿や、ウィローとイナリーの遊んでいる姿が描かれていた。
その絵はなかなか上手い。絵描きに向いている、そこそこ有名になったりするかもと、ネリキリーは兄莫迦を発揮してしまう。
「ロマさんは、森や村の警らを積極的に行ってくれる彼には、大人の、特に男性からの信頼感が育っています」
これは、母からの手紙だ。
「ロマさんは、村の人たちに魔物への対処の仕方を教えてくれてるんだね」
ネリキリーがいうと、
「ロマに鍛えられたら、グラース村の人達は、カロリングで最強の一団になるのではないか」
と冗談を飛ばした。
「そういえばロマさんて、イリギスとどんな関係なの?親戚とか?」
今まで、聞きそびれたことをネリキリーは尋ねてみた。
「オーランジェットの貴族は、貴族同士で婚姻するのが通例だから、どこかで血が繋がっているかもしれないが。近親ではない。私はロマに幼い頃に、剣を習ったことがある」
「イリギスの剣の師範なんだ」
言われてみれば、二人の動きはどことなく似ている気がする。
それは、一緒にいたフィフとジュレにも言えることだった。
ネリキリーがそう言うと、イリギスはネリキリーに感心したような目を向けてきた。
「前から思っていたが、ネルは目がいいな。確かに一時期、二人と一緒にロマの所で剣を習った」
「兄弟弟子なんだね」
ネリキリーがなにげなく言うとイリギスは「そうだな」と答え、今まで見たことのない、獰猛とも見える顔で笑う。
「だが、フィフと私の家は対立している」
イリギスが漏らした言葉にネリキリーは一瞬、絶句する。
「イリギスと彼が、対立……」
イリギスは少し顔を背けた。臈長けた横顔に部屋の明かりが陰影を造る。
その顔は自分が口にした言葉にすこし戸惑っているようにも見えた。
「……我がグラサージュ家とフィフのドレサージュ家は近親だ。私の祖父と彼の祖父は兄弟だった。彼と私は、はとこに当たる。フィフのお父上は現王の弟君だ」
ネリキリーはイリギスの説明に面食らう。
「でも、フィフの家名はフランベって」
「それは母方から継いだ男爵家の名前だ。私の子爵名と同じようなものだ」
平民のネリキリーは、貴族の家名について詳しくない。ドーファン上級生のマルヴォーロ公爵家などカロリングでも有数の家柄や、オーランジェットの有名な五家ならば知っている。
グラサージュ伯もその五家の一つだ。
他の四つは、ムランガージュ伯、フォンサージュ伯、ナパージュ伯、そして、ドレサージュ伯。
オーランジェットには侯爵家も公爵家も存在するが、五大家のすべては伯爵家だ。
始まりの王とフロランタンに付き従った最初の5人の子孫たち。
公爵家は王位を継がない男子のための爵位であり、侯爵は、公爵家の子供たちのために、後から作られた爵位であるからだ。
この辺の知識は、歴史の授業で習った。
その五大家の子孫であるイリギスを前にして、講師がやりにくそうにしていたのを覚えている。
「グラサージュ家が五大家の一つなのは知っていたけど」
あまりそのことを意識したことはない、と言えば、
「ネルらしい」
とイリギスは苦笑した。あきれられただろうか。これでも公の場では意識しているのだけれど。
「ほっとするよ」
ネリキリーの心配はイリギスのその言葉で霧散する。
「でも、なんで対立なんてするのかが分からない。政治的なこと?」
この際だから思い切って聞いてみる。
イリギスも話しておきたいと思っているように見えたから。
「それもある。ドレサージュはやや保守的で、うちはどちらかと言えば改革的と言われているから」
大陸の中心であるオーランジェットで進学せず、わざわざカロリングに留学しているくらいだ。グラサージュ家が改革的というのもうなずける話だった。
「だが、最大の原因は私とフィフが王位を争っていることだろう」
王位、これはまた、話が大きくなってきた、とネリキリーは半ば逃避気味に考えた。
貴族の世界も遠い話だが、オーランジェットの王位となると彼方の話だ。
カロリングでは、王と民との距離が比較的近いが、盟主国オーラジェットの王位は、はるかな高みにある。
イリギスのお祖父さまは、その当時の王の息子、すなわち王子様だった。臣籍に降下されて、当時の女伯爵であったグラサージュ家の当主と婚姻を結び、生まれたのがイリギスのお母上だった。
爵位を継いだお母上はシュミゼ公爵家の次男と結ばれた。
「グラッサージュ家は代々女性が継ぐことが慣例でね。初代が女性だったから。今後、妹が生まれなかったら、このあいだ会ったエターリアと私か弟が婚姻を結ぶことになるだろう。エターリアの母上、亡くなられた前の王妃は、祖母の年の離れた妹だから」
少し混乱するが、とりあえず女冒険者のエターリア嬢がイリギスの親戚なのは理解した。
「オーランジェットの王様には王子がいらっしゃるよね。なんで、イリギスとフィフさんが、王位を争うことになるのか解らない」
「いま3歳の王子は、少し体が弱くていらっしゃる。王は魔物を狩ることができないといけないとされているからな。王子の身体については時が解決するかもしれないが、現時点では、私とフィフが王の後継者候補と目されている」
「そういうことか。イリギスが王様。……もしかして、イリギスは竜王フロランタンと直接話ができるようになるかもしれないってこと!?」
驚きを言葉に乗せてネリキリーは声をあげた。
「それじゃあ、対立するもの無理ないね。竜と話をするのはみんなの憧れだもの」
できるだけ、軽く聞こえるようにネリキリーは言った。イリギスとの距離を感じないように。感じさせないように。
「そうだな。フロランタンは皆の憧れだ」
イリギスの表情はほろ苦く、けれど、声には憧憬がまぎれもなくにじんでいた。
◇◇◇
門限時間ぎりぎりに実家から帰ってきたケルンからお土産を渡される。ネリキリーは彼が冶金の時にイリギスにつけた綽名を思い出していた。
王子様に公子。あれはイリギスの素性を知っていてケルンはつけたに違いない。
考えるに王立女学院で王子様と呼ばれているのだって、貴族の令嬢が多く在籍するがゆえなのだとしたら。
イリギスが王子と呼ばれるのを嫌がっていたのは、実際に王家の血筋を引いているから、カロリングでよけいな波風を立たせたくないと思っていたのでは、とネリキリーは想像した。
「なにを見つめてるんだ?お菓子が足りない?もうすぐ消灯だぞ」
そう言いながらもお菓子を取り出そうとするケルンをネリキリーは止める。
「ケルンはイリギスのお祖父様が、もと王子だって知っていた?」
「当たり前だろ。何?ネルは今まで知らなかったのか」
「知らなかった。今日イリギスから初めて聞いた」
そう答えた時のケルンの驚きといったら、かなりのものだった。
「イリギスのお祖父様が第一王子だったのは有名な話だぞ。それを知らないってある意味、貴重だわ」
哀れな子をみるような目つきやめてくれないかな。
ネリキリーは心の中でケルンに対して文句を言う。
「僕の村は本当に辺境だから、情報が伝わるのは遅いし、隣国のお家事情なんて伝わってこない。一番の話題はお天気のことだから」
「会話に困った時のお天気の話題、ある意味貴族的か」
「実際的な話だよ。天気は作物の出来に直接かかわるから。それよりもイリギスのお祖父様が第一王子って、それって王太子じゃないの?」
降下して伯爵家に入った人だ。てっきり、次男か三男だと思っていた。
「オーランジェットの王位継承は特殊なんだよ。王家に連なる血筋の男性から候補を決めて、その中から選ばれる。基本は家督を継いでいないこと、現王より年下であることとか条件がいろいろあるんだが。もちろん現王に血が近いものが優先される。おおかたは王の長男が王位に着いてきたけどな」
では、なんでイリギスのお祖父様は王位継承者に選ばれなかったのだろう。
その当時、グラサージュ家にはのちに現王に嫁いだ妹もいた。イリギスのお祖母様が王家に嫁いでも良かったはずだ。
「イリギスのお祖母さま、竜玉の令嬢と称えられたアドリア様と真珠の君と呼ばれた妹のキプローシェ様は歳が二十近く離れていたんだよ。キプローシェ様を生んで間もなく女伯だったご母堂が亡くなって、アドリア様が家督を継いだ。……キプローシュ様が生まれて、これで、アドリア様がオランド王子の元に嫁げると喜んだ矢先にね。オーランジェットの大貴族は魔物を狩れることが、家督相続の条件だからね。幼子のキプローシュ様はグラサージュ家を継げない。二人は、泣く泣く別れると周囲からは思われていた。しかし、オランド王子は王位よりアドリア様を選んだ。これは名前や時代を変えて歌劇の演目にもなっている有名な話なんだが、もちろん、ネルは知らないよな」
ケルンの期待に応えて言う。
「知らない」
「情操教育も友情の内か、そのうち歌劇にも連れて行ってやるよ」
歌舞音曲はどちらかというと苦手なんだけれど、ここは、お願いしますと言っておく。
「オランド王子は将来を嘱望された人物だった。当然、王位を継ぐと思われていた。イリギスを見ていれば判るだろう?ただし、イリギスの外見は当時並ぶものなきと言われたアドリア様に良く似ているけど」
まるで、オランド王子とアドリア女伯と面識があるかのように、ケルンは言った。
「だけど、ケルンはほんとに事情通だね」
ネリキリーが褒めると、却って注意を受けてしまう
「これくらいは常識。ネルは自分の興味がある範囲しか知ろうとしない所を少しは改善したほうが良いぞ」
「追々?」
「いくら、子犬のような外見だって、ごまかされないぞ。学究肌と言えば聞こえはいいが、|大学だって、高等学院だって、人が束ねる組織だ。情報を持っているに越したことはない。将来に備えて、もっと周りのことに関心を持てよ」
別に外見は関係ないのじゃないかとネリキリーは思った。しかし、ケルンの忠告は拝聴しなくてはならない。
一つのことに夢中になると、ときどき周りが見えなくなるのには自覚があった。
「イリギスは世が世なら王子様なんだよな。王立女学院での呼び名も伊達じゃない」
本人は恥ずかしがっているけどな、とケルンは言った。
そういえば、王立女学院のイリギスの綽名をケルンはなぜ知っていたのだろう。
ケルンの姉妹達は別のカルに通っているはずだった。
この前の舞踏会で踊っていたお得意様の令嬢からか、ひょっとしたらアンゼリカ嬢か。
以前の会話で、実家に帰った時に偶然に彼女と公園で会ったと言っていた。
もしかしたら、今日もアンゼリカ嬢と会っていたのだろうか?
こんなにいつも一緒にいても、イリギスにもケルンにも知らない顔があるんだな。もちろん、僕にも二人が知らない顔があるはずだ。
ネリキリーは一人心の内で呟いた。