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王道、ふあんたじぃ  作者: 野月 逢生
第一章 
39/90

さんじゅうきゅう

「ようこそ、わがグラース村へ。オーランジェットのお方」

 家の中には村長のオグーラがいた。ネリキリー達の祖父でもある。叔父のニチュードも一緒だ。

 始まる挨拶の交換。

 ネリキリーはここで大剣の男の姓名が、フィナシエ・フランベといい、長槍の男がジュレ・コポーという名前だと知った。


「お客様が大勢。器が足りるかしら」

 お客様におしぼりを渡そうとしてやってきた母は困ったように眉を下げた。いきなり5人も増えているのだ。準備が足らなくなるのも仕方ない。

「そろいでなければあるだろう」

 父がそっと助言した。


「どうぞ、おかまいなく」

 耳ざとく聞きつけたロマが闊達に言った。正直に言えば、応接間は人でいっぱいだ。

 クネルが馬を見てくると出て行ってくれたが、椅子は八つ、あきらかに席が足らない。

 父と祖父、魔法生物局(マキューショ)の二人、ロマとイリギス、そしてネリキリー。後の一つは誰が、というところで、母が、

「家族のことですから」

 と主張して席を確保した。そして、ネリキリー達、三人に食堂の椅子を持ってくるように言いつけた。


「俺たちは立ってますよ」

 とフィフとジュレが言ったが、母はお疲れでしょうと言って座らせる。


「私たちの家族のために、こんな辺境の地にわざわざご足労いただき、申し訳ない」

 お茶がいきわたったところで、父があらためてオーランジェトからの客人に礼を述べた。


「いや、いや。魔物に関して責任を持つのはオーランジェットの者の務めですから」

 カーネビが穏健な口ぶりで言った。

 これは、魔物に対する権利はすべて自分達のものと主張したいのだろうかと、ネリキリーはうがって考えた。


 ネリキリーは自分のすぐ後ろにウィローが抱えている小さな二尾狐(サキオーキ)に視線をやる。

 それに気が付いたのか、イナリーはこちらに来たそうな顔をした。

 手を伸ばして耳の間をそっと撫ぜてやると、クルルとイナリーは甘えた声を出した。


「ご覧のように、イナリー、二尾狐(サキオーキ)の子は息子達に馴れています。昨日もこちらにいるイリギス卿にもお話しましたが、とても賢く、我々に敵意を向けてくる気配もありません。私どもとしては、イリギス卿の協力を頂き、このまま飼い続けたいと思っております」

 母もその意見に賛成だとうなずいた。


「ブラウニー子爵が協力とは?」

 フーシュが父に問いかけた。

「魔物のを馴らすためにオーランジェットでは、魔糖を精製した後の滓を餌にしていると聞きました。それを融通していただけるお約束をしました」

「私も初めは、友の家族に危険が及ぶかと危ぶんでいたが、昨日、今日と実際に二尾狐(サキオーキ)と接して、ほぼ大丈夫だろうと判断した。わが領地でも、家畜化された魔物を育成している。二尾狐(サキオーキ)一匹分の餌なら造作もない」

 イリギスが父の言葉を肯定してくれる。


「魔糖の残滓をブラウニー子爵が提供するということですか。……今日までの餌はどうされたのかな?」

 カーネビが怪訝そうな表情を作って父母を見た。

「普通の食事をあげてましたわ。鶏肉や野菜、姫りんご(リープ・ボー)に、ごほうびには冬ショーロ」


 母の答えに反応したのは、ロマだった。

「ごほうびに、冬ショーロを貰っているなんて、なんてうらやましい」

「話し合いが無事に終わりましたら、皆様にも、冬ショーロをたっぷり使った昼食をお出ししますわ」

「それはありがたい」

 ロマが母の言葉に相好を崩した。

「だけど、それで分かった。犬のような容姿の幻獣も魔糖も好きだが、冬ショーロが好物なんだ。魔物も同じなんだね」

 ロマが納得したと大きく首肯する。

「ですが、魔物を馴れさせるのは、魔糖が不可欠というのが定説です」

 カーネビがロマの言葉に疑問を投げ掛けた。


「最初に捕まえた時に、僕たちが仲間の毛皮を身に付けていたので、仲間と勘違いしたみたいでした。それに、僕が魔糖菓子(リ・ボン)を与えました」

 ネリキリーは皆に、説明した。

「母さん、預けてあった魔糖菓子をそのあとイナリーにあげた?」

「いいえ、特に暴れる様子もないし、なんでも美味しそうに食べるから、あげてないわ」

 カーネビとフーシュがイナリーを見た。イナリーがその視線を敏感に感じてもぞもぞと動いた。


「今回の件は、あまりに先例に外れてますなあ。やはり、ここは、オーランジェットで預かるほうが無難かと」

 カーネビがいきなり言い出した。やはり、こう言う流れになるのか。

「ですが、こんなに大人しくて、なついているのに」


 反論をしようとするネリキリーを遮って、カーネビが、村長のオーグラに向けて話した。


「今は、小さくて力も弱い。ですが、先ほども首雀(シャジャク)と闘っていた。大きくなって、力をつけた魔物が、村人を襲ったら?村の代表である村長殿はどうお考えですかな?」



 話を振られたオグーラは少し思案するように間を開けた。

カーネビ卿(サン・カーネビ)は、そこの二尾狐(サキオーキ)首雀(シュジャク)と闘ったとおっしゃいましたな」

「そうです。この目で見ましたよ……それから、私は貴族ではないので、(サン)はつけられません」


「そうでしたか。態度がご立派なので、高貴な方かと思いました。さて、カーネビ殿は魔物と闘うイナリーを見た。どうしてそれが危険だとおっしゃるのか、私にはよく理解できませんな」


「小さくても闘えるという事です。火の魔法を操ることもできる。これが危険でなくてどうします」

 カーネビは少し身を乗り出した。

「火の魔法なら私も、いや、ここにいる全員が操れるのではないですかな」

 オグーラは、なあ、と隣にいる息子に同意を求めた。ニチュードは苦笑しながら、「そうですね」と同意した。


「そういうことではなく」

 カーネビの声にわずかにいらだちが混じった。

「カーネビさんは魔物と闘える能力が今もあると言いたいのです」

 それまで、黙ってお茶を飲んでいたフーシュが淡々と続ける。


 しかし、オグーラはしたり顔で二人に答えた。

「魔物退治に貢献したなら、それは私たちにとってはありがたいこと。あとでイナリーにたんと褒美をあげなくては」

「冬ショーロも好きだけど、霙蝶(シャクーガ)も好きみたい。美味しそうに食べてた」

 ウィローがオグーラにそう告げる。そうかとうなずくオグーラ。その顔は孫を可愛がる祖父のものだ。


 魔法生物局(マキューショ)の二人は、村長がネリキリー達の祖父だということを知らない。

 そして、魔物の危険性を糺すつもりが、イナリーの有用性を証明した形になっていた。

 ネリキリーは心の中でオグーラ、祖父に礼を言った。


「最初に申しました通り、魔物に関してはオーランジェットに責任があります。そもそも、そちらが魔物を預かって欲しいと」

 それは違うとネリキリーは反論する。

「僕は、まず、家で飼うことができるか相談に乗ってもらうために。魔糖の残滓を分けてもらいたくて。どうしても危険なら、預けることも仕方がないとは思っていましたが」

「君も魔物は危険だと思っていたのだろう。だから、我々が責任を持って預かると言っている」

 フーシュが言い聞かせるような口調で言ってくる。


「オーランジェットの人間が責任があるなら、私でもいいはずだな。ということならば、イナリーは我が家で預かることもできる」

 イリギスが予想外なことを言い出した。

「オードブル、世話を頼めるか?」

 扉の脇に起立する従者(バレ)を振り返りイリギスは確認した。

「主命とあらば、喜んでお引き受けします」

 律儀に右手を胸においてオードブルが受け合った。

「ブラウニー子爵は今はカロリングにご留学中でしょう。ここは、竜翼の誓いの盟主国であるオーランジェットに持ち帰るのが一番です」

 あきれたようなもの言いをするカーネビ。


「おやおや、君はモテるね」

 ロマがおかしそうに、イナリーを顧みた。


 ネリキリー達もイナリーに視線を向けた。

 そこには、小さな二尾狐(サキオーキ)を抱きしめているウィローがいた。その眼には涙が光っている。


「イナリーは僕のだ。僕が捕まえた。ネル兄さんがお菓子をやって馴らして、シル兄さんと僕が一緒に散歩に連れっていて、母さん(マミナ)と一緒に餌をやって、父さん(パーレ)と一緒にお風呂に入れてあげるんだ」


 泣きながらウィローが顔をあげる。


「ひどいよ、遠くからいきなりやってきて、僕からイナリーを盗ろうとするなんて。あなたたちには、トナイオンだって、他の魔物や幻獣だっているのに。いっぱい持ってるのに。この子が一番じゃないのに」


 それは小さな子供の感情の発露。

 おもちゃを、動物を、自分のものだと主張する小さな子の独占欲も混じっているかもしれない。


 だが、そこには確かな愛情があった。


「ウィロー」

 ネリキリーは立ち上がって弟をイナリーごと抱きしめてやる。イナリーは心配げに弟の手を舐めた。

「ウィローはイナリーが来てから、それはかいがいしく世話をしてきました。イナリーもそれに応えてくれてました。夜も同じ部屋で眠るくらい」

 シルコーがカーネビ達に話した。しかし、魔法生物局(マキューショ)の二人は無言だ。


「魔物は狩った人間のもの。それは王だとて覆せない。確かそうだったよな、イリギス」

 ネリキリーは、イリギスに確かめる。

「ああ、そうだ」

 イリギスが力強く応えてくれた。

「では、二尾狐(サキオーキ)は、最初に狩ったウィローのもので、間違いないですね」

「たが、それは死骸をであって、生きている魔物では当てはまらないのでは」

 そういい募るカーネビをネリキリーは立ったまま見下ろす。


 深呼吸を一つして。

 ネリキリーは魔法生物局(マキューショ)の二人だけでなく、この部屋にいる者全員に語りかけた。


「僕はこの秋、飛びかまきり(グルーマント)を狩りました。その遺骸を一度、そこにいる冒険者のお二方を通して、オーランジェット側ににお預けしました」


 ネリキリーはフィフとジュレの二人に視線を向けた。フィフはネリキリーが何を言い出すのかと好奇心を露わにし、ジュレは無表情だ。


「それはとても珍しい現象を起こしている遺骸でしたが、僕はその遺骸が返ってきて、ある人に教えられるまで、そのことを知らなかった。……オーランジェットの人は、僕に返さないこともできたはずです。けれど、冒険者組合(ギルテ)魔法生物局(マキューショ)も誠実にこれを返してくれた」


 ネリキリーは下げ鞘から鎌を取り出し、薄緑に輝く刃を引き出す。


「これは、僕にとって人の誠実の証。竜翼の誓いで結ばれているオーランジェットをはじめとする他国の人との絆の証。どうか、もう一度その誠実と絆を、ウィローに、いえ、われらカロリングの者に示していただけませんか」



「フロランタンに幸いあれ」

 父が胸に手を置きネリキリーの後押しをしてくれる。

「我らがフロランタンの自由なる翼に幸いあれ」

 兄と母も唱和してくれる。


「フロランタンの翼は強く、広く」

 ウィローが涙をためながら、口にする。


「自由なる翼、羽ばたく空に隔ては無し」


 ネリキリーも手を胸をあてて、フロランタンを、竜翼の誓いを寿(ことほ)いだ。



「フロランタンに幸いあれ」

 ロマが、お茶の器をあげて言った。

 ぐっと、それを飲み干すものの「酒じゃないと気分がでないな」と苦笑した。


 フィフとジュレが同じように茶杯(テブラ)をあげた。


 冒険者組合(ギルテ)はヴィンセント家の主張を支持してくれると言うことだろうか。


 魔物生物局(マキューショ)の二人は複雑な顔に変わっていた。


 彼らは、魔物である二尾狐(サキオーキ)が小さいとはいえ、まさか10歳の子供が捕らえていたとは思っていなかったにちがいない。


 その子供から、明らかな危険が見られない動物を、権利を無視して取り上げる。

 魔物については一日の長がある冒険者組合(ギルテ)の判断を覆し、オーランジェットの高位貴族であるグラッサージュ家の後押しも無下にして。


 ここで、ネリキリーは、カーネビが、イリギスのことを、頑なに「ブラウニー子爵」と呼び続けていた意味に気がついた。

 子爵家は伯爵家より、家格は下。

 少しでも自分たちの権威を上げようとしていたのだ。

 行きの道中に魔物を狩るよう頼んだのも、冒険者組合(ギルテ)の依頼主という立場になるためかもしれなかった。


 つい、そう勘ぐってしまう。


「良いじゃないか。二尾狐(サキオーキ)が魔糖で馴れるというのが解かったんだから。サキオーキが欲しければ、冒険者組合(ギルテ)に依頼をすれば生け捕りにしてやるよ。……そこの二人が」

 ロマは、フィフとジュレに向かって顎をしゃくる。


「現実不可能と判断されないものや法に背むかない案件で、かつ相応の対価をいただければ、冒険者組合(ギルテ)はいつでも依頼を受けますよ」

 ジュレは淡々と答えた。


「そう、対価だ。我々だとて、幼子から無理矢理に二尾狐(サキオーキ)を連れていくのは忍びない。ただ、こちらにしても、我々二人に冒険者三人で来ている。相応の費用がかかっている。だからこのまま手ぶらで帰るわけにはいかないのだ」

 カーネビが言う。

「魔物に関することなら、オーランジェットに責任があると言っていたのに、な」

 皮肉な笑いをフィフが洩らした。


「お前らが欲しいのは、対価じゃなくて、グレンタイト辺りからの評価だろ」

 フィフはずばりと言い放った。

「グレンタイトから、二尾狐(サキオーキ)を必ず連れてくるように言われているんじゃないのか」

 宮仕えは大変だな、とフィフは肩をすくめた。


「グレンタイト副局長は公明正大な方だ。カロリングの者達の安全を確保し、魔物の危険から遠ざけるようにとおっしゃっている」

 カーネビが苦々しく返した。


「ですが、二尾狐(サキオーキ)は完全に人に、ヴィンセント家に馴染み、あまつさえ魔物の危険にさらされた我々と共闘してくれた。魔物に関する大原則を曲げて連れていくことは魔法生物局(マキューショ)への信頼を損ねかねない。お二人にもそこはお分かりのはず」

 イリギスがかすかな微笑を浮かべて、切り込む。


「カーネビさん、二尾狐(サキオーキ)を無理に連れて帰らなくても良いのじゃないですか。代わりに首雀(シュジャク)の遺体と霙蛾(シャクーガ)の一部を提供して貰うようにすればいい」

 フーシュは、残念そうにしながらも代案を出した。

「だが、二尾狐(サキオーキ)の成長を観察できるまたとない機会だぞ」

「それは私も非常に興味はあります。ただ、それについては、飼い主に観察記録をつけてもらって定期的に報告して貰う形にするのはどうですか?無理に離して、死んでしまっても困ります。それに、魔法生物局(マキューショ)ではなく、一般の家に棲む魔物の成長記録は、より貴重な記録になると思います」


 フーシュの理由付けにカーネビは心を動かされたようだ。


「良いだろう」

 しばしの沈黙の後、カーネビはフーシュの案に乗る。

 そして、やおら部屋の中の一同、特にヴィンセント家の面々に向かって強い視線を投げかけてきた。


「お聞きおよびのように、当事者であるヴィンセント家、支援者であるブラウニー子爵の希望を考慮し、冒険者組合(ギルテ)の判断も加わって、いくつかの条件を飲んでもらった上で、二尾狐(サキオーキ)をヴィンセント家が保護することを魔法生物局(マキューショ)は承認します。それでよろしいかな」


 魔法生物局(マキューショ)の譲歩に、ネリキリー達は胸に手を当てることを承諾の合図とする。




 それから具体的な条件を詰め始める。


 まず今日、狩った首雀(シュジャク)四体のうち、状態の良い方から二体と、霙蛾(シャクーガ)を20匹程度譲ること。


「先日、狩った二尾狐(サキオーキ)の毛皮もつけましょうか」

 父が提案した。

「剥製ならば、受けとりますが、毛皮は特に必要ないですよ」

 カーネビはそれは断る。


「さて、ヴィンセント家が二尾狐(サキオーキ)の幼体を飼育するにあたってですが」


 カーネビが箇条書きで要件を出した。


 ひとつ、二尾狐(サキオーキ)は、ヴィンセント家のみが飼育すること。


 ひとつ、二尾狐(サキオーキ)の経過観察のため生態を記録し、最低、一月(ひとつき)に一度は魔法生物局(マキューショ)に報告の手紙を送ること。


 ひとつ、何らかの事情で二尾狐(サキオーキ)の飼育が出来なくなった場合、魔法生物局(マキューショ)に優先して譲ること


 ひとつ、魔糖の残滓は魔法生物局(マキューショ)とグラサージュ家の両方から購入すること。


「待ってください。冒険者組合(ギルテ)としても、万が一の飼育先の立場と二尾狐(サキオーキ)の観察報告をいただきたい。魔糖の提供も可能です」

 ジュレが冒険者組合(ギルテ)としての意見を言う。


「ギルテは独自の牧場を持っておいでなので、飼育先は一考します。しかし、生態記録はマキューショ(うち)に閲覧を要請すればいいでしょう」

 カーネビは意見を却下しようとした。しかし、ジュレ達は引かなかった。

魔法生物局(マキューショ)の手続きはめんどうなんだよ。こっちが一日で提供してるのに、そっちは三日かかったり」

 フィフがげんなりとした声をだした。


「けれど、ヴィンセント家に余計な負担をかけるわけには」

 二か所に報告書を提出するのは手間だという意見を求めてか、フーシュがちらりと父を見た。

「良いですよ」

 フーシュの意に反して、父は同じ内容のものを二か所に提出するのを受諾する。

「一枚はウィローに写させます。字の勉強になりますから」

「そちらがそうおっしゃるなら」

 不承不承カーネビが言った。


「魔糖の残滓については三つの窓口は必要ないのでは」

 カーネビの意見にジュレが「いいえ」と首を振る。

「魔糖の原料であるシュガレット草を狩っているのは、主に冒険者です。つまり、製糖する組織とは、魔法生物局(マキューショ)より古くから付き合いがある。よって魔糖の残滓も一番安く提供できますから」

「私はネリキリーに高く売りつけるつもりはない」

 イリギスがジュレに反駁した。

「もちろん、それは承知してますよ。しかし、魔物の寿命は人の寿命を越えることもある。私たちが大往生した後も、二尾狐(サキオーキ)は生きて、餌が必要になるかもしれない」


 ネリキリーはジュレの言葉に胸をつかれた。

 人畜無害、狐のような外見からイナリーは、普通の動物と同じくらいの寿命しかないように思っていた。


 魔物を飼うということは、代を重ねることも考慮して、家単位で飼わなければならないのか。


 カーネビ達がイナリーを引き取ると強く言ってきたのは、そのあたりの理由もあるのかもしれないと、ネリキリーは少し考えを改めた。


 それぞれから、一か月分の餌代の具体的な金額が提示される。確かにギルテの金額は他の二つより、2割以上安い。それでも、結構な値段だが。


「これは、負けたな。ネル、遠慮なくギルテから購入していい。ただ、イナリーに魔物退治の褒美として私から3か月分の魔糖の残滓を贈ろう。遠慮はするなよ?」 

 断ろうとしたネリキリーの先回りをしてイリギスは言った。

「じゃあ、ありがたく」

 いつももらってばかりだなとネリキリーは思ったが、やはり厚意を無下にはできない。

 だいたい、今回についてはイリギスに頼り切っている。


 いつか、恩を返したいとネリキリーは強く思った。


「では、最後に」

 カーネビは重々しく条件を口にした。



 ひとつ、万が一、危険な兆候が見られたら、速やかに二尾狐(サキオーキ)を処分すること。



「魔物は秋になると魔力が高まる傾向がある。その時は十分に気を付けていただくように。ウィロー君、いいね、どんなに可愛いと思っていても、危険と思ったら直ちに処分をすること。必ずこれは守ってほしい」

 カーネビが、今までで一番真摯な態度で忠告をしてくる。


 ウィローはその言葉に黙ってうなずいた。その顔は今までになく大人に見えた。


「来年の秋に、私が様子を見に来てやるよ」

 重い空気を振り払うように、ロマが気軽な調子で言った。

 秋の姫りんご(リープ・ポー)や白ショーロを賞味できそうだし、と片方の目を母に向けて(つぶ)る。


 それなら、私たちだって、とカーネビとフーシュが低く洩らした。

 飲み込んだ言葉は「来たい」だったのか「食べたい」だったのか。

 二人の人間味が少しばかり伝わってきた。


 不思議だ。先ほどまで、カーネビとフーシュの言葉は、イナリーを奪い取りたいためだけに聞こえていた。

 でも、今はこちらへの気遣いも含まれていたのだろうかと考えている。

 いや、ネリキリーがそうであって欲しいと思っているから、そう感じるのかもしれない。



「イナリーに会いに来てくださるだけなら、歓迎いたしますわ。゛遠くからの客人(まろうど)は喜びを持って迎え入れろ゛と昔から言いますもの」

 晴れやかな笑顔を振り撒いて、母は請けあった。



 母の言葉に触発されたように、オグーラが声をあげる。

「新しき村の住民と新しき(えにし)を祝おう。ニチュード、外で心配している村の連中にも首尾よく収まったと知らせてこい」

 声をかけられたニチュードがすばやく立ち上がって外へと出た。その際に、ウィローとネリキリーの肩を叩いていく。

「外の人はイナリーを心配して?」

 ネリキリーは驚いていた。家族でイナリーのことは村の人にはしばらく内緒にしておこうと決めていたからだ。家を手伝ってくれているリリアナにも口止めをしたはずだ。


「さほど大きくない村だ。見たこともない獣を連れて出かけていれば、嫌でもわかる。加えて立派な馬車が来たから、これは何かあったのだろうと心配するのも無理はない」

 つまりは、村人にはすべて筒抜けだったのだ。イナリーが来てまだ数日だが、おそらく二尾狐(サキオーキ)だということも知られているだろう。

 父や母、おそらく兄も村人が知らぬふりをしてくれているのを気がついていたようだった。


「外でずっと待っていたなら寒かったのでは」

 ネリキリーが村人たちを気遣うと、抜かりはない、と祖父は笑った。

「家の者に言いつけて、温かい飲み物を配っておる」

 さて、とオグーラはオーランジェットからの来訪者たちに誘いをかけた。

「この地方では春を呼び込むために雪の上で行う祭りがありましてな。だいぶ早いが今日はそれの前夜祭を村の広場でいたします。どうぞ皆様もご参加くだされ」


「酒はあるのか?」

 ロマが問いかける。

「たんと」

 祖父が答える。

「食べ物は?」

「腹を壊すほど」

「じゃあ、問題ない。お呼ばれするとしよう」

 ロマが立ち上がると、後の二人もそれに習った。


「何をしている。行くぞ」

 座ったままのカーネビとフーシュの二人にロマが声をかける。

 二人は反射的に立ち上がってから、曖昧な笑顔を浮かべてロマたちに合流した。


「私たちは馬車置きにいるクネルと後から行きますよ」

 イリギスがロマに誘われる前に言った。

 了解の合図か、ロマは顔の近くで数度なおざりに手を振った。

 祖父を先頭にロマ達が出て行った。シルコーもそれに同行した。



「ロマさんて冒険者組合(ギルテ)の偉い人みたいだね」

「偉いというか、豪いというか」

 珍しく嘆息するような声音をイリギスは出した。

「だが、正直あの人が来てくれて良かった。私一人ではイナリーを手放さなければならなくなったかもしれない」

 クネルを連れ出して、ネリキリー達は広場へと向かっていた。

魔法生物局(マキューショ)の人はこの子をとても欲しがっていたものね」

 イナリーはウィローの手から離れて、ネリキリーの足元にいる。

 ウィローはかなり年が離れているのに、クネルと話が合うと(合わせてもらっているのだろうけど)彼の横にいた。

 聞くとはなしに聞いていると話題は、馬の手入れのことだった。

 ウィローはそろそろ、一人で馬に乗りたいらしい。


 広場に着くと、中央に火が焚かれていた。酒の樽がそこここに置かれ、開いていない酒樽の上には料理が乗っている。

 なし崩しに宴会は始まっているようだった。


 ネリキリー達は人に囲まれた。見知らぬ大人の男が二人もいるので、輪は少し遠巻きだ。

 ネリキリーは

高等学院(リゼラ)で友達になったイリギス、それからイリギスの家の人のオードブルさんとクネルさん」

 と軽く紹介する。少し自慢げに響いたかもしれない。

 でも、いい。本当に自慢の友人だから。


「イリギスです」と彼が微笑むと皆の口からため息が漏れた。

 この界隈では器量よしと言われているガゼッテ家のオリゴが、友達のミルラと共に酒杯と器をイリギスに差し出した。


 ネリキリーに同じく食器を差し出してくれたのは、幼馴染の男友達。

「これが、二尾狐(サキオーキ)の子供か。大人と違って可愛いな」

 ドットがしゃがんでイナリーを撫でようとする。

 イナリーは警戒して、その手を避け、ネリキリーの後ろに隠れた。

「嫌われたな」

 一つ上のレイブンがドットをからかった。

「まだ、来たばっかりだからね。人に馴れていないんだ。姫りんご(リープ・ポー)か冬ショーロをあげると触らせてくれるかもしれない。食いしん坊だから」

 ネリキリーはとりなすように言った。飼い主に似たんだなと、誰かが言う。


 広場を見渡せば、もう一つの人だかりが出来ていた。

 それは、もちろんロマたちだった。

 ロマとフィフは豪快に、ジュレはゆっくりと飲み食いしていた。魔法生物局(マキューショ)の二人も案外楽しそうにしている。


 広場に着たとたん、さっと駆け出したウィローが友達を連れて戻ってくる。

「これがイナリーだよ」

 ネリキリー達の間に隠れるようにしていたイナリーを紹介する。

 イナリーはウィローに抱かれるときにちょっと抵抗したが、結局は大人しくなる。

 忍耐強い子だ。

 おちびさん達の持っている姫りんご(リープ・ポー)に気が付いたのかもしれないが。

 マルティナから貰った赤い実をイナリーが一口食べると、周りから歓声が上がる。

「イナリーは皆に可愛がられそうだな」

 イリギスの笑顔と言葉がネリキリーにはうれしかった。


「なんだ、まったく食べていないじゃないか」

 空になった酒杯を片手にロマが近づき、イリギスの皿を覗き込む。

 隣のフィフが酒樽から酒をひしゃくで注いでいた。フィフは一息にそれを飲み干す。

「毒なんて入っていないから、安心して飲み食いすればいい」

 彼はイリギスに向かって空になった杯を見せつけるように横に倒した。

 毒という不穏な表現に、ネリキリーは周りの熱が少し引くのを感じる。

 思い出してみればイリギスはこの広場に来て何も口にしていなかった。

 けれど、イリギスはヴィンセント家で出した食事はすべて食べていたし、高等学院(リゼラ)でも普通に食事をしていた。一緒に屋台に行ったこともある。

 今までイリギスが食事について気にするようなそぶりはまるでなかった。


「イリギス、具合が悪い?」

 思えば、オーランジェットはカロリングより暖かい。そこから帰って来たばかりで、馬車を走らせ、雪積るグラース村へ。さらには今朝の魔物との戦いに加えて、イナリーについての話し合い。

 体調が悪くなっても無理はない。


「ああ、いや、大丈夫だ」

 イリギスは両目を一瞬だけ瞑って否定した。

「冬の室外で、雪の上で物を食べるのが珍しくて。それと」

 イリギスはちょっと自嘲気味に笑い、言いにくそうにしながらも言葉を発した。

「……鶏肉の皮が苦手なんだ」


 確かにイリギスの皿の上には、好意で乗せたのであろう、鳥の皮がついた大きな肉があった。

「ははは」

 ネリキリーはイリギスの答えに思わず笑いだした。周りの者も始めは小さく、やがては爆笑に変わる。

 イリギスが料理を食べないことを揶揄したフィフもあっけにとられた表情をした後に「こどもか」と苦笑をもらしていた。


「嫌いなものを見てると食欲がなくなることはあるよね」

「ネルも何かあるのか」

 思わぬところで好き嫌いを暴露したイリギスの頬は少し紅潮している。

「小すももの塩漬け。香りが少し苦手なんだ。イリギス、鳥肉の皮が嫌いなら取ってイナリーにあげたら」

「皮だけじゃかわいそうじゃないか?」

「そう思うなら少し肉もあげて。ただ、イナリー、あちこちから貰いすぎてるかも」

 小さな二尾狐(サキオーキ)は、ウィローに酒樽の上に座らされていた。しかし、みんなから食べものを貢がれてご満悦な様子である。食べ物を与える人間の中にカーネビとフーシュの姿もあった。


「俺が食ってやるよ」

 フィフが肉ごと手掴みでさらっていく。イリギスが抗議する間もなく、彼は肉にかぶりついていた。

「このりんごだれの酸味が旨いんだよな」

 食べ終わった彼は汚れた手を服でぬぐおうとした。

「これを使いなさい」

 ジュレが手巾ハンドルを差し出した。

「ありがと、な」

 まるで屈託なくフィフはそれを受け取って、手を拭いていた。


 それをきっかけに、美貌のイリギスに対してやや遠巻きにしていた村人がきさくに声をかけ出した。



 広場のあちこちの焚火に鍋がかけられる。樽に残った葡萄酒が鍋の中に投入される。

 ついで残った肉や野菜も鍋の中だ。塩や香辛料を加えて、酒精が飛ぶまで煮込む。

 冬の祭りの最後を彩るウケイ鍋。


「さあ、オーランジェットからのお客人たち、どうぞ。これは縁起物ですので、できれば残さず食べてください」

 ロマたち冒険者三人と魔法生物局(マキューショ)の二人、そしてイリギス達がまず、深皿に入った(あつもの)を供された。

 それから、村の人たちが鍋に群がる。ネリキリーは最後の方に皿を貰った。


「どう、口に合った?」

 イリギスに問いかけてみれば、料理は半分ほど残っている。


 まさか。


「好き嫌いは良くないと、天がおっしゃっているようだ」

 なんだか達観した目をしてイリギスは料理を一気に食べ始めた。


 イリギスの皿の中には、少しだけ皮のついた鶏肉が入っていた。



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