さんじゅうご
翌日の日曜日。
ファンネルは寮の昼食の時間に間に合わないかもしれないからと、遠慮するネリキリーに肉と野菜を挟んだ麺麭を持たせてくれた。
しかも、かなり大量に。
どうしようと少し悩んでいると、ルベンス講師が告発と弁護に配ればよいだろうと言う。
「ケルンとイリギスのことですか」
「他に誰がいる」
「デレイトやアポロジックといえば、地獄の三頭犬のことだけど、ネリキリー君はそんな風に思われているのかい?」
心底不思議そうにファンネルが言う。ネリキリー自身だって不思議で不本意だ。
「一人一人はそうでもないが、三人集まるとな。最近もシュトルム・エント・ドラクルで不敗を誇っていた今の最上級生達に土をつけた」
「たまたま奇襲が成功しただけです」
「作法の盲点をついてな。そして新たな作法が創られた」
ルベンス講師は完全に面白がっている調子で言った。
「ルベンス講師」
軽い非難を込めてネリキリーは相手の名前を呼んだ。講師が生徒の噂話を広げるなんてそれこそ作法に反している。
「はい、はい。これ以上は言わないさ」
ルベンス講師は両手を上げたが、最後にファンネルに向かって付け加えた。
「な、判定者だろ?」
ファンネルが思わずというように首肯する。ネリキリーはそれ以上は何も言えなくなった。
寮に戻ったのは、昼食の時間を少し過ぎたころ。
食堂に行くとイリギスとケルンもいない。
部屋に戻ると、やはりケルンが眠たげな顔で寝台に座っていた。
これは二度寝をしていた顔だ。
「ケルン、ただいま」
「ネル、今日は早いな」
「お手伝いが一段落してね。で、お手伝い先からこれをもらってきた。イリギスも誘って一緒に食べよう」
ネリキリーはファンネルからもらった包みを少しだけ開けて見せる。
「旨そうだな」
ケルンは食欲が刺激されたのか、顔つきがしっかりとした。
「僕がお茶を入れるよ」
ネリキリーは自発的にお茶を入れるのを申し出た。
いつもたいていは部屋の主であるイリギスがお茶を入れてくれるが、ここのところファンネルのところで、お茶を入れる作業はネリキリーの担当だった。
魔導式を使ってお湯を沸かし、ファンネルに教えられた通りにお茶を入れる。
卓の上にはファンネルからの差し入れが並べられている。
「三人でこんなにゆっくりするのは久しぶりだな」
イリギスがお茶で口を湿しながら言った。
「誰かさんが忙しかったからな」
ケルンはネリキリーの方を向いて言う。
「そうだね。でも、一段落ついたから、日曜は自由になったんだ」
「そうなのか。お、これ、見た目以上に旨い」
麺麭に挟まれた肉をはみ出しそうにしながら、ケルンがかぶりついていた。
イリギスはそれよりだいぶ上品に食べている。
「確かに美味しい。ネルが手伝いに行っていた家の料理人は腕がいいのだね」
料理人ではなく、主自らが腕を振るっているのだが。
「料理人ではなくて、その屋敷の持ち主が作ってくれて」
「持ち主は女性なのか?」
普通はそう思うだろう。男性が台所に入るのは料理人以外では珍しい。
「いや男性だけど。元冒険者で自炊をしていたみたい」
「冒険者?オーランジェットで?」
ケルンが話題に食いついてきた。イリギスも口にこそ出さないが、興味深げだ。
シャルロットへの弓、ではなくなったが、贈り物も渡し終えた今、秘密にする必要は無くなった。
ちょうど良いのでファンネルのことを話してしまおうとネリキリーは決意する。
「うん、実は僕、幽霊屋敷を買った人のところにお手伝いに行っていたんだ。薬茶師のファンネル・メルバさんという人なんだけど」
高等学院の卒業生なこと。
幽霊屋敷と言われるほど荒れた屋敷と庭を整えるのに人手がいったこと。
農家の家に育ったことを買われてお手伝いにいくようになったこと。
「僕もちょっとお金を稼ぎたかったから」
「金?なんで?」
案の定、ケルンがネリキリーに遠慮なく聞いてくる。
「このあいだの狩りの時、シャルロットの弓を駄目にしちゃったから。代わりを贈りたかったんだ。結局、矢と銀の矢じりになったけれど。で、舞踏会で会ったアンゼリカ嬢に頼んでシャルロットに渡してもらった。アンゼリカ嬢にも小物をお礼にあげたんだ」
ネリキリーは一気呵成に言った。
聞いた二人はそろって目を見張りネリキリーを凝視する。
ややあって、ケルンが一つため息をついた。
「まさかネルが抜け駆けするとは」
「抜け駆けなんてしてないよ」
「シャルロット嬢とアンゼリカ嬢に一人だけで会って、贈り物をしたんだろ?」
「お詫びとお礼だよ。会った時にはファンネルさんもルベンス講師もいたからね。先方の付き添いもいたし」
ネリキリーは一人で会ったわけではないと強調した。第一、淑女たる二人に付き添いがいないわけがないのである。
「ルベンス講師が?なんで?……イリギスも笑ってないで何か言えよ」
こぶしを口に当てて笑っているイリギスにケルンは水を向ける。
「進むべきときは、凪のごとく静かに、雷のごとく早くあれ、だな」
イリギスは古の軍略家サンシールの言葉を引用した。彼は詩人としても有名で恋愛指南書のような詩を書いてもいる。
「イリギスまで」
ネリキリーは今度は自分がため息をついた。
「だが、好ましいからこそ、贈り物をしたのだろう?」
からかいを含んだイリギスの目。
「二人とも可愛いくて、素敵な女性だよ。でも、シャルロットは僭越だけど小さな妹のようだし、アンゼリカ嬢は年下だけど姉のよう、いや同士みたいに思っている」
彼女は薬茶師、自分は魔法学の師。届くかどうか分からない目標を抱くものとして。
「一緒に飛びかまきりと戦った仲だから。それにアンゼリカ嬢の方が背が僕より少し高い」
ネリキリーは少し肩をすくめて言った。
「女の子のほうが成長が早いっていうものな。それに同士か」
そう言いつつも、ケルンは納得しかねるといった風情だ。
「そんな風に言うのは、僕が、じゃなくて、ケルンが彼女たちのどちらかを好きになったって話?」
ネリキリーは、ケルンに逆襲をかけた。
「馬鹿いうなよ。一人は七歳、もう一人はまだ3回しか会ったことがないんだぞ」
ケルンの言葉に、イリギスとネリキリーは、はっとなる。
「ケルン、三回って?」
「私も初耳だな」
ケルンが自分の失言に気が付いて目を逸らした。
形勢逆転。
ネリキリーとイリギスはケルンの次の言葉を待った。
「俺が会ったのは、ほんとに偶然だ」
逸らした目を戻して、ケルンは開き直ったように言う。
「家に帰った時に、公園を散歩していたら、アンゼリカ嬢がたまたまいて、少し話しただけだよ」
アンゼリカ嬢は猫が取ってきた鳥を放しにきたのだという。
「ああ、だからこのところ、よく家に帰っていたのか」
イリギスがさらりとケルンの行動を暴露した。
ケルンは口を開けて何か言おうとしたが、すぐに口を噤む。
「小白鳥が三羽になったとアンゼリカ嬢が言っていた。あの怪我をした猫がそこまで元気なのはうれしいよね」と、ネリキリーは顔をほころばせた。
「獲物たちとアンゼリカ嬢は災難だけど。猫たちの贈り物は生きたままらしいから、世話しなければならないものね」
自分が寮暮らしではなかったら、怪我をした動物の世話を手伝いたいな、とネリキリーはのんびりと言った。
「農家だから、動物の世話は慣れてるからさ」
「ネルらしいな」
イリギスが最後の一つの麺麭に手を伸ばした。
「あれ?」
ケルンが卓の上を見た。たくさんあった麺麭が無くなっている。
上品かつ、静かに早く、そして一番多く、イリギスはファンネルの差し入れを攻略していた。
「ファンネル氏に私も会ってみたい。紹介してもらえるか?」
イリギスは、にこやかにネリキリーに尋ねてくる。
食後のお菓子に、マルッコの実を砕いて練り込んだ焼き菓子を食べる。
イリギスが提供者だ。
肉が挟まれたナーンに未練を残していたケルンも、喜んで食べている。
「わざわざ紹介しなくても、春には薬茶師として店を開くからお客さんとして行けばいいよ」
ネリキリーはイリギスとケルンを紹介するのをためらう。
今日、ルベンス講師が自分達を三頭犬に例えていたからだ。
しばらくほとぼりを冷ましたい気がしている。
「ネルは秘密主義だな」
冗談混じりにイリギスが言った。
秘密にしたいというより、照れくさいだけだ。
「僕が行く日も減るから、使用人が入るまでファンネルさんは少し忙しくなるんじゃないかと思う。それにもうすぐ冬季休暇だよ。イリギスはオーランジェットに帰るのでしょう?」
休みまではあと二十日もない。珍しく好奇心旺盛なケルンが会いたいと騒がないのもそのためだろう。
「イリギス、店が開いたら一緒に行こう。開業前なら店主は大忙しだし、舞台裏を見るのも悪いだろう」
「アンゼリカ嬢は訪問したのに?」
イリギスは不可解そうに首を傾ける。アンゼリカ嬢は薬茶師としてのファンネルを知っていた。ファンネルがネリキリーに提案した矢を作る材料を届けるとういう大義名分もある。
「令嬢と男じゃ扱いが違うさ。それに行けばルベンス講師ももれなく付いてきそうだし」
たいした用もないのに、講師と放課後を過ごすのは煙たいとケルンは断じた。
そういうことかとネリキリーは納得する。ケルンは言語学についてはあまり力を入れていない。
二度ばかり、居眠りして注意されている。
二度目には、
「春の夢は甘く、魔法のごとく我を誘う。目覚めれば、かの人は消えて、思い出を抱くばかり」
というように詩を古語で引用されてだ。
それ以来、ケルンはルベンス講師を少しばかり苦手にしているらしい。
イリギスもそれを察したようだった。
「では、ケルンが言うなら幕が開くまで待つとしようか」
「そうして。ファンネルさんが丹精込めた庭の春を楽しみに待っていて欲しいな」
イリギスの言葉にネリキリーは安心して賛同した。