さんじゅうよん
二度目の来訪となれば、こちらも落ち着いて対処できる。
などと気楽に考えていた自分をネリキリーは反省する。
少し曇った空の下、先日とは違う二頭立ての箱形の馬車が到着した。
美しく飾られた馬車には先日と同じ男が手綱を取っていた。
男、ランクロは同じように御者台から降りて馬車の扉を開ける。
降りてきたのは、あろうことか7歳の伯爵令嬢、シャルロット・ボート。
「え、何で?シャルロットがここに?」
混乱からネリキリーはいつもの話し方で尋ねてしまう。
「アンゼリカさまに誘われましたの」
大人顔負けの婉然とした笑みを浮かべるシャルロット。
いち早く対処したのは、ファンネルだった。
「ごきげんよう。愛らしいベッラ。わたしはファンネル・メルバ、この屋敷の主です」
「ごきげんよう。ヴァリスタ・メルバ。わたくしはシャルロット・ボートと申します」
シャルロットは完璧な淑女の礼をとった。
その間にルベンス講師が、馬車を降りるアンゼリカ嬢とライサンダー夫人に手を貸した。
「ごきげんよう、みなさま。またお会いできてうれしいですわ」
アンゼリカ嬢は優雅に礼をし、それに続いてライサンダー夫人も礼を取った。
「では、屋敷の中へどうぞ」
ファンネルがシャルロット嬢を案内する。鷹揚にうなずいてシャルロットは屋敷の中に入った。
二度目だからか、御者のランクロはもう馬車の御者台の上だ。
ネリキリーはアンゼリカ嬢をエチケートする。
「やはり贈り物はご自分の手で渡した方がよろしかと思いましたの」
アンゼリカ嬢はささやく。彼女ははいたずらを成功した子供のような顔をしている。
「シャルロットには秘密だと約束したはずですが」
少し恨みがましい声でネリキリーはささやき返す。
「シャルロット様に秘密にするとお約束したのは、ネリキリー様がシャルロット様への贈り物を用意されていること、それが矢であるということだけですわ」
頭を反らしてアンゼリカは言った。
「ファンネル様のところにネリキリー様が毎日のように通っていらっしゃることは、内緒にするとお約束しておりませんでしたもの」
ネリキリーは小さく息を吐いて、心の中で完敗と両手を上げた。
「今日はそんなに時間がありませんの。馬車で一回りしたいと申して、出てきましたから」
ネリキリーが魔法でお湯を沸かすとシャルロットはその様子をじっと見ていた。
ボート家では客の目の前で湯を沸かすなどという無粋なことはしていないのだろう。
「ネルにお茶を入れてもらえるなんて思いませんでしたわ」
うれし気なシャルロットの声が室内に響いた。
お茶を渡し終えてネリキリーが着席する前に、アンゼリカは告げる。
その目がシャルロットへ早く贈り物を渡せと言っている。
それを知らないシャルロットはアンゼリカ嬢を見上げた。
「アンゼリカ様は庭をご覧になったのでしょう?わたくしも拝見したいわ」
「お時間が許すなら」
甘える妹をなだめる姉ようなアンゼリカ嬢の姿。
シャルロットの少しすねた顔は、お姉さまばっかりずるいですわと言っているようだった。
「またいらっしゃれば良いのですよ。いま楽しめないのではなく、先の楽しみを作ったと思えばよろしいのでは」
ルベンス講師が優しいまなざしをシャルロットに向けた。シャルロットがまじめな顔でその言葉を受け止めようとしている。
「先の楽しみ。ということは、わたくしは、またここに来て良いということですわね」
「いつでもいらしてください。新しい知り合いが増えるのは大歓迎です」
ファンネルの言葉にあたたかな響きが混ざる。
「わたくしもですわ」
シャルロットは小さな手を合わせた。小さな音がなったのは喜びが手のひらに伝わったのか。
「お近づきのしるしに、香草茶を帰りにお渡ししますね。それから、ネリキリー君が何か渡したいものがあるそうですよ」
なかなか口をはさまないでいるネリキリーにファンネルが水を向けた。
「まあ、ネルが?」
驚きと期待に満ち溢れた二つの瞳。きらきらと輝いて星さながら。
ネリキリーは観念して立ち上がり、部屋の隅にある卓から包みを三つ持ってくる。
「ベッラ・シャルロット。先日、偶然お会いした時に、もうすぐお誕生日とお聞きしました。ささやかですが先日、弓を駄目にしたお詫びと、お知り合いになった記念にこちらを受け取っていただけますか」
折り目正しく、ネリキリーはシャルロットに申し出た。
「ええ、もちろん。もちろん喜んでいただきますわ」
シャルロットの声が弾んでいる。淑女の教育を受けていなければ、その場で跳ねて喜びそうな勢いだ。
ネリキリーはシャルロットの両手に二つの包みを手渡した。
「それから、アンゼリカ嬢、贈り物を作るのに協力をしてくださってありがとうございました。感謝と、やはりお知り合いになった記念にこちらを受け取ってくださいますか」
今度はアンゼリカ嬢の顔に驚きが走る。
これでお相子だなとネリキリーは心ひそかに思った。
「わたくしに?そんな大したことをしておりませんのに」
「小白鳥の羽をいただきましたし、シャルロットとの橋渡しをしてくださいました。どうかご不快でなければ受け取ってくださいませんか?」
アンゼリカは包みに目を落とし、ついでネリキリーの目に視線を合わせた。
「わかりました。喜んで受け取らせていただきますわ」
ネリキリーはアンゼリカ嬢の前に包みをそっと置く。
それを待っていたのか、シャルロットが声を上げた。
「アンゼリカ様、贈り物を二人で今すぐに開けませんこと?」
誕生日の贈り物は、誕生日のその日に皆が集まったときに開けるのが通例だ。
ただ、シャルロットはアンゼリカ嬢への贈り物が何なのか気になるようだ。
「ネリキリー様、開けてもよろしいかしら?」
「かまいません」
どうぞとネリキリーは手を返して促した。
「わたくしから開けますわ」
シャルロットが小さな女王様のごとく宣言する。
きれいに包装された包みを開くと、白い羽の矢が16本。
「素敵ですわ」
彼女は白い羽をそっとさわり、巻かれた金の糸をなでる。
「わたくしの白い弓にぴったりですわね」
小白鳥の羽をアンゼリカ嬢からもらって、奇しくもあつらえたような矢になった。
それから。
シャルロットはもう一つの包みを開く。
「これは、矢じりですわね。でも、革紐しかついていませんわ」
「シャルロット嬢、それはね、一飾の首飾りなのですよ」
ファンネルがネリキリーの代わりに解説をしてくれる。
シャルロットが手に取り、じっと見つめる。
「着けてくださいませ」
シャルロットが言ったので、ネリキリーはとっさに動いたが、その言葉がライサンダー夫人に向けられていることに気が付く。
「かしこまりました」
ライサンダー夫人がシャルロットの後ろに回り、矢じりの一飾の首飾りの革ひもを結んだ。
まだ、小さなシャルロットには少し大きい気もする。
「似合っているかしら」
シャルロットはまずアンゼリカ嬢を見て、それからネリキリーを見た。
「良くお似合いです」
アンゼリカ嬢がシャルロットに受け合った。
「こちらにも金の糸が巻かれていますのね」
シャルロットは確かめるように胸元の矢じりに手を置いた。
「次は、アンゼリカ様の番ですわ」
ご機嫌な様子でシャルロットはアンゼリカ嬢に命令をする。
「そうですわね」
アンゼリカ嬢の繊細な指が包みをほどいていく。心なしかシャルロットだけでなくライサンダー夫人も少しだけ身を乗り出している気がする。
「これは」
「携帯用の水薬入れです。アンゼリカ嬢の夢が叶うように」
きっちりとした、ややもすると武骨な銀の四角い薬入れに、銀の線が螺旋状に巻かれている。飾りはそれだけ。
木の樹皮の栓だけが色を持っている。
「ありがとうございます。とてもうれしい贈り物ですわ」
アンゼリカ嬢は、震えるような声でネリキリーに感謝してくれた。
「アンゼリカ嬢の贈り物は身を飾るものではありませんのね」
シャルロットが納得したような、ほっとしたような声をだした。
厳密にいえば、シャルロットの一飾の首飾りはきちんとすれば矢になる。実用品と言えなくもない。
「矢もそうですが、矢じりも、水薬入れもネリキリー君が自ら作ったんです」
ファンネルが鉱石の製錬から作り始めたことを暴露した。
「ネルはそんなこともできるのですね」
シャルロットの目が尊敬を浮かべてくれた。
アンゼリカ嬢とライサンダー夫人からも称賛の言葉をもらう。
が、ネリキリー自身は大したことをしている自覚はない。
矢はファンネルさんも作れるし、銀の冶金だって、銀細工だって高等学院の他の生徒も挑めばできるだろう。
現にイリギスはやすやすと鉛、銀、金を精錬させた。
「そこまで、難しいことはしていません。魔導式の製錬は高等学院の講義を受ければできるようになりますから」
ネリキリーは頭を振る。
「銀細工を教えてくださった方の作品は本当にすばらしかったです。そうですよね、ファンネルさん」
話題をふると、ファンネルは細工師が誰かは言わずに、作品の素晴らしさをひとしきり語った。
聞いているほうも女性である。
興味深げに聞き入っているうちに、令嬢たちは帰る時間になった。
ファンネルの約束した香草茶も携えてた令嬢達と、再会を約束して馬車を見送った。
「今日は眼福な一日だったな」
ご婦人方を見送ったルベンスは講師が大きく伸びをした。
茶器をみんなで片づけながら、ファンネルが言った。
「贈り物、喜んで貰えて良かったね」
ファンネルが我が事のように言ってくれた。
「ありがとうございます。これもファンネルさんのおかげです」
「君が頑張ったからだよ」
「まさか銀の製錬から始めるとは思わなかったぞ。高等学院でもちょっと評判になっている」
ルベンス講師はあきれているとも、感心しているともとれるような、微妙な表情をつくる。
「はじめは僕も銀の硬貨を溶かして作るだけのつもりだったんですけど、オルデン師が」
ネリキリーは事の経緯をかいつまんで話す。
「オルデン師らしい」
ルベンス講師が屈託なく言う。
「ところで、これで当初の目的は果たせたわけだが、ファンネルの手伝いを続けるか?」
ルベンス講師の目が教師のものになる。高等学院では課外に労働をするのを推奨はしていない。
「続けたいとは思います。ただ、今までのように毎日でなくてもよければ」
ネリキリーはファンネルの顔を見て言った。
「学生は学ぶことが本分ですからね。こちらも、そろそろ本格的に人を雇わなければと思っていましたから」
「そうそう、せめて通いの、たいていのことをしてくれる家事使用人を雇えよ」
「万能家事使用人ですか。通いとなると場所も場所ですし」
「住み込みでもいいが、そうすると夫婦者ってことになるだろ」
「使用人用の小屋があるので問題はないですが、来てくれる人がいますかね」
ルベンス講師は万能家事使用人という言葉を回りくどく表現した。
オルダマットという言葉は、古い言葉で「何でも」とか「すべての」という意味である。
だが、マットとは玄関に敷く泥落としの絨毯のこと。
オルダは古い。古い絨毯は、踏みつけられ、いつでも捨てられるという隠れた意味があるらしい。
言語学者であるルベンス講師はそれを嫌ったのだろう。
二人を見つめるネリキリーの視線に気が付いてファンネル達は話題を本題に戻す。
「今後のネリキリー君のことでしたね。希望はありますか」
「できれば、日曜日は基本お休みにしていただければ、ありがたいのですけれど」
「もともと、古くから何もしない日だしな」
ルベンス師が賛成だというようにうなずいた。
「日曜日だけでいいのですか?オルデン師のところに行く、水曜日と金曜日も休んで良いですよ。ネリキリー君のおかげもあって、かなり庭は改善されましたから」
ネリキリーは少し悩む。今回の銀の冶金の件で、魔法学にもっと時間を費やしたいと思っていた矢先だった。
「では、水曜日だけお願いします」
この庭と屋敷で過ごす時間はネリキリーにとって、大切なものになっていたから、あまり減らすのは嫌だった。
「明日はどうします?」
ファンネルが聞いてきた。
「午前中だけ来ても良いですか?昼前には寮に戻ります」
分かったと返事をするファンネルに向かってルベンス講師は言った。
「急にお昼ご飯が一人になると淋しいだろ。明日も来てやるよ」
「ここのところ毎週きてるじゃないか」
ファンネルは文句を言いつつも、駄目だとは言わなかった。