さんじゅういち
【土曜日の午後1時半にお伺いいたします】
水曜にファンネルのところにアンゼリカ嬢の返信がきてから、ネリキリーは少し浮き足だっていた。
集団で女の子と会ったことはあるが、二人きりで会うのは初めてだから。
正確には二人きりでさないが、同じ年ごろなのは、ネリキリーとアンゼリカ嬢だけである。
ファンネルには何でもないことのように言っておいて、この有り様である。
アンゼリカ嬢はネリキリーに会いに来るのでなく、目的はファンネルに会うことなのに。
「応接室を使って迎える初めてのお客様だ」
ファンネルが、ない埃を卓から払う。
「いつでも俺に使っていいんだぞ」
「何故、いる」
ファンネルは横に立つルベンス講師を嫌そうに見た。
「俺は可愛い生徒のネリキリーを見守る義務がある」
ルベンス講師はしごく真面目な顔を作った。
「いつも手伝いをありがとう。ネリキリー君はこの通り、熱心に働いていてくれている。君も忙しいだろう、自分の時間を大切にしたまえ」
ファンネルの台詞は早口だ。
「いやいや、今日は暇なんだ。久しぶりに旧友と時をすごしたい」
「先週も来たくせに」
舌戦を繰り広げる二人にネリキリーは、声をかけた。
「馬車がきましたよ」
大きくとられた窓から、一頭立ての軽装馬車が門を通ってくるのが見えた。
ネリキリー達は玄関へと急いだ。
ファンネルが扉を開けた。
従僕などいないから屋敷の主、自ら招き入れる形だ。
馬車が停止した。
御者がいったん地面に降り、馬車の脇にと立つ。
ファンネルが、馬車から降りようとするアンゼリカ嬢に「手を貸せ」とネリキリーに目で即した。
ネリキリーは馬車に速足で近づく。
差し出すのは右手、付き添いと同じだからそれで良いはず。
淑女らしい動作でアンゼリカ嬢がネリキリーの手を借りて降りてくる。
縁なしの帽子が似合っていた。
ネリキリーとアンゼリカは自然に微笑みあった。
続けてもう一人、女性が降りようとしていた。アンゼリカ嬢の付き添い人だろう。
ファンネルがすかさず手を出した。
屋敷の主人であるファンネルが、アンゼリカ嬢をエチケートするのが礼儀にかなっているのでは、とネリキリーは心配したが、次に降りてきた淑女を見て納得した。
暗い色の服を着たその淑女は背筋正しくかつ優雅に馬車を降りた。
華麗な美しさではないが、品のいい顔だちの女性だ。かすかに浮かぶ微笑みが彼女に温かみを添えていた。
「初めまして、アンゼリカ・ベジタブールでございます。ご招待ありがとうございます」
「はじめして、ファンネル・メルバです。ようこそおいでくださいました」
簡単な挨拶をしてファンネルは二人を屋敷に招き入れる。
そのまにルベンス講師が御者に馬車止めの場所と勝手口を教えた。がっちりとした壮年の男が頭を下げてルベンス講師の指示に従う。
ネリキリーが勝手口に回ろうとするとルベンス講師に止められ、耳打ちされた。
「いいから、アンゼリカ嬢の相手をしておけよ。勝手口には俺がまわるから」
ルベンス講師は足早に勝手口のほうへ行ってしまった。
「とても素敵なお屋敷ですわ。ここから眺められるお庭も」
「ええ、ここにいるネリキリー君にも手伝ってもらってやっとここまでになりました」
ファンネルとアンゼリカ嬢は窓際に立って庭を眺めて話をしていた。
「ネリキリー君、お湯を沸かしてお茶を入れてくれないか?使用人の仕事をさせて申し訳ないけど」
「わかりました。ファンネルさん」
今日は女性に喜ばれる薔薇の実のお茶を用意していた。かなり酸味があるが、蜂蜜を入れればまろやかになる。
「彼は魔法、魔導式を扱うのが得意で、ついつい頼ってしまうのですよ」
「わたくし、初めてお会いした狩りの時に、ネリキリー様が魔導式を使って魔物を倒したのを見ましたわ」
「そうなんですか。それは初めて聞きました。彼は謙虚だからそういった自慢話になるようなことは言わないので」
そうですわね、とアンゼリカ嬢が返事をする。
ファンネルの褒め言葉にネリキリーは内心赤面する。
お茶を入れると、ルベンス講師が応接室に入ってきた。
背後には箱を手にしたベジタブール家の御者がいた。
ルベンス講師は卓へ近づいて、御者は扉の近くに控える。
「紹介します。こちらは私の旧友で、ピット・ルベンス・ローファット」
「ごきげんよう、ベッラ・アンゼリカともう一人のベッラ殿」
ルベンス講師は二人に満面の笑みを見せた。
「ごきげんよう。ルベンス講師。お顔とお名前は存じあげております。高等学院との交流で何度かお見掛けしておりますから。こちらはわたくしの遠縁ですの」
「ラウィニア・ライサンダーと申します」
よく見ると彼女は黒玉の指輪を嵌めている。それは未亡人であることを示していた。
「韻を踏んだ美しい名前ですね」
ルベンス講師が褒めると、礼を言うようにライサンダー夫人の頭が傾ぐ。
「どうぞお座りになってください」
ファンネルが椅子を勧める。ネリキリーはお茶を注いで皆に渡した。
「美しい紅色ですわ」
アンゼリカが楽し気に言う。ライサンダー夫人もそうですわねと小さく同意した。
「残念ながらこの庭でとれた薔薇の実ではないのです。これはオーランジェットから持ってきたものです」
「オーランジェットから」
アンゼリカがまじまじとお茶を見つめた。
ネリキリーも、そのほうが貴重なのではないだろうかと考えた。
「ノイバラがこの庭にもありますから、来年はたくさんの実をつけてくれると思います。ただ、ノイバラだけでなく園芸品種もじょじょに植えていこうかと思ってます」
「それはどうして?」
「園芸品種も花びらを砂糖煮にしたり、お茶にしたりできますから。それに庭が華やぐでしょう?」
同意を求めるようにファンネルは一同を見回す。
「たしかに園芸種の薔薇は美しいですわね」
ライサンダー夫人は美しい仕草でお茶を飲んだ。
「来年の春にこの部屋を開放して、来訪したみなさんにお茶を提供するつもりでいますから、庭が華やかなら心も浮き立つというものです。心が適度に浮き立つのは、身体にも良いことなのですよ」
ファンネルはライサンダー夫人に微笑みかけた。ネリキリーに笑いかけるのとは明らかに質が違う笑みである。
「来春から好きな時に、ここでお茶が飲めるなんて、なんて素敵でしょう。わたくし、毎週通ってしまいそうですわ。ねえ、ラウィニア?」
「私も高等学院が近いですから、よく来るようになると思いますよ。客ではなく、手伝い要員に駆り出されそうですが」
ルベンス講師も愛想がいい。
「まあ、ルベンス講師もお手伝いをなさっていますの?」
「なかなか人手が集まらないようです。ここは中心部からも少し離れていますから。そうだよな?ファンネル」
「口入屋に当たってはいるのですが、なかなか。ネリキリー君に負担をかけてしまってます」
「いえ、負担だなんて。ファンネルさんには良くしてもらっています。お昼ご飯も美味しいし」
「お昼ご飯?」
ライサンダー夫人が不思議そうな目をした。
「休日のお昼ご飯をファンネルさんが作ってくれるんです。僕もちょっと手伝ったりして」
ライサンダー夫人の不思議そうな顔は変わらない。
「特急薬茶師は食事まで精通していないといけませんの?」
「そんなことないですよ。これは私の趣味です」
「ファンネルの母上はオーランジェトの人なんですが、一時期、オーランジェトが恋しくなる気鬱の病になってしまってね。ファンネルが母親を慰めようと故郷の料理を作ってあげたのが、趣味の始まりなんですよ」
ルベンス講師が二人の女性とネリキリーに説明する。
「ルベンス、初対面の人にそんな裏事情を話さなくても」
慌てるファンネルが可笑しかったのか、ライサンダー夫人が満面の笑みを浮かべた。それは薔薇の蕾が開いたような笑顔だった。
アンゼリカ嬢も一緒に笑う。
大人の女性の艶やかさはないが、一重のノイバラのような可憐な笑顔だった。
お茶を飲み終えたアンゼリカ嬢が、扉の前に控えている御者に視線を向けた。
御者は心得て、アンゼリカ嬢に近寄ると、うやうやしい態度で箱を手渡す。
「ありがとう、ランクロ」
アンゼリカ嬢は御者に小さく礼を言い、ネリキリーに向き直った。
「お約束の羽根ですわ」
アンゼリカ嬢は紙の箱をネリキリーに渡してくれた。
「ありがとうございます。開けてもよいですか?」
「もちろんですわ」
ネリキリーが箱を開けると、白い羽根がたくさん入っていた。
「小白鳥の羽根ですわ。30本ほど用意しましたの」
「30本?小白鳥は一羽、ですよね」
ネリキリーは鳥の羽根が一日何本抜けるか知らないが、矢に適した羽根30本は多くないだろうか。
「今は3羽おりますの」
「……森で助けた猫は優秀な狩人なのですね」
あの時、子猫がおらず一対一なら、飛びかまきりも撃退できたのでは、とネリキリーは思った。
「あまりに贈り物が多いので、最近は叱ってますの」
アンゼリカ嬢は困った口調だが、どこか嬉しげだった。猫達を可愛がっているのが判る。
「ありがとうございます。小白鳥と猫達によろしく言っておいてください」
ネリキリーが冗談混じりに言うと、アンゼリカ嬢はわりと真面目な顔でうなずいた。
アンゼリカ嬢に取って、猫や鳥達は家族の一員なのだろう。
羽根の受け渡しも終わり、お茶も飲んだ。
このような訪問の際、どれくらいの長さが適切なのかネリキリーには判断できない。
「ファンネル様、お庭を拝見させていただいてもよろしいですか?」
アンゼリカ嬢がファンネルに頼みを口にした。
そうだった。
アンゼリカ嬢は薬茶師のファンネルに会いにきたのだ。
当然、植えられている植物に興味があるはずだ。
「喜んでご案内します。ここから直接、庭に降りられますよ」
ファンネルが立ち上がって、扉式の窓を開ける。
初冬のひんやりとした空気が室内に流れこんだ。
扉近くにある上着掛から御者のランクロが女性二人の袖無し外套を持って、二人に着せかけた。
男達もそれぞれ外套をはおる。
大きくとられた露台から庭へと続く階段を降りる。
個人をエチケートせず、男達が女性の回りを囲むようにして庭を散策した。
御者が少し離れて付いてくる。
オレガナ、スース、ジョルダン、セルジ。
アンゼリカ嬢とファンネルは庭の香草について話していく。
銀葉柳の樹皮は鎮静剤。
「胃がむかついて、吐き気がする時は生姜を蜜状に煮出した舎利別を炭酸水で割って飲むと良いのですよ」
ファンネルはアンゼリカに語る。
「炭酸水で?冬にお湯に溶かして飲んだりはいたしますけれど」
「それも良いですね。生姜は体を暖めますから。生姜の薬効は多いので、一家に一瓶は生姜の舎利別を常備して欲しいものです。
ただ、カロリングはオーランジェットより、北にあるため気温が低い。したがって生姜は育ちにくい。それに連作ができないから、栽培する方が少ないのが現状です」
ファンネルはちょっと残念そうだった。
「裏庭も見てみますか?」
「ええ、是非」
弾むようなアンゼリカ嬢の返事を聞いて、一同はゆっくりと裏庭に向かった。
幾種類かの木が立ち並ぶ林。
「これはモリイバラですわね」
今まで静かに付き従っていたライサンダー夫人が、足を止めた。
「そうです。お詳しいですね」
ファンネルが振り向いて、ライサンダー夫人の隣に立った。
「薔薇は特徴がありますから」
「ノイバラではなくて、モリイバラとおっしゃいましたよね。二つはよく似ていますけれど」
「葉軸が無毛ですので」
ライサンダー夫人が簡潔に答えた。
「ノバラにそんなに種類があるのか?」
ルベンス講師がモリイバラの枝に触れた。
「薔薇の品種はそれこそ星の数ほどあります。世界に愛されている花ですから」
ライサンダー夫人も愛しておられるようですね。
ファンネルは柔らかな口調で夫人に語りかけた。
「父母が庭で育てておりましたから」
静かな声でライサンダー夫人は言う。それに被せるようにアンゼリカ嬢が声をだす。
「ラウィニアは、わたくしの庭のお手伝いをして下さるのよ。特に薔薇にはお詳しいの」
「アンゼーリカ」
たしなめるようにライサンダー夫人はアンゼリカ嬢の名前を呼んだ。
アンゼリカ嬢はどこ吹く風と無邪気に笑う。
「ファンネル様は先程、園芸種の薔薇も植えるとおっしゃたっていらしゃいましたわね。もし、ご希望がありましたら、うちの薔薇の苗をお分けしますわ」
アンゼリカ嬢は自慢げにライサンダー夫人を見た。
「ラウィのお父様とお母様が作られた、ロサ・ラウィニアと言う美しい薔薇もありますの。これはラウィの薔薇なので、私の一存ではお分けできませんが、見るだけなら」
アンゼリカ嬢は、良いかしらと尋ねるようにライサンダー夫人に視線を投げた。
ライサンダー夫人は仕方がありませんというように微笑んで頷いた。
そのやり取りをみてファンネルとルベンス講師が言った。
「それは是非とも拝見したいですね」
「私も拝見できますか」
「ネリキリー様は?」
アンゼリカ嬢がネリキリーにも問いかける。
「もちろん、僕も見たいです」
「では、春になりましたら、皆さまをわたくしとラウィの庭に招待いたしますわ」
嬉しげに彼女は宣言した。
ライサンダー夫人とファンネル、ルベンス講師が薔薇について話をしている。
ファンネルは主に育成について、ルベンス講師は文学に出てくる薔薇について。
ライサンダー夫人は文学についても造詣が深いようだ。
薔薇は見れば綺麗だと思うし、香りも良いと思う。
だが、三人の話についていけるほどの知識はない。
アンゼリカ嬢は三人の隣で熱心に聞いていたが、少し離れているネリキリー気がついて、こちらに寄ってきた。
「何を眺めていらっしゃるの?」
アンゼリカ嬢が柔らかい声で問う。
「蔦です」
「蔦」
アンゼリカ嬢がネリキリーの言葉を繰り返す。
「蔦の樹液は寒くなるほど甘くなりますから。どうかなって」
「蔦の樹液って甘いものなのですね」
「秋に紅くなる蔦だけですし、一番甘い時でも砂糖や蜂蜜とは比べものにならない。ただ、僕の故郷では天井蔦と呼ばれていて、子供たちは冬に樹液を集めて舐めていました」
ネリキリーは持ち歩いている鎌を取り出して、蔦を切り取った。
「それは」
アンゼリカ嬢が鎌を目にとめた。
「あの時のグルーマントです」
ささやくように言うと、内緒だとネリキリーは唇に指を立てる。
アンゼリカ嬢もしなやかな指を唇に立てた。
裏庭も散策してかなり体が冷えた。
もう一度、お茶を入れ直して、皆でいただく。
遠慮する御者にもファンネルはお茶をすすめ、御者は、無作法ですがと、立ったままお茶を飲んだ。
「少し待っていてください」
ファンネルはそう言うと、一度席を外す。
ルベンス講師がネリキリーが切り取った蔦を見た。
「蔦葛か。蔦葛には、伝承があるのですよ、知ってますか」
ルベンス講師はファンネルが戻るあいだの間を持たせるためか、蔦葛の伝承を語りだした。
とある男神が狩をしている最中に、一人の美しい女神を見初めた。
男神は女神をかき抱くが、女神は突然に現れた彼に驚き、隙をみつけて逃げ出す。
追ってくる男神から隠れるために女神は蔦葛を伝って木の上に隠れようとした。
けれども、男神はあきらめずに同じように蔦葛を伝って追ってくる。
再び捕まりそうになった女神は呪歌を吟う。
「天つ時、身隠れたる 葛城の、露に似たりし、神身なれども」
すると女神は、言葉のままに蔦葛の露になって消えてしまった。
「その女神は他にどなたか想う方があったのかも知れませんわね」
聞き終えたアンゼリカ嬢が、乙女の感傷と断じ難い声音で呟いた。
彼女の眼差しは強く、それでいて哀しげにネリキリーは思えた。
そうするうちに、ファンネルが戻ってくる。
ファンネルは手のひらに乗るほどの瓶を二つ手にしている。
「私が作った生姜の舎利別です。試してみてください。次はお買い上げくださるくらい気に入ってくださるとうれしいですね」
「ありがとうございます。ファンネル様」
「わたくしにまで。お礼を申し上げますわ」
アンゼリカ嬢がにこりとファンネルの顔を見上げ、ライサンダー夫人が軽く腰を落として礼をする。
「お代は先程、おっしゃていた薔薇の苗でも良いですよ」
ファンネルは軽やかに二人に告げた。
◇◇◇
日曜日
古い言葉で、何もしない。
つまり、自由な日。
けれども、動物や植物を相手にしていたら、そうも言っていられない。
ネリキリーはファンネルの言われるままに、土を耕し、水をやり、植物を植え替え、時には肥料をやる。
「お前らせいがでるな」
珍しくルベンス講師が朝からいると思ったら、昨日は泊まったのだという。
「客間はまだちゃんと整ってないから、居間の寝椅子で、だけどな。おかげで体が強ばった」
「そう思うのなら、自分が泊まる客間くらい整えるのを手伝え。書斎にばかり閉じ籠って」
「客間を整えたら、いつでも泊まっていいってことか」
「……」
ファンネルはとても嫌そうな顔をした。
「卵はいくつ割ります?」
「10個」
今日は野菜入りの大きな円形の玉子焼きをつくる。
鳥肉もたっぷり入れるらしい。
大きな平鍋で野菜や肉を炒めて、塩と胡椒を入れて溶いた卵を回した入れる。
卵が黄金色に焼き上がる。
「今日は一品だけだけど」
といいながら、汁物もちゃんとある。中に入ってるのは海藻だという。
海藻はオーランジェットで取り、乾燥させたものを水で戻して使っていた。
カロリングではほとんど海藻を食べない。
「充分です」
ネリキリーは力強く返事をした。
「グラージェ」
三人で食事の挨拶をする。
暖かい玉子焼きにファンネル特製のたれをかけ、ネリキリーは口一杯にほおばった。
矢を矧ぐ。
矢を作る、矢に羽根をつけることを古風にいうとこう言うらしい。
ルベンス講師が教えてくれた。
また、矢は四本を基本として作るようだ。
これはファンネルが教えてくれた。
「これでも元冒険者ですからね」
ファンネルが少し胸を張る。
乾かした矢の棒の部分、箆に矢を番える切れ込み、筈を入れる。
それから羽をこしらえる。
羽軸を二つに割くのはなかなか難しい。
見本にファンネルが手だけで割いてみせてくれたが、ネリキリーはイリギスから贈られた短剣を少し使った。
次に、羽を板に挟んで焼くのだか、これは魔導式を用いた。
EGO OPT Coqua//P1um
次は、こしらえた矢羽を三枚、均等に張り付けて、とれないように糸を巻き付けていく。
錦糸蝶の糸をファンネルが分けてくれた。
先に箆に琥珀ニスを塗っていき、乾いたら、糸を巻く部分に二度塗り。
今度は乾く前に錦糸蝶の糸を巻く。
淡く金色に光る美しい糸。
錦糸蝶は餌によって、作る糸の色を変えるのだ。
ニスはファンネルが屋敷に残っていた古い家具に使った残りを、安く譲ってくれた。
四本一組で四組、十六本の弓ができあがる。
本当は二十本、作りたかった。しかし、失敗もあり、これしか出来なかった。
矢じりはつけず、先端を削っただけの素朴な矢。
けれど、アンゼリカ嬢から譲り受けた小白鳥の白い羽根。
錦糸蝶の淡い金。
琥珀ニスの柔らかな色。
それらが矢を彩っている。
ご褒美にとネリキリーは、イリギスから貰った飴を一つ口に入れた。
金色に輝く小指の先ほどの飴。
「いい感じの矢に仕上がったじゃないか」
心の声がそのまま届いたのかとネリキリーは思った。
ルベンス講師が出来上がった矢を見て褒めてくれたのだった。
「そうでしょう。これも私の教え方が上手いから」
「ネリキリーが器用なんだろ」
「いえ、ファンネルさんが教えてくれなかったら、ここまでちゃんとしたものは出来なかったと思います」
材料の残りを片付ける。
「だが、女の子の誕生日に矢だけか。もう少し女の子が喜びをそうな物もつけた方が良くないか」
ルベンス講師は褒めたその口で駄目出しをする。矢を贈るのは自分で言い出したことでもあるのに。
「私の調合した香草茶もつけますよ」
ご不満か?とファンネルがルベンス講師を睨んだ。
「香草茶もいいが、女の子は、きらきらしい物を贈ると喜ぶだろう」
ルベンス講師の台詞に、導かれるようにネリキリーはひらめく。
そうだ。シャルロットにもう一つ贈ろう。それから。
「すみません、ファンネルさん、明日と、もしかしたら明後日もお休みしても良いですか?」
勢いこんで言うネリキリーに気おされた顔でファンネルは頷いた。
「今は冬だし、そんなに忙しくないから構わないけど」
「ありがとうございます。人からもらったものですけど、これお礼です」
ネリキリーはファンネルとルベンス講師に飴を三個ずつ渡した。
「お礼なんていらないけど、その気持ちがうれしいから貰うよ。……ええ、これってリアクショーの飴じゃないか」
ファンネルが飴の包み紙を開けようとして驚く。
「有名なんですか?」
「オーランジェットの王室ご用達の製菓屋さんだよ。魔糖精製所も持っていて魔糖の流通の占有率は4割以上。魔糖菓子も元々はここが最初に発売したものなんだ」
「では、この飴も魔糖で」
「この包み紙に14って書いてあるよね。これは24分の14が魔糖で出来ているってことで、約6割が魔糖だってしるし」
良く見ると包み紙には小さくリアクショーの文字と14という数字が書かれていた。
「これをくれたのはイリギスか?」
ルベンス講師が飴を指先でつまんで振る。
「はい、そうです。この前ちょっと具合が悪い時に、これをくれて」
「魔糖には体内の魔力を補い、整え、体力を回復させる作用があるからね。だから、薬と一緒に処方される。ついでに苦い薬の口直しにもなるから」
どうしようと、ファンネルが飴を舐めるのをためらっている。
「だが、カロリングのは甜菜砂糖に、わずかばかりの魔糖が入っているくらいのもんだけどな」
ルベンス講師は惜しげもなく飴を口にいれた。
「魔糖は高いからね。他に必要な人がでてくるとも限らないから、自分の分はこれ一つにしておく」
自分に言い聞かせるように言って、ファンネルはようやく飴を舐め始めた。
ブックマークありがとうございます。
とても励みになります。