さんじゅう
「舞踏会で逢い引きの約束かあ、やるじゃないか、ネリキリー君。いいよ。うちに来てもらって。ダメなんて言ったらネリキリー君の顔が立たないものなー」
いっそ陽気なくらいファンネルはアンゼリカ嬢の訪問を快く許可してくれた。
「いえ、そんなことではなく。第一、彼女はファンネルさんに会いたいから来るようなもので」
「え、私に会いに?困ったな。21歳以下は守備範囲外なんだよな」
「だから、そうしたことではなく、薬茶師としてのファンネルさんに会いたいと」
いろいろ聞きたくなるような台詞を吐くファンネルに、ネリキリーはアンゼリカがヴァリスタという職業に憧れていることを話す。
「薬茶師としての私に会いたいのか。それなら、いつでも大歓迎だよ。来春には店を開く予定だし」
お得意様になってくれるといいな。とファンネルは乗り気だ。
思ったより簡単に許可が貰えてネリキリーは胸を撫で下ろした。
今日の夜にアンゼリカ嬢へファンネルが彼女の訪問を許してくれたと手紙を出そう。
朝一番に庭の定型的な世話を終えたあと、二人は、先日乾燥させた薄荷を小分けの缶に詰め始めた。
何でも知り合いの店が販促用に配るということで300個ほどの注文があった。
天秤計りに乾燥した薄荷を乗せては詰める作業を繰り返す。
「この作業が終わったら、矢の材料を取りに行って良いから」
来ると言っていたルベンス講師はまだ現れない。
「たぶん、お昼の直前に来るよ」
ファンネルはそっけなくいうが、三人分の料理の材料をきちんと用意してある。
「ネリキリー君は食べ盛りだから、肉があったほうがいいでしょう」
ファンネルは平打ちの麺の他に豚の角煮を用意してくれている。
お茶は優しい香りのカミツレだそうだ。
300と予備の10の薄荷詰めの缶を完成させた頃に、見計らったようにルベンス講師が姿を見せた。
「ルベンス、缶を籠に入れて玄関まで運んでおいて。明日取りに来るから。ネリキリー君は鍋にお湯を沸かしてくれるかな」
「わかった。置くのは柱の脇でいいか」
「ああ、そこでいい」
ルベンス講師はファンネルの指示の通りに缶を運ぶ。
ネリキリーも鍋に水を汲んで、魔法式で湯を沸かした。
EGO Opt Aq V1B//Ca1d
平打ちの麺を茹でる時は普通に火にかければいい。
魔法を使って茹でることもできるが、ファンネルは魔法は最小限に使う主義だ。
高等学院の生活でも魔法はあまり使われない。
際限なく使えば、狩の時のネリキリーのように魔力欠乏を招くし、加減を間違えると魔法は災害を引き起こす。
香草を使ったオレオ油の平打ちの麺に豚の角煮。
付け合わせには野菜の酢漬け。
「やっぱり、ファンネルが打つ麺は上手い」
「師匠にしごかれましたからね」
「アンゼリカ嬢がファンネルさんはヴァリスタの中でも有名と言っていました」
ネリキリーはアンゼリカ嬢の言っていたことを口にだした。
「私が有名というより、師匠が有名すぎるのです」
ファンネルは酢漬けを口に運んだ。
「珍しい材料の採取は冒険者組合に依頼するのが当たり前なのに、有用な植物を発見、採取するために自ら冒険者になった方ですから」
ファンネルがまた野菜の酢漬けを食べた。
「なのでオーランジェットに店を構えているのですが、開いているほうが少ないありさまです」
「それで、よく商売が成り立ちますね」
「生活に関しては冒険者としての収入がありますから。それに師匠には自分達から赴く客がいますから」
野菜の酢漬けを手にしてファンネルは言った。
「冒険者としてもヴァリスタとして優秀な方なのですね」
ネリキリーは感心する。
「ネリキリーは、知らないのか。こいつの師匠は特別な顧客を抱えているんだ」
ルベンス講師が口を挟む。
「特別な客?」
「こいつの師匠は別名、【幻獣たちのヴァリスタ】と呼ばれているんだ」
幻獣たちのヴァリスタ。
何とも魅惑的な別名だろうか。
そのヴァリスタの唯一の弟子。
アンゼリカ嬢が会いたいと切望するはずだ。
「ファンネルさんはもしかしてすごい人なんですね」
「もしかしては余計だよ。……なんて、師匠はすごいけど私は師匠の七光りで、ちょっと名を知られているだけさ。オーランジェットでは開業できずに、こっちでヴァリスタをするわけだし」
「カロリングで開業するのだと、リゼラの時からお前は言ってたじゃないか」
ルベンスだってがファンネルに向かって言った。
「そうだけど」
「病気になってから慌てるのではなく、日頃の心と体を癒す手助けがしたい。カロリングではまだまだ根付いていないヴァリスタの意義を広めたい。お前が言った言葉だ」
「人が言ったことをよく覚えてるなあ」
ファンネルは照れたように、野菜の酢漬けに手を伸ばす。
同じようにルベンス講師も酢漬けに手を伸ばして、横からそれをさらった。
「俺も言語学に進むか悩んでるときだったからな」
ネリキリーは二人の学院時代の様子を垣間見た気がして、自らも野菜の酢漬けを口にした。
酢の酸味の中にほんのりと甘い味が口に広がった。
ネリキリーは矢を作るために枝打ちをした。
ファンネルは枝打ち用の小型の鉈を貸してくれた。
しばらくそれを使っていたが、どうも勝手が悪い。
ネリキリーは、思いきって、腰に着けている飛びかまきりの鎌を試してみることにした。
下げ鞘から鎌を引き抜いて刃を引き出す。
かすかな緑を帯びた刃はいかにも伐れそうだ。
最初は慎重に細い枝を伐っていく。
軽い手応えで、枝が地に落ちた。
「切れ味がいいな」
あまりにサクサクと枝が伐れるので、ネリキリーはなんだか楽しくなってしまった。
小一時間ほど夢中で枝打ちをしていると、かなりの枝が集まっていた。
「こんなものかな」
誰とはなしにネリキリーは呟いてネリキリーは、鎌を布で拭う。
刃の輝きが増しているように見えるのは気のせいか。
「【活性】、活きているってことだから、ずっと鞘の中だと息がつまるのかな」
なんだか、鎌が生き物のように思えた。
「よく働いてくれてありがとう」
ネリキリーは丁寧に鎌を鞘に納めた。
枝を集めたら、次は矢になるように、まっすぐ削らなけれはならない。
「ネリキリー、外は寒いから、ひと休みしようってファンネルが。お、もう枝打ちは終わったのか」
ルベンス講師が庭から回って声をかけてくれる。
「はい、思ったより早く」
「じゃ、台所の隅を借りて作業しろよ。外じゃ冷える」
ネリキリーは喜んで伐った枝を腕で抱えた。
「手伝おう」
ルベンス講師が残りの枝を持ってくれた。
「ありがとうございます」
屋敷の中はやはり暖かい。
枝打ちをしている間は夢中で気が付かなかったが、体が冷えていた。
カミツレのお茶に蜂蜜を多めに入れる。
「これもどうぞ」
マルッコの実の甘露煮だった。回りに砂糖が薄く貼りついていた。
「これはちょっと良いものですよ。魔糖が3割使われている」
「それはすごいな」
ルベンス講師が相好を崩した。
「一人二つまでですからね」
「せめて三つ」
「二ヶ月はもたせたいからダメです」
ネリキリーは二人のやり取りを笑いながら、甘露煮をゆっくりと味わった。
「枝をまっすぐにするのは、けっこう手間でしょう。実は高等学院の庭には矢にぴったりな植物が植えられているんですけど、まさかそれを伐る訳にいかないので」
ファンネルさんが香草を配合しながらネリキリーに語る。
「へえ、リゼラに、でも、どうして?」
「リゼラとコーリッジの敷地は昔の城塞あとですから」
「そういえば、入学の時聞いたかも」
話ながらもネリキリーは手を休めない。
そのかいあって、その日の内に20本の軸ができがる。
ネリキリーは軸を魔法で7割を乾燥させた。
あとは、一週間自然に乾燥させればよい。
結局、ファンネルから封筒と便箋までもらって、アンゼリカ嬢への手紙を書いた。
来週の土曜日か日曜日、お時間がありましたら、お訪ねください。
もし、ご都合がつかなければ、ご希望の日をお知らせください。
表には、招待状と銘記した。
差出人はヴァリスタ・ファンネル・メルバとネリキリーの名前。
いきなり、男性名の手紙では家の人に勘ぐられるかもしれないからと、ファンネルの店への招待状の形式にしてくれた。
招待状はファンネルさんが薄荷の納品のついでに郵便局に届けてくれるという。
寮で郵便物は出せるが、寮母さん経由になるので、そのほうが都合がいい。
まったく、至れり尽くせりである。
寮に帰り、魔導式を展開して湯を沸かし、入浴する。
ここのところ、忙しくて、つい魔法を使ってしまう。本格的な冬も間近で日も短くなる。
ファンネルに頼んで半時間ばかり時間を短くしてもらったほうがいいか。
湯に入るといつもより体が重く感じた。
昨日は舞踏会もあったし、今日は矢づくりもした。
日常とは違う時間を過ごして、気分的には高揚しているが、体は疲れているのかもしれない。
暖かいものを食べて早めに寝るのが得策だ。
「なんだか体が重くて。少し頭痛もあるし、喉もかさかさする。今日はイリギスの部屋でお茶を飲むのはよしておくよ」
寮の夕食も七分目にして、ネリキリーはケルンとイリギスに言った。
「大丈夫か」
「熱は?あるなら寮母さんに、医者の往診を頼むか?」
イリギスとケルンが心配してくれる。
「そこまでひどくないよ。舞踏会疲れかな。いつもは使わない体も、気も、使ったし」
「ネル、いつもより背筋がピンとしてたもんな」
ケルンが安心したように言った。
「ケルンだって、僕とか言って、舌が曲がってない?」
それを聞いてイリギスも顔を和ませた。
「イリギスは全曲、踊ってたよね。すごいな」
「イリギスが踊らないと、令嬢達も踊らないからだろ。すると男がさらに余る」
ケルンがイリギスを見て口を出す。イリギスは肯定も否定もしなかった。
ネリキリーは、そんなイリギスを少しからかってみたくなる。
「僕はイリギスが女の子と踊るのがすごく好きなのかと思った」
「それは否定しない」
イリギスの答えに二人は驚いた。
「否定しない!」
「意外に、女好きなのか!?」
ケルンの歯に物を着せない言いようにイリギスは苦笑した。
「女好きと言われると語弊があるな。前にも言ったが、女性と交流するのは刺激的だ」
だろうと、イリギスはネリキリーの目を見ていう。
「いや、微妙に言い回しが違う」
ケルンがさらにいい募ると、イリギスは喉の奥から笑い声をあげた。
ネリキリーは一瞬、言葉を無くし。
「なんだか、余計に疲れた」と背もたれに体を預けた。
「それは悪かった。これを食べれば、少しは元気が出るだろう」
イリギスが、四角い紙に包まれた飴をくれる。
「ありがとう」
素直に受け取ったが、イリギスはいつも飴を持っているのだろうか?
気にはなったが、そこは聞いてはいけないとネリキリーは思った。
「俺には?」
ケルンが欲しそうに飴を見ている。
「ケルンには部屋で焼菓子をふるまうよ」
「なら、いいか」
部屋の前でイリギスと別れる。
ケルンはイリギスとは行かず、ネリキリーと共に部屋に入った。
焼菓子はいいのだろうか。
ケルンは保存箱からなにかを取り出した。
それから彼は水差しから水を汲むと、魔導式で暖める。
取り出したのは乾燥した薄荷。
暖めた杯にケルンはそれを目分量で入れる。
「飴と一緒に飲んでおけよ」
ケルンはネリキリーの机に杯を置くと、返事も待たずに部屋を出ていった。
ネリキリーは言われるままに寝台に腰掛け、イリギスからもらった飴を口に含み、薄荷茶をすする。
飴が溶け終わると、なんだか頭の重い感じと喉の違和感が軽減された。
ネリキリーは立ち上がって寝支度を始めた。
もらった飴はまだある。
寝台の脇にある机の手の届くところに置く。
なんとなく、杯を洗ってしまうのが惜しくてネリキリーは空になったそれを飴の脇に置いた。