表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王道、ふあんたじぃ  作者: 野月 逢生
第一章 
29/90

にじゅうきゅう

 火熨斗(ひのし)をかけた制服を着て、高等学院(リゼラ)の生徒達は令嬢(ベッラ)達が到着するのを待つ。

 一様に真面目な顔を作っているが、一部の例外を除いて心が浮わつくのはしかたない。

 ネリキリーも例外ではない。

 柔らかな微笑みと肢体を持った令嬢(ベッラ)達と間近に踊るのだ。


「俺は身近に姉妹がいるからな。女の見たくない面も知ってるから」

 などとうそぶくケルンだとて、出掛ける前に入念に身支度をしていた。

「ケルンの姉上も妹ごも素敵な方だと思うが」

 ネリキリーもイリギスの意見に賛成だ。

 ちょっと子供扱いされ過ぎな気はするが、みな親切で優しい。

「そりゃ、家のみんなは、お前ら二人にはあまあまだから。二人を連れてこいって、母親(マミヤ)からしてうるさいし。冬季休暇の前に1度は家にきてくれ」

「ケルンの家を訪問するのはやぶさかではないが、このところネルが忙しそうだ」

 イリギスの言葉にネリキリーは首をすくめた。

「ごめん。でも、もう少ししたら一段落つくと思う」


 来る前にした二人との会話を思い出していたら、笑っていたらしい。

「にやけてるぞ」

 とマルトがからかってきた。

「マルトこそ顔がこわばってる。令嬢(ベッラ)達が恐がるかも」

 とネリキリーは返してやる。

 マルトは慌てて顔を手で揉みほぐしていた。

「静かに、入ってきた」


 花のごとき一団が会場に入って来る。

 制服のネリキリー達とは違い、色とりどりだ。

 普通の夜会服より簡素なのは、女学院が用意した型紙を使って、彼女達が自らの手で作るものだからだ。

 なので、上級生になるに連れて手が込んだものになると、昨年の舞踏会で教えてもらった。

 その彼女は、自分のあまり飾り気ない夜会服が恥ずかしいと言っていたが、ネリキリーにはそこが良かった。


 やや長い、リゼラとカルの学長の挨拶が終わり、舞踏会の始まりを告げる音楽が流れた。

 両校の代表達が中央で踊り始める。

 ドーファン上級生やフォーク上級生らが女学院(カル)の美しい令嬢を腕に踊り出した。


 回りの生徒達はしばらくそれを眺めてから、徐々に動き出す。

 踊る相手を見つけるためだ。

 イリギスの回りには声をかけられたい令嬢達が早くも集まっていた。

 その回りには幾人かのリゼラの生徒。

 踊りの相手は一人のため、イリギスが選ばなかった令嬢に声をかけるためだろう。

 何せ、600対450。うかうかしていると誰とも踊れなくなる。


 舞踏会に熱を入れていた、ビーンズら四人は相手を見つけることができるだろうか。

 ケルンなら、人のことより自分のことを心配しろと言うかもしれない。


 ネリキリーはゆっくりと会場を見回す。

 リゼラの生徒に声をかけられた令嬢が笑ったり、はにかんだり、中には少し尊大にうなずいたりして、次々に踊りの輪に入っていった。

 それだけでネリキリーは華やいだ気持ちになり、半ば満足する。


 一人の令嬢と視線が合った。

 誰にもまだ声をかけられていないようだ。

 勇気を出してネリキリーは令嬢に近づいた。

「踊っていただけますか?」

 礼法の講義で叩き込まれた動作で手を差し出す。

 令嬢は目をほころばせて淑女の礼をすると、ネリキリーの手に手を重ねた。

 昨年より幸先がいい。

 もしかしたら、三人くらいとは踊れるかもしれない。


 腕を組んで、踊るための一歩を踏み出す。

 曲は暁の円舞曲。

 三拍子の軽やかで華やかな曲調で、舞踏会の初めに必ず演奏される曲だ。


 失礼のないように手は腰に添えるだけ。


 深夜まで続く大人の夜会ではかなり密着した踊りもあるという噂だけど、ネリキリーにはこれだけでも緊張している。


「ネリキリーさまですよね」

 急に名前を呼ばれてネリキリーは慌てた。

 そう言えば、最初にしなくてはならない名乗りを忘れていた。

 したがって、返礼される相手の名前も分からない。

「はい。そうです、名乗らず失礼しました」

 踊りながら謝る。

 令嬢はくすりと笑った。

「でも、なんで僕の名前を?」

「わたくし、セリア・ルバーブと申します。アンゼリカと親しくしておりますの。あと、シャルロット様とも」

「アンゼリカ嬢の!」

 ネリキリーは人を避けて半回転を入れる。

 セリア嬢の裾がふわりと広がった。

「シャルロット様の言われた通りの方でしたわ」

 含んだような言い方。

 何を言われたのかネリキリーは気になったが、尋ねるのは不粋だろう。

 ネリキリーは少し微笑んで、踊りを続ける。


 やがて始まりの曲が終わり、お互いに礼をして離れた。

「アンゼリカは奥手なので、あまり中央には出てきませんの。わたくし、一緒に行きましょうって誘いましたけど、恥ずかしがってしまって。もし見かけたら、彼女にも声をかけてくださいね」

セリア嬢が友人についてネリキリーに頼んだ。

「ええ、そのときは是非とも」

 ネリキリーはそう答えたし、その言葉には偽りはない。

 でも、自分よりケルンのほうが早く彼女を見つけるかもしれない。


 踊り手の中にはいなかった友人を探して、ネリキリーは会場を見渡した。



 はじめの円舞曲が終わると、しばらくの間があく。

 その間に次に踊る相手を探したり、踊った相手と会話をして親しくなることもままある。

 ただ、セリアはネリキリーから離れたので、別の生徒に声をかけられていた。

 ネリキリーは中央から外れて室内を少し見て回る。

 ルベンス講師が女学院(カル)の講師と話していた。様子の良いルベンス講師をチラチラと見ているカルの学生もいた。


「最初の曲から踊れて幸運(シャン)だったな」

「ケルン」

 後ろから声をかけられてネリキリーは振り向いた。

「彼女、アンゼリカ嬢の友達なんだ」

 だからだよ、とネリキリーは首を少し傾けた。

「アンゼリカ嬢の友人か。で、肝心のアンゼリカ嬢は?」

 ケルンもまだ会ってないらしく、あたりを見回している。

「アンゼリカ嬢は目立つことが好きじゃなくて、後ろのほうにいるらしいよ」

「狩りの時には、なかなか勇ましかったけど」

「猫達を守っている姿はルピュセルみたいだったよね」

 あれは、猫を助けなきゃと無我夢中だったからだろう。


 会場内を右回りに歩く。

 新入生の少女達はまだあどけない。

 固まって、踊るとき足を間違えたと言いながら、その場で足取りをおさらいしていたりした。


「かわいいね」

 ケルンに言う。

「誰のことだ?」

「ほら、あの子たち」

 ネリキリーが視線を向けてケルンに示す。

 自分達が見られているのが分かったのか、相手の子達もこちらを見た。

 ケルンがにこやかに手を降った。

「きゃあ」

 小さいが確かな反応がある。笑っているので好感触だ。

 ケルンは気をよくして相手に近づいて行く。


「ごきげんよう」

「「「「ごきげんよう」」」」

「僕は、リゼラのケルン・ランバートと言います。後ろにいるのは寮で同室のネリキリー・ヴィンセント」

 ケルンはなめらかに自己紹介をして、ついでにネリキリーも紹介した。

「クレア・マージョラですわ」

「わたくしはジョゼット・ライダーです」

「シンシア・パンジエと申します」

「キトリ・モリエルと言いますの」


「皆さんは新入生ですね。昨年、お見かけしなかったから」

 ケルンが令嬢のひとりひとりに笑いかける。

「そうですの」

「9月に入学したばかりですわ」

「ケルン様達は?」

「舞踏会がこんなに盛大だとは思いませんでしたわ」

「僕達は二人とも三年次です。そうですね。僕らも初めて舞踏会に参加した時は驚きました。そうだよね?ネル」

「ええ、僕は三回目ですが、いまだに慣れません」

 ネリキリーはかしこまって言った。

「まあ、そうですの」

 安心したようにキトリ嬢が笑顔をみせる。


「三年次とおっしゃいますと、イリギス・グラサージュ様と同じ学年でいらっしゃる?」

 シンシア嬢がイリギスの名前を口にした。

 王立女学院(カル・デ・リア)にもイリギスの名は有名だ。

「イリギスとは同じ寮です」

 ネリキリーが答えるとケルンがすかさず言った。

「僕達、三人は親友ですよ。リゼラでも三人で一組と言われているくらいの」

「そうですの?」

 しかし、イリギスはここにはいない。

 少しだけ不信げにクレア嬢が目を大きく開く。

「イリギスは美しい方々が回りにいますから。今はその方達に隣を譲るのが友情の証ですよ。僕らは明日からも同じ寮で過ごしますしね」

 ケルンはイリギスがいる人だかりに目を向けて、苦笑すれすれの笑いをもらす。

 それに僕らも、花のような方とお話ししたいから、と小さく呟く。

 花に例えられた少女たちは、みるまに顔を明るくした。


 折よく舞踏の前奏が始まる。

 4組で踊る、クワドリユ。

「クレソン、ルシュー」

 近くにいた、いや、近づいて来ていた二人にケルンが声をかけた。

優しきお嬢さん(ラ・ベッラ)、クレソン・ホワイエと申します」

「ルシュー・アルマンドです」

 優雅にお辞儀をするクレソンと固い感じで会釈するルシュー。いつもながら見事な好対称だった。


 8人は男女二人に別れて、四角くを作る。

 右手を垂直にあげて、手のひらを合わせる。

 向かい合って踊る円舞曲とは違い、触れあうのは手のひらだけ。

 旋律が一区切りつくと、相手を右回りに交代する。

 それが四度繰り返され、一巡すると踊りはおしまいになる。

 向かい合って踊るのに慣れていない新入生にはぴったりだ。

 ネリキリーもこれなら、あまり緊張しないで踊れる。


 前奏が終わり、合わせた手のひらを外さないように回転を始める。

 左手は自分の腰に。

 恥ずかしがらず、背を伸ばして。

 講師の言葉を頭で追いながらネリキリーは四人の令嬢達と次々に踊った。




 序盤で五人の令嬢と踊り、なんだか達成感を得たネリキリーは、ケルンと離れて壁際にある飲み物を取りにいく。

 飲み物を選んで中央付近を眺めると、イリギスが一人の令嬢の腕を取っている様子が目に入った。

 イリギスが令嬢に何事かささやくと、令嬢の顔がこちらを向く。


 アンゼリカ嬢だった。


 よく見るとそばにはセリア嬢の姿もあった。

 彼女がアンゼリカ嬢を中央につれてきたのだろうか。

 飲み物を片手にアンゼリカ嬢を探してみようかと思っていたネリキリーは、なんとなく出遅れた気分になる。


 そんな気分を吹き消すようにアンゼリカ嬢がネリキリーに小さく手を振ってきた。

 思わずネリキリーも手を振り返した。


 しまった。

 ここは大人っぽく、手にした杯をあげて応えるべきだったか。


 近くまで行こうか。

 ネリキリーが迷っているうちに次の曲が始まる。

 曲は違うが再び円舞曲。


 イリギスがアンゼリカ嬢の腕を取ったまま、流れるような動作で彼女を踊りに誘う。


 向かい合って踊る二人。なめらかかな足取りで人々の間をぬっていく。


 アンゼリカ嬢は踊りが上手いんだな。


 イリギスの舞踏の先導は抜群であるが、それに合わせるアンゼリカ嬢の足さばきも優雅で軽やか。

 踊っていない人々が見とれていた。


 音楽の余韻と共に踊っていた人々が礼をする。

 イリギスはアンゼリカと離れるかと思いきや、彼女の腕を取ったまま、会場内を横切ってネリキリーに近づいてきた。



「ごきげんよう。ネリキリーさま」

 ようやくイリギスのエチケートの腕が離れ、アンゼリカ嬢がネリキリーに淑女の礼を取った。

 飲み物を手にしたままだったネリキリーは、少し不恰好な紳士の礼をする。

「お久しぶりです。ベッラ・アンゼリカ」

「はい、お久しぶりです。と言っても、お名前はよく耳にしているのですけれど」

 ふわりと笑い、ネリキリーを見てから、イリギスを見上げるアンゼリカ嬢。


「それはシャルロット嬢から?」

 イリギスが優しげに尋ねた。

「ええ、弓をお買いになったとき、ネリキリーさま達三人にお会いしたと嬉しそうにおっしゃっていましたわ」

 シャルロットのその時の様子を思い出しているのか、アンゼリカ嬢は指を唇に当てて楽しげにする。


「アンゼリカ嬢」

 ケルンが足早に寄ってきた。

 後を追いかけるように、クレソンとロイシン、ネリキリーと入れ違いにキトリ嬢と踊ったジャンニ、女学院(カル)の新入生のクレア、ジョゼット、シンシア、キトリもこちらに来る。


「ケルンさま、ごきげんよう」

 声をかけられたアンゼリカがケルンに礼をする。


「ごきげんよう、ベッラ・アンゼリカ。再びお会いできてうれしいです。隣の令嬢はご友人ですか?僕はケルン・ランバートと言います。お見知りおきを」

 セリア嬢にもケルンは挨拶を返した。


 集まってきた他の三人の同級生と女学院(カル)の四人の令嬢も挨拶を行う。


アンゼリカ上級生(カーラ・アンゼリカ)は、イリギス様達とお知り合いでしたのね」

 シンシア嬢がアンゼリカ嬢に話しかけた。

 彼女の視線はイリギスに向いており、彼に話しかけたいが、それが出来なくてアンゼリカ嬢に話しかけたことが見てとれる。


「ええ。先だって父がご友人のボート伯爵さまに狩りに招かれた際に同行いたしまして、イリギス様を始め、何名かのリゼラの方と、ご面識をえましたの」

「そうでしたのね」

 クレア嬢が相槌をうった。

 キトリ嬢がなにか言おうとして、口を開きかけたが、すぐに口をつぐんでしまう。

 先程、舞踏の足取りを確かめていた元気はどこへやらである。


「ああ、先月三人で外泊したのは、狩に行ってたのですね。獲物はなんでした?」

 ルシューがイリギスに向かって問いかけた。

 そういえば飛びかまきり(グルーマント)の種の固定化のことがあるので、リゼラでは狩りの話題をほとんどしていなかったことにネリキリーは気がついた。

 シュトルム・エント・ドラクルや試験もあったのでなおさらだ。


怪角鹿(エゾック)ですよ」

 イリギスの代わりにケルンが答えた。

「かなりの数が捕れて、夜の宴会に供されました。僕らも何頭か狩って」

「やはりイリギス様が一番多く、仕留めましたの?」

 クレア嬢がイリギスに話しかけた。

「いえ、三人で協力して仕留めましたから」

 イリギスはかぶりを振った。

「一番始めに怪角鹿(エゾック)を仕留めたのはネル、ネリキリーですよ」

 イリギスがネリキリーに向かって微笑んでくる。

「運が良かっただけです」

 ネリキリーはわずかに頭を振った。


「そんなことはないだろう。皆さん、ネリキリーはね、こんな顔をしてるのに、高等学院(リゼラ)猛犬(セタンタ)と呼ばれているのですよ」

 クレソンがネリキリーのあまりありがたくないあだ名を披露する。

猛犬(セタンタ)

 ジョゼット嬢が呟くと皆の目がネリキリーに集まる。

 ネリキリーは反応に困った。

 そんなネリキリーを救ってくれたのはアンゼリカ嬢の友人のセリア嬢だった。


猛犬(セタンタ)といえば、英雄クランの忠犬ですわね」


「よくご存じですね。英雄クランの物語は、北に浮かぶルウグ島の古文詩にわずかに残るだけなのに」

 イリギスが感心した声音でセリアを称賛した。

「英雄クラン?知らないな」

 何でもよく知っているケルンも頭をひねる。

「イリギス様、どんな話ですの?」

 ジョゼットが顔を輝かせて尋ねた。


「英雄であるクランが活躍している話はほとんど伝わっていないのですが、クランの死に際に出てくる大きな犬の箇所は写本が残っているのですよ。

 主、というよりは友達ですね。クランと犬は兄弟のように育ったとありますから。そのクランの異変を感じとり、犬が戦いの場へ駆けつけます。しかし、犬が見つけたのは、鼓動を打たなくなったクランの亡骸。

 そこへ敵が、クランの亡骸を馬に繋いで引きずり回そうと近づいてきます。

 賢い犬はその敵に挑みかかり、味方がくるまでの三日三晩亡骸を守り通すと言う物語ですよ」

 イリギスが、古文詩の内容を簡単に説明した。


「ルウグ語の語源では、セタ・ワンタ。猛々しいと言うよりも、すごいとか驚異的(ワンタ)(セタ)を意味しているそうですわ」

 セリア嬢が説明を付け加える。

「では、とても良い犬ですのね」

 キトリ嬢がにっこりと皆に笑いかけた。

「そうですね。とても友達思いの犬です」

 イリギスがキトリ嬢の言葉を肯定した。


「イギリス様は幻獣国、オーランジェットのお方。だから、動物にゆかりのある伝承をいろいろご存じなのですね。実際に幻獣をご覧になったこともおありなのでしょう?」

 セリア嬢が興味深げに幻獣について訊ねる。

 狩りの時に天馬(アイオーン)を見たネリキリー、ケルン、そしてアンゼリカはお互いにちらりと顔を見合わせた。


 オーランジェットからの天馬(アイオーン)に乗った冒険者の来訪は箝口令が敷かれてはいる。

 狩りの行われた場所は、オーランジェットの国境と近く、住む人も少ないが、誰かが空飛ぶ馬を見ていてもおかしくない。


神聖白鳥(グレイスブラン)は冬になれば毎年、ティレニア河に現れますね。天馬(アイオーン)は騎士が良く乗って伝令を運びますから、一番見かける機会が多いですね。他国にもまれには、伝令で来たりしているようです」

 オーランジェットで幻獣を見るのは、さほど珍しいことではありませんとイリギスは言う。


「夜、小人ノルルンのために牛乳や菓子を用意するのは当たり前に行います。ただ、この小さな人と呼ばれる妖精属のほうが人に姿を見せません。幼い子供は別ですけれど」

「小人ノルルンの夜食はうちでもやっていたよ。夜食が減ることは滅多になかったけど」

 小さい頃は小人が現れないか、起きていようとしたこともあるな、とネリキリーは懐かしく思う。

「夜の窓辺の牛乳は、私の家でもやりますわ。ただ、今は牛乳は子猫がなめてしまっているようですの。小人が子猫に捕まえられてしまわないかと、心配してしまいます」

 アンゼリカがため息をついて笑いを誘う。


「ノルルンの夜食って、妙に美味しそうに見えますよね」

 クレソンが言えば、

「横取りしたら、虫歯が腫れるぞ」

 とルシューが真面目な顔をして言った。


 話をしているうちに、次の音楽が始まる。

 ポンテポンチだ

 踊りというより、遊戯と言っていい。

 一組の男女が向かい合って決まった手踊りをする。

 それがだんだん早くなり、間違えるか、どちらかがついていけなくなったらやめる。

 どの組が最後まで残るかを皆で見届け、残ったものはなにか贈り物を貰える。


 ケルンがアンゼリカと組になった。

 ネリキリーはキトリと。

 イリギスはセリアを相手に選んだ。


 皆がいち、に、さんと数えて、遊戯が始まった。



 ネリキリーたちは半分ほど減ったところで脱落した。

 その少し後にイリギスとセリアたちも終わり、ケルンとアンゼリカはかなりいい線までいってから、降りる。

 最後に残ったのはリゼラの二年次とカルの一年次の二人。

 だいたい毎年、下級生が残るのは、年が上のものがある程度で自らが降りてしまうからだった。

 最後まで残った二人に銀細工の小さな葡萄の襟飾りが贈られた。

 ポンテポンチが葡萄踏みから発生した遊戯の踊りであることにちなんだ贈り物である。


「テレーズが残りましたわ」

 キトリがつぶやく。

「お友だち?」

「組が同じなので、お話しをいたしますわ」

 組が同じで話をするなら、男なら友達のくくりだ。女の子同士が友達になるには、それに加えて何かが必要らしい。

「彼女のおばあ様は、オーランジェットの方だと伺っていますわ」

「そうなんですね」

 ドーファン上級生は、オーランジェットとカロリングの交流が少ないと嘆いていたが、恋は国境を越えるということなのか。

 ファンネルの母上もオーランジェットの方だと言っていたな。とネリキリーは思い出す。


「テレーズを祝福しにいかなくては」

 ネリキリーはキトリを近くまでエチケートしてから、その女の子達の一団から距離をおいた。

 一曲目から立て続けに踊ったので、緊張からか、少し疲れていた。

 去年の例でいくと、次は早い曲調のレヒトポレ。

 そして、その次は普通よりゆっくりとした円舞曲が流れるはずだ。


 会場を出て柱にもたれて休む。

 人々の集う賑やかさは充分に感じとれる距離。

 何を話しているのかはわからないがざわめきが耳に届く。


「一人でいると丘の踊り手に招かれてしまいますわ」

 アンゼリカ嬢が柱の影にいたネリキリーを見つけて声をかけてきた。

「ケルンは?」

「セリアと踊っていらっしゃいますわ」

 ふわりとアンゼリカ嬢が微笑んだ。

「僕よりアンゼリカ嬢のほうが丘の踊り手に目をつけられそうです。あんなに踊りが上手いとは思いませんでした。イリギスとも呼吸がぴったりでしたね」

「イリギス様は踊るのがお上手ですわね。ケルン様も」

 アンゼリカ嬢が講堂の中に視線を向けた。


「セリアのおかげで無事に任務を終えられそうです」

 アンゼリカ嬢の瞳が会場からの光を受けていたずらっぽくきらめく。

「任務?」

「賢いトルファンの飼い主からのご依頼ですわ。わたくしの代わりに三人と踊ってきてと」

「シャルロット!」

「わたくし達、親友になりましたのよ」

 アンゼリカ嬢はシャルロットと同じことを口にした。

「特にネリキリー様のことは、どんな様子だったか教えて欲しいと厳命されてますの」

 慕われておいでですわね、とアンゼリカ嬢は優しく言う。

 ここまで言われて、踊りに誘わない男はいないだろう。

 ましてや、顔は会場を向いているが、もれている光で、相手の耳が上気しているのがわかるのに。

 舞踏会で男がご婦人を誘うのは不文律。

 それを遠回しとは言え、アンゼリカ嬢は女性から誘いをかけてきている。

 かなり勇気のいることだったろう。


 ネリキリーは腕を差し出した。

 しとやかな仕草でアンゼリカ嬢が手を置く。

 背は同じくらいだが、彼女は踵の高い靴を履いているので、いくらか彼女のほうが高い。

 実は、舞踏用に男にも踵の高い靴はある。

 昔は丈の短いショルパルを履いて踵の高い靴を履くのが正装だった。

 今でもオーランジェットではそのような姿をする式典もあるとイリギスが言っていた。



「セリア嬢が貴女はあまり目立つのはお好きじゃないと」

 会場に入りながら中央には向かわず、端のほうで流れ始めた円舞曲に合わせて踊る。

「踊るのは楽しいです。でも、動くなら乗馬や庭の手入れをしているほうが好きですわ。ネリキリー様は?」

「僕も踊るよりファンネルさんのところで草木の世話をしているほうが楽しいです」

「ファンネルさん?草木のお世話?」

 アンゼリカ嬢が疑問の色を浮かべてネリキリーの言葉を繰り返した。

 友人達にも詳しくは話していないファンネルの手伝いについて、ネリキリーはアンゼリカ嬢に洩らしてしまう。

 頭の片隅に彼女がファンネルと同じ薬茶師(ヴァリスタ)を目指していることがあったためか。

「リゼラの(マター)の紹介で卒業生のファンネルという方のお手伝いを少ししているのですよ」

 ネリキリーはケルン達にもしている説明をする。


「ファンネル様と言うと、もしかして特級ヴァリスタのファンネル・メルバ様ですか?」

 驚いたことにアンゼリカ嬢はファンネルの名前も職業も知っていた。

「ご存じなのですか?」

薬茶師(ヴァリスタ)を職業としている人の中では、有名な方ですもの。わたくし、ヴァリスタ組合の発行誌を読んでおりますし」

 ネリキリーはまるで知らなかった。

 ヴァリスタ組合がそのような物を発行していることもだ。


 曲が終わる。

 二人はそのまま隅の壁際の目立たない場所に移動した。

 イリギスとその傍らにいるケルンやクレソン達はカルの生徒に、また取り巻かれていた。

 ドーファン上級生達もその輪に入っているから、目立つことこの上ない。

 そこだけ光が当たっているかのようである。


「ドーファン上級生達とは踊らなくて良いのですか?」

「シャルロット様に頼まれておりませんもの」

 アンゼリカ嬢はかぶりを振った。

「先ほどヴァリスタ・ファンネル様のお手伝いをしているとおっしゃっていましたが、どうしてですの?ネリキリー様はヴァリスタを目指していらっしゃる訳ではないでしょう?」

 小声でアンゼリカ嬢が尋ねてくる。

「たまたまです。自由時間に何か仕事をしたいと師に相談に行ったら、ちょうどファンネルさんがいらっしゃって」

「望む時に望む相手に会う、まさしく良き縁ですわ」

「ええ、良き縁を得ました。明日もシャルロットの矢を作りに……」

 ネリキリーはまた失言をする。

 アンゼリカ嬢には、人の口を軽くさせる魔法でもかかっているのだろうか。

 ネリキリーは、シャルロットへは内緒にしてくださいね、と念を押して、誕生日に矢を贈ろうと思っていることを打ち明けた。


「あとは矢に使う羽をどうするかなのですが」

「それでしたら、わたくしがご協力いたしますわ」

 アンゼリカ嬢の申し出にネリキリーは意表をつかれた。

「このところ、猫達が鳥を捕まえて、わたくしのところに持ってきてくれますの」

 贈り物や家賃と呼ばれる猫の狩りの習性はつとに知られている。

「かなり大きな鳥もいて、この間は小白鳥を捕ってまいりました。怪我をしているだけでしたので、今は家で養生させていますわ」

 アンゼリカ嬢はその鳥の抜け落ちた羽を譲ってくれるという。

「ですので、ヴァリスタ・ファンネルのお屋敷にわたくしがお持ちしますわ」

「でも、一人で来るわけにはいかないでしょう」

「もちろん、付き添いが誰か同行いたしますわ。馬車で参りますから、御者もおります」

 そう言ってから、アンゼリカ嬢は顔を曇らせた。

「ファンネル様とご面識もなく、ご都合も聞かず先走ったことを申しましたわ」

 羽根はリゼラの寮に届けますわね。と気落ちした様子だ。

「いえ、明日、アンゼリカ嬢に来ていただいても大丈夫かどうかファンネルさんに確認します。僕としてもファンネルさんのところで作製するので、その方がありがたいです」

 それに。

「アンゼリカ嬢はシャルロットの親友でたびたび会うのでしょう?その時にシャルロットに貴女からだと贈ってください。矢は僕が造ったとシャルロットに伝えてもらえれば、うれしいですが」

「確かに、わたくし誕生日のお茶会にご招待されておりますが」

「なら、ちょうど良かった。どうやって渡そうか、少し悩んでいたので」

 壊した弓の代わりなら、ドーファン上級生に頼む理由も立つが、誕生日に贈り物を渡すのは、どう思われるか。


 それならとエッセン氏に言付けようかとも考えていた。


 しかし、アンゼリカ嬢からの贈り物なら、ボート伯爵家も他意なく受け取ってくれるにちがいない。


「ネリキリー様がおっしゃるのでしたら」

 アンゼリカ嬢は、準男爵の令嬢であるベッラ・アンゼリカは、少しだけぎこちない笑みを浮かべてうなずいてくれた。



「ファンネルさんは有名だと先ほど口にしてましたが、どのように?」

「ヴァリスタ・ファンネルは、オーランジェットでも有名なヴァリスタ兼冒険者の唯一の弟子で……、あら、あの方」

 アンゼリカ嬢がネリキリーの問いに答えようとした時に、彼女は急に話をとぎらせた。

 アンゼリカ嬢の向いた視線の先には、一人の令嬢がいた。中央のイリギス達が談笑している場所に近づいていく。


 少女の足取りはぎこちなく、踵が高すぎる靴を履いていることが端からみて分かる。

 ネリキリーはアンゼリカ嬢と一瞬、目を合わせてから中央へと歩む。


「ベッラ、手をお貸ししましょう」

 ネリキリーは少女に声をかけた。

 男性のエチケートがあれば、少しは楽になるだろう。


「カルラ・ハリエット」

 少女はネリキリーの申し出を断ち切るように、彼が知らない上級生の名前を呼んだ。

 ドーファン上級生の近くにいる令嬢がこちらを振り向いた。

「マーリ・ミリエル、こちらよ」

 その呼びかけで二人がカルラ・マリと呼ばれる義理の姉妹関係を結んでいると分かる。


「ドーファン様、彼女は私の心の妹(マーリ)ですの。あの子は、昨年の騎馬試合の勇姿を見て、あなた様に憧れていますのよ」

 ドーファン上級生への思慕を(あらわ)にされたミリエルは顔を赤らめる。

 しかし、歩みは止めずに二人に近づいて行った。

 少女に道を開けようと人々が動く。

 ドーファン上級生のそばまで来たミリエル嬢は、緊張した面持ちで挨拶をした。


「初めまして。ミリエル・クラプトンです」

 ミリエルは夜会服の裾を持ち上げて、腰を落として、頭を低くする。淑女が行う最大級の礼。

 しかし、頭を上げて立ち上がろうとした彼女の体が傾いだ。


 そのまま、床に倒れそうになる。

 ドーファン上級生が手を伸ばして支えたが、彼女の足に力が入っていない。

 ドーファン上級生を支えにかろうじて立っているありさまだ。

 突然の出来事に会場がざわめいた。


「まあ、ミリエル、どうなさったの」

 ハリエット嬢がドーファン上級生に寄り添い、少女の顔を覗きこんだ。

「靴の踵が取れてしまって」

 ミリエルは羞恥のためか、声を震わせていた。

 高すぎる靴の踵が折れて体の均衡がとれないようだった。

 彼女の足下に折れた時に脱げたのか、靴が転がっていた。

「ドーファンさま、失礼いたしますわ」

 セリア嬢が近づいて、靴と踵をためらいなく拾い上げた。

「ミリエル、これを履いて爪先立って歩けるかしら?」

 セリア嬢がミリエル嬢に問いかけると、相手は心もとなげに首を振った。

「私が別室に抱いて連れていきましょう」

 ドーファン上級生が申し出た。

「ドーファン様、なんてお優しい」

 ハリエット嬢が感嘆する。

 ドーファン上級生はそれには反応せずにミリエル嬢を抱き上げて別室に去っていく。

 ハリエット嬢とセリア嬢が後を追った。


 四人の姿が見えなくなると、息を吹き返したように音楽が流れた。

 音楽に後押しされるように、みなが踊り始める。


 一曲も終わらないうちにドーファン上級生が会場に戻ってきた。

「ミリエル嬢は?怪我をしていたか?」

 踊らずにいたフォーク上級生らがドーファン上級生に尋ねるのが、同じく踊らなかったネリキリーの耳に入る。

 そばにいたケルンも何気ないふりをしていたが、気にしている感じが分かる。


「いや、突然のことに驚いていただけだ」

「なら、いいが。付いていなくてよいのか?」

「私がか?男の俺に出る幕はないよ。後からカルの講師とアンゼリカ嬢が、暖かい香草茶を持ってきてくれたしな。後は彼女らに任せて来た。セリア嬢も、後輩の面倒は自分達でいたしますと宣言したから」

 やれやれと言った様子で、上級生達が苦笑いをしていた。


「アンゼリカ嬢は優しいな」

 ケルンがネリキリーだけ聞こえるようにささやく。

 ネリキリーは無言でうなずいた。


 次の曲が始まると、ドーファン上級生らは何事も無かったように、令嬢を誘って踊りだした。


 アンゼリカ嬢とセリア嬢は舞踏会を締めくくる「サクレット・サクレ」が始まる前に戻ってきた。

 ミリエル嬢とハリエット嬢の姿は見えない。


 男女が大きな円を描くようにして踊る最後の円舞曲。

 アンゼリカ嬢はドーファン上級生と、セリア嬢はフォーク上級生に誘われていた。


 イリギスは、回りを取り囲む令嬢の一人と、ケルンは商会のお得意様のご令嬢の腕をとっている。


 ネリキリーは、あぶれた男子たちとその様子を見守った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ