にじゅうはち
イリギスに贈られた短剣と自分の鎌を持ってファンネルの屋敷に向かう。
弓をシャルロットに贈るのは無理だが、ファンネルとの約束を反古にするわけにはいかない。
それにネリキリー自身、庭に愛着ができていた。ファンネルも良い人だ。
「なんだか今日は元気がないな。試験の疲れが出てきた?」
「今日は曇りだからかも。夕方には雨になりそうな空ですよね」
ネリキリーはどんよりとした空を見上げる。
夏から秋、そして晩秋へ。だんだんと雲が多くなり、初冬には雨が多くなる。雪は王都では冬でも毎日ふるわけではないが、降り積もることもあった。
「早めに必要な薬草や香草を摘んでしまおう」
二人は黙々と草を摘む。
精をだしたせいか昼前には目標分を集めていた。
「今日の昼ごはんはもう作ってあるんだよ。あとは暖めるだけ」
楽しげにファンネルは鍋を火にかけようとする。
温めるだけなら魔法を使ったほうが早い。
「温めの魔法は使わないのですか?」
「微調整を上手くできないんだ。失敗して黒焦げになったら嫌だし」
温めの魔法で黒焦げとは、上手くできないという表現は穏やかすぎるのではなかろうか?
「僕がやりましょうか?」
「ネリキリー君は魔法学が得意だったね、では、お願いしようかな」
今日の昼食は挽き肉のグリンボ包み。鶏ガラの汁で一度煮てある。
「別に赤ナスのたれも作ってあるから、味に飽きたらかけて」
ネリキリーは魔導式を展開した。
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50を数えるほどで鍋の中の料理が温まる。
ついでに赤ナスのカレームも温めておく。
深い皿に挽き肉のグリンボ包みがスープとともによそわれる。
昨日焼いたナーンは少し硬くなっていたが、スープに浸して食べれば良いだけだ。
すでに昼食は食堂で食べずに、台所で食べるのが習慣になっていた。
運ぶ手間も省けるし、料理も冷めない。
食事は温かく、今日のような天気にはぴったりだ。
香草を使ってあるのか、家で母さんが作っていたものとは少し風味が違った。
暖かな自分の部屋に野の花を控えめに飾ってあるような印象だ。
「ファンネルさんの作ってくれるご飯はいつもおいしいです。いっそのこと、店に料理もだしたほうがいいのではないですか」
「姫茴香の種子焼菓子くらいなら出せるけど、私はヴァリスタだからね。それに人手も足りない」
そう言いながらもファンネルは残念そうだった。
今までの様子からすると、彼は料理を人に食べてもらうのが好きなのだ。
勝手口の呼び鈴が鳴る。
「昼食中なのに」
ファンネルは食事を中断して勝手口に向かう。
扉を開けるとルベンス講師が立っていた。
「ごきげんよう。さようなら」
ファンネルはそう言って扉を閉めようとした。
しかし、ルベンス講師のほうが一歩早く扉の中に入ってしまう。
「よう、勤労少年、仕事は順調か?雇い主にこき使われてないか?」
ルベンス講師は、片手を挙げてネリキリーに挨拶をよこした。
「順調だと思います。こき使われてなんかいませんよ。ファンネルさんのほうが僕よりよっぽど働いていらっしゃるし」
ネリキリーがいつものように返事をするとファンネルがどうだと言わんばかりにルベンス講師を見た。
「それなら、良かった」
ルベンス講師は当然のように卓に座った。
「ネリキリー君の様子は分かったでしょう」
とファンネルが扉を示した。
「いやいや、ちゃんとした昼食を食べているか、検分しなきゃならん」
つまりは昼食をよこせと言うことだ。
「後で、家の掃除を手伝ってもらうぞ」
ファンネルはそう念をおしながら、ルベンス講師に挽き肉のグリンボ包みを提供する。
中断された食事が再開された。
ルベンス講師が食べながら、ネリキリーをいぶかしげに見た。
「こき使われてないと言ってたが、なんだか元気がないように見えるぞ」
「試験後でもありますから」
ネリキリーは苦笑した。
「試験が終わったとたん、リゼラの校舎から満面の笑みで出て行ってたようだが」
「私も今朝からちょっと気になってた。ネリキリー君は今日は覇気がないなって。さっき天気のせいだと言ってたけど」
ファンネルも重ねて言った。
「昨日は、三頭犬で連れだって出掛けたそうじゃないか。何かあったか」
ルベンス講師は鋭い。
「実は、弓を贈ろうと思っていた子が、弓を購入する場に立ち会いました。だから、僕からは必要ないなと思って。少しがっかりしてるんです」
その気持ちが表に出ちゃっていたのかも。
とネリキリーは頭をかく。
「僕って子供ですね」
「子供だな」
「子供だね」
間髪入れずにファンネルとルベンス講師が返してきた。
その後でこう言った。
「「弓がダメなら、矢を贈ればいいだろ(良いでしょう)」」
そんなことはまるでネリキリーは考えなかった。
そうか、矢を贈ろう。
二人の言葉にネリキリーは勇気づけられた。
「矢を贈る」
ネリキリーは口の中で繰り返す。
「矢だったら、それほど高くないし、なんなら手作りも出来るだろう?」
ルベンス講師はおかわりと皿をファンネルに差し出した。
「まだ働いてないのに、遠慮がないな。……弓も手作りは出来るが、貴族の令嬢が、手作りの弓を受けとるとは思えない。本人が良くても家のほうがね。矢のほうが受けとりやすいんじゃないか」
文句を言いながらも、ファンネルはルベンス講師に挽き肉のグリンボ包みをよそってあげていた。
「矢の材料なら、枝打ちしたこの庭の枝を使えばいい。矢だけだと淋しいから香草茶も分けてあげるよ」
ファンネルが親切に言ってくれる。
「ありがとうございます。甘えさせてもらいます」
ネリキリーは頭を縦に振って礼を言う。
「じゃあ俺は、女性が喜ぶ恋愛詩でもみつくろってやろうか」
ネリキリーはルベンス講師の言葉に今度は頭を横に振った。
「とんでもない。相手は七歳ですよ」
「そんなに幼いのか?」
「僕、子供用の弓を買いたいって言いましたよ」
「子供用って言っても、12か13か、そこらあたりだと思っていた」
「私も」
ルベンス講師達にとっては、12、3歳でも子供なのだ。ネリキリーが子供なのと同じく。
「その七歳のお嬢さんの誕生日が近いと言っていたね。いつなの?」
ファンネルが尋ねてきた。
「正確な日付は知りませんが、12月の中頃みたいです」
「舞踏会が来週の土曜日だから、晴れたら日曜に枝打ちをしようか。今日は雨になりそうだし。枝打ちをするなら半日は時間が欲しい」
「じゃあ、俺も来るかな」
ルベンス講師がなにげなく言った。
「引率で疲れてるんじゃないか?枝打ちの手は欲しいが」
「平打ちの麺が食べたいんだよな。こっちでも出す店はあるが、お前のが一番うまい」
ルベンス講師は昼食の献立について注文を出した。
「まあ、それくらいなら」
誉められてまんざらでもないのか、あっさりとルベンス講師の注文をファンネルは請け負った。
ネリキリーとしても否やはない。
来週の日曜日がとても待ち遠しいものになった。
◇◇◇
試験明けの月曜日の朝、校舎へ向かう生徒の足取りはどこか落ち着かない。
朝一番に張り出される試験の順位表のせいだった。
上位だけとは言っても、そこは王立高等学院の生徒。
一度でもその中に入ることを望む。
ネリキリーは自分のこととは別に落ち着かない気持ちで向かう。
イリギス、ケルンと連れだって校舎に入る。
イリギスはわざわざ張り出しを見に行ったりしない。
誰かがその前に教えてくれるからだ。
「イリギス上級生、今回も総合一位でしたよ」
下級生の一人が憧れるような目をして告げた。
名前がすぐに出てこないから、他の寮の者だろう。
「マルメロ、教えてくれてありがとう。努力した甲斐があったよ」
唇を微笑みの形に上げて、イリギスは下級生に礼を言った。
他の寮の下級生の名前まで覚えているのか。
やはりイリギスはさすがだ。
ネリキリーは感心し、わが身を省みて、自分も見習わなければと思った。
マルメロと呼ばれた下級生の後ろから、ビーンズが飛び出してきた。
「やりました!ネリキリー先輩。俺、魔法学、30位です」
抱きつかんばかりの勢いでビーンズがネリキリーに言った。
「本当に?それはおめでとう」
ネリキリーも笑顔を見せた。
「他の三人は張りだされてないけど、かなり手応えがあったみたいだから、舞踏会はバッチリです」
気になっていた四人の下級生の魔法学の成績が、大丈夫だと知ってネリキリーは胸を撫で下ろす。
「ネリキリー上級生も魔法学、一位でしたよ。二位はイリギス上級生。これで4連続一位ですね。それに、ネリキリー上級生は総合も14位。天才は天才を呼ぶんですかね」
ビーンズは、イリギスに屈託ない笑顔を向けた。
「俺はどうだった?」
ケルンが自分を指差した。
「すみません。ケルン上級生名前は注意して見てませんでした」
やはりビーンズは屈託ない笑顔でケルンに答えた。
「まったく。じゃ、俺の成績を確かめに行こうぜ」
肩をすくめてケルンが先を歩き出した。
ネリキリー達はその後を追った。
なぜかビーンズもマルメロも後を付いてくる。
順位が張り出された壁の前に人だかりができていた。
総合は右手に一番大きく張り出される。
一位はイリギス、二位はフェノール。ここはほとんど不動の二人。
三位は、ルシュー。監督生なだけはある。運動面の点数が高いだけでなく、まんべんなく点数を取っている。
ネリキリーはビーンズが教えてくれたように、14位。
今までの最高順位だった。
躍進の鍵は経済学と言語学。
ファンネルのところで働く後押しをしてくれたディゴヤ師とルベンス講師二人に応えたいと力をいれた。
言語学は9位。経済学は24位。二人に胸を張れる成績だと思う。
ケルンは、経済学が一位。総合で、22位になっていた。
「ケルン上級生もすごいんですね」
ビーンズが感心した声をあげた。
「まあな」
ケルンが髪をかきあげる。その唇の端が微妙にあがっていた。
「ところで、イリギス上級生、ネリキリー上級生、ケルン上級生、舞踏会では成績順に女子を選べるって噂があるんですけど、それって本当なんですか?」
ビーンズが不穏なことを言ってきた。
隣のマルメロも耳をそばだてている気がする。
「馬鹿な噂だ。そんなことはない。第一、踊りを申し込んで、承諾するかしないかは令嬢が判断することだ」
イリギスが嘆息した。
「そうなんですね。30位に入ったから、ちょっと期待したのに」
ビーンズが肩と声を落とす。
「でも、成績順じゃないってことは、その場の態度でいくらでも機会があるってことじゃないか?」
ネリキリーは慰めるように声をかけた。
「紳士的で優しい態度が女心をくすぐるのさ」
ケルンもおおいに同意する。
「そうですね。イリギス上級生達を見習って努力します」
ビーンズは力強く言ったものの、「でも、イリギス上級生とは資質が、違うからなあ」と彼は小さく呟いていた。