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王道、ふあんたじぃ  作者: 野月 逢生
第一章 
27/90

にじゅうなな

 二度目になるエッセン氏の店への訪問は、思いがけない人との再会でもあった。


 ボート伯爵令嬢のシャルロットである。


 家格の高い貴族の家では、店のものが貴族の屋敷に品物を持っていくのが慣例だという。

 しかし、最近では家に持ち込まれる一部の品ではなく、より多くのものから選びたいという要望。

 上流階級の女性の間で十年ばかり前から、女性同士の外出が流行となっていること。

 なので、上流階級の奥方たちが、連れ立って「一流店」に足を運ぶのだとケルンが耳打ちしてきた。


「まあ、これはイリギス様、偶然でございますわね」


 声をかけてきたのは、馬車から降りたボート伯爵夫人からだった。

「先日はご招待ありがとうございます。おかげで三人とも楽しい時間をすごせました」

 イリギスはそつのない挨拶を返した。

 ボート伯爵夫人の後ろには小さなシャルロットの姿があった。ややうつむき加減なので、大人しい深窓のご令嬢に見えた。


「シャルロット、ご挨拶を」

「ネリキリー様、ケルン様、イリギス様、ごきげんよう」

 微笑みながら挨拶する唇が、いたずらっぽく思ったのはネリキリーだけだろうか。

「シャルロット嬢、ごきげんよう」

 やわらかにイリギスが応えるのに続いて、ケルンとネリキリーも挨拶を返す。


「今日は、シャルロットに新しい弓をあつらえに来ましたのよ。もうすぐ誕生日なのでプレゼントはそれがいいというものですから。お転婆で困ってしまいますわ」

 困っているといいながら、ボート伯爵夫人の声は優しい。

「夫人の弓は新調されないのですか」

 あら、という表情でボート伯爵夫人はイリギスを見上げた。

「なぜわたくしが弓をたしなむと?」

「先日の狩りのおり、シャルロット嬢の弓の(つる)を確かめていらっしゃいましたので、そう思ったのですが」

 違いましたか?とイリギスはボート伯爵夫人に目で問いかけていた。

 ケルンの言う紳士的な女たらしの面目躍如だとネリキリーは感心した。


 イリギス達を見守っていると、ネリキリーの裾をシャルロットが引いてくる。

 ボート伯爵夫人が話している間に、静かに近寄ってきていたらしい。


「ネリキリーはどうしてここにいらしゃるの?」

 小声で質問してくる。

「狩りで仕留めた飛びかまきり(グルーマント)の鎌をみんなで、武器に仕立ててね。それを取りにきた」

「素敵ですわね」

 シャルロットは瞳を輝かせる。シャルロットが弓を新調しに来たという話を聞いて、少し落ち込んでいたネリキリーはその表情に慰さめられた。


「伯爵夫人の狩り着の姿は、狩りの女神(アクティア)のようでしょうね」

 ケルンがボート伯爵夫人との会話に参加していた。


「若いころはそう呼んでくださった方もおりますけれど。でも、それは兄が弓神(オルレス)に例えられていましたのと、マルヴォーロ公爵家の娘だったからだと思いますわ」

 まだ、十分に美しいボート伯爵夫人は謙遜する。


「アクティアとオルレス!シャルロット嬢が社交界に出られたら、ドーファン上級生とシャルロット嬢がその呼び名を継ぐのでしょうね」

 ケルンがシャルロットに視線を向けた。ボート伯爵夫人の視線もシャルロットに流れる。

 シャルロットはネリキリーの近くで、慎ましく立っていた。


「ですが、シャルロット嬢は、まだ妖精が見える年頃ですね。狩りの女神(アクティア)の代替わりはもう少し先のようです。そのころには夫人は豊穣の女神(フェンサリア)と呼ばれていらっしゃるかもしれませんね」


 魔糖菓子のように甘いイリギスの言葉に伯爵夫人は少女のように頬を染めた。



「イリギス様、お待ちしておりました」

 店の奥からエッセン氏が現れた。袖なしの胴衣(ジェスト)に細身の上着(アビイ)を着こなした姿は前回と変わらず洗練されていた。

「ボート伯爵夫人、ごきげんうるわしゅう」

 エッセン氏はイリギスに会釈をした後、滑らかな動作でボート伯爵夫人の手を取り、指先に口づける。

 ケルンの唇が、上手(うわて)がいたと動いたのをネリキリーは見逃さなかった。


「ですが、困りました。お二組ともわたくし自らが対応したいのですが、わが身は一つで」

 エッセン氏はやや大げさに嘆息する。

「わたくし達は、立ち寄っただけですから、どうぞイリギス様達のご用件を優先してくださいませ」

ご婦人(ベッラ)をお待たせするのは、まことに恐縮ですが、そう願えますか?」

 エッセン氏の言葉にボート伯爵夫人は鷹揚にうなずいた。


 彼がイリギス達を奥へと誘う姿を、シャルロットがじっと見つめている。

「もし、よろしかったら、ご一緒に出来上がったものを見ませんか?」

 思わず口に出してからネリキリーは僭越だったかと身をすくませた。

「そうですね。もし、伯爵夫人がお嫌でなければ。先日の狩りの獲物を使って記念品をあつらえたのですよ、といっても短剣などの武器ですので、ご婦人方には興味がないかもしれませんが、一緒にご覧になりませんか?」

 イリギスがボート伯爵夫人とシャルロットを見比べて誘う。


「お母さま」

 言外に、見たいわ、というお願いを込めてシャルロットがボート伯爵夫人を呼んだ。

 夫人は一瞬のあいだ逡巡したあと、

「イギリス様がそうおっしゃってくださるならば」

 と、承諾した。

 イギリスがボート伯爵夫人に案内(エチケート)する。シャルロットが当然とばかりにネリキリーを見上げた。

「お嬢様、お手をどうぞ」

 ネリキリーは、腕を差し出しながら小さな声でシャルロットにささやいた。

 ケルンがシャルロットの付き添い嬢に手差し出し、一同は店の奥へ向かった



 接客室の椅子にエッセン氏と付き添い嬢(コミケー)を除いて皆が収まる。

 付き添い嬢(コミケー)は椅子を勧められたが固辞し、シャルロットの後ろに起立していた。

 テーブルの上には、黒い革が張られた四つの箱。


「お開けになってください」

 エッセン氏の薦めにまずイリギスが箱を開けた。

 黒く染められた怪角鹿(エゾック)の革が使われた鞘。柄はコロハガネ。滑り止めに同じ革が巻かれている。鞘にも柄尻にもグラサージュ家の紋章、竜に花が施されていた。

 イリギスが手に取って鞘を抜く。

 かすかに弧を描いた鎌の刃の部分が加工されて、鋼色に研ぎ澄まされている。


「鞘の紋章は金糸と白金糸で刺繍、柄尻の紋章も金と白金で仕上げました。片方はそちらにおられるネリキリー君に送られるということで、1本にはイリギス様の頭文字を、一本にはネリキリー君の頭文字を刻ませていただいております」

 イリギスは二本の短剣を交互に確かめていた。

「持ち具合も、釣り合いもいい。良い仕事だ。気に入りました」


 イリギスが短剣を戻すと、今度はケルンが箱に手をかけた。

 深い紺色に染められた革と四つの丸がひし形に並ぶ紋の意匠は都会的だ。

「思っていたより、すっきりしてるな」

 ケルンは右手と左手の両方で短剣を確かめた。

「いいね」

 一言そういって、ケルンは短剣を仕舞ってネリキリーを見た。


「じゃあ」

 ネリキリーは箱を開ける。

「あれ?鎌の形になってない」

 そこには鹿革の半レーヌほどの革の棒状の小物入れのようなものがある。

「珍しい品に職人たちがはりきりましてね。こんな貴重なものは肌身離さずにできるようにしたほうが良いと工夫してくれたのですよ」

 我が店、お抱えの職人だけのことはありますと、エッセン氏は自慢げ言った。


 手に取ると革の手触りが心地よい。かちりとはめる形の金属製の(ビトン)を外した中身は、折りたたまれた形だ。

 柄を持つと手に吸い付くような感覚がネリキリーを襲う。


 ネリキリーは慎重に刃を引き出した。

 淡い緑を帯びた美しい色の刃が全貌をあらわにする。


「切り取られた部分が鎌の形を保っていましたからね。前肢の柄の部分は、中心(なかご)にして利用しました。それをコロハガネの柄を被せて、皮を巻きました。この下げ鞘は穿袴(トラウサス)に装着できるように工夫されているのですよ」

「それって、とても手間がかかっていませんか?」

「革に刺繍とおなじほどの手間ですよ」

 何でもない風にエッセン氏は言うが、ネリキリーはそうは思えなかった。

 ただ、その他は、鹿革の風合いそのままの革鞘。装飾はなく、柄尻には鎖をつなぐ輪が取り付けられているだけ。その横には、持ち手を含めたおおよそ2レーヌの長さの鎖。


「とても素晴らしいものを作って下さり、ありがとうございます」

 ネリキリーは心からお礼を言う。

 熱い視線を感じて、ネリキリーがそちらを見れば、シャルロットが好奇心に満ちた顔をしていた。


「ベッラ・シャルロット、近くでご覧になりますか?」

「ええ!!」

 元気な返事が室内に響き渡り、シャルロットはこれ以上ないという速さで立ち上がってネリキリーのそばに近づく。


「刃が鋭いですから気を付けて」

 ネリキリーはシャルロットの小さな手に柄を握らせてやる。

「よろしければ、伯爵夫人もお近くで見ては?今現在は、世界にただ一つの珍しいものですよ」

 エッセン氏がボート伯爵夫人に勧めた。イリギスもケルンもシャルロットの周りに集まっていた。


「そんなに珍しいものですの?でも、わたくしはイリギス様達の短剣も拝見したいですわ」

「わたくしも見たいです」

 ネリキリーの鎌を手にしたまま、シャルロットがイリギスとケルンの二人を見た。

 二人はすぐに自分たちの短剣を取り出して、鞘を払った。


「刃の色がすこし違いますのね」

 3本を見比べたシャルロットが感想をもらす。


「よくお気づきになりましたね。シャルロット様。そうなのです。よく見ないとわかりませんが、ネリキリー君の刃は少し緑を帯びているでしょう?これは【活性】といってとても珍しい現象なのですよ」

 ここだけの秘密にしてくださいと前置きしてして、エッセン氏は以前に訪問した時に話してくれた【活性】について、ご婦人方に説明した。



「先日の狩りの時のものですの?でも、なぜネリキリー君のところに?」

 飛びかまきり(グルーマント)の死骸はすべてオーランジェットからの一行が、すべて引き取っている。ボート伯爵夫人はそのことを言いたいのだろう。しかし、彼らのことは声高に言えないことにになっているので、あいまいな問いかけになっていた。

「狩りの獲物は狩ったものの権利ですから。カロリングでもわが国でもそれは変わりませんね」

 イリギスがにこやかに返事をした。


「どなたの短剣も鎌もとても素敵ですわ」

 シャルロットが断言する。

「ええ、どれも素晴らしい品ですわ。さすがはレムシャイトお抱えの職人の作品ですわ。

 こちらの鎌の工夫はもとより、イリギス様方の刺繍や象嵌もとても良い腕ですわね」

 ボード伯爵夫人がエッセン氏に微笑みかけた。

「お誉めいただきありがとうございます。職人にも、ご注文主のイリギス様達の言葉ともども、伝えます」

 慇懃にエッセン氏が会釈を返した。


ネリキリー達が鎌や短剣を仕舞うのを見計らって、ボート伯爵夫人はイリギスに向かって頼みごとをした。

 シャルロットの弓を一緒に見立てて欲しいという。


「ご本人とお母上のご意見が一番なのでは?」

 イリギスがやんわりと断ろうとすると、いいえ、とボード伯爵夫人が首を振る。

「先日の狩りはシャルロットにとっても初の参加でしたのよ。その記念にぜひとも。ご一緒した皆さまにとの(えにし)を大切にしたいとシャルロットも思っているはずですわ」

「大切にしたいですわ」

 シャルロットの愛らしい復唱にイリギスが降参する。


「では、三人で、お見立ていたしますね」

「エッセン、いくつか候補があるのだろう?誰かにここに運ぶように頼んでくれないか?」

 ケルンがイリギスとボート伯爵夫人のやり取りを聞いて言った。

 エッセン氏はその言葉を受けて、呼び鈴を使わず自ら室外へと出て行った。



(えにし)といえば、明後日アンゼリカ様とお会いしますのよ」

 エッセン氏が室外に出たとたん、シャルロットが話し出した。体の力が少し抜けている。

 見知らぬお店に、初めて会う大人の男性に少し緊張していたのかもしれない。

「シャルロット嬢はアンゼリカ嬢と仲良くなったのですね」

 ケルンがアンゼリカ嬢の名前を聞いてすぐに反応した。

「仲良くなどというくらいではありませんわ。わたくし達、親友になりましたのよ」

 誇らしげにシャルロットが胸を反らした。


「わたくし、アンゼリカ様のお屋敷に、たびたび猫と子猫をお世話しに参りますの」

 猫たちをかまいにシャルロットがアンゼリカの屋敷に通っているのか。

 猫二匹とシャルロットを相手にするアンゼリカの姿が目に浮かぶ。

「トルファンは寂しがらないのですか」

 ネリキリーは自分に似ていると言われた子犬はどうしているのか気になった。

「トルファンは、アンゼリカ様とも猫たちとも仲良しですわ」

 その台詞でシャルロットのベジタブール準男爵邸への訪問に、トルファンもお供していることが分かる。

 三匹と一人、アンゼリカ嬢は一人が相手をするのが大変なのでは?と少々心配になる。


「トルファンはとても賢いのですもの。いつも子猫の相手をしてあげていますわ。とにかく子猫がとても元気なのです。ドーファン兄様はなんとおっしゃっていたかしら?そう、やんちゃ?とてもやんちゃな子猫なのですわ」

 まるで自分の猫のようにシャルロットは語る。シャルロットの中では、森で助けた二匹の猫は、アンゼリカと自分のものだと思っているのかもしれない。


「ドーファン上級生もアンゼリカ嬢の屋敷に同行を?」

ケルンの声が少しだけ早口になった。

「ええ、一度だけ。狩りから帰ってすぐに。ドーファン兄様はベジタブール準男爵にご用事があったのですわ」

「そうですか。アンゼリカ嬢のお父上に」

ネリキリー達三人は目を見合わせた。準男爵と話し合ったのは、来春に行うという飛びかまきり(グルーマント)の調査、討伐のことだろう。


「でも、アンゼリカ様が羨ましいですわ。もうすぐネリキリー達と舞踏会で踊ることができるのですもの」

「もしかして、アンゼリカ嬢は王立女学院(カル・デ・リア)に在籍なさっているのですか?」

「そうですわ。ご存じありませんでしたの?アンゼリカ様は二年次ですから、昨年も舞踏会に出席なさっているはずですわ」

知らないなんて何たることかと、シャルロットは驚いているようだった。


そうはいっても、王立高等学院(リゼラ・デ・リア)の総勢は600人、王立女学院(カル・デ・リア)の総勢は450人と、大勢が集まるうえ、人数的に男が余ってしまうのである。

イリギスやドーファン上級生などの人気者がいればなおさらに。


ケルンはそれでも3名の令嬢と、ネリキリーにいたっては一人と踊ったのが精一杯だった。


「舞踏会が、開かれる大学(コーリッジ)の大講堂は、とても広いですから、なかなか全ての人とお話しはできないのですよ」

イリギスが、舞踏会の様子を少し話した。


「お母様はお父様とリゼラとの舞踏会で16歳の時に初めて踊られたのよね。いちどだけ口もきかずに踊って、おうち同士の付き合いで、踊ったのかと思っていたら、翌日に秋咲きの薔薇を送られたのでしょう」

 シャルロットが、ボート伯爵夫人を降り仰いた。


 娘にいきなり、自分の恋模様(トルヴァトル)を披露されたボート伯爵夫人は、瞼をしばたたかした。

「まあ、シャルロット」

 普通ならば、付き添い嬢が嗜める場面かも知れないが、母親のボート伯爵夫人がいるためか、対応を迷っているようだった。

 それをみかねたのか、イリギスが微笑んで言った。

「それは素敵なお話しですね。我々、三人も伯爵夫人のような素晴らしい方と出会うとよいのですが」

 イリギスはボート伯爵夫人とシャルロットに

「幸運を祈ってくださいますか」

 と続けた。

「ええ、お祈りいたしますわ」

 伯爵夫人はすぐにそう答えた。

 シャルロットもうなずきそうになったが、ネリキリーの顔を見て止まった。


「わたくし、王立女学院(カル・デ・リア)に合格しても、ネリキリー様達とは、舞踏会で踊れないのですね」

 確かに、彼女は7歳。普通ならば、学生の期間が重なることはない。

「アンゼリカ様とも、ご一緒できないのですわね」

 シャルロットは、花に水をやらなかった時のように萎れてしまう。

「でも、確か、リゼラにも、カルにも、早期入学制度かありましたよね」

 イリギスが思いついたように言った。

「あるけど、一年くらい入学が早くなるのがせいぜいだ」

 ケルンが即座に否定する。


「僕も、シャルロットの素敵な姿を見たいけど、こればかりは仕方ないですね」

 ネリキリーもシャルロットに向かって言った。

 するとケルンがとんでもないことを言い出す。


「だけど、お前が大学(コーリッジ)に行って、リゼラの講師になれば、シャルロット嬢の晴れ姿を見れるな」

「まあ、そうですの」

 シャルロットが息を吹き返す。

「ネリキリーさんは大学(コーリッジ)に行かれますの?」

 ボート伯爵夫人がネリキリーに問いかけてきた。


「希望はしております」

 ネリキリーは、慎重に答える。

 王立の大学(コーリッジ)は、王立高等学院(リゼラ・デ・リア)の生徒でも、難関だ。

 カロリングにリゼラは、私学を含めて6つ。一学年が約1000から1100人いる。


 王立大学(コーリッジ)に進めるのは、およそ450人

 法学、政治学、経済学、歴史学、哲学、医学、言語学、文学、理工学、地理、魔法学の11学部である。


 他には、南に位置する副都、ガーロンヌには230年前に州立大学ガロンヌ・コーリッジがある。けれど、州立のため講義料が高く、定員も200名。

 つまり400人ほどはリゼラを出ても、コーリッジに行かないのだ。


 コーリッジに進学しないもののうち、2年制の士官学校に行くものもいるし、ケルンのように、家の商売を受け継ぐものもいる。

 あとは、入学したてのネリキリーが目指していたように、地方の下級役人や中等教育以下の教師になる場合が多い。


 さらに、コーリッジを出て、講師(レックス)になるのは大変だ。レックスになれるのは、一学部で、二、三人。

 ましてや(マター)と呼ばれるには。

 ゆえに、(マター)は下位貴族の令嬢となら、婚姻も可能なくらい高い地位をもたらす。


 ただ、ネリキリーの志す魔法学は発展性のない学問と見られている。

人の操れる魔法はたかがしれているからだ。


 オーランジェットでこそ、魔物や幻獣を研究する分野もあるが、カロリングではほとんどなく、人の操れる範囲の魔導式の研究が主体なのである。


 ほとんど古典の研究と言っていい。


 ゆえに、大学(コーリッジ)の定員は25名。

 講師になれるものも、四、五年に一人いるかいないかである。

 たとえ、人気がない魔法学でも、カロリングの人口、800万人のうち、わずかに10数名ほどの中に入れるか。


「相当な難関ですが、私の(マター)、オルデン師はいつもおっしゃってます」


 自分が学問のことで悩んでいるときにネリキリーに語るオルデン師のゆっくりとした口調を思い出す。



「扉は開かれている。何人(なんぴと)にも。だから、読め、読め、さらに読めと」


 さらに、オルデン師は言葉を繋ぐが、ネリキリーはそこは自分だけの心に仕舞っておく。

「そうですのね。そちらの希望も叶うことを祈っておりますわ」

 ボート伯爵夫人が穏やかな声音を出して言ってくれた。

「わたくしもお祈りいたしますわ」

 シャルロットが今度こそ、太陽のような笑顔を見せてくれた。




「お待たせいたしました」

 お仕着せを着た三人の 店員を引き連れてエッセン氏が戻ってくる。

 それぞれが子供用の弓を持っていた。

 狩りの時のものより、一回り大きく見える。

「どうぞ、お手にとってください」


 どの弓も華麗である。


 ひとつは白塗られ銀で模様が施されていた。

 ひとつは、金の装飾が美しかった。

 ひとつは、弓の中央の部分をあかがね色の金属で作られてる、珍しい形だった。


「こちらの弓は見たことがありませんわ」

 最後の一つを見てシャルロットが言った。

「カロリングではまだ珍しいと思います。オーランジェットで使用されている対魔物用の弓を、子供用に仕立てました。試し打ちをなさりたいですか?」

 エッセン氏の問いにシャルロットがうなずいた。

「ではどうぞこちらへ、皆様もどうぞ」

 エッセン氏は、中庭へ続く扉を開いた。

 皆もそれに続いて中庭にでた。

 結構な広さのある庭だった。木の一本に的が打ち付けられていた。

 用意がいいなとネリキリーは思った。エッセン氏の店で弓を購入する人は結構いるのだろうか。


 エッセン氏はシャルロットが興味を示した弓、中央部分が金属でできているそれを持った店員に合図をした。店員はシャルロットに弓を渡す。


「どうぞ、弓を引いてみてください」

 シャルロットが勧めに従ってエッセン氏の差し出す矢を受け取り、みんなから少し離れて的に向かって矢をつがえた。


 ゆっくりとした動作で弓をうち起こす。

 引き分けも無理のない姿勢で、押手と引手の力加減も良いように見えた。

 引手をあごにつけて狙いを定める。弦があご、唇、そして鼻にかすかに触れていた。

 矢がはなれる。

 空気に一本の筋を通すように、矢が飛んでゆく。

 矢が的に突き刺さる。中点からわずかに外れているところ。

「引きやすいですわ。でも、他のも試します」

 シャルロットはそういうと白い弓と、金の弓も試し打ちをする。

 両方ともにシャルロットは、的に的中させる

 ネリキリーが見た限りでは、どれも良い弓に見えた。


「こちらと他の二本のものとは引き加減が違いますわ」

 目新しい弓と今まで使っていた慣れた形の弓。迷っているのが傍から見ても分かる。

「お母さま」

 シャルロットは自分では決めかねているようで、おそらくは弓の師でもあろうボート伯爵夫人を見た。

 その姿は、7歳というまだ幼い年齢を感じさせた。


「こちらはオーランジェットで使われている弓なのでございましょう?イリギス様はお使いになったことはございますの?」

 ボート伯爵夫人がイリギスを振り返って尋ねた。

「数回ほどは。さほど多くありません。金手弓(アルチェリオ)は冒険者が主に使っている弓ですので」

 控えめな調子でイリギスはボート伯爵夫人に答えた。

「この弓はアルチェリオというのですのね」

 シャルロットがもう一度金手弓(アルチェリオ)を手に取って矢をつがえた。

 先ほどより打ち起こしも引き分けも速い。

 矢が飛んでゆく。

 より中点に近い方へ矢が当たった。


「ネルも射ってみませんこと?」

 シャルロットがネリキリーに視線を投げてよこした。

「僕が?」

「ええ、イリギス様やケルン様では、弓が小さすぎますもの」

 シャルロットは邪気なく、ネリキリーがひそかに気にしている背の高さのことを口にした。

 しかし、狩りではシャルロットの弓を借りて、飛びかまきり(グルーマント)を射ている。

「シャルロットが、頼むことなら」

「ええ、お頼みしますわ。ネルに感想を聞きたいのですもの」

 シャルロットは本当に少しだけ、首をかしげた。

 そんな彼女に逆らえるわけがあろうか。

 ネリキリーはシャルロットから弓を受けとる。


 慣れない形の弓を確かめるように慎重に引いた。

 子供用のため、軽くて、張りも弱い。

 姿勢を保って矢を放つ。

 的に当たったが、完全な中点ではない。シャルロットが最初に射た時とほぼ同じところだ。

 外さなくて良かったとネリキリーはほっとした。


「普通の弓より狙いが定めやすい気がする」

「そうでしょう?」

 ネリキリーの言葉にシャルロットはうれしげだ。

「ただ、いつもの弓のほうが購入しやすいから、これから大きくなって、買い換えることも考えにいれないと」

 この弓は成長を考慮に入れて、少し大きく作ってあるが、これから二回や三回は買い換えが必要だろう。

「それにこちらに慣れると普通の弓が扱いにくくなるかもしれない。

 滅多にあることではないが、この前の狩りようなことが起きたら、とっさの場合、どちらも上手く扱えることに越したことはない。

「成長に会わせた金手弓(アルチェリオ)も、もちろんわたくしどもが用意いたします」

 エッセン氏としては、今のところ、カロリングではここしか取扱いがないものを購入してもらったほうが良いのだろう。

「アルチェリオは扱いやすいので、天馬乗りも使用している」

 イリギスがさりげなく言った。


「では、二つ、頂きますわ」

 今まで成行を見守っていたボート伯爵夫人が決断をくだした。

「お母様、良いの?」

「伝統的な弓と新しい形の弓。どちらも射れれば、良いでしょう」

 できますわね?

 ボート伯爵夫人は娘に問うた。

「ええ、お母様。わたくしどちらも使える弓の名手になりますわ」

「精進なさい」


 アルチェリオは購入され、白と金。二つの弓のうち、シャルロットは白を選んだ。


「ごきげんよう、皆さま。再会できる日を楽しみにしていますわ」

 シャルロットは笑って挨拶をして、店を出た。

 白の弓を持って。

 金手弓(アルチェリオ)は、少し、注文を加えて、誕生日に届けられるという。


「けっきょく、自分たちで決めたよな」

 ぽつりとケルンが言った。




「では、これはネルに」

 イリギスが二つ作製させた短剣をネリキリーに渡す。

「ありがとう、イリギス」

 ネリキリーは素直に受け取った。

 イリギスの短剣と外見的に違うのは紋章が入っていないこと。代わりにネリキリーの頭文字。

 頭文字に寄り添うように、イリギスの紋章に使われている花が入れられていた。


「オーランジェットでは、紋章に必ずさまざまな花が使われております。贈り物に花を入れるのは、特別な信頼を意味しているのですよ。またグラッサージュ家がその身を保証するという証しにもなります」

 エッセン氏がオーランジェットの風習を教えてくれた。

 贈り物の解説をされたイリギスがエッセン氏を見やった。

 ネリキリーはイリギスの顔を見つめる。

「なんかすごいな」

 反応して、口に出したのはケルンだった。


「信頼と友情はもちろんだが、これを送るのは、ネルの身の安全のためでもある」

 イリギスがうなずくような仕草をして言った。

「身の安全のため?」

 ネリキリーは不思議に思い問い返す。

「そうだ。これはとても珍しい品だ。先ほどもエッセン氏がシャルロット嬢とボート伯爵夫人に、【活性】した品物だということを広めないでほしいと言っていたろう?」

 エッセン氏がその通りですと言うように、会釈をした。


「シャルロット嬢とボート伯爵夫人は狩りの場にいらっしゃったし、何よりネル自身が誘っていたからね。ご一緒して、秘密を共有してもらったほうが良いと考えた」

「秘密にしなきゃならないものなの?」

「【活性】した武器なんて珍しいから、好事家が目の色を変える品ではあるな」

 ケルンが何でもないことのように言った。


「力がない学生が所有しているとなれば、力押しで欲しがる者も出るかもしれない」

 イリギスは真剣な口調だ。

「だから、狩りの記念として、人に見せるのはなるべくなら、私が贈った短剣にして欲しい。そのために贈った。もちろん、ネルは、自分から珍しい品と自慢するような性格ではないが。鎌は必要な時に使ったり、信頼する人に見せるのは構わない。が【活性】については、無暗(むやみ)に話さないほうがいい」

 エッセン氏がさらにネリキリーに注意をする。

「身につけておきやすい形に造らせていただきました。折り畳みにして、鎖を脱着式にしたのも、そのためです。ですので普段から持ち歩いていただきますように。こちらは私自身が職人とやり取りをしておりますし、職人にも他言無用と言い含めております」

「わかりました。できるだけそうします」

 二人の心遣いにネリキリーは感謝して返事をした。



「でも、どうしてそんな珍しいものをオーランジェットは返して寄越したのかな?」

 引っかかりを覚えてネリキリーは疑問を口にした。

「先ほども言ったが、魔物の遺骸は狩った人の権利になる。それを標榜している冒険家組合(アルチュール・ギルテ)がそれを破れるはずもない」

 イリギスが断言する。どんなに高価な物でも、それを倒したもの以外が横取りすることは許されない。たとえそれが王だとしても。

「本人の意思なくして狩りの獲物を他者は持てないのだ」

 静かで強い口調だった。イリギスはやはり数多(あまた)の冒険者を有しているオーランジェットの人なのだと感じる。

 オーランジェットでは、貴族に軍務か冒険者になるかが義務づけられていると言っていた。

 国に戻ったら、彼は一時的でも冒険者になる道を選ぶのだろうかと、ふと思う。

 それから、たいていのオーランジェトの貴族がなる政治家に。


 イリギスは、学者を志すネリキリーとはかなり違う道を歩むことになるだろう。


「ちなみに、ネルの鎌に値段をつけるとしたら、エッセンはどれくらいにする?」

 ケルンが軽い口調で言ったが、その声は好奇心に満ちていた。

「おいそれと値などつけられるものではありませんが、最低で100万リーブですね」

「意外と安いな」

「最低でと申し上げました。恩をお返ししたいような方にお譲りする値段ですね。欲しいという好事家の方に競争させれば、その5倍以上にはなるかと思います。あと、これがもっと珍しい魔物や幻獣でしたら。例えば、これがルピュセルと同じ一角獣(カタルゾーノ)の角の短槍でしたら、5000万リーブは下らないでしょう」


「それでも、500万かあ。どうする?ネル、売っちゃう?そしたら、肌身はなさずなんてことしなくてもいいし」

「そんな大金持っていたら、今度はそっちで狙われそう。それにこれは記念だし、見も知らない人に譲りたくないな」


ネリキリーは何気ない様子でエッセン氏に尋ねた。

「ちなみにシャルロットの弓はどれくらいするのですか?」

エッセン氏は少し答えるのをためらう。

顧客に売る値段をおいそれとは言えないからだろう。

「さようでございますね。貴族の方のお買い物は、最高の品をお求めになる方が多いですから、わたくしどもは、3000から5000リーブくらいの物を多く取り揃えております」

エッセン氏は具体的な金額を云わず、扱う弓の価格の範囲を教えてくれた。


ネリキリーはその金額に驚いた。

ネリキリーの今までの感覚では、大人用の普通の弓なら、1000リーブでかなりのものが買える。

ネリキリーは、シャルロットに贈る弓をそれくらいに見積もっていた。

「そうなんですね。やっばり貴族はすごいなあ」

ネリキリーは首を左右に振った。


「でも、僕は貴族でもお金持ちの息子でもない。僕が鎌を持っていても、高いものだとはみんな考えないのじゃないかな。それに、剣や槍なら格好良いから、欲しがるかもしれないけど、鎌って微妙じゃない?」

 ネリキリーが笑って見渡した三人は、一様に微妙な顔になり、明言を避けた。


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