表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王道、ふあんたじぃ  作者: 野月 逢生
第一章 
26/90

にじゅうろく

 その後、しばらくは最上級生とネリキリー達の三学年とのシュトルム・エント・ドラクルが校内の話題をさらっていった。

 自寮に留まらず、他の三つの寮生からも、ネリキリーはよく話しかけられた。


 そのささやかな喧騒が、試験対策の話題に変わり、学校、寮ともに緊張をはらむようになる。

 そんな中でも、ネリキリーはファンネルの庭に通う。

 草木の面倒を見ながら、覚えるべきことを頭の中で復習する。

 もしくは、何も考えず頭を休める時間にする。

 小さな頃から、農作業を手伝っていたネリキリーには慣れた行為だ。

 かえってファンネルのほうから、手伝いの時間を減らす申し出をされた。


「試験の始まる前日から試験中にはお休みをください。試験の終わる三日目から復帰します」

「それだけでいいのか?来週から試験が終わるまで来なくても大丈夫だよ」

 ファンネルの言葉にネリキリーは、いいえと答える。

「よい気分転換になるので、試験中でも来たいくらいです。ただ、さすがにそれは雰囲気的に無理だと」

「わかった。けれどあまり無理はしないようにね」

 ファンネルはまだ少し心配げだったが、庭での作業をネリキリーに任せて、屋敷の中へと戻る。

 一人残った、ネリキリーは庭を見回した。

 手伝いはじめてから二週間、庭はかなり整ってきた。

 もちろんそれは、庭の持ち主であるファンネルの精勤のたまものだけれど、微力ながらネリキリーの手伝いも一助にはなっていると思う。

 ネリキリーは日課になっている腐葉土の様子を確かめてから、裏の林の下草を刈りに行った。


 林の木には天井葛(アマツ)がはっていた。

 ネリキリーはそれを切り取って口にくわえた。

「まだそれほど甘くないな」

 ネリキリーの村では冬になると樹液が甘くなる天井葛(アマツ)を子供が切り取って遊びで食べる。

 カロリングで甘みといえば、果物、蜂蜜、甜菜(アメダナ)から精製して作る砂糖。

 植物系魔物と呼ばれるシュガレット草から作られ、魔力を大量に蓄えた魔糖とは違うが、わずかなりとも魔力を帯びているのがアメダナ砂糖だった。味も魔糖に一番似ていると言われている。

 ゆえに、アメダナ砂糖は庶民とっては貴重品だった。


 その濃い甘さとは違い、天井蔦(アマツ)の蔦は、ふわりとした、かすかな甘みだ。

「素朴だけど、これはこれで悪くない」

 贅沢な菓子を食べていても、ふるさとの思い出と共にある甘みはやはり特別に思う。





 ネリキリーが寮に戻ると、ケルンはいなかった。

 代わりに、「イリギスの部屋」と書かれた紙片が置いてある。

 ケルンのことだから、イリギスに勉強を教えてもらっているかもしれない。

 ただ、遊びに行ったと言う可能性もあるが。

 この紙が置いてあるのは、帰ったら、隣に来てと言うことだと判断する。


 勉強道具を用意していると扉が叩かれた。

「どうぞ」

 と声を掛けると扉がおずおずという風に開かれる。

 外にいたのはビーンズをはじめとする一学年下の下級生が数名。

「ネリキリー上級生、お忙しいとは思いますが、お願いがあります」

 いきなり言われて、ネリキリーは面食らった。

「取り合えず、中に入って」

 ビーンズ、キャロン、カンバー、レコンの四人を招き入れる。

「で、お願いって何かな?

 僕に出来ることならいいけど」

 下級生がわざわざ部屋まできての願い事である。

 無下にはできない。

「実は僕たち、魔法学がまるでダメで」

「実践はある程度できますが」

「座学はもう、壊滅的なんです」

「このままだと、舞踏会に参加できません」


 舞踏会か。

 高等学院(リゼラ)では社交学という科目がある。

 紳士としての立ち居振舞いを学ぶ。

 その実践をするという名目で、王立高等学院(リゼラ・デ・リア)の姉妹校である、王立女学院(カル・デ・リア)を招き、秋に舞踏会、春に園遊会が開かれる。



 普段は寮母さんと食堂の働き手を除き、女っけがほとんどない男子校である。

 "年頃"のとつけば、皆無。


 そのような中で、舞踏会と園遊会は、年頃の女子と接触する滅多にない機会だ。

 むろん、両校ともに男女交際は禁止。


 けれど、「お友だちから」とお互いに文通をしたりすることもある。

 貴族同士などは家格が合い、両者の相性がそこそこ良ければ、すぐに婚約となったりもする。

 そこまでいかなくても、女の子と顔を会わすのは、心に華やぎをもたらす。


 しかしながら、楽しい行事に参加するには、学生の本分である「学び」が一定の水準を越えることを生徒は課される。

 水準以下の者は、課題を出されて、寮で学習に励まなくてはならない。

「どうか、イリギス上級生が魔法学で悩んでいた時に、導いたというネリキリー上級生のお力を貸していただきたいのです」

 彼らは揃って頭を下げたが、情報が一つ間違っていることがある。

 イリギスは、座学は完璧だった。

 その完璧さが、オーランジェットで使っていた魔法の感覚と魔導式との違いを際立たせて、齟齬を産み出していた。


「魔法学は二年次で始まったばかりで、まだ基礎のはず」

 高等学院(リゼラ)の生徒にとって、そんなに難しいとは思えない。

 ネリキリーは不思議に思った。


「魔導式が無機質に感じて、上手く覚えられないんです」

「実際は魔導式を完全な形でなくても発動しますし」

「いえ、魔導式が無くても日常に使うくらいの魔法は普通に使えますから」

「何のために行うのか良くわからない」


 つまり、この四人は何もしなくても使える魔法を、魔導式で改めて覚えることに疑問を感じているわけである。


 これは、けっこう大変なお願いかもしれない。

 ネリキリーは、もういちど四人の顔をじっくりと見回した。


「そこに座って」

 ネリキリーはビーンズを見上げ、自分の寝台を指す。

 四人はちょっとためらったあとに、大人しく寝台に腰かけた。


 並んで座っていると立っているときより幼く見えた。

「魔法学といっても、他の学科と同じだよ。講義を聞いて、理解して、復習する。基本の公式は入っているんだろう?」


 Cab V1B//F1am

 Aq FRG//G1ac

 Ae MOV//Vent

 Fum CONC//1ap


 火を生じさせ、水を氷にし、風を作り、土を岩と化す。


「さすがにそこまで覚えられないわけじゃないです」

 馬鹿にされたと思ったのか、不満げにキャロンがネリキリーを軽く睨む。

「でも、実際に魔法を使う時には、頭の中ですら構築していないのでは?」

 ネリキリーの質問にキャロンはきまり悪げに目を逸らした。

 魔法学を学ぶ前から使ってきた魔法。その式は彼らにはあまりにも簡単に見えていることが、ネリキリーには分かった。


「僕と魔法の競争をしようか」

 ネリキリーは提案する。何がいいだろう。火や風は制御を間違えると大事になるかもしれない。

 ここは水を氷にする魔法が良いだろう。

 ネリキリーは寮で落としても割れないように支給されている二つの金属の杯に水を入れた。

「この水を早く凍らせたほうが勝ち。全員にやってもらうよ。ただし、君たちは魔導式を展開しないこと。さて、誰が初めに挑戦する?」

 急な提案に下級生たちは戸惑っているようだった。

「じゃあ、僕が」

 レコンが立ち上がって申し出た。

「誰か、三つ数えてから、始めの合図を言ってくれるかな」

 ビーンズか黙って挙手をした。

「よろしく頼むよ」


(アー)(ベー)(テー)、始め」

 ビーンズの合図にネリキリーは頭で魔導式を構築する。


 EGO Opt Aq FRG//G1ac


 見る間に杯の中の水が凍っていく。

 ほとんど同時に二つの杯の中の水は凍りついた。

 どうだとばかりにレコンがこちらを見た。

「なかなか速いね」

 ネリキリーはレコンを褒めた。次いで氷を水に戻す。


 EGO Opt G1ac MOV//Aq


「次は誰が?」

 キャロン、カンバー、最後にビーンズが挑戦した。速さは、キャロンがわずかに遅れた程度でほぼ同じ。

 最後にはこれに意味があるのかという表情を四人がした。


「じゃあ、次はこちらに来て」

 ネリキリーは洗面台いっぱいに水を張り、凍らせてみせる。かかった時間は杯の水とたいして変わらない。

 それから、水に戻して、四人の下級生に洗面台の水を凍らせる。

 明らかに凍りつくまでの時間がネリキリーより遅い。


「最初の水と温度が違うのでは」

 おずおずとカンバーが疑いを口にした。

 実際は、ネリキリーが凍らせた水より、氷を戻した水である四人の温度のほうがわずかに低いのだが。


 ネリキリーはいったん、洗面所の水を抜き、貯め直した。

「カンバー、凍らせてくれるかな」

 指名されたカンバーが水を凍らせた。結果は前より少し遅くなった。


「今度は魔導式を使って水に戻してくれないか。みんなに分かりやすいように、詠唱して」

 言われた通りにカンバーが、氷を水に戻す魔導式を詠唱をした。


「EGO Opt G1ac MOV//Aq」

 たちまち氷が水になる。


 それから、下級生全員に魔導式を詠唱させて、水を氷に、氷を水にを試させた。


「これで分かってくれたかな。魔導式は呼び方の通り、魔力を導くものなんだ。導かれた魔力は、式を構築せずに魔力を使うよりも、素早く作用する」

 ネリキリーは、動作で部屋に戻るように示した。


 四人は神妙な態度で、ネリキリーの寝台に並んだ。

「ビーンズは式が多少曖昧でも作用すると言っていたけど、それは今までの経験がそのあいまいさを無意識に修正しているからだ。けれど、その作業は魔力の揺れと浪費を招く」


 ネリキリーはあえて固い口調を作る。


「浪費であるなら効率が悪くなるだけ。けれど揺れは恐ろしい。大きな魔法を使うときに思わぬ事故を起こす。オルデン師にそう習わなかったかな」

「習った、と思います」

 ビーンズは吐息ををつくように答える。オルデン師の言葉は今まできちんと彼の頭に届かないでいたようだ。


「学習をするうえで、一番大事なこと」

 ネリキリーが四人の顔を順に見つめると、彼らは少し背を伸ばした。自分の言葉を聞く態勢が出たことにネリキリーはほっとする。


「覚えようと心から思うこと。初めから覚えること、学問に向き合うことを拒否していては何も学べないよ。誰にでも向き不向きはある。けれども、今の君たち、いや、我々の段階はまだ基礎を学んでいるところだ。向き不向きを問う段階ではない」


ネリキリーは一瞬目を閉じた後、一気に言った。


「ましてや、()()()、やら()()()()()()()()()()()()()()()、なんて言い方はおこがましい」


 四人の背がさらに伸びる。


 ネリキリーは自分の椅子を引き寄せて座った。視線が四人と平行になると少しだけ目を和ませた。


「魔法を使うっていうのは、お菓子作りに似ているよ」

「ネリキリー上級生はお菓子作りをされるのですか?」

 ビーンズが唐突なネリキリーの例えに目を見張った。たいていの10代の少年はお菓子は食べるものであって、作るものではない。

 寮母さんが言うには、人によっては、お菓子を何となく敬遠しはじめる年頃である。


「小さな頃に数回と、あとたまに寮母さんに生地を練るのを頼まれる」

 ああ、と四人は納得する。ネリキリーが寮母さんに何事か頼まれることが多いのを知っているからだ。

「自分ではほとんど作らないけれど、隣で見ていると、お菓子作りは分量をきちんと計らないと必ず失敗する。一見成功しているように見えても、味が落ちる」


 ただし、美味しいと感じる度合いは、その時の心の状態にも関係する(寮母さん談)のだけれども。


 これも、学習への意欲と似ている。


「材料をそろえて、正確に測って、混ぜて、こねたり、焼いたり、蒸したり。今の我々は、作り方の手順書を読んでいるところかな」


お菓子(せいせき)お茶(舞踊会)をいただくには、課程をおろそかに考えちゃダメなんだよ」


 さらに、ネリキリーは魔導式が古代言語からなる詠唱の簡略化からなっていることを説く。

 韻を踏んだ詠唱を覚えるより、簡単で楽になったのだと。

 前より「楽や簡単」という言葉は、人の心に影響して勉強への心の壁を低くするからだ。



 それから、自分が魔導式を覚えるために考案した手札遊びを四人に教えた。

 魔法学を学び始めた時期、まさしく目の前の下級生と同じくらいの時期に、たくさんの式を一度に覚えたくて考えた遊びだ。


 発動式を含まない魔導式を分解して書いた手札を作る。

 手札をごちゃ混ぜに並べる。

 次に混ざった手札を正しい式の順に並べていく。

 その速さがどれだけ速くなるか、一人遊びをしたり、ケルンやイリギスを相手に、どちらがより多く、より速く、正確に魔導式を組めるか競ったりしていた。


 初めからこの方法を教えることも考えたが、まずは「学ぶ」姿勢を整えてもらいたいと、教えるのは最後にした。


「あと、オルデン師は雑談に見える話の中にも、魔法学に連なる話を混ぜるからね。注意して聞いておくこと」


 オルデン師の試験、この時期の試験は、講義をきちんと聞いて、基礎の式をと覚えておけば舞踏会に出るくらいの成績は取れるはずである。

 夏の進級試験は丸暗記ではなく、論文も評価になるので、よほど手強いというのが生徒の評価だった。


「明日までに、自分の覚えていない式の手札を作るといい。それを一人遊びしても良いし、別の誰かのものと混ぜて、みんなで競ってもいいね」

 ネリキリーは四人を部屋から送り出した。



 その四人から、ネリキリーの手札遊びが広がり、寮の中で様々な遊び方が考案されていくのは、少し先の話になる。


◇◇◇



夕食の時間まで約30分。

 あまりやってはいけないことだが、風呂桶に貯めた水を魔導式で沸騰させる。


 EGO Opt Aq V1B//Ca1d  


 わずかな時間で湯が沸いた。温度を調整することもできるが、調整するより水を足すほうを選んだ。

 水を足す間に着替えを用意する。

 埃臭い髪と体を洗って手早く風呂からあがる。普段なら手拭い(ケット)を使うが,

 濡れた体にも魔法を使う。


 EGO Opt Epid Aq // Sicc Et Com


 時間の節約。


 急いで湯から立ち上がったせいか、それとも腹が減ったのか、少しふらつく。

 答えをだすように腹の虫が鳴いた。

 早くご飯が食べたい。


 夕食の10分前にイリギスの部屋の扉を叩いた。

「遅かったね」

 イリギスが並んで廊下を歩く。ケルンが先に行って席を取ってくれているという。

「ちょっと帰ってからいろいろあって」

「いろいろ?」

「あとで話すよ」

 足早に食堂に滑り込んだ。同じように他の生徒が食堂に駆け込む。


 休日だから席は自由。つまり少し気が張る人間とも隣同士になる可能性もある。

 上級生とか。交代で行っている舎監のマターとか。

 イリギスに話しかけたい上流階級の生徒とかだ。

 たまにはそれも悪くないが、ネリキリーは下級生の相手で少し疲れていた。

 気の張るような食事は避けたかった。


 幸いケルンは食堂の隅に席を取っていた。

 配膳口から食事をもらう。

 今日は秋らしいきのこと野菜の煮込み。中の肉は鳥かうさぎだと思う。

 おやつの時間が吹き飛ばされたので、ネリキリーは勢い込んで煮込みを食べた。

 食べ終わってケルンとイリギスを見ると、なんだか戸惑った表情だ。


「お前、なんか怒ってる?」

 ケルンが匙を手にしたまま問いかけてきた。

「え、怒ってないよ」

「すごい速さで食べてたじゃないか」

「お腹が空いてたんだよ。ふらふらするくらい」

 一緒におやつを食べるのを楽しみにしてたのに、と付け足す。

「そういえば、俺の伝言を見なかったのか?」

「いろいろあったと言っていたね」

「うん、実は下級生たちに……」

 ネリキリーはイリギスの部屋に姿を見せなかった理由を説明する。


 話を聞いて二人は納得したのか、冗談を飛ばしてきた。


「ネリキリー講師の初講義か、俺も見たかったな」

「私もだ。次に開くときは事前に知らせてくれないか。ぜひ拝聴したい」


 イリギスもケルンも、ネリキリーが魔法学の、特に魔導式の研究をしたいと思っていることを知っている。

 講師(レックス)になり、やがては(マター)になりたいと夢見ていることを。

「からかわないでくれよ。魔法学に関わることだから、ちょっとムキになりすぎたかなって思っているんだから」

 ネリキリーはこめかみを押さえた。


「悪かった。ネルが下級生に言ったことは正しい。彼らがその正しさを、正しく受け止められれば、良い結果が生まれるはずだ」

 イリギスが表情を改めて言った。横ではケルンもうなずいていた。

「だといいけど」

 ネリキリーはちょっとおどけるようにして手を広げた。



 休日は、ほとんど恒例の食後のお茶をイリギスの部屋でたしなみながら、ケルンが切り出した。

「ところで、試験が終わったら時間が取れるか?エッセンから鎌と短剣が出来上がったと連絡があった」


「すごく、早くない?」

「職人が張り切ってくれたらしい、優先して作ってくれたそうだ」

「試験後の楽しみがひとつ増えましたね」

「ひとつ?他にもあるの?」

 何だろうとネリキリーは首をかしげる。

「舞踏会があるでしょう」

「イリギス、舞踏会が楽しみなのか?」

 ケルンが驚愕している。ネリキリーもイリギスを凝視した。

「もちろんですよ。女王立女学院(カル・デ・リア)の才媛と会話することは有意義だと思いますから」

 ケルンが言ったのはそういう意味ではないと思うが、イリギスは彼らしい答えを発した。

 ケルンが、そういうことかと呟いた。どこか安心した感じだ。ネリキリーも入った力を抜く。


「で、どうなの?時間はとれそう?」

「私は大丈夫ですよ」

「土曜の午後なら大丈夫だと思う」

 明日ファンネルに許可をもらおう。

 ネリキリーは最後のお茶を飲みこむと、試験対策のためにケルンと二人で自室に戻った。



◇◇◇



学ぶことは嫌いじゃない。むしろ好きだ。

 けれど、試験が終わった解放感は格別だ。体にまとわりついていた見えない縛めから解き放たれて、駆けだしたくなるような気持にさせられる。


「ネリキリー、機嫌がいいな。よっぽど試験が上手くいったのか」

 同級生の言葉を後ろに聞いて、ネリキリーは軽やかに階段を下りた。そのまま玄関へと向かう。

 実際、試験は上手くいった。いつもより机に向かう時間は短かったのに。

 時間をないことでかえって集中して勉強ができたのだとネリキリーは感じた。


 いったん、寮に戻って着替えてから、また外に出る。

 駆けだすほどではないが、足早に向かう先は、ファンネルが待つ庭だ。

 数日行かなかっただけなのに、庭の景色が恋しく感じる。

「ファンネルさん、こんにちは。試験終わりましたー」

 ちょうど庭に出ていたファンネルにネリキリーは大声で挨拶をした。

 お茶にする葉を積んでいたのか、ファンネルの片手には籠があった。


「お帰り。ネリキリー、その様子だと試験は、よくできたみたいだね」

「おかげさまで。いただいた薄荷(スース)のお茶が頭をすっきりさせてくれました」

 微笑むファンネルに、何から始めましょうかとネリキリーは尋ねた。


「まずは、家に入ろうか、見せたいものがあるんだ」

「その前に腐葉土の様子を確認してもいいですか?気になっていて」

「いいよ。で私は王の草(バゼリス)を摘んでしまうから」

 ネリキリーはいそいそと腐葉土を確認する。熱はあまりないが、一週間前にかき回しただけなので、円匙(エンシ)でかき回す。


 勝手口に回って手を洗ってから屋敷の中に入った。

「こっちこっち」

 手招きされて入ったのは応接室。

 その変わりようにネリキリーは驚いた。

 薄褪めた壁が塗り替えられ、一見白く見えるが、よく見るとかすかな淡紅色を帯びていた。

 いくつか設えられた椅子と卓は木の風合いを生かしたもの。

 硝子(シスル)の窓の外にはだいぶ見映えが良くなった庭が広がっていた。


「知り合いが卓や椅子を安く譲ってくれたのさ」

「すぐにでもお客様を呼べそうですね」

「欲しいと思う材料がすべて揃ってないから、正式な開店は3月の終わりくらいを予定している」

「長くありませんか?」

「あと四ヶ月ないよ。それまでには庭も完全とはいかないまでも、かなり戻るだろうから」

 ファンネルは夢見るような目つきになる。


「春に、あの絵のような春に開店したいんだよね」


 ファンネルはあの絵に何かしらの思い入れがあるようだった。聞いてみたいが、そっとしておきたい気持ちもあり、ネリキリーは微笑んでうなずくだけに留めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ