にじゅうに
そのまま談話室に流れると不意に、カランカランと起床と就寝を告げる鐘が鳴り響く。
就寝にはまだ早い。
「シュトルム・エント・ドラクル!」
「イリギスもケルンもいないって時に」
「それを狙ってんだろ」
ネリキリー達は一斉に走った。
「出撃。出撃」
古風な戦い開始の合図が寮に響き渡る。
シュトルム・エント・ドラクル、嵐と竜。もしくは竜の嵐。
それはたいてい上級生が同じ寮に住んでいる下級生に行う強制交流だ。
これにはいつもは厳しい寮母さんも目をつぶる。脈々と受け継がれた伝統だからだ。
対寮同士で行われる場合もあるが、頻度は少ない。
竜がお菓子好きなのに習って、部屋にある食べ物やお菓子を奪っていく。
それを原資として、その直後、あるいは翌日に交流のお茶会が開かれる。
嗜好品の持ち込みは一か月間の量が制限されているから、月を半ばも過ぎてない今、奪われるのはかなり痛い。(ケルンは姉妹からのお菓子の差し入れを、ネリキリーとイリギスに分散させて持ち込みをしていた)
シュトルム・エント・ドラクルには作法がある。
襲撃する側は、必ず襲撃の合図である鐘を鳴らさなければならない。
時間は1時間かっきり。
魔法の使用はもちろん禁止。
襲撃者に部屋に入られた時点で部屋の住人はお菓子を差し出さなければならない。
奪っていくのは、両手に持てるだけ。かごや袋は使用を禁止。
お菓子がないものは、翌日から3日の間、部屋に押し入った人物に、寮で配られるおやつを提供しなければならない。
不在者のものは、不戦敗として持っているお茶会が開かれるときに持っている食べ物の半分を提供しなければならい。
迎え撃つ側が下級生といっても何もできないわけではない。攻守ともに首に高等学院指定の手巾を巻くことになっている。
部屋に入る前に手巾を奪われたものは戦線を離脱することになっていた。
また、部屋に入ってお菓子をうばったものは、手にいっぱいのお菓子があるので事実上、その後は戦力にならない。
部屋に入られた方も戦線離脱。人数がだんだんと少なくなり、最後はほとんど個人戦になる。
さらに、上級生は手巾を軽く首にひっかけるだけ。下級生は襟下に入れることができる。危険なので結ぶことはけして許されない。
襲撃側の上級生は面子にかけてすべての扉を破らなければならない。破れないときは下級生が上級生にシュトルム・エント・ドラクルを仕掛ける権利を得る。
しかし、上級生が下級生より背が高いのは普通だ。したがって手巾はなかなか取れない。
全校を見回しても背が高く、運動能力も高いイリギスとケルンは3年次生の防衛の要だった。
最後は個人戦になるために、部屋割りは重要だ。貴賓室が最奥にある以上イリギスの部屋は確定している。その一つ手前にケルンとネリキリー。その前には王国騎士を目指す、ルシューとクレソン。
ネリキリー達の学年は、1年次にこそ遅れを取ったものの、その後は1度を除いて負け知らずだった。
「学年は?」
「最上級生です」
「最悪」
談話室から、自分たちの部屋のある階へ駆けあがる途中、攻防に関係がない下級生が下りてきたので、情報を貰う。
手巾を取り出して首に着ける。手巾を常に持っているのは紳士のたしなみで、持っていない者は不戦敗。
「どうしよう、ない」
マルトが慌てている。
「貸してやるよ」
ジャンニがくしゃくしゃの手巾をマルトに渡す。自分のものはきれいだから、貸した一枚は放り込んだまま忘れていたのだろう。
まあ、これくらいの融通は許される。
上がりきると廊下の入り口付近で攻防戦が繰り広げられている。
やりあわないことが決められている階段には見物を決め込む他の学年でいっぱいだ。
「悪い、どいて」
人のあいだをすり抜け、ネリキリーは跳躍する。もみ合っている上級生から手巾を奪い取った。
一人、離脱。
「よくやった」
同級生から声が掛かった。
上級生の一人が振り向いてネリキリーに襲いかかる。
ネリキリーは小さくかがんで襟元をつかんで引き倒す。引き倒す時に手巾を引き抜いた。
これで二人目。
勢いを利用して、倒した上級生を他の上級生にぶつける。
ふらついた上級生の手巾を対峙していたライドがつかみ取った。
「背後を取られないように気を付けろ」
フォーク上級生の檄が飛んだ。何人かが振り向き、上級生側の隙が無くなった。
ネリキリーやマルト達が襲撃者の後衛とやりあっているが、少しずつ上級生は廊下を進んでいく。
迎撃側の入り口を守る人数は上級生の約半分。二人部屋のうちの一人は、部屋の内側で体を張って入られないようにするのが定石だからだ。
「いけー!いけー!」
ネリキリーに手巾を取られた上級生がフォーク達に声援を送っていた。
フォーク上級生とその隣のドーファン上級生が片手を上げて応じる。
余裕だ。
攻守ともに経験を積んでいる最上級生なうえに、先日の狩りでも感じたが、ドーファン達は結束力が強い。
今も仲間の手巾があざやかに奪われた。
シュトルム・エント・ドラクルを三年次に仕掛けることを決めたのはドーファン達に違いない。
イリギス・ケルンがいない日を狙ってくるあたりも、戦略的に正しい。
下級生にそこまでするか、なんて思ってはいけないのである。
自分たちだって、下級生に仕掛ける時もあるからだ。
情報を利用することも立派な一つの手なのだ。
一号室が破られた
「頼む、敵を取ってくれ」
一号室の同級生が芝居掛かった口調で言った。ネリキリーはうなずく。
だが、こちらの手巾を取られないようにするのが精一杯だ。
とても片手を上げる余裕なんてない。
イリギスとケルンの指揮がない。
駒将棋でいうなら王と女王がないのだ。不利なんてもんじゃない。
もう二号室も落ちそうだ。
ネリキリーは胸元に伸びてきた手をつかんで回転をさせるようにして、相手を床に叩きふせた。しかし、手巾は奪えない。
敵を倒しても、手巾を取れなければ、意味がない。
競技や模擬戦と違い、シュトルム・エント・ドラクルはここが厄介だ。
ネリキリーは伸びてくる手をかいくぐり、1号室の扉を引き開けて中に飛び込んだ。
窓を開けて露台にでる。次の部屋の露台との隙間は、指先から肘ほどの長さ。
約1レーヌだ。
手すり壁に上がり、飛び越えて次の露台に移る。
それを繰り返して十一号室へ。
やはりレイクとロイシンが二人でいた。この二人はいつも外には出てこない。
あきらめも早くすぐに力負けして扉を開いてしまう。これは寮の誰もが知っていることだ。
窓を叩いて注意を引き、中へと入れてもらう。
「ネリキリー?」
二人の問いかけを片手で制して、二人にやって欲しいことを口早に説明する。
「できるかな?」
「大丈夫」
ネリキリーは不安げな二人の肩を叩いた。できるだけ自信ありげに。
「頼むよ」
ネリキリーは窓から露台に戻り自室に向かった。
十二号室
十三号室
十四号室
ネリキリーは自室にると、すぐさま外に飛び出した。
十号室前でもみ合っている。
味方は五、六人。ルシェとクレソンが二人ともいた。襲撃者は、10人弱か。
勢いをつけて、走りだす。
「下がって」
ネリキリーは味方に声をかけながら、集団の中に躍り込む。
一瞬の間。
直後に反応したのは、フォーク上級生だった。
だが、遅い。
ボトル上級生の手巾を掴んで、振り回すよう引き抜いた。
取った拍子に、フォーク上級生の顔に当たったのは不可抗力だ。
「露台をつかったか」
「いけないとは言われてませんから」
胸元に伸びたフォーク上級生の手を払う。
しかし、人数の差は歴然だ。じりじりと追い詰められていく。
ついに十一号室の前に。
上級生が二人、扉に取りつき、力に任せて引っ張った。
今だ。
扉が開く。大きく強く。
中の一人が開けさせまいとしていた手を放すと同時に体当たりしたのだ。
取りついている上級生をよろめかせるほど。
クレソンとネリキリーが上級生から、手巾を奪った。
これで、相手の戦力は、4人減る。
「レスター、バチェスト。菓子を取るな、後回しにしろ」
クルトン上級生が、十一号室に入ろうとした二人を止める。
クルトン上級生の言葉に部屋に入ろうとした二人が慌てて、戦列に戻った。
その背後からロイシンがそろりと手を伸ばして首から手巾を持ち去る。
同時に、ルシウムが扉を閉める。
かかった。
「何!?……そうか」
ドーファン上級生が、こちらの意図を察したようだ。
シュトルム・エント・ドラクルの作法。
中に入られたら、お菓子を差し出さなければならない。
すなわち、扉が開けられたら、負けではないのだ。
上級生の一人がロイシンを捕まえて彼の手巾を強引に奪い取った。
別の二人が再び十一号室に取りつく。
これでしばらくは七対五だ。
「時間切れを狙ってか」
ドーファン上級生が鋭く言いながら、バードックの手を払う。
「制圧しろ!」
廊下に響き渡るドーファン上級生の声に、敵方の動きがいっそう良くなる。
バードックはドーファン上級生に位負けをしている。
ネリキリーはフォーク上級生の足払いを避けて、後ろへと飛んだ。
密集していた時は制限されていた動きができる。
が、それは相手も同じだ。
ドーファン上級生がバードックの伸ばした手を、まるでダンスをするようにとらえて、くるりと立ち位置を入れ換えた。
ドーファン上級生の背後にいたセーブル上級生が、バードックを後ろから羽交い締めするようにして手巾を抜き取る。
今までは、密集していたために、相手の戦力が十分に発揮されていなかったのだ。
上手いな
わずかに意識が逸れたネリキリーにフォーク上級生の手が伸びた。
またも余儀なく後退する。
いや、違う。フォーク上級生の狙っていたのは、十二号室の扉の取っ手だ。
中には誰もいないのを見越しての行動だ。今度はこちらが二人離脱。
扉が開かれ、後方から飛び出してきたクラフティ上級生が、中へ入った。
間が悪く、十一号室も落ちる。
あとは、三部屋。残り時間は20分。
こちらは三人。向こうは五人。
5年次の最精鋭。ということは高等学院で最精鋭ということでもある。
反撃を試みては、押し返される。
対個人で、魔法や武器を使うなら勝機は少しはあるかもしれない。
が、体術に関しては明らかに相手が上。それに加えて連携も滑らかだ。
クレソンの間合いにセーブルが入る。手巾が手品のように引き抜かれる。
このどう抜き取ればよいかを熟知しているのも最上級生たるゆえんだろう。
ネリキリーはフォーク上級生とドーファン上級生に挟まれた。背後から伸びる手を身をかがめてかわす。
「一人でも大丈夫ですよ」
フォーク上級生が言う。こんな時に口を利ける相手の余裕が悔しい。
「それは分かる。だが、時間がない」
かがめた体を追ってドーファン上級生の指が襟元に伸びる。
からくも逃げ出し、ネリキリーは自室の扉の握りに手をかけた。
「させんよ」
ネリキリーの手をつかみ、ドーファン上級生が素早く手巾を手にする。
最後に残されたルシューも囲まれて最後の手巾が奪われた。
残りはあと、七分。
「惜しかったな」
フォーク上級生がさわやかな笑顔で言った。
十三号室が開けられ、お菓子が持ちさられる。
そしてネリキリーの部屋の前にフォーク上級生がが立った。
扉の握りに手をかける。
勝利の扉を開け、凱旋将軍のドーファン上級生の先触れを担うように。
しかし、扉は開かなかった。
「なぜ、開かない」
寮の部屋には鍵はない。ネリキリーは自室から出てきている。
「どういうことだ」
フォーク上級生はより強い力でひっぱった。
が、無理だ。
ネリキリーは笑顔を彼らに見せた。
ドーファン上級生が信じられないといった顔をしながら言った。
「中に、ケルンがいるのか」
ご明察である。
マルトが、「イリギスとケルンは」と聞いてきた時点で、ケルンが自室にいるのは確定だとネリキリーは思った。
昨日からいないイリギスはともかく、外出したならば、部屋から出たケルンを誰かが姿を見るはずだ。
朝の時点でも、寝坊して、実家に帰るのがおっくうになっているかもとは思っていた。
部屋にある菓子やら何やらで、お腹を満たして一日中寝たり起きたりをすることをたまにケルンは行う。
なので、食堂に一人で直行したし、そのまま談話室にも行った。そういう時はあまり邪魔しないことにして、イリギスと二人でいる。
ただ、実家に帰るとは言っていたので、確認していないネリキリーは予定と答えておいたのだ。
加えて姫りんごが届いたので、襲撃、シュトルム・エント・ドランクがあるかもしれないとの予感があった。
シュトルム・エント・ドランクが開始されたとき、どちらかが部屋にいないなら、部屋にいるほうが、部屋の守備に当たる。そう打ち合わせしておいた。それが定石であるから。
フォーク上級生とセーブル上級生の二人かかりだが、なかなか扉は開かない。
「この子犬の顔をした猛犬め」
あきれた、或いはあきらめたような声でドーファン上級生が言うと、終わりの鐘が鳴り響いた。
ケルンが扉を開けて姿を現すと、廊下に同級生の歓声が沸き上がった。
「情報を精査しなかった、我々の敗けですね」
クルトン上級生が肩をすくめた。
セーブル上級生がまったくだと相槌をうった。
残念そうではあるが、上級生達の顔には笑いがあがっている。
なんだか、自分たちが制覇できなかったのを喜んでいるようだ。
「で、お茶会はいつにします?」
クルトン上級生がドーファン上級生に尋ねた。
「明日で良いだろう。午後のお茶の時間より、食堂が終わった19時半でよいか?」
ドーファン上級生がネリキリーとケルンに顔を向けた。
「その頃には、全員が揃っていると思います。……みな大丈夫だよな?」
ケルンが同級生一同を見回して聞いた。
「「「「異議なし」」」」
賛同の声がみんなの口から出る。
「では、撤収する」
ドーファン上級生が大きな声で皆に告げると、上級生が自分達の部屋に戻っていく。
フォーク上級生が去り際にネリキリーの肩を軽く叩いていった。
「俺たちも騙されたー」
上級生達が引き上げると、マルトが叫びながらネリキリーに詰め寄った。
「嘘は言っていないよ。朝はケルンは実家に帰るって言ってたし」
「俺も帰るつもりだったんだが」
「どうせ二度寝してたんだろ」
「何?その言い方。俺がいて助かったろ?」
「助かったよ。ケルンが寝汚くて良かった」
「お前、生意気だぞ。反抗期か?」
ケルンがネリキリーの背後から羽交い締めをする。
「暴れられなかったからって、僕に技をかけないでよ」
ネリキリーはケルンの腕を笑って外す。
「シュトルム・エント・ドラクルは終了した。廊下でふざけるな」
ルシューが、律儀に注意をしてくる。彼はイリギスと同じ監督生だ。
実家は男爵位で位は低いが、代々、多くの騎士を輩出している武勇では名の知られた一門である。
ネリキリーとは、頭が一つ分近くも背が高い。
ケルンとはあまり差はないが、体の厚みが違った。
「ちょっとじゃれあってるだけじゃないか。そんなに固いこと言うなよ」
ルシューと同室のクレソンが彼をいなす。
彼は子爵の三男で、同じく騎士団入りを目指しているが、性格はルシューより柔らかい。
「だけど、ネリキリーがあそこまで体術を使えるとは思わなかったな」
クレソンが感心したように言った。
「みな、僕が小さいから、手加減してくれてるだけ」
「フォーク上級生はけっこう本気に見えたぞ。最後はドーファン上級生と二人がかりだったから」
「時間が無かったからだよ。フォーク先輩達は僕を倒すことじゃなくて、扉を開ける空間を確保することを優先してた」
ネリキリーは、フォーク上級生達の戦い方を説明する。
そうなのだ。
力任せに下級生を叩きのめさない配慮がそこにはあった。
だからこそ、ネリキリー達は付け入ることができ、完全敗北にはならなかった。
「ドーファン上級生達が、全力を出していたら、イギリス不在の今日、我々はもっと早く攻略されていた」
フェノールが冷静に言う。
「しかし、彼がいないところを狙ってきたということは、我々に戦い方、攻略の仕方を教えるためだったのでしょう」
一同はフェノールの言葉にはっとなった。イリギスの実力は高い。彼の強さと正確な判断に、我々は依存していないかと。
「最上級生は、やっぱりすごいね」
普段のシュトルム・エント・ドラクルでは、ネリキリーは部屋の守備を担うことが多い。
廊下に出ても、イリギスの側にいるネリキリーは一人で上級生と対峙したことが無かった。
今回、初めて対戦して差をはっきりと感じた。
ネリキリーは騎士団などの軍人を志している訳ではないが、カロリングは多少とはいえ魔物がでる環境である。
万が一に備えて家族を守る強さは欲しい。
だが、上級生はそれだけはいけないのだ。下のものを導き、鍛える視線を持つ。
それが、本当の強さだと、行動で教えてくれている。
「けれど、昨年の完膚なきまでの敗北ではないのだから、我々は確実に強くなっている」
ともフェノールは言う。
「奇策で、しかも今回一回きりしか使えないがな」
ケルンが肩をすくめてみせる。
確かに奇策だが、収穫はあった。
「今回の功労者は、ルシウムとロイシンの11号室の二人だよね」
ネリキリーは二人に視線を送る。
「そうだな。やればできるじゃないか。これで戦力が増したな」
ジャンニが二人の背中を叩く。周りの者も、わっと沸いた。
「僕たちはネリキリーに言われた通りに動いただけで」
なっ、とルシウムはロイシンに同意を求めた。
「そうそう。ネリキリーが窓を叩いたときはビックリした。ここ三階だろ?露台を飛び越えるの怖くなかった?」
「夢中でそれどころじゃなかった」
廊下にいなかったケルンがなんだ?と問う。
皆がルシウムとロイシンの働きをケルンにかわるがわる説明した。
それは快挙だ、とルシウムとロイシンに声をかけたケルンは
「そういうやつだよ、ネル、お前は。大人しそうな顔してな」
俺より女受けいいしと、今はあまり関係ないことをふざけた口調でぼやく。
「まさしく子犬の皮を被った猛犬」
フェノールも、先ほどドーファン上級生が口にした台詞を使って断じた。
子犬と呼ばれるのもどうかと思うが、猛犬と言われるのもあまりうれしくない。
「どうせなら、シブーストって言ってよ」
ネリキリーは憧れの青竜の名前を言ってみる。
「「「「それは図々しすぎ」」」」
一斉にみんなから却下の判決が下った。