じゅういち
狩りも終わりになって、やっと一頭の獲物に出くわした。
ケルンとネリキリーが足止めの矢を放ち、イリギスがとどめを刺す。
危なげなく怪角鹿を仕留めた。
狩りの終わりを告げる角笛が聞こえてきた。
秋の日は短い。
ネリキリー達は、仕留めた獲物を勢子に渡さず自分達で運ぶことにした。
日はまだあるが、館に帰る頃には夕日が見られるだろう時刻だ。
狩った怪角鹿の数は87頭。
かなりの成果だった。
ネリキリーやドーファン上級生達は明日帰るが、大人達は二日ほど残って狩りを続けると言う。
毎年、このような大規模な狩りで200頭近く狩り、その後は近隣のものが折々に狩れば、怪角鹿の害はほぼ防げるという。
この季節、宮廷で役職を持たない貴族の中には、狩り場を渡り歩くものもいるということだ。
空地までの道で一緒になったボート伯爵がこの季節の貴族の狩りについて話してくれた。
「では、ベッラ・アンゼリカ、よろしくお願いします」
イリギスの指示通りに、ネリキリーはアンゼリカ嬢へ挨拶をする。
ケルンがにこやかな顔をして、恨めしげにこちらを見ているが、(器用な顔だ)そ知らぬ振りをする。
イリギスがシャルロットをエチケートすることは、ボート伯爵にも、本人にも快く承諾された。
はにかみながら、イリギスに
「よろしくお願いしますわ」
と挨拶するシャルロットに、ネリキリーは少しだけ、妹を盗られた兄ような気持ちになった。
実際には、妹はいないけれど。
「まだ、生きてる!」
和やかに、帰路の支度をしている中、勢子の一人が叫び声を上げた。
「シャルロット、アンゼリカ、動かないで」
ネリキリーは二人を庇う。イリギスとケルンも同時に動いていた。
勢子の叫びで、誰かが怪角鹿の息の根を止めずにいたと解ったからだ。
数頭の怪角鹿が立ち上がっているのが見えた。
まずいことに犬達の大半は、先に空地を離れていた。
人間達は帰り支度をしていたために、武器を手放していた。
今は残った犬が回りを取り囲んでいる。
しかし、犬達は飛びかかる様子はない。
怪角鹿の様子が明らかにおかしかった。
鹿とは違う低い唸り声、体も大きくなっているようだ。
ガレットの言葉が頭をよぎる。
「手負いの獣は危険だ」
ネリキリーは、シャルロットより背の高いアンゼリカ嬢を乗せるため、邪魔になるかもしれないと弓を、馬車に預けた自分を悔いた。
「ここを頼む」
イリギスがいつも身に付けている脇差しを抜きながら、怪角鹿がいる場所へ走った。
細身の彼の姿が犬達と共に怪角鹿に対峙する。
イリギスは小さな炎を怪角鹿の足に点けて驚かせる。
小さな跳躍をして獲物に迫ると、怪角鹿の角をかわして、脇差しを急所に突き立てた。
怪角鹿が横倒しに倒れる。
犬達もイリギスに応えるように、他の怪角鹿に飛びかかった。
その間をイリギスは軽やかな足取りで通りぬけ、次々と怪角鹿を屍った。
誰もがイリギスが獲物を狩りきると思った時に、新たな敵が彼に襲いかかった。
誰もが予期せぬ空からの攻撃だった。
犬達が空に向かって吠えたてる。
飛びカマキリだ。
大きさはカラスほど、本物のカマキリと違い、鳥のように飛ぶ。
前足はまさしく鎌のように鋭利だ。
ネリキリーは図鑑でしか見たことがない。
飛行能力がある分、怪角鹿より強敵なのは一目で解った。
イリギスは初撃を脇差しで防いだ。
グルーマントはつかのま後退し、また攻撃を仕掛ける。
犬達は、まだ一頭残っている怪角鹿と勇敢に戦っていた。
パッと炎が散る。イリギスの魔法だ。
だが、怯ませたものの、固い甲殻で守られた飛びカマキリには通じていない。
イリギス!
ネリキリーは声を出さずに友の名を呼んだ。
「早く、こちらへ」
ボート伯爵の叱咤する声。
「子供と女性を避難させるのだ」
ネリキリーは、その声で我に返る。
シャルロットとアンゼリカ。まず二人を安全な場所へ。
少し離れた所に女性と子供、そして馬を守るように男達がいた。
飛びカマキリの強さに合わせた結界を作っているのか、男女の低い詠唱が聞こえる。
見れば、何頭か怪角鹿が森から出てきていた。ドーファン上級生と数名の紳士達が対峙している。
ネリキリーとケルンは女性達を庇うようにして馬のいる方へと向かった。
シャルロットを抱えあげ、走る。
二人を家族に預ければ、イリギスの応援に行ける。
その矢先、別の飛びカマキリが飛来した。先のより一回り大きい。
飛びかまきりは何かを追っていた。
森猫、口に子猫をくわえた森猫が必死に走っていた。赤く汚れているのは血か。
飛びかまきりの鎌足が、森猫の背に迫り、切り裂く。遊んでいるのか致命傷ではない。
アンゼリカが思わずというように駆け寄っていく。
乗馬用のムチを振り上げ、 飛びかまきりを牽制する。
小刀を持ったケルンが走り寄った。
シャルロットが、ネリキリーの腕から飛びおり、自分の弓を構えて矢を放った。
狙いは正確だったが、引き手が弱いのか頭を掠めて落ちる。しかし、アンゼリカが猫を抱えあげるには十分だった。
ネリキリー達は全速力で走った。
シャルロットをかばって肩口が切られる。
一番弱いところを狙うか!
捕食の定石とはいえ、ネリキリーの頭に血がのぼる。
「もうちょっとだ」
誰かの声がして、 飛びかまきりに石つぶてが投げられた。
四人は結界の中に入った。
結界に近づけない 飛びかまきりは、一人のイリギスに向かっていく。
「シャルロット、借りるよ」
ボート伯爵のもとへ駆け寄り、シャルロットを預けながら、彼女が背負っていた子供用の弓を半ば強奪するように借り受けた。
反転してイリギスの近くまで駆け戻る。
視界の隅にケルンが、ボート伯爵から杖を強引に借りているのが目に入った。
イリギスは苦戦していた。
犬達がいるとはいえ、二対一。
ネリキリーは弓を構えた。
子供用の弓。威力は小さい。矢じりも潰されている。
が、ゆえにイリギスに当たっても問題はない。
飛びカマキリの動きを牽制できればいい。
立て続けに三本の矢を射る。
動きを邪魔されて敵に隙が生じる。
気配を察したのか、大きいほうの一匹がこちらに飛んできた。
ケルンが杖で向かえ討つ。
杖が空気を切り裂いて飛びカマキリの翅に当たった。
グギギキ、と金属をこするような鳴き声を飛びカマキリがあげる。
「そう、翅だ、翅が急所だ」
どこからか、飛びカマキリの弱点を示唆する声が飛んできた。
ケルンが飛びカマキリの相手をしてくれる間に、イリギスの敵へ矢を放った。
飛び回る敵の速度を見越して、頭を狙う。
予測通りに、翅に当たった。
翅から、細かい粒子が飛ぶ。いくらか敵の動きが鈍った。
イリギスが、魔法を交えながら、飛びカマキリの翅を削りとっていく。
明らかにイリギスが優位にたった。
ケルンの杖をかいくぐって、飛びカマキリがネリキリーに向かってきた。
ネリキリーは、とっさに弓を大降りして払う。
飛びカマキリの鋭い鎌足が弓弦を断ち切った。
敵の鎌足がネリキリーに届く寸前、ケルンの杖が割って入った。
ネリキリーは手にしていた矢を両手で持ち、相手の鎌足の関節めがけて突き刺した。
そして、後ろに飛びすさる。
間をおかず、振るわれた杖が鎌足に叩きつけられ、敵の武器がもがれた。
ネリキリーはとっさにそれに飛び付く。
怒り狂った敵が、今までの倍の速さでネリキリーに迫った。
ふたたび振るわれる杖。
ネリキリーは、その隙をつく。
EGO OPT……
魔導式を呟き、鎌足に渾身の力を込めて飛びカマキリの翅に叩きこんだ。
飛びカマキリの翅が光を帯びた瞬間、それは焦げて崩れた。
敵が地べたに墜ちる。
もがく敵の首の付け根に鎌足を突き刺し、止めを与えた。
ふわりと、足に力が入らなくなり、ネリキリーは膝をついた。
視界の向こうに飛びカマキリと怪角鹿をみごとに倒したイリギスが見えた。
「腰が抜けたか?」
ケルンの言葉に笑って答えようとネリキリーは試みたが、体に力が入らない。
ケルンの顔色が変わった。
「ネル、大丈夫か、ネル」
イリギスが、駆け寄ってきた。
怪角鹿を片付け終えたのか、ドーファン上級生達も走ってきた。
「飛びカマキリにやられたのか 」
ドーファン上級生が言った
「小さな傷はありますが、問題ないものばかりです」
ネリキリーの体を確かめていたケルンが答えた。
「まさか毒が」
ボトル上級生が呟いた。
「飛びカマキリに毒はありません」
「だ、大丈夫です。ただ、足に力が…入らなくて、ちょっと…めまいがす…るだけで」
ネリキリーは切れ切れに言う。
イリギスが近くに転がっていた飛びカマキリの死骸を見て言った。
「魔法を使った?かなり強力な」
「雷電の…魔導…式を」
「魔力欠乏の症状だ。まったく無茶をする」
イリギスは屈みこんで、小さな、飴のようなものをネリキリーの口の中に入れてくれる。
それは、口の中を甘さで満たした。
軽くかむと、はかなく壊れ、中からいっそう甘やかな液体が溢れた。
それは、舌に、体に溶け込み、軽い悦びにも似た感覚が走った。
「こ…れは」
「魔糖菓子だ」
「あま…いね」