984 魔王子の農場見学
「ちなみに、向こうでオークさんたち並のスピードで開墾している人族の女性がいるでしょう?」
「はッ!?」
言われてボク……魔王子ゴティアが注目すると、たしかにオーク並みの凄まじい土飛沫を上げる何者かがいるが、オークでないことは一目でわかった。
遠目でもわかる、人族の女性だ。
いや、人族でしかも女性が、変異化オークと同等の仕事量を発揮しているという事実が軽くホラーだが……。
「彼女はレタスレートさん。既に滅んだ旧人間国の王女様です」
「きゅうにんげんこく!?」
最近勃興した新人間国の方じゃなく!?
あの国の王族って皆処刑されたんじゃなかったの!?
「どっこい生きてる。表向き死んだことになっていて、ここで匿われていたわけですね」
「誰だ、魔王の命に逆らって敵を生きながらえさせたのは!? 反逆罪だぞ!」
「魔王様のご命令です」
「父上の!?」
父上が指示したのであればそれは反逆罪?……反逆罪か?
「魔王様は慈悲深い御方ですので。そしてゴティア殿下が農場で学ぶ以上は隠し通すことも無理だろうということで、早めにバラしておくことよう御下命賜っております。……これで必要事項一つクリアと。チェック入れとこ」
そんな……すべてにおいて完璧にことを成し遂げる父上が、裏でそんな妥協をしていたなんて……!?
「親の知られざる一面に気づく。子どもとしてはショックでしょうね。まあでも浮気とかよりはいいじゃないですか。……いや魔王様は浮気してる? ちゃんとどっちも妻として容認していればセーフ?」
敵王族をヘタに生かしておけば、のちのち報復の契機となる。
そうやって滅んだ者がどれだけいたか、歴史を紐解けばわかるでしょうに。
今目の前にいる者こそ、我ら魔王家への潜在的脅威!
いずれ魔王の座を継ぐこのボクが、災いの芽を摘み取らねば!! ウォオオオオーーーーーーッ!!
「あッ、注意ですがくれぐれもレタスレート王女にケンカ売らないでくださいね。今の王子だとコンマ二秒で潰されますよ」
「いだだだだだだだだだだだだだだだッッ!?」
何これッ!?
この魔王子であるボクが、指一本で捻り潰されたんだけど!?
お姫様ってか弱いものではなかったの!?
「お姫様の常識でなく農場の常識で見るべきでしたね。ここに住んでるモノたちは総じて次元が違うんですよ」
「はぁー、これが事前に連絡のあった魔王ちゃんの息子たんか。父親に似ず粗忽そうじゃない?」
「そうですね、どちらかと言えばアスタレス様似かと」
ぐおー、おのれ! 言うに事欠いてボクが父上に似ていないだと!? 遠回しな侮辱か!?
「いいえ、どちらかというとアスタレス様に似ていると言った方が侮辱です」
「アンタ物怖じしなくなったわねえ。でもこの子、私も会ったことがあるはずなのよねコイツが赤ちゃんの頃? まったく記憶にないわ……!?」
「そりゃあ当時のレタスレート姫とまったく接点がありませんでしたからね。魔王様たちと訪問していた時には、豆畑にかかりきりだったんじゃないですか?」
「私その頃から豆にハマってたかしらね?……ハマってたわ」
会話中も、この人族姫の指先一本で全身の動きが封じられているボク!?
くそ、なんて力なんだ!
こんな凄まじい膂力のお姫様がいて、よく我ら魔王軍は勝てたもんだなあ!?
「……このお子ちゃまよ、これぐらいで農場を知ったつもりになっては甘すぎるわよ」
「アナタが代表して農場を語るのに違和感しかないんですが」
「ここにはさらなる強者が豆の数ほどいるって言うことを教えてあげましょう。おーい、ホルちゃん」
誰か呼んでいる!?
すると天空から、女性が下りてきた!?
女の人って飛来してくるものなのか!?
「御用ですかレタスレート?」
しかもこの女性、背中から翼が生えている!?
一体何族!?
「ホルちゃんのね、実力を見せてくれたらこの子がいくらでも納豆食べてくれるって」
「ちょッッ!?」
え? 何ボクのこと?
ベレナが物凄く動揺しているんだけど一体何を勝手に約束した?
「納豆が関わればいかなる用件であろうとお安い御用。納豆千斤分の奮闘をご覧に入れましょう」
「量が殺しにかかっている!?」
「しかし争いとは一人でできぬもの。対戦相手を呼ぶことにしましょう。ヴィールさんヴィールさん」
なんか連鎖的にドンドン人が増える!?
今度現れたのは何と……ドラゴン!?
『んあ~、呼んだかトリ女? 納豆ならもう気が向くまで食わねえぞ?』
「納豆ならば気が向かずとも食べられるもの。それはそれとして久々に手合わせしませんか? 時たまアナタを完膚なきまでに叩き潰したい気分になるのです」
『あぁ? おれがお前に叩き潰されたことがあったかぁ? 奇遇にもおれ様も、お前のことをけちょんけちょんに粉砕したい気分になったのだ、たった今な!!』
ちょッ、ちょちょちょちょちょちょちょ……!
あの有翼人、まさかドラゴンと戦うつもりなのか!?
世界二大災厄と恐れられるドラゴンと、一対一で戦える存在なんてそれこそ同じ二大災厄であるノーライフキングぐらいしかいないのでは!?
ボクも授業で習った。
魔都の近辺にドラゴンが現れた時は……それより危険度の低いレッサードラゴンでも厳戒態勢になって、魔王みずから軍を率いて応戦に赴くという。
魔都守備隊が全軍出動し、それでも撃退できるかどうかわからないという。
『王子も魔王となった暁には、命を懸けてドラゴンに立ち向かわねばならんのですぞ!』と家庭教師にも言われた。
そんなドラゴンと……。
『おれのターン、ドロー!』
「わたしはカードを二枚伏せてターンエンドです」
あの翼の生えた女性は、互角に戦っている!?
掛け声の意味はわからないけど、普通の殴り合い、魔法の撃ち合いだ!?
「こうしてホルコスフォンさんとヴィール様がじゃれあう風景も随分久しぶりな気がしますねー」
「アイツらもあれから随分パワーアップしてるから。周りへの余波も考えるとそう頻繁にどったんばったん大騒ぎはできないのよ」
ひぃいいいいいいいいッ!?
風圧で! 風圧で体が吹き飛ぶぅうううううううッ!?
……あッ、寸前で人族王女に首根っこ掴まれて飛ばされずに済んだ?
でもでもッ! 連続的に巻き起こる衝撃に全身がビリビリする!? 骨が軋む!? 戦いの余波だけで押し潰されそう!?
ドラゴンが火を噴いた熱い熱い熱いッ!?
火からあんなに遠いのに炙られるように熱い!?
さらのあの有翼人が撃つ魔法みたいなのの、撃つたびに周囲に響き渡る轟音が、ボクの鼓膜を直接揺さぶるようだ!
いや鼓膜どころか体全体が揺れる!?
もうやめて! 助けてぇえええええええッッ!?
「しかしヴィールは、小回りの利く相手への対応が随分上手くなったわねぇ。ここまでまったく隙を見せないじゃない?」
「昔はそれで随分ホルコスフォンさんに出し抜かれていましたからね。お陰で容易に決着がつかなくなってしまったから最近は手合わせが少なくなったようですし」
「二人ともそんな暇があったら納豆作りやラーメン作りに精を出したいものねえ」
こんな中で何を冷静に解説してるんだ人族王女とベレナはッ!?
こんな大嵐みたいな空間内で少しもたじろがないの!?
ドラゴンと謎の何かが行う実力伯仲の戦い。それは傍に及ぶ余波だけでも木っ端微塵に打ち砕くぐらい凄まじい。
少なくとも一般的な人や獣は木っ端同然だ。
それを、悠然と立って見物できているこの二人も、尋常ならざる強者という証明じゃないか!?
『あー飽きた! やっぱりテメーとの戦いはつまんねーのだ!』
「基本千日手ですからね。手が尽くされてしまえばあとは単調なだけの泥仕合です。そんなことをする時間があったら、私は納豆の発酵具合を見守りたい」
『おれだってゴンこつスープの味見でもした方が千倍有意義な時間なのだ! あーもうやってられねえ! おれは戻るぞ! 後始末はやっておけなのだ!』
「今日は私から呼びかけましたのでそれぐらいの骨折りはしますよ」
『お疲れなのだー!!』
ドラゴンは去っていった。
その風圧で今度こそ吹き飛ばされるかと思った。
しかしそれでやっと世界の終りのような騒乱は収まった……。
あんな嵐と津波と大火事と落雷がいっぺんに来たような騒ぎが収まると、周囲は耳が痛くなるような静寂に包まれた。
……世界ってこんなに静かだったのか。今まで気づかなかった……。
「……いかがでしょう? 聖者の農場が誇る機動天使ホルコスフォンと、農場を守る最強ドラゴン、ヴィールとの模擬戦は堪能いただけましたでしょうか?」
翼をバッサバッサはためかせて降下してきた有翼人に、ボクはコクコク頷くしかできなかった。
ドラゴンも凄いが、この女性もなんなんだ?
こんな小柄な体格で、あんな巨大なドラゴンと互角なんて……!?
「念のために補足しておきますが、ヴィールさんはドラゴンの中でも抜きんでて強い個体です。彼女一体で他のドラゴン数十体分の力があります。なので他のところで別のドラゴンに出会っても、ヴィール並みだと期待はしてあげないでくださいね可哀想ですから」
……わ、わかりました?
いや、そもそも他にドラゴンと出遭う予定もないし出遭ったところで何も期待する項目なんてないけど?
いや、それよりもあのドラゴンが他の個体より遥かに強いなら……。
そのドラゴンを擁している聖者の農場がますます物凄いってことじゃないのか!?
既に優秀な魔族や変異化モンスター、何故か最強クラスの人族王女と潤沢すぎる戦力があるのに……。
それに加えてあのドラゴン、そのドラゴンに対抗できる有翼人。
聖者の農場が保有する戦力は、一体どれほどのものになるんだ?
「それでは」
「え?」
気づけば例の有翼人が、ボクのすぐ後ろに忍び寄っていた。
なんか手に小さな器を持って。中に何か入っているようだが……。
「約束通り納豆を食べていただきましょう。何、臭いと思うのは一瞬です。すぐにその匂い自体が癖になって、美味しく食べられるようになりますよ……」
何を?
いやあの、ボクは、ヒトから貰ったものは食べてはいけないと母上から言われていて……!
だからダメなんです! お願い! 助けて!
うわぁあああああああああ……!?






