982 魔王子の旅立ち
ボクは魔王子ゴティア。
『もっとも偉大なる魔王』と称される魔王ゼダンの息子にして長男。
偉大なる父上の後を継ぎ、新たなる魔王となるであろう第一候補。
それゆえボクは常日頃から厳しい修練を積み、魔王の息子として恥ずかしくないようにみずからを高めている。
勉強も、教養も、武術も。
それぞれ最高の家庭教師がつき、さらには同年代の学友も選りすぐりの者が抜擢され、将来ボクが魔王となった時に側近となる幹部候補の役割を担っている。
父上は魔国の歴史始まって以来最高の偉業を果たした。
その跡取りであるボクは偉業を受け継ぎ、さらに発展させていく重要な役割を担う。
だからボクに息抜きしている暇なんてない。
厳しい修行を重ねて一日でも早く父上に迫らなければ。
そう頑張っているある日、ボクは父上から呼ばれた。
* * *
「魔王子としての勉強は頑張っているようだなゴティア」
「はい! いずれ父上の跡を継ぐ時のため、たゆまず精進しています!」
父上は現魔王としてお忙しく、ボクと会える日もそんなに多くない。
それでもこうして対面の時間を確保してくれるのは、ひとえに慈悲深いと名高い父上ゆえであろう。
「あの……父上、無理してこのような時間をとっていただかなくても……」
「うむ?」
「父上がお忙しいのはわかっています。その貴重な時間をボクのために割き、父上の統治を妨げていると言われてはボクの魔王子の面目が保たれません。どうかボクのことはお気になさらず、魔王の政務に励まれますよう」
「うむ……!」
ボクは魔王子として当然のことを言うと、父上はどこか沈痛な面持ちで。
「しかしな、たしかに我は魔王としての責務にかまけてお前との時間を蔑ろにしている。アスタレスも、お前の妹の世話にかかりきりでなかなかお前にかまってやれぬし、その上三人目まで身籠ってはな……」
「後継候補が潤沢にいることは、王家存続が確固たるものになって基本慶事です。生憎ボクより下はこれまで女児ばかりでしたが、次に生まれるのが男子なれば第二魔王子となり、ボクに万一のことがあろうと魔国の次代は揺るぎません」
「そんな不吉なことを……!?」
「魔国を存続させるためにはあらゆる事態への備えが必要です」
次期魔王の最有力候補として、ボクは歴史の講義も欠かさず受けている。
過去の魔国において、期待されていた魔太子が急病にて身罷り、それが発端となって泥沼の後継争いが起こった事例も習っている。
そういう事態を避けるためにも二位以下の後継候補の順序もしっかり立てておかねば。
「そういう意味では、グラシャラ妃までもが第二子を懐妊されたというのは不穏な状況です」
我が母であるアスタレスは第一魔王妃。グラシャラは第二魔王妃として既に一子を儲けているが、それは王女で後継争いには直接関係ない。
さらに言えば我が母上が生み落としたベルゼビアも我が妹で魔王女。こちらも後継争いには無縁。
しかし今やその二妃が同時に新生児を宿しているという。
「これでもし母上が王女を生み、グラシャラ妃の新子が男となれば、第二妃の子が第二魔王子となります。母の違う二人の王子が一位二位を占めるのは明らかに火種。何らかの対策が必要になるのでは?」
「ううむ……」
父上が難しい顔をするが、何を難しいことがあろう。
ここは魔国に将来に無用の火種を残さぬためにも、先んじて宣言を出し、王位継承権があるのは第一魔王妃である我が母アスタレスの子でなければならぬと……。
「黙れゴティア、差し出口を挟むな」
「ひッ?」
そう厳しく言い咎めるのは、同室にいる女性……アスタレス母上。
まだ生まれたばかりの妹ベルゼビアを胸に抱き、そのお腹には三人目の子を既に宿しているという。
しかし母上は、下手したら父上より遥かに厳しい。
「後継者の選出は、現魔王の胸三寸。その他の誰も口出しできる沙汰ではない。特にゴティア、目下第一候補と言われるお前が軽々しく騒げば、お前自身が自分の立場に執着しているなどと邪推を受けるぞ」
「そんなッ、ボクはただ無用の争いを避けようと……!!」
「子どもが気にすることではないわ。どうせ自分で直接意見できぬ腰抜けが、幼いお前の口を借りたのだろうよ。姑息な輩どもだ」
そんな母上。
ボクが、卑しい大人たちによって簡単に操れる子どもだとお思いなのですか?
ボクはすべての家臣を問題なく率いることができるよう日夜必死に勉強しているのに……!
「ま、まあまあアスタレスよ、そう厳しく言わんでもいいではないか。ゴティアは今様々学んでいる最中なのだから」
「だからこそ今、しっかりと覚えてもらわねばなりません。大きな力を持つ者には常に不逞の輩がすり寄ってくるものなのだと。権力者を思う通りに操ることができれば、その者の持つ権力をも自在に操れるのと同義なのですから。ゴティアには人一倍の疑念と用心が必要なのです」
「うぬぅ……!?」
父上の執り成しにも母上はまったく動じない。
やっぱり父上より母上の方が断然厳しい。
ボクが生まれる前……魔王妃となる以前は四天王として誰もが恐れる残虐将軍だったというが、その話に嘘偽りはないと思える。
「そろそろ本題に入ってはどうです陛下? 陛下もこの子も暇な身の上ではないのですから、時間は有用に使いませんと」
「そうは言うがな、せっかく久々に持てた家族の時間なのだから、もう少し触れ合いというものをだな……!!」
「ゴティア、かねてからお前に新たな学びの場を用意しようという話がありました」
「独断で話を進めないで……!」
母上?
学びの場? それはどういうことでしょう?
ボク修学には魔国最高の家庭教師が当たり、この上ない環境で学べていると自負しています。
これ以上の学習環境はないものと思っていますが?
「本当にそう思っているのか? であればお前の視野はまだまだ狭いと言わざるを得ない。我が敬愛せしゼダン様以降の魔王は、魔国より外にも目が届く広い視野を持たねばならん。新人間国や人魚国など、他国との良好な関係を維持していかなければならんのだからな」
それはたしかに正論ですが……。
「さすれば国内の識者に習うだけでは不足となろう。ということでお父上はお前のために最高の学びの場を用意してくださったのだ」
……お気遣いは何となくわかりました。
さすれば、その『最高の学びの場』とは一体どちらのことを言われているのでしょう?
「うむ、ところでゴティア昨年の秋頃のことを覚えているか? 魔王家が揃って真都を離れたことがあっただろう、お前を残して」
「あの時は本当に悪かったな! 別にお前をのけ者にしたかったわけではない! あれはそう、深い深い理由があってな!!」
父上が慌ててフォローに入るが、ボクとしてはそんなこともあったなあ、という気分だった。
父上と母上と妹のベルゼビア、それに加えて第二魔王妃のグラシャラとその娘マリネまでもが揃ってお出かけして魔都を空けたことがあった。
昨年に。
しかしその時ボクだけは魔都で留守番となり、結果だけ見るとボクだけが魔王一家の中で取り残される形になった。
メイドなどは『お可哀想に……』などと同情ごかしていたが、まったく余計なお世話だった。
ボクが魔都に残ったのはあくまで欠かせぬ授業があったからで、魔王子の務めがあったからに他ならない。
まだ幼い上に、王女として責任の遥かに軽い妹たちとは違うんだ。
「たしかにそういった理由もあるが、あの日お前を連れて行かなかったのにはもっと重大な理由もあった。その理由が今、意味を芽吹かせ始めた」
?
何を言ってるんですか母上?
もうちょっと明瞭簡潔にお伝えいただきたいのですが?
「要するに、我々が先秋向かった場所にお前も学びに行くのだということだ。その場所は……聖者の農場!」
聖者の農場?
それは、城下で噂になっているという謎の理想郷のことでは?
富、名声、力……この世のあらゆる財貨が眠っていて、それを見つけた者は世界のすべてを手にするも同じと言われる伝説の場所。
しかしそれを見つけた者は一人もおらず、人の夢の中しか存在しないとも言われる。
『愚か者ほど荒唐無稽の夢を見たがるものでございます。魔王子にあらせられるゴティア様はそうした者と交わることなく、そうした者を使い操ることを念頭に振舞われますよう』
……と家庭教師からも言われていた。
そんな聖者の農場の存在を、父上や母上も信じていたなんて……!?
いや、実際行ってきたって?
「お前も、聖者の農場に足を踏み入れたことはあるのだぞゴティアよ。まだ物心つく前のことではあったがな」
「何ですって!?」
「だが、お前の物思いがしっかりするようになってからはあえて避けるようにしてきた。あの場所は特殊すぎる故な、価値観がしっかりするより前にあそこの常識に慣れてしまったら、次期魔王としての判断基準が狂ってしまわぬかと心配になったのだ」
『もっとも偉大な魔王』たる父上をしてそこまで言わせるなんて……。
聖者の農場とは本当にあったのか。
そして父上が認めるほど物凄い場所だったということか。
そんなこと家庭教師は一言も教えてはくれなかった……!!
次いで母上が言う。
「しかしそろそろ解禁だ。魔国で学ぶばかりで井の中の蛙になることも問題であるのでな。小さな場所で凝り固まった価値観を吹き飛ばすに、聖者の農場より打ってつけはない」
「冬に入る前の訪問で、話はしっかりつけてきた。ゴティアよ、お前は今春より農場にある農場学校に留学するがいい。今まで体験したことのないものが目白押しとなろう」
ですが父上……!?
ボクには、今の家庭教師から講義の真っ最中で。
留学するからには、それらが途中で止まってしまうことに……!?
「そんなもの取りやめでよかろう」
母上!?
「魔都でヌクヌクしている学者の講義など、農場で体験できることに比べたら塵芥に過ぎない。ゴティアよ、お前が本当に次期魔王を望むのなら迷わず農場へ行ってくるがいい。さもなくばお前は魔王になることもできず凡俗の一生を終えるであろう」
「いや、そこまで大袈裟なものでも……!?」
くッ。
わかりました母上。
そこまで言われるならば、この魔王子ゴティア聖者の農場へと向かいましょう。
父上の跡を継ぎ立派な魔王となるために!
聖者の農場が、噂にたがわぬものか確かめてみせましょう!!






