974 風邪を引いたことがない者
あのさあ。
山登りのエキスパートなら冬山の怖さぐらい知っとけよ!!
素人の俺ですら伝え聞くレベルだぞ!!
S級冒険者(元?)ゴールデンバットの突然の来訪。
その用件として、突如設立された登山サークルの勧誘に、その活動としていきなり山登りに参加せよという要請に俺は辛抱ぶっ飛びかける。
俺だって完全な門外漢だし、詳細を知っているわけではないか、とにかく冬の登山は即死に繋がりかけない危険極まりないものだという。
気温は簡単にマイナスを下回り、下手に夜を明かそうなら凍死は確実。
雪に埋もれて道もわからず、吹雪に合えば視界を塞がれ方向感覚すらあやふやに。
地面凍結で滑落の危険もある。
冬の山は、まさに地獄の一丁目。
だからこそ前の世界では『山開き』『山閉じ』という制度があったわけで……。
「そんな危険な冬山に素人同然の俺を誘おうなんて、まさかお前、俺を間接的に殺害しようとしてない!?」
「何を言う。山を愛し、山を知り尽くしたオレがそんな粗忽なことをするわけがなかろう!」
そうですよね!
よかった!
山のエキスパートを自称するゴールデンバットだからこそきっと、冬山だからこそ安全に過ごせるなにがしかの作戦を立てているに違いないってこと!?
「気合と根性で乗り切る」
「やっぱり何も考えてなかった!」
やべぇよ、こんなアホに深く考えずにホイホイついていったら雪山で氷漬けになるところだった!!
「大丈夫だ、オレはこれまで四百回は冬の雪山に登ってきたが、こうして無事でいる。お前たちは大袈裟に考えすぎるんだ、冬に山登りしたところで早々迷って死ぬものではない」
「そ、そうかな……?」
「まあ、実際死にかけたことは何十回とあるがな」
「やっぱりダメだ!」
コイツただ毎回の冒険が命がけすぎて感覚がおかしくなっているだけだった。
さすがS級冒険者。
生死の境界線が曖昧過ぎる。
「そんな感じで冒険者ギルドの方でも会員を募って、大多数を引き連れて分裂してやろうと思ったんだがな。上手くいかなかった」
「うわ悪質」
そして上手くいかなかったという理由も即座に腑に落ちる。
そんな上級者向けスリル・ショック・サスペンスで死の危険と隣り合わせのサークル、誰も所属したいとは思わないだろう。
「じゃあ、今のところ何人くらい登山サークルに所属しているの?」
「オレをあと一人くらいだな」
「弱小!!」
もはや団体とは言えないくらいの小規模。
さもあろう、そんな命に係わるリスクを背負わされておきながら、得られるものといえば山に登った達成感くらいのもので、そんなもの真の物好きでもなければ参加したいとは思わない。
「クソッ、一体何故なんだ!? 世の中に、山に登るより崇高でやり甲斐のあることなどないだろうに! 冒険者ギルドの大半が賛同してくれるものと思っていたのに、誰もついてきやがらない!」
そりゃ冒険者たちだってスリルやり甲斐以前に、生活のために冒険者しているのであって、適切な報酬も見込めずにギルドを脱してわけもわからんサークルに移籍はできんでしょうよ。
どうもこのゴールデンバット、そうした地に足ついた的な視点が抜け落ちているように思える。
それだけこの男が、特別ってことなんだろうか。
天才ゆえの欠落した常識。
そういうものが実際にあるんだってゴールデンバットを見ていると思える。
「あのー……、ここにウチのギルドの者がご迷惑をおかけしていると聞いて……、うわ本当にいた……!?」
「貴様はシルバーウルフ!?」
おやおや?
問題のギルドマスターにして、今では引退した元S級冒険者のシルバーウルフさんがご来訪。
でもどうして?
ここにゴールデンバットが来ているとよく気づけたな?
「アタシが呼んだのよ!!」
おッ、プラティ?
「転移魔法で冒険者ギルドに飛んで、事情を話して連れてきたのよアタシが!」
なるほどゴールデンバットが押しかけて来た時点で厄介事を察し、これを収めるに一番適切な人材を選び出してきたってことか。
さすが我が妻、気が利いている。
「ウチの関係者がご迷惑をおかけして本当に申し訳ない……!! 今すぐ連れて帰りますので今回のところはご容赦を……!」
「おいシルバーウルフ!! なんでお前が口出ししてくる!? それにもうオレは冒険者ギルドを脱退して、お前の関係者だった覚えはないぞ!!」
「そんなの認めるわけないだろう。いい加減自覚しろよ、お前性格はそんなでも立派なウチの稼ぎ頭なんだぞ」
やっぱり。
シルバーウルフさんもギルマスとして真っ当な神経の持ち主というか、性格はアレでも実力最高なS級冒険者をホイホイ放流するわけがありませんでしたな。
ホント性格はアレだが。
「テキトーにやりたいことやらせておけば、そのうち飽きて戻ってくるだろうと思いきや聖者様にご迷惑をかけるとなったら話は別だ。お前もいい加減組織の看板であるという自覚をもって考えて行動しなければ、お前自身が組織の長を務めるなんて夢のまた夢だぞ」
シルバーウルフさんによる百パーセント正論。
そして次に淀みなく俺に向かって土下座する。
本当に淀みない。
「このたびはウチの者が迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ありませんでした……!!」
「いえいえお気遣いなく!!」
部下の不始末に、責任をとることができる上司の鑑!
「おいシルバーウルフ風情が何を勝手に頭を下げてやがる!? それじゃあオレが悪いことをしたみたいじゃないか!?」
実際悪いことしているんだよなあ。
「黙るにゃーん」
「ごぶほぇあッ!?」
「ただでさえ新体制移行直後で忙しいギルドマスターに余計な手間かけさせて、ケジメつける覚悟はできてるのかにゃーん?」
ブラックキャットさんまで一緒に来ていたのか。
そして容赦なく猫パンチでゴールデンバットのことをボコボコにしていく。
あれこそまさに制裁。
猫のフリッカースタイル。
「同期という関係柄、強く出られない旦那様に代わってコイツにわからせてやるのがギルドマスター夫人たる私の役目にゃーん。というわけで遠慮せずマヒ引っ掻きにゃーん」
「ネコ科仲間にありがちな技ッ!?」
容赦なくボコられていく……!?
ゴールデンバットのことは彼女に任せておけばいいとして、駆けつけてきたシルバーウルフさんは長く深いため息を漏らし……。
「なんか勝手に立ち上げたサークルに人が集まらないからと言って聖者様を勧誘しようとするとは……。無茶といえば無茶だが、だからこそのゴールデンバットというべきか……!?」
なんか一人愚痴を呟く。
いかにも溜め込まれてそうだもんな。
「まあ、この結果は大体予想できたことでもあるんですがね。ゴールデンバットの超越しすぎた目線に、一般の冒険者がついてこられるわけがないと」
それが天才ってことなんでしょうかねえ?
余人では計り知れないものを見通す神がかった直感。
「余人が不可能だと思っていることにもそうは思わず果敢に挑戦し続ける。そして実際に可能にしてしまう。ゴールデンバットの成功はそれらを礎にして成り立たせている。ヤツにとっては信じて疑わないことこそが勝利の第一条件なのでしょう。天才に生まれついたからこそできることですが……」
そこでシルバーウルフさんがまた深い息を吐く。
「アイツの問題は、それが他人にとっても常識だと思っているところですな。たしかにアイツは天才です。やってできないことなどそうそうない。だからこそ他人もまた信じて行えば絶対叶うと当たり前のように思っているのです。凡人であろうとかまわずに……」
それはそれでありがた迷惑な話よ。
ゴールデンバットの天才たるゆえんは、どんな困難にも決して折れない心だけじゃない。
そもそも全体的に高スペックな才能なのだよ。
コウモリの獣人として聴覚は鋭く、空まで飛べる。
身体能力も総じて高い。
それだけでなく頭の回転も速く、直感鋭くて、判断も正確。考え方も合理的で、何より気力充溢。
困難に挑戦するために生まれてきたような性格だ。
だからこそ冒険者として大成できたんだろうし、そんなヤツでもなければS級冒険者になれない。
しかし何事にも裏表はある。
ゴールデンバットを最強たらしめた性格も、裏を返せば彼の欠点になりかねない。
「それが表に出ているということなんでしょうな、今の状況は。凡人は、あまりに厳しい現状に折れて挫折してしまうこともあると、挫折を知らないゴールデンバトにとって想像も及ばないことなのでしょう。そしてそれは多種多様な人間をまとめるべき組織の長としては致命的な欠落です」
昔どっかで聞いた言葉がある。
――『風邪を引いたことのない人間は、風邪で寝込んだ人の苦しみを理解できない』と。
それと同様に、やはり様々な人の苦しみに寄り添ってやれるのは、それと同じぐらいの辛酸をなめて痛み苦しみを体験した人こそが組織をまとめるには向いているのだろう。
それこそシルバーウルフさんとか。
しかしながらシルバーウルフさんは、同時に卓越した資質から、苦労と挫折を重ねながらもS級冒険者にまでなった強者。
ゴールデンバットにとっては、凡人ながらも自分と一緒に駆け続けてきたシルバーウルフさんは貴重な存在なのかもしれない。
だからこそ同じ土俵から降りることを許さず、自分が同じステージに移ってまで勝負を続けようとしたのかな?
「さあ、ゴールデンバットよいい加減に帰るぞ? お前に任せたいクエストも溜まっていることだし、そろそろ働いてくれないと……!」
「はなせぇ! オレは登山サークルを世界一の大組織にするまでは……!」
「ちゃんとクエストこなしてくれたら、私も協力してやるから……!!」
そう言いながらシルバーウルフさんは、奥さんであるブラックキャットと一緒にゴールデンバットのヤツを引きずって帰っていった。
ギルドマスターになったら、あんなに優秀ながらも難のある人材を上手く使いこなしていかなきゃいけないのか。
本当に大変だな。