933 本当の強者
冒険者のシャベだ。
今だけはその名乗りを復活させる。
とっくの昔に破れ去った夢をみっともなく繕って、起死回生の大チャンスに飛びついてみた。
S級冒険者昇格試験。
開催地・聖者の農場。
身重の妻に負担をかけてまで乗り込んできた勝負の地。
一世一代の賭けに、自分を信じて送り出してくれた妻のためにも必ず自分の心残りに決着をつける。
そもそも冒険者からドロップアウトして年単位の月日が経ち、もはや鈍り切ってまともな動きができるとは思えない。
合格してS級冒険者になれる確率は万に一つ……いや、それにすら満たないだろう。
『受験資格は問わない』という破格の条件さえなければ、受験することすら叶わなかっただろう。
それでも、死ぬ気で予備試験を突破してついに本試験への出場を決めた。
本試験会場は聖者の農場。
若き頃から追い求めてきた聖者の農場だった。
世界のどこかにあるという、この世のすべての富と英知が秘蔵されているという理想郷。
一時期多くの夢追い人たちが、このロマンに満ちた隠れ里を噂し、実在をたしかめようと世界中を探し回った。
探検家に開拓者……もちろん冒険者も。
冒険者は、夢とロマンを空気代わりにして生きている連中だから、聖者の農場はこの上なく優良な夢とロマンだった。
そんな聖者の農場に、現実に今、足を踏み入れている。
冒険者として長年夢見ていた農場に……!
「……思ったより普通なんだな」
と、まず思った。
農場というだけあって地平を見渡す限り、畑が広がっている。
実に整備された畑で、瑞々しい草葉が目に沁み込むほどだったが、オレの想像ではきっと黄金色の草木に、宝石のごとく色とりどりに輝く実が成ってるのかなあと思っていたが。
でも見たことのない作物も多い。
もっと近くで……。
「はいはいはい、そっちは試験とは関係ない区画だから近づかないでねー」
……見ようとしたら止められた。
オークに。
擬人モンスターのオークは知っているが、こんなに流暢に言葉を使えるような生物だったっけ?
しかも発せられる気配もただ者じゃないとわかるし……。
もちろんその気迫に圧されて大人しく引き下がったがな。
さすが農場、番人をしているモンスターもそんじょそこらのものとは違うってことか。
こうしてキョロキョロしているだけでも目を引くものが数え切れないほどもある。
やっぱり聖者の農場は、冒険者の夢になるだけの貴重な場所だったんだ。
オレが若い頃、追いかけ続けてきた夢は主に二つ。
一つは、聖者の農場に辿りつくこと。
もう一つは、全冒険者の頂点S級へと登り詰めること。
こんな形ではあったが夢の一つ……聖者の農場到達は叶った。
こうなったら欲が出てくる。
もう一つの夢。
S級冒険者となって自分の実力を世界中に知らしめるという夢が。
投げ出された過去にしっかり決着をつけるため……という動機で名乗りを上げたが、予備試験を突破し本会場である聖者の農場まで来ることができた。
ここまで来れたら、栄冠はすぐ手を伸ばした先にある。
もう叶わぬ夢だと埃をかぶっていたものが、現実になるかもしれない。
こうなったら形振りかまわず駆け抜けてみようじゃないか。
これから生まれてくる子どもだって、しがない武器屋よりも輝かしいS級冒険者を父親に持つ方が誇らしいはずだ!
よし行くぞアイキャンフライ!
キャッチザレインボー!
* * *
しかし現実はそんなに甘くなかった。
聖者の農場に居並ぶ三つのダンジョン。
そのすべてにオレは玉砕した。
現役のA級冒険者ですらなすすべもなくリタイヤしていくんだから、ドロップアウトしたオレが凌ぎ切れようもない。
一瞬のうちに木っ端のように吹き飛ばされてしまった。
俄かに若き日の輝きを取り戻そうとした夢が、即座に消灯してしまった。
やはり現実は、一人間の夢想に付き合ってくれるほど情け深くない。
何度も見捨てられてわかっていたろうに。
しかし……!
そんな負け組のオレたちにシルバーウルフ様は訓戒を与えた上で、もう一度のチャンスも与えてくださった。
何て懐深い御方なんだ!!
ようし、今度こそしなびた体に活力入れて、埃だらけの夢を現実に……。
……いや。
改めて冷静になった。
この再チャレンジは、若くて気力もたっぷりな現役冒険者たちのために用意されたものだ。
今さらロートルのオレがイキッたところで、結果が変わるわけでもないだろうに。
それに、農場でのダンジョン試験は想像を絶するほどに苛烈だ。
最初はなんとか無事で済んだが、再びあの危険の中に飛び込めば……命はあっても大怪我に繋がるかもしれん。
武器やの仕事にも支障が出るほどの。
そうなったら妻と生まれてくる子どもに苦労を掛けることになる。
そう思えば、オレはもう踏み出すことができなくなってしまった。
危険を冒せなくなったら……もう冒険者は終わりだ。
「弱くなったな……オレ」
「いいや、お前は強い」
!?
オレに呼びかけるのは誰だ?
振り向くとそこには見紛いようのないオオカミの顔つき……シルバーウルフ様!?
「シャベよ。本当に強い人間とは、どういうヤツのことだと思う?」
シルバーウルフ様、オレの名前を憶えて?
「強い腕力で、モンスターの頭をかち割ることのできるヤツか? 速い足で鳥をも追い抜くことができるヤツか? それとも王族なり貴族なりに生まれて、親から権力を受け継いだヤツか? たくさんの金貨を溜め込んだヤツのことか?」
「いやあの……それは……?」
そのどれかに当てはまるヤツじゃねえのかな?
「答えは……そのどれでもない。本当に強い人間とは、挫折を乗り越えたことのあるヤツのことを言うのだ」
「挫折を?」
「夢破れ、自分自身を否定され、立ち上がれくなるほど心折れても……時間をかけて立ち上がり、折れた心を継ぎ直し、別の道を選び直してでも前に進める人間こそが本当に強い人間なのだと思う。今日の、お前のように」
そんな……。
オレはそんな大した人間じゃねえぜ。
冒険者になろうという夢も果たせなかった。
妥協して、ドロップアウトして、人並みの幸せで落ち着こうとした負け組ですぜ……。
「冒険者でなければ人ではないのか? 私はそうは思わない。冒険者も他にいくらでもある仕事と同じく、ただの職業に過ぎない。我々冒険者の活動を支えてくれる武器屋のようにな」
「そッ、そのことを何故……!?」
「たとえ幼い頃に思い描いた自分になれなくても、その悔しさを抱えながら前を向き、愛すべき家族をもって正しい仕事に打ち込める者こそ人生の勝者だ。挫折を乗り越えて新しい道を切り開いたお前を、私は讃える」
「シルバーウルフ様……!」
「もう兄貴とは呼んでくれないのか?」
な、なんて懐の大きな御方だ……!
こんな木っ端冒険者で早々にドロップアウトしたオレのことを覚えてくれていて、こうして声までかけて下されるなんて……!
とんでもねえ、この人こそ勝ち組だよ。
自分だけじゃなく、周りにいるオレたちの人生まで輝かせてくれるこの人こそ真の勝ち組だよ……!!
「あとの熱狂は若者たちに任せて、引退組のオレたちは早めに抜けて一緒に飲むか。ここの農場主から酒を分けてもらおう」
「え? いいんすか?」
「聖者の農場に訪れるのは駆け出しの頃からの夢だったんだろう? 酒の味ぐらいたしかめて帰らないと土産話に事欠くぞ」
聖者の農場の主と知り合いってことっすか!?
やっぱりシルバーウルフの兄貴はパネェ!!
……結局S級冒険者になるってもう一つの夢は叶わなかったが、オレは明日から充分に胸を張って生きていけそうだ。
この試験にはこうした意味合いもあったのかと思えてくる。
ただ有望な若者にチャンスを与えるだけじゃなくて、過去に心を残したオッサンたちに今と向き合う機会も与えると……。
やっぱりシルバーウルフの兄貴はパネェ!!






