922 枠は広がる
「ここでもう一人、本イベントの重要人物を紹介する」
「にゃんにゃにゃーん! ギルドマスター夫人のブラックキャットにゃん!!」
と、どこからか跳躍してくる猫頭の貴婦人。
その艶やかな黒い毛並みは、まさに孤高の黒猫。
「そして現役S級冒険者でもあるにゃん! このブラックキャットもこのたびS級冒険者からの引退を宣言するにゃん!!」
なんだいきなり?
そう思ったのは俺だけではないようで、試験に臨む冒険者たちも寝耳に水だったのかフツーに衝撃を受けていた。
驚きすぎて、むしろ無言になる。これが絶句。
「あにゃーん? もしかして想像できなかったにゃん? 旦那にゃんのシルバーウルフが引退する以上、妻の私がS級に居座り続けるのも妙な話だと思わないかにゃん?」
言われてみればそうだが……?
いや待って。
シルバーウルフさんだけでなく、その夫人であるブラックキャットまでS級から退くとなったら……。
空き枠は一つだけに留まらず……二つに?
「皆の想像通り、今回の試験で新しいS級に選ばれる限界数は一人ではない。私だけに留まらずブラックキャットが抜けた穴を埋めるため、二人の新人が必要になる……だけでもない」
え?
これ以上何?
「皆も既に知っていることだろう。近年冒険者は職種として大きな拡大傾向にある。その理由は地上の覇者、魔王より求められて冒険者ギルドが魔国にも進出するようになったからだ」
はいだよね。
俺もよく知る魔王さんは、自国の軍縮政策に努めて今まで魔王軍が行ってきたダンジョンの管理を民間に委託するようになった。
そこで白羽の矢が立ったのが冒険者ギルドだった。
元々は魔国の外にあって、魔族にはない仕組みだった冒険者ギルドが積極的に取り込まれて、今までは魔国内になかった冒険者ギルド支部が次々建てられるようになり、魔族の冒険者もかなり数を増やしているという。
「おかげさまで冒険者の総人口は倍増することとなった。絶対数は上がっているのにその頂点であるS級冒険者の定員はそのまま……というのも自然ではない。よって私は自身の引退と共に、ギルドマスターとて一つのルール改正を宣言する」
そのルールとは……!?
「S級冒険者の定員を五人から、十人に拡大する。それがどういうことかわかるか?」
わかりますん!
「本日の昇格試験で新S級に選ばれるのが最大で七人になるということだ! 私とブラックキャットの空き枠でそれぞれ一名ずつ! 定員数拡大で五名! 合わせて七名だ!!」
「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーッッ!!」」」」」」」」
かつてない歓声が響き渡る。
それはそうだろう。
今日の受験者三百名でたった一つの枠を奪い合うのだと思いきや、その枠が一気に七倍に増えたのだから。
彼らがS級の栄冠を得る可能性もグンと上がることになる。
これを喜ばないわけにはいかないだろう。
……それでも三百分の七という倍率は凄まじく狭き門だが。
しかしそれが全冒険者の頂点に立つS級の価値ってことなんだろうな。生半可な能力覚悟じゃ届かない距離にある。
そもそも最初には四千人の応募があって予備審査で三百に篩い落としたってことだから正確な倍率は四千分の七か。
やっぱり凄まじい倍率だ。
「しかし、真に一流を目指す者たちにはこの程度で安心してほしくないな。枠が広がると言っても、あくまで最大数の増加でしかない」
「S級を選抜する基準は少しも変わってないってことにゃん!」
「S級に相応しいと判断する実力者が七人もいればその全員をS級に任命することもあろう。しかし逆に一人も規定を満たさなければ、合格者ゼロ……という結果もあり得ることを肝に銘じてもらいたい」
「S級への道は甘くないのにゃん!」
と気を引き締めることも忘れずに。
二人は既にS級冒険者のコンビとしてでなくギルドマスター夫妻として、これからの冒険者業界を背負って立つ若き才能を選び抜くことに余念がないのだろう。
「それでは前置きはこれくらいにしておこう」
「いよいよ試験の具体的な説明に移るにゃーん!」
そして進行もつつがない。
「新しいS級を選び出す試験は、ここ聖者の農場で行われる! 皆も噂に聞いたことはあるだろう! ここ数年の噂話に飛び交う秘境、世界のすべてがそこにあるという伝説の地! 多くの冒険者が探し求めている目標こそここだ!」
なんかとんでもないものみたいに言う。
不用意な持ち上げはやめてくださらんか?
「聖者の農場って、もう発見されてたのか……!?」
「見つけたのはシルバーウルフ様か? やはりS級は侮れないぜ……!」
受験者の中からどよめきが広がる。
いやいや、そんな大したところじゃありませんことよ?
「そんな場所でS級昇格試験を開けることを幸運に思う。無論これを実現できたのは、農場の主である聖者様の許しあってのこと。皆、聖者様に盛大な感謝の拍手を!」
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチッッ!!
なんか凄まじい勢いの拍手が鳴り響くぜ!?
よせやい照れる!
「そして受験者のキミたちは、噂に語られる聖者の農場の素晴らしさを知ることとなるだろう。……おっと『恐ろしさ』と言い換えてもいいかな?」
何脅す方向で語り進めているんです。
「ここ聖者の農場には、周囲になんと三つのダンジョンが隣接している。それぞれ洞窟型、山渓型、そして遺跡型だ」
シルバーウルフさんが説明するほどにどよめきがさらに増す。
「……フッ、S級を目指せるほどの実力者なら、ちゃんと戸惑ってくれるようだな。そう、ダンジョンの主要三タイプと言われるすべての系統が揃っている上に、これだけの近距離にまったく独立したダンジョンが隣接している。このような立地条件は過去に類がない」
そんなにスゲーことなの?
ここに昔から住んでいる俺は、そこまでピンとこないんだけどもやっぱりダンジョンが近場にあるって便利なことなのかな?
コンビニみたいなもの?
しかしさっきからのシルバーウルフさんの語り口調に俺は引っかかるのだが……。
「ねえねえプラティ?」
俺はちょうど隣にまだいた愛妻に尋ねる。
「シルバーウルフさんの言ってることでいまいち腑に落ちないことがあるんだけれど。ウチにあるダンジョンが全部で三つって言ってる?」
「言ってるわねえ」
プラティ淡々と答える。
「洞窟型ってのは先生のダンジョンのことだよね? そしてヴィールのダンジョンが山でしょ?……遺跡型のダンジョンってどこのことだろ? ウチにそんなのあった?」
「……旦那様、アレの存在をすっかり忘れていたのねえ。それもまた旦那様の凄まじいところだけれど……」
何故かプラティに呆れられてしまった?
「普通忘れないでしょ。あんな凄まじい存在を……」
何なの?
「S級昇格試験は、受験者であるキミたちにそのダンジョンすべてへ挑戦してもらう。また各ダンジョンへ移動の際には専用のルートを通って寄り道は一切禁止だ。聖者様の好意によって提供くださった試験会場を荒らしてはならない」
ここのシルバーウルフさんの声は厳しかった。
反抗の許されない気迫に、A級以下であろう受験者たちの顔に冷や汗が浮かぶ。
「各自三つのダンジョンを回って、その奥地を制覇せよ! 三ダンジョンすべての制覇が叶った者だけが新S級の称号を得られる。合格要件を満たした者が定員七名を超えた時のみ、制覇までにかかった時間や詳しい内容を精査して合格不合格者を分ける。理解したか!?」
うわ厳しい。
ダンジョンの最奥まで行って、完全クリアしないと合格資格は与えられないって。
しかも三つ全部。
S級になることがいかに厳しく難しいかを改めて実感させられる。
「いずれのダンジョンから攻略するかは各自の判断にゆだねる。順番は自由だ。それではこの中から新しいS級冒険者が生まれることを心から願っている! それでは早速試験開始だ!!」
パァンとピストルが鳴らされる幻聴が聞こえてくるかのようだ。
つまり、よーいスタート。
ここから受験者たちの未来を決めるデッドヒートが堰を切って流れ出すのだ!!
「……その前に……」
と思ったのに急ブレーキが!?
皆勢い余ってズッコケたわ、何そのコント調!?
「ここで各ダンジョンの主に挨拶を賜ろう。洞窟ダンジョンで主をしているノーライフキングの先生と、山ダンジョンの主ドラゴンのヴィール様だ」
シルバーウルフさんの隣に並んで壇上に立つ、即身仏めいたミイラの御方と、ちっこい少女。
俺にはもう見慣れた二人だが、一般の方々にとっては身の毛もよだつ世界二大災厄揃い踏みである。
ヴィールの方はまだ正体隠して少女の姿に変身しているからマシな方だが。
「うーん、この姿じゃビビりが足りないのかなー。よーし元の姿に戻るのだー』
最後の慈悲もなかった。
無事巨大なるドラゴンの姿となって人々を大いなる恐怖のズンドコに陥れる。
『皆から先生と呼ばれているノーライフキングじゃ。今日はたくさんの者たちが我が棲み処を訪れてくれるそうで嬉しく思うぞ。最高のもてなしを用意しているので楽しみにしておいてくれ』
先生とはもう長い付き合いの俺たちなら百パーセントの善意&真のもてなし準備だとわかってはいるが、そうでない人は『おもてなし=迎撃』としか思わんだろうな。
死の宣告を受けてガチブル冒険者たち。
『今日も元気にダンジョン攻略なのだー!』
『皆の全力を見せてもらおうぞー!』
これから挑むダンジョンの主たちに激励されて、受験冒険者たちは震え上がっている。
これがS級昇格試験ってことだ!
ハードすぎない!?






