917 試験に呼応する者たち その一
オレの名はシャベ。
……へッ、つってもオレの名前なんて誰も覚えていないか。
かつては新進気鋭のルーキー冒険者として名を馳せていたオレも、気がついた時にはとても新人なんて言えない年頃。
後輩たちはオレを追い越してドンドンC級やB級に上がっていき、オレだけが取り残される形になった。
必死にダンジョンに挑んでも、思うように成果を挙げられない毎日。
攻略に失敗したら、探索のために用意したアイテムも無駄に消費して赤字となる。装備を失えば赤字は益々大きな額に。
武器防具もなしにダンジョンに挑むのは自殺行為だ。
新しい装備を購入し、充分な準備を整えるためには金が必要で、その金を得るには働かねばならない。
『聖なる白乙女の山』のような有名難関ダンジョンには周囲に色々な施設があって、日雇いの仕事であればそこで安定してもらえた。
そうして日にちをかけて金を溜め、ある程度まとまった金額で新たな装備を整えて再びダンジョンに挑戦する。
しかしそうやってブランクを空けていたらカンも鈍り、結局また打ちのめされて探索リタイヤ。
新調したばかりの武器防具も失い、再び立て直しのために日雇いバイトに追われることとなる。
そうして瞬く間に時間は過ぎていく。
田舎の低ランクダンジョンでは何とかやれていたオレも、『聖なる白乙女の山』に挑戦するようになって失敗率がグンと上がった。
世界有数の優良ダンジョンであると同時に、それに見合った難易度も兼ね合わせている。
堅実に行こうと『聖なる白乙女の山』から離れて、多少ランクの落ちたダンジョンに拠点を移しても大して変わらない。
相変わらずの挑んでは壊滅……敗走を重ねる日々。
出費はかさみ、収入は減り、ダンジョンの中で過ごすよりも外でバイトに励む時間の方がずっと長くなった。
いつからか、装備購入のために溜めていた金で博打に耽り、深酒を過ごすようになっていった。
目標額に達するまでに期間が長くなっていく。
どうせ溜めたって、新しい装備を整えるとすぐなくなっちまう。その装備もダンジョンに入れば一日のうちに失ってしまう。
だったら一夜の享楽に消費してしまうのがまだしも有効な使い方じゃねえか。
いつの間にかそんな考えに疑問を持つことがなくなってきた。
オレの人生で一番荒れていたのがその時期かもな。
しかしいつまでもこのままじゃいかん、という危機感が起こるにはオレも神経は正常だった。
その辺りが破滅するか否かの境界線なのだろうか。
オレはとりあえず生活を安定させることを第一に目指した。
その場凌ぎの日雇いバイトはやめて、長期で務められる酒場のバイトに就いた。
ダンジョン近くで、探索帰りの冒険者を主な客層とした酒場。
そんなところに勤めたら、顔見知りの冒険者と嫌でも鉢合わせする。
オレのことをドロップアウトした負け犬と見做して露骨に見下してくるヤツも当然いた。
しかし不思議とそういうヤツほど、ある日突然姿を見せなくなったりした。
酒場で噂話に耳を傾けているとダンジョン内で敗北し、脱出も叶わずに死亡したという。
ダンジョンではそういう危険もつきもの。
そう考えると何度も探索失敗しながら、命だけはいつでも確実に持ち帰った俺は運がいい方なのかもしれないと思った。
もちろん冒険者の中にはいいヤツもいて、酒場のバイトに専念する俺を心配してくれたり、一杯奢ってくれたりもした。
そんな人情に触れたりしながら酒場のバイトで、ウェイターや皿洗い、ちょっとした用心棒もどきも務めたりしながら時が過ぎていく。
そうしていると生活も安定し、勤め先からの信頼も得てきた。
貯金もそれなりに溜まり、ダンジョンに挑むだけの額にまとまってきたが再挑戦の気も起きない。
そのうち同じ酒場で働くウェイターの女とよく話すようになった。
田舎出身で、退屈な生活に嫌気がさして都会にさえ出れば何か新鮮なことがあるかもと期待しきたという。
そうしてダンジョン近くの繁華街まで流れてきた経緯はオレ自身と似通ったところがあり、そうした親近感から会話が弾んだ。
仕事以外でも一緒に過ごすことが多くなり、やがて『家賃が安く済むから』なんてもっともらしい理由で一緒に暮らすようになる。
酒場の賃金も上がり、貯金も溜まってきた。
独立して何か商売を起こすとしたら、元手には充分な額。
そして一緒に暮らす彼女から、真剣な顔で切り出された。
『子どもができた』と。
直向きに進み続けた結果、様々なものが積み重なって形を成していこうとしているのを感じた。
オレが田舎を出た時、何を夢見ていたんだろうか。
どんな存在になりたくて冒険者の道をひた走り続けたのか。
今となっては思い出せない。
ただ今の俺には生活を支える充分な基盤があり、生活を瑞々しくさせる家族がいて、足りないという思いがまったくしないということだ。
充分に信頼を得た酒場のマスターに相談すれば、街角の空き店舗一つぐらい格安で借りることもできるだろう。
そこで冒険者相手に武器や防具でも売れば手堅く儲けられる。
それでさらなる財を成して、家族を養い子どもを育てて……。
そんな一生で充分ではないのか。
かつて夢に燃えた日々も遠い昔。オレも夢想に心躍ることに見切りをつけて現実と向き合うお年頃ってことかよ。
そう心の中で区切りをつけて、オレは本格的に身を固める準備に乗り出した。
まずは彼女と正式に神の前で誓いを立て、正式に夫婦となる。
それからかねてからの計画通りに酒場のマスターに相談してみると、案の定さらに上のオーナーに話を通してくれて、街角の空き店舗を紹介してくれた。
意外と大通りに近く客入りも期待出来そう。広さもまずまずの良物件だったが、予想していたよりずっと賃料が安い。
オレが長年真面目に働いていたことを評価してくれての値引きらしい。
自分のことをそんな風に評価されたことなんて一度もないから泣いた。
田舎を出た時、こんな風に自分の人生が形になるなんて思ってもみなかった。
あの頃のオレが今のこの結果を見たら、絶望するだろうか、それとも……。
どっちにしろオレの夢は終わったんだ。これからは現実の生活のため、家族のためこれまで以上にしっかり真面目に働かなくてはならない。
オレの新たな人生の門出を思う時、思ってもみない報せが飛び込んできた。
* * *
S級冒険者シルバーウルフ、引退を宣言。
そのニュースが街に飛び込んできた時はさすがに衝撃だった。
この世界に五人しかいない最高最強の冒険者。
その一人であるシルバーウルフが現役から退くっていうのか?
オレも冒険者として励んでいた時代、シルバーウルフを直接見たことがあった。
話まで交わした。
当時、上級冒険者に成り上がろうと野望に燃えていたオレにとって、あの人はまさに目標。あんな人のようになれればいいなと思っていた。
憧れの存在であり、勝手に『兄貴』なんて呼んで舎弟気取りでいたっけなあ。
……あの人も、夢の時代は終わりってことか。
引退後の身の処し方は、既に現役時代から就任していたギルドマスターの職務に集中するとのこと。
やっぱりS級冒険者ともなると引退後の進路も豪勢なんだな。
あの人が旗頭になれば、冒険者ギルドはこれからも安泰だろうな。
オレも冒険者を相手に商売していくなら一安心だ。
こうして現役時代に縁のあった人の転身話を聞いても一向に心が動かない。オレの気持ちはもう固まっているんだなということを再確認できた。
しかしながら……。
シルバーウルフに関する次なる話題を聞いて、オレは平静さも吹き飛ぶことになる。
シルバーウルフ引退に伴って、新たなS級冒険者を選出するための試験が行われるという。
冒険者ギルドの魔国拡大に伴って、人種を問わず選考対象にし、冒険者等級、登録の有無もこの際関係ないという。
選考基準またすごく思い切ったなと思ったが、次に知らされた情報こそがオレのもっとも衝撃を受けたところだった。
試験開催地、聖者の農場ダンジョン特別仕様。
「聖者の農場!?」
思わず声に出して叫んでしまった。
そうだオレは聖者の農場を求めて田舎を飛び出したんだ!
酒場でくすぶるオッサンから与太話を聞き、この世界のどこかにあるという幻の秘境……聖者の農場を探し出して、冒険者としての功績にしようとしてた。
いつの間にか忘れちまっていた。
挫折と、日々を生きる必死さに埋もれて。
冷めきっていたはずの心にジワジワ熱がこもる。
冒険者にもう未練はない。でも、若く幼い頃に目指した聖者の農場の存在は、今も胸の中で輝いている。
それから数日、悶々とした思いを抱えながら開店の準備を進めた。
あの日目指した聖者の農場をせめて一目見てみたい。
できることならば夢を追いかけていた冒険者として。
しかし今のオレには守るべき家族や立場がある。
現在を捨ててでも過去の憧れに決着をつけようなんて間違っている。
しかしそんな悩むオレに、開店準備を手伝う妻が言ってくれた。
「行ってきなさいよ。どうせアナタの腕じゃS級になんか受かりっこない。でも今まで燻ってたものに決着はつくでしょう?」
と。
まさかオレが悩んでいたのを見抜いて……?
「アナタとはバイト仲間からの付き合いだもの。何に悩んで、何に蟠ってるのかわかってるわよ。私たちと新しいスタートを切るためにも、過去とは綺麗に決着をつけてきなさいよ。どうせ試験なんて一日そこらで終わるんでしょう? それぐらいの留守は守っておくから」
オレは……本当にいい妻を持った……!
ゴメン少しだけ待っててくれ。若き頃に夢見たあの地を踏みしめて、過去のすべてを振り切ってくるから。
一日だけの限定復活冒険者シャベ。
出陣だぜ!!






