916 ギルドマスター夫妻の休憩
私はS級冒険者のシルバーウルフ。
……そう名乗るのもしばらくないものだった。
ここ最近はもっぱらギルドマスターのシルバーウルフとして、冒険者ギルド全体の運営に携わっている。
何しろ私が動かなければギルドが立ち行かないからな。
冒険者ギルドマスターってこんなに忙しかったっけ? と思いながら日々を過ごしている。
「お茶持ってきたにゃん、休憩するにゃーん」
そこへやってきたのは同じくS級冒険者であるブラックキャットだった。
今となってはギルドマスター夫人のブラックキャットか。
いやつまり、彼女と結婚したのがこの私だ。
ブラックキャットが前ギルドマシターの愛娘であるなどちっとも知らず、気づけば彼女と一緒になることでギルマス一家との繋がりができて私自身がギルドマスターの座を継承していた。
人族の括りには入るものの私はオオカミの獣人、彼女は猫の獣人ということで結婚当初は『イヌネコファミリー』『結婚後にペットを飼う必要のない家庭』などと言われたものだが懐かしい。
ちなみにブラックキャットは獣人として猫の習性が身に着いているらしく、隙あらばぺろぺろ舐めて毛づくろいしてくる。
自分どころか私の体まで。
私がほぼ同系統のオオカミ獣人であるせいか、今も毛深い私の頭部をザリザリ舐めて整え中。
「……ブラックキャットよ。いつも言っているが私の体まで毛づくろいしなくていいぞ。そもそもオオカミに毛づくろいの習性はないんだし……!」
「ダメにゃん! そんなこと言ってこまめに整えないとすぐ臭くなるのにゃん!! むしろ犬は毛づくろいの習慣がないから臭うにゃん! トウモロコシ茶みたいな臭いがするにゃん!」
「しねえよ!」
そもそも私はオオカミの獣人であってオオカミそのものじゃないから人間の習慣を身に着けている。
ちゃんと定期的に入浴して体を洗っているから臭いもしない!
……いや、それでもオオカミの因子が混ざっている分ヒトより体臭が溜まるのが速いような気もするけれど……。
体中毛深くて洗剤の減りも遥かに早い気もするけど……。
大丈夫俺は臭くない!!
「そうでなくても最近お疲れにゃん。毛並みに艶がなくなってきているにゃー」
「ぐぅ……!」
艶がなくなるのは……もはやどうしようもないかもしれない。
「仕方のないことだ。去年あたりからずっと忙しいからな……」
何故忙しいかというと冒険者ギルドに置いて過去類を見ないほどの大事業がもう何年も前から……今もって進行中だからだ。
冒険者という職種の国外進出。
人魔戦争が終結し、人族魔族の垣根が低くなったことで人族特有の職業であった冒険者が魔国へと進出するようになった。
向こう側、魔国ではダンジョンの管理がもっぱら魔王軍によって行われていたが、戦争終結に伴う軍縮でその職務を民間に委託しようと。
その受け皿に白羽の矢が立ったのが我ら冒険者……というわけだ。
魔王による直々の要請で、魔国側にも冒険者の仕組みを広げることとなって。
魔族の冒険者の募集。魔国各地でギルド支部を設置し、魔族の人々にあまねく冒険者という職業を理解してもらう。
同じS級冒険者のピンクトントンやブラウンカトウくんなどの協力を得て着々と進んでいるが、何分大きな事業であるだけに完成はまだまだ遠い。
「こんな大きなお仕事なんて冒険者ギルドのこれまでの歴史になかったにゃん。立派によくこなしているにゃーん」
そう言ってブラックキャットは依然として私の頭部をざーりざーりと舐めてくる。
彼女なりのねぎらいなのだろう。
「フッ……。そう考えると本当にとんでもない時期にギルドマスターになったものだな。きっと百年後辺りには『もっとも多忙だったギルドマスター』と言われていることだろうな」
それに比べると前ギルドマスターは実にベストなタイミングで現役から退いたものだった。
ブラックキャットの父親であった彼だが……ブラックキャットは母親側から獣人の因子を引き継いだらしく、見た目普通の人間である彼との父娘関係にはホント結婚するまで気づけなかったが……。
とにかく私と娘との結婚が決まると見事なまでの手早さで引退を決めて、ギルドマスターとしての権限、職務すべてを私に渡して楽隠居してしまった。
以来、私はギルドマスターとして魔国進出の様々な事業に追われている。
私自身、それ以前から全冒険者の最高峰……S級冒険者として深く関わってきたが、今ではまた一味違った関わりにタフネスな日々を過ごしている。
ギルドマスターとなった今もS級の肩書きは変わっていない。
一応、『兼任』ということになっているが国外進出事業が大変すぎて冒険にも出ていないのが現状と言ったところだ。
「シルバーウルフ、……ストレスが溜まってきてないかにゃん? ここんところまったく冒険に出れていないにゃん?」
「お前だってそうだろう? 最近よく尻尾で床を叩いているじゃないか」
タッシタッシと音を立てて。
執拗に毛づくろいしてくるのも、もしかしてストレス解消のため? お前のストレスを発散させるために私が剥げ散らかすのは理不尽なんだが。
「お前だって全冒険者の中から選りすぐられたS級冒険者の一人……いわば心底冒険が好きなヤツだ。長いことダンジョン探索もできないのは苦痛だろう」
「でも、私と結婚したせいでシルバーウルフがダンジョンに潜れないなら、私だって潜れないにゃん!」
泣かせることを言ってくれる。
私がギルドマスターになると同時に凄まじい仕事量がのしかかった。そのことを気にしてかブラックキャットも自身の冒険者活動を棚上げにして、ギルドマスター夫人としてできる限り事業の手助けをしてくれている。
「シルバーウルフに『結婚したのは間違いだった』と言われないように頑張るにゃん! それまで冒険者活動はお休みにゃん!」
そんな風に気にしていたのか。
普段は、それこそ猫のごとく何も気にしていないかのように思えていたのに。これも愛のなせる業なのか。
しかしハゲるまで毛づくろいされるのも大変なので、優しく諭すように言う。
「私は今の生活に不満は持っていないぞ」
私は、冒険者という職業そのものが好きだからな。
生まれた頃から冒険一筋に生きてきた。
はみ出し者の獣人でもあることだから、もし冒険者という職業そのものがなかったら、どんな人生を歩んでいたかまったく想像がつかん。
少なくともS級冒険者のような、多くの人から尊敬され憧れを受けるような立場にはなっていなかっただろうな。
「私は冒険者という職業に恩もあれば思い入れもある。冒険者の存在そのものにいつか礼をしたいと常々思っていた。それはS級冒険者の立場からでもある程度はできるが、ギルドマスターの方がよりやりやすいだろうな」
「シルウルにゃん……」
その名前の略し方はちょっと……。
「今は世の中が大きく動くとき、ここでしっかり変化についていかないと、今まで社会に占めていた重要ポジションを別の何かに奪われる可能性もある。それで冒険者が廃れ、消え去ってしまったら私も散々世話になっておきながら不甲斐ない」
だから私自身の手で、この拡大事業に携われてよかったと思っている。
たしかに忙しくはあるが、やり甲斐も充分に感じているさ。
「にゃーん! さすが私の旦那に選んだお犬様だにゃん!」
犬じゃない、オオカミだ。
そして私を毛づくろいするのもそろそろやめろ。
同じ場所ばかり執拗に舐めるないい加減ハゲる。
「しかし……、そろそろ本当にS級冒険者としての責務を放っておけないのも事実……」
詳しく計っていないがもう丸二、三年はダンジョンに入っていないしな。
これではS級冒険者失格の烙印を押されても仕方ない。
「新しく所属した冒険者たちにS級を軽んじられても困るのでな。そこでかねてから考えていたことがある」
「にゃん?」
「私は冒険者を引退する」
「にゃーんッッ!?」
当然S級の称号も返上してな。
これからは真実ギルドマスターとして、一意専心して冒険者ギルドに貢献していく所存だ。
「でもでも、そしたらS級冒険者の構成はどうするにゃん!? シルウルちゃんが抜けたら四人になっちゃうにゃん」
「当然補充をかける」
そして補充人数は、私の抜けた人枠より多くとるつもりだ。
何故って? 魔国へ冒険者ギルドが拡大したことによって冒険者の総人口も倍増するはずだ。
それに伴って全冒険者の頂点に立つS級も数を増やしていいだろうと思ったからだ。
もはやたった五人では世界全土をカバーするのに足りない。
それに現状人族出身者のみでS級を固めたら、新たに参入する魔族の冒険者たちも不満に思うだろう。
転向してきた魔族の中から我々に匹敵する猛者もいるだろうし、人族の中にも上昇志向で研鑽を重ねてきた者もいるだろう。
そういう人たちに報いていかねば、業界の未来は開けない。
「ということで次の企画を立ち上げなければな」
「にゃにゃん?」
「緊急、新S級冒険者選抜試験だ!!」
このシルバーウルフの引退と共に、次代を担うべき若き実力者を選抜する!
それもギルドマスターとなった私の役目だ!!






