905 海中の論戦
海の中の俺です。
いや、久々にやってきた人魚国。
本日はガラ・ルファの努力の成果が認められるかどうかを見届けんがため、彼女らに同行してやってきました。
「別に用がなくてもたびたび来てくださってけっこうですよの? 何しろ聖者さんは家族なんですから」
お迎えに出てくれたシーラ前人魚王妃様の微笑みにそこはかとない圧があった。
その圧をかわすためにも、こたびの訪問の目的をざっと語っていくとしよう。
根源にあるのは当然、ガラ・ルファが作り出したワクチンだ。
人魚国に古くからの問題としてあったハイドロ・ランナウェイなる病。
まずはその予防特効薬として作成されたガラ・ルファのワクチンは、実用化されれば一つの病から人々を完全に解放するだろう。
しかしながらガラ・ルファ本人にこれを世に広める意志はなかった。
完全に研究欲オンリーの女性なのだった。
しかしそんな彼女の平穏に一撃食らわせたヤツがおる。
それがウチの奥さんプラティ。
どうもガラ・ルファ本人に内緒でその研究データ一式をパッファに送りつけた模様。
前国王の娘から、現国王の妻へと黄金のキラーパス。
ヤベェルートが発動した。
そうなったらもう今現役で人魚国を治めているアロワナさんにまで情報が行くのは必然で、そうなったらもう全面採用は不可避。
どうも人魚国もハイドロ・ランナウェイなる病には非常ない警戒心を持って、解決させるのに大変前向きという話は伝わってきたから。
即座に人魚国から使者がやってきて『詳しい話を伺いたい』などと言ってガラ・ルファを召還していった。
半ば強制で。
もちろんガラ・ルファはギャン泣きし、本気で抵抗したものだから俺たちも付き添いで同行することになった。
理由の一つとしては、マジ拒否するガラ・ルファを抑え込めるのはプラティ以外にいないから。
少なくとも農場では。
パッファ、ランプアイは寿退社しちゃったし、先生ヴィールを動かしたらオーバーキルすぎるしね。
そんなプラティに付属する形で俺と息子たちも同行。
久々にナーガスさんとシーラさん先代人魚王夫妻に孫の顔を見せてあげるのも手出し、俺自身興味があったからな。
この世界で初めて公にされたワクチン技術がどのように受け入れられるか。
俺も異世界人としてガラ・ルファという天才に異知識を授けた張本人。
それゆえに見届ける義務があると察せられたのだ。
「現場の雰囲気はどんな感じですアロワナさん?」
「ううむ……!」
現場で落ち合った人魚王アロワナさんと様子を窺う。
ジュニアとノリトの兄弟はお祖父ちゃんお祖母ちゃんに任せて心配ない。
それよりも本当に現場の空気だ。
俺たちが訪れたここは、様相こそ整えてあって非常に上品な場所だが、しかし気配がひたすら険悪。
まるで怨敵を必ずや血祭りに上げんという戦意に満ち満ちていた。
そんな臨戦態勢のしかめっ面が様々に、数十人と並んでいる。
机に向かって。
「見ての通りです聖者様……。ヤツら人魚医学会の名誉理事や特別顧問の面々。どうにかしてでもガラ・ルファの論を却下しようと気炎を噴き上げています……!」
俺が不安に思って同行した理由がここにあった。
前もって話を聞くに、ガラ・ルファが開発したワクチンを全国展開するには、人魚国全体の医療を牛耳っている人魚医学会に話を通しておくことが必要不可欠。
ついでに目立った功績を挙げられなかった人魚医学会からワクチン全国展開用の費用を回してもらおうと予算を削ったら大反発が起きたという。
そして最終的には学会でガラ・ルファの論を発表させることで、その可否を決めようということ。
――『アロワナ陛下は、あの魔女に騙されてございます! 我々がそのことを証明してみせましょう! どうかあの魔女と我々の直接対決する場をお与えいただけますよう!』
とのこと。
そして開催されたのが、今日の発表会というわけだ。
「彼らとしても、自分たちの自由にできる金銭が削られるのは死活問題なのでしょう。それも併せて、自分たちの手柄にするべきハイドロ・ランナウェイの撲滅を、何としてでもよそに渡したくはないのでしょうな」
「そこまでわかっているなら、もっと穏便にできなかったんですか?」
この悪意渦巻く会場でガラ・ルファは、これからワクチン作成に関する論文を発表しなければならないんだぞ?
受け入れられる可能性ゼロパーセント。
元々六魔女の中でも飛びぬけて気の弱い……完全にか弱い乙女のような彼女が、こんな修羅場に放り込まれて可哀想なほどだ。
そんな光景を目の当たりにし、アロワナさんだって表情を顰める。
「私もできる限り穏便に済ませるべきだとは思ったのですが……。人魚医学会が既得権益を侵されるに全力で抵抗するのは目に見えていましたし、できるだけ彼らの目に届かないところでひそかに進めていくべきだと……」
しかしアロワナさんがとった手段はまったく真逆。
むしろ人魚医学会を焚きつけて、対決ムードに誘導した節さえ見受けられる。
一体アロワナさんの真意はどこにあるのか……。
「いやそれが……妻に、そのように勧められまして……」
「つま?」
アロワナさんの妻というと……今や人魚王妃となったパッファ!?
すべての意図を裏で引いていたのはこやつか!?
俺が非難がましい視線を向けるとパッファのヤツまったく涼しげにして……。
「別にアタイが何かしなくてもヤツらは自力で嗅ぎつけてきたさ。早いか遅いかの違いだけさね。そしてヤツらは全力で何が何でも潰してくるよ、ガラ・ルファのことをね。既得権益を守るためなら神にも悪魔にもなれるヤツらさ」
何故か確信めいて言うパッファのヤツ。
俺もまあその手のドラマを思い出してさもありなんと思えるんだが……。
「だったらこういう公の場で引きずり出してやらせた方が断然マシさ。少なくともアタイや旦那様、それにプラティまでが監視してる中で行うんだ。小狡い手段は使えず、正々堂々論戦するしか手はないだろう」
パッファの挑発に乗ったせいで彼らは限られた手段でしか戦えなくなったわけか。
でも戦うだけが選択肢だったんですか?
少なくともガラ・ルファ本人は戦いを望んでいませんが。平穏を愛する弱小生物なので。
「いや何……アイツたぁ農場で同じ釜飯を食った仲でもあるしね。そんなアイツだからこそ感じてほしいじゃねえか。……かつて自分のことをコケにした相手を、まったく同じ目に遭わせてスカッとする感覚をさ!」
さすが『凍寒の魔女』パッファ。
王妃となって王子を生み、いくら何でも丸くなっただろうと思いきや尖るべきところは断然尖っていた。
そして尖っている女はもう一人いて……!
「おうおう人魚医学会のお偉いさん方よ! ウチのガラ・ルファがご高説のたまうから、よくお聞きなさいよ! 耳の穴かっぽじって、左右の耳穴が繋がるぐらいかっぽじってねぇ!」
ガラ・ルファの隣に寄り添うようにしてプラティが、檄を飛ばす。
ウチの奥さんのまあなんとお口の悪いこと。
間違っても我が子たちには聞かせられない。
「プ……プラティ王女。この場は人魚医学会の神聖なる発表会。部外者の口出しは極力お控えいただきたく……!」
「はあ? この現王アロワナの妹にして『王冠の魔女』の名高いプラティ様を掴まえて部外者とはよく言ったものね!? アンタたちが論文の評価に行き詰った時に助言したことも何度かあったわよねえ?」
「いや……それは……!?」
「それにアタシは、アンタたちの言う通り口出しは極力控えているつもりよ? こうやって必要最低限のことだけ話しているんだからね」
必要最低限の千言。
やかましいほどにがなり立ててそれでも最低限と言い張るさすがウチの奥様。
プラティとパッファ。
この二人に同時に言い合いになって勝てるヤツらがいるのであろうか?
しかし、今回論戦の矢面に立つのは、あの口喧嘩最強の二人ではない。
彼女らよりずっと口下手なガラ・ルファなのだ……!
「プラティ王女……、前口上はそれくらいにして本題に入っていただけませんかな?」
「その通り、我々はそのペテン魔女の言説を聞きに集まったのですからな。王女ではなくその女に喋らせなければ何も始まりますまい」
「いかにも、この女の繰り言がまやかしか、それとも聞く者を貶めるだけの流言か、見極めるための集いですゆえ」
「人魚王の要請でなければ足を運ぶ気すら起きませんでしたがのう。ハッハッハ・・・…」
人魚医学会のお偉いさん方は、もはやガラ・ルファの学説がウソデタラメと決めてかかっている。
そんな彼らのニヤケ顔に、ギリリと顔を顰めるプラティだった。
「さあガラ・ルファ! 今こそアナタの長年の研究が正しかったと証明する時よ! アナタたちを爪弾きにしたわからず屋どもに世界の真理を叩きつけてやるのよ!」
「自分だけが正しいと思っているヤツらに、認める以外にない間違いを突きつけて無理矢理飲み込ませてやりな!!」
そしてパッファまで一緒になって血の気の多いことを言っている。
それに対して何より張本人のガラ・ルファは……。
「私別に、わからせたい気なんてないんですけど……!」
平和を愛する女ガラ・ルファは、ただ戦いを前に打ち震えるだけだった。