904 白い巨塔の住人
私の名はドコサ・ヘキサエン。
偉大なる人魚医学会の名誉顧問である。
魔法薬という人魚族独自の魔法形態から、医療分野において三大種族の中でもっとも先んじているのが人魚族だという確かなる自負を持つものである。
人魚族の健康……、病魔への対抗、その取り組みは第一線で我ら人魚医学会が取り仕切っている。
この功績を超えるものは同じ人魚国には無論のこと、地上の人族魔族にも存在せぬであろう。
我ら人魚医学会が世界最高なのである!!
そんな人魚医学会の代表であるところの私がある日、人魚王宮へと呼ばれた。
人魚王直々のお召しだという。
我らの日頃の行いに、改めて感心した人魚王がお褒めの言葉を直接言い渡したくなったのか?
……と思い堂々と乗り込んでみたら、待っていたのは予想とは少々違う趣だった。
「お前たち人魚医学会はどうなっているのだ?」
そう問いただしてくるのは、人魚王アロワナ陛下。
かつて強豪王と讃えられた先代ナーガス王の跡取りだ。
代替わりしてまだ日は浅いものの、それでも精力的に政務をこなし、王としての威厳をじわじわ備えつつある。その一方で、まだ偉大なる先君ナーガスには及ばぬと両論盛んな若き王。
我ら人魚医学会を称揚し、援助金を気前よく三倍にでも吊り上げたらすぐさまナーガス王を越える名君となられるだろうに。
「このままでは来年からの人魚医学会への援助金は削らざるを得なくなるであろうな」
暗君?
このアロワナ王は、先王の足元にも及ばない暗君なのであろうか?
かつてのナーガス王は毎年のように人魚医学会への援助を増額してくれたというのに、それを逆に減額するなどと。
名君の逆は暗君、まさにその通りではないか。
「我が父にして先代ナーガス王は、毎年のように膨大な援助金を貴君ら人魚医学会に注ぎ込んできた。それは何故だと思う?」
「それは無論、我らの働きを評価してのことと……!」
「違うな」
え?
違うの?
「我ら人魚族を悩ませる難病ハイドロ・ランナウェイの撲滅。それを実現させてくれることを祈って父はお前たちに金を与えていたのだ」
それは……!?
たしかに人魚族の約八割以上が九歳までにかかるという病、ハイドロ・ランナウェイは、悩ましい問題である。
罹患すれば体表の様々な部分に疱疹が発生し、それに伴う痒みに加えて発熱、さらには倦怠感も伴う。
また感染力が非常に高い病としても有名で、体が触れ合ったり、痰や唾液、血液などが付着するまでもなく、近くにいるだけで病気がうつるために他の病気以上の警戒をしなければならない。
非常に厄介な病であることは間違いない。
もっとも一度治癒すれば生涯二度と同じ病にはかからず、大人の発症例はごく僅かというところが救いではあるが……。
「父上は、このハイドロ・ランナウェイの流行を非常に憂いておられた。この私を始め多くの息子娘を持つあの御方にとって、子どもに降りかかる病魔は一番の心配事であったからな」
「ま、まさしく王者に相応しき心優しさかと……」
「無論、同じように我が子を心配する人魚国の全父母のことも慮り、国内全土から悪しき病魔を払うために、お前たち人魚医学会に格別の贔屓をしていたわけだ。そのことはわかるな?」
「は、はい無論……!」
我ら人魚医学会は、実力も功績も最高ですからな!!
「しかしお前たちはついに、父上の在位期間中にハイドロ・ランナウェイの決定的治療法の確立に至らなかった。援助金も、波打ち際に取り残された泡と消えたというわけだ……」
「いや、それは……!」
たしかに結果だけ見ればそうかもしれませぬが。
我々は日夜、ハイドロ・ランナウェイを含めた多くの疫病難病の対抗のために……。
「ハイドロ・ランナウェイの件を除いても、ここ数十年人魚医学会に目立った功績があるかといえばそうでもない。人魚王家もこれ以上、効果が現れぬ部署に大金をつぎ込むのは不利益と判断した。よって来年からの人魚医学会への援助金は減額方向で検討する、今のうちから準備をしておくように」
「お、お待ちください! 援助金は翌年も増額という話では……!?」
「それは父上在位の頃の話であろう。為政者が変わったからには方針転換もあり得る。それに対処しきれなかった自分たちの落ち度と知れ」
「しかしそんな急な……!?」
「急? それほど急であろうか? この私が代替わりして一体何年が経ったと思っている? 一部ではいまだ私のことを経験浅い若僧王などと噂しているようだが、猶予の時間は充分に与えてやったつもりだ」
た、たしかにナーガス先王に替わってアロワナ王が即位したのが去年? 一昨年? いやもう覚えていないが……!
「父上は名君であったが、長き治世であったればこそ一部の行政には習慣化が進み、緩み弛みが発生していた。それらを正し、一定の引き締めを行うのも新王としての私の務めだと思っている。既に各所で大ナタを振るい、状態を刷新してきた。人魚医学会だけを特別にはできない」
「お待ちを! どうかお待ちを!!」
マズい、マズいぞ……!
このままでは王宮からの援助金が少なくなり、人魚医学会の運営にも支障が出る。
いや、問題はそれだけに留まらない。
この決定は、新たなる人魚国の主が人魚医学会に対して無能の烙印を押したということに他ならない!
ハイドロ・ランナウェイの治療法を確立できなかった。
先代から続いてきた王家よりの期待に応えることができなかった。それは事実であるだろう。
しかし待ってほしい!
だからと言って我ら人魚医学会が何もできないと思われるのは心外である!
「人魚王陛下! 今しばらく……今しばらくのご猶予を! 我ら人魚医学会の総力を挙げて、ハイドロ・ランナウェイを人魚国より滅殺してみせますゆえ!」
「尾びれを叩かれて、やっと本気になったというわけか?」
ぐぬッ、強烈な皮肉……!?
しかしそれで怯むわけにはいかない!
「これまでも本気でした……本気でしたとも! しかし人魚医学会が対処すべき問題は数多くあり、ハイドロ・ランナウェイに割けるリソースが……そうリソースが足りていなかったのです!!」
しかし人魚王直々のお達しとなれば無下にはできますまい!
他の案件をすべて放っぽり出してでもハイドロ・ランナウェイの治療法確立に全力を集中し、見事期待に応えて見せましょうぞ!
「んなことしちゃダメだろうがよ……。人魚医学会サンは、人魚族の健康を支える大事な機関なんだからよ」
は、その声は!?
アロワナ陛下の背後より歩み寄るその美しい姿は……人魚王妃パッファ様!?
その腕には次代の人魚王であらせられる幼いモビィ・ディック王子が抱えられている。
「目覚ましい成果は皆無でも、人魚医学会が統制する人魚医師や人魚薬師が日々働くことで国民の健康が保たれている。そのことについては素直に評価すべきじゃないのかい?」
「そうです! その通りでございます!」
穏やかな助言で夫王を諭す。
これこそまさに王妃の務め! 人魚国は王妃については二代に渡り賢者を得たようだな!
「アンタ、人魚医学会のお偉いさんだろう? すまないねえ、この人も息子が生まれてそろそろ三年目ってとこだろう。自分の子が、人魚族なら誰でもかかる難病にかかるかもと思ってソワソワしてるってわけよ」
「パッファ……あまりそういうことは……!」
なるほど、アロワナ陛下もヒトの親ですからな、わかりますぞ!
しかしそのような不安を我々にぶつけるのもいかがかと……!
ああ、ご安心あれ! ハイドロ・ランナウェイの治療法は優秀なる我ら人魚医学会が必ずや発見してみせますので!
「いや、その必要はないよ。アンタたちは今まで通りチンタラお役所仕事を続けていたらいい」
「へ?」
「プラティから便りが来てねえ。ハイドロ・ランナウェイの絶対的予防法が発見されたってさ」
プラティ王女!?
先君ナーガス様の下で、稀代の天才と謳われたあの魔女が!?
しかもハイドロ・ランナウェイの治療法を!?
「治療法じゃないって……予防法さ。つまりハイドロ・ランナウェイにかからないようにするための対処法を確立したってこと。人魚国はこれよりその方法を全国土に行き渡させる。そのためにも先立つものが必要でね。今まで人魚医学会に渡していた分から都合させてもらう。これなら文句ないだろ?」
何やらわけのわからん話をクドクドしているが、やっぱり我々の予算が削られるということではないか!
そんなことは許さんぞ!
「あらご不満かい? 援助金削減が成果なしゆえの罰じゃなく、新しい政策への協力という形に替わっただアンタたちにとっちゃ有難い話と思ったんだけどねえ」
何故予算を取られるのが有難い!?
そもそも難病への対策は我ら人魚医学会の仕事! それに横やりを入れるなど現人魚王妃も、プラティ王女であろうとも許されませぬぞ!
「別に部外者の仕業じゃないよ。予防法を開発したのはプラティじゃなくてね、ヤツはその事実を報告してくれただけだ」
「は?」
「本当の開発者は、元とは言えアンタたちの同僚だ。それなら文句はないだろう?」
我々の元同僚?
つまり人魚医学会の一員だったということ?
一体誰だ……!?
「ガラ・ルファだよ。『疫病の魔女』と名高いアイツのこと、忘れちまったわけじゃないだろう?」
ガラ・ルファ!?
あのデタラメ珍奇な学説ばかりを発表して学会を混乱させ、ついには追放処分を受けたアイツが!?
人魚医師としての実力だけは最高で、その点人魚医学史の中でも過去現在未来において並ぶものなしと言っていいアイツが!?
なんということだ……あの女神とも悪魔ともいえるアイツがこんな形で戻ってくるとは。
しかも王族に何やら吹き込んで再び社会に混乱をもたらそうとしている。
何と言うことだ! 人魚医学会の正当なる良識として、何としてもこの魔女の悪辣なる浸食を食い止めねば!
そして人魚医学会の予算削減を何としても撤回させる!!






