902 魔女の究明
「やったー! やった! やりましたよ!」
何をやったと言うのか?
騒がしいので寄ってみると、なんかピョンコピョンコ飛び跳ねている人影があった。
あの小柄な白衣姿は……。
人魚のガラ・ルファではないか?
ウチの妻プラティに次いで農場最古参の人魚。
同時に入居してきたパッファ、ランプアイが結婚を機に人魚国へと帰ってしまったので実質、農場人魚の最長老的ポジションにある。
女性に対して『最長老』などといった表現は的確なのか否か。
とにかくそんなお局ガラ・ルファさんが年甲斐もなくピョンピョン跳ねているのだ。
俺は言い知れぬ不安を感じ、見て見ぬふりなどせず着実に問いただすことにした。
「えーと、何をやったのかね?」
「聖者様! やりました! 私やったんですよ!」
こうまで動詞ばかりで報告されると誰か殺ったのではないかと勘繰られて益々不安。
さっさと主語を明確にしてくださいませんか。
「やったとはつまり! 長年の研究が完成を得たということです!」
研究?
ガラ・ルファってなんかやってたっけ?
設定が古すぎて咄嗟に思い出せん。
ガラ・ルファといえば、農場最古参の勤務人魚にして農場の医務担当。
かつて人魚国の医学界に身を置いていた経歴から、ここ農場でも医務室を開き、病気や怪我に悩まされる住人たちをサポートしてきたのではなかったっけ。
彼女ら人魚たちが得意とするのは魔法薬。
それゆえに医療薬餌には滅法強く、ガラ・ルファがいるおかげで農場は病気知らずの健康家族だ!
……はて?
そんな優秀な人材が、どうしてこんな辺鄙な農場に住まうことになったんだったっけ?
そうだ、ガラ・ルファは別名『疫病の魔女』。
人魚界でもっとも凶悪とされる六魔女の一人に数えられて恐れられる存在だった。
基本的な戦闘能力は他の魔女に劣るものの、その発想及び研究内容の強烈さおぞましさから六魔女の中でもっとも恐ろしいとまで言われている。
そのせいで人魚医学会から弾き出されてウチの農場まで来ることになったんだよな。
これが前回までのあらすじ。
……はて。
彼女ガラ・ルファをそこまで恐ろしからしめる研究の内容は……?
「細菌の研究が、ついに完成の域へと達したんですよぉおおおおおおッッ!!」
そうだった。
ガラ・ルファの研究テーマは、細菌。
細菌といえば皆さんお馴染み、人間の目に判別できないほど小さな小さな微生物のことだ。
人間を始めあらゆる生命体に寄生し、場合によっては内部にまで入り込み……。
害をなすこともあれば、生命活動の重要な助けになって共生したりもする。
味噌や納豆などの発酵食品の生みの親であったりもするし。
一部の病気の元凶であったりもする。
数え切れないほどの種類をもった不可視の隣人……それが細菌。
ガラ・ルファの研究テーマでもあった。
しかしだからこそガラ・ルファは人魚医学会で異端とされた。
何故って、この世界はいまだに細菌の概念そのものが見いだされていないからだ。
何せ小さすぎて見えないからこその細菌だからな。
見えないものが存在すると確信することこそ至難の業。かつて俺のいた世界でさえも、顕微鏡が発明されて細菌を目で見ることができるまでは、その存在は想像すらもされていなかった。
細菌ウイルスを原因とする業病も、悪魔や悪霊の仕業であるとされてきたほどだ。
そしてこの世界には本当に悪魔や悪霊もいるから余計に質が悪い。
天才的な直感からか、細菌の存在を予見するガラ・ルファの説も学会ではまったく受け入れられず、それどころか頭がおかしい扱いされて締め出しを食らった。
行く当てのない彼女が最後に辿りついた場所、それがここ農場だったというわけだった。
前回までのあらすじ、その二。
「思えばそんなこともありましたねえ……」
ガラ・ルファ当人が遠くを眺めすかすように遠い目をしている。
思えば遠くへ来たもんだ言わんばかり。
「始めてここにやってきた日を思い出します。私が漠然とイメージしていた細菌の存在を、聖者様が明確に教えてくださったのですよね。あの時私は、目の前に覆われた暗幕を一気に取り払われた気分でした」
あッ……。
そっすか……。
「さらには顕微鏡というプレゼントまでしてもらい、私の細菌研究は一気に前進しました。あれからも私は顕微鏡の改造を繰り返し、今では十万倍の大きさで見ることができるんですよ!」
それってもはや電子顕微鏡レベル……!?
「それらの努力が実を結び、私の研究はついに一定の段階を踏みました。いえ、これからも研究すべきことは無限に広がって、終わりなどないことは確定ですけれど、……でも一区切りといえるものは手応えついたと思います」
なんと、知らないうちにガラ・ルファの研究がそんなところまで進んでいたとは。
たしかにそれは『やったぜ!』と叫びたくなる。
しかしてガラ・ルファの研究は一体いかなる成果を生み出したのだ!?
「ふっふっふ……聞きたいですか? 聞きたいですよねえ?」
ここぞとばかりに勿体つけるガラ・ルファ!!
普段やられたら『うぜぇ』としか思いようがないが、彼女の研究が完成した今日だけは受け入れられる!
好きなだけ勿体つけるといい!
「聞ーきーたーいー!」
「どーしてもー?」
「聞ーきーたーいー!」
そんなやりとりを数回繰り返して……案外早く飽きた。
お互いキャラじゃなかったな……。
早いとこ本題を……ということで、ついにガラ・ルファが成し遂げた異業が明かされる。
「研究とは何のために行われるか? それは人々の役に立つため! 世の中に貢献する方法が確立されてこそ研究が完成を見たというべきじゃないんでしょうか!?」
「おお」
「そして我が細菌研究がどのようにして役に立つかというと、病気を治すため! 元々私は人魚医学者でありますからして、私はそのために細菌の研究を進めてきたと思うんですよ!」
そこは断定口調にしてほしかったな。
「つまり私は、ここまで積み重ねてきた細菌研究で、人の病気を治す方法を確立したんです! これこそまさに成果と呼んで差し支えない! そうは思いませんか!?」
思うー。
……ってマジか。ガラ・ルファの研究がそんなところまで進んでいたとは。
彼女が農場の土を踏んでから幾数年。
様々なことがある裏で弛まなく研究を進めてきたガラ・ルファがついに日の目を見ることがきたってことか。
共に農場を訪れた仲間たちは結婚と共に卒業し……。
一人残されてなお地道に進み続けた彼女が選んだ成功の形が、今日のコレ。
ガラ・ルファのライフワークが実を結んだのだから惜しみなく称賛を贈ろうと思うわけなのだが……!!
「ガラ・ルファの研究でもって病気を治す方法って、具体的にどんなの?」
好奇心に駆られてとりあえず聞いてみた。
「よくぞ聞いてくださいました!!」
そりゃ聞いてほしいよなあ。
自分のこれまでの努力の軌跡なんだし。
「人体にはそもそも侵入してきた微生物に対して自己防衛する能力が備わっています。侵入してきた細菌の特徴を覚え、効果的に対処する機能を追加する。それを免疫機能と呼ぶことを聖者様からおそわりました!」
うん、まあ……。
そんなこともあったよね。
「免疫さえ獲得してしまえば病原菌など恐れるに足りませんが、その免疫をゲットする最初の一回目が問題なのです。人間誰しも防御力を得るために一度は無防備で攻撃を受けないといけない。その攻撃が致死級であればリスクは最大限。免疫がどうとか言ってられなくなります!」
ふむふむ、たしかに。
「ならばどうすればいいか? 無防備で受けざるを得ない最初の攻撃を、できる限り弱くするのはどうでしょう!? 自然の病原菌が襲ってくるのを待つのではなく、あえて人工的に、極限まで毒性を弱めた細菌をあえて意図的に体内に入れることで、安全に免疫を獲得するのです!!」
わあ……。
……あれ?
この話、どこかで聞いたような?
いや、本当に聞き覚えのある理屈だぞ?
人為的に免疫を獲得するため、弱まった細菌もしくはウイルスをあえて体内に取り込む。
そのやり方は、俺が前いた世界でも大々的に使われていて特定の病気予防に絶大な効果を及ぼしていた。
社会的信用も最上級。
そうして体内に投与されることを目的とした弱化された病原体のことを……。
俺たちの世界ではワクチンと呼んでいた。






