87 冬熊
「ここを過ぎたら、次のエリアか……!」
五合目。
最初のヴィールの説明からすると、これが最後の階層となるはず。
これまで通過してきたエリア。一番最初の一合目が汎用の低レベル向けで、二合目から春、夏、秋と銘打たれてきただけに、次の五合目がどんなエリアか容易に想像がつく。
「冬か……!?」
クッソ寒そうだな。
「ここで切り上げて、帰るか?」
「そうねー、防寒対策もまったくしてないし。せめて厚着でもして準備を整えた方がいいかも」
夏エリアでガッツリ体力を奪われたプラティも帰りたそうだし、同じく夏エリアで仲間になったハイリカオンどもも「寒いところに行くの?」と察した途端尻尾がシュンと垂れてしまった。
「よし、帰ろう!!」
「ちょっと待って!!」
せっかく俺が英断を下したというのに、異論を唱えるのは誰だ?
と振り向いたら、そこにいるのはやたら豪華なドレスを着た銀髪の少女ではないか。
ヴィール(人間Ver)。何故いる?
「酷いぞご主人様! せっかくおれが頑張って作ったダンジョンを全クリアせず帰るとはどういう了見だ!? キッチリ最後まで遊び尽してくれ!!」
「というか何故お前がここにいる!?」
このダンジョンのラスボスとして最終地点で待ち受けているんじゃなかったのか!?
「待つのが退屈だったんで合流することにした」
「コイツ……!?」
どこまでも自由な……!!
「次の五合目で待っているモンスターは、特別枠だ! 会えばきっとビックリするぞ! ヤツに比べたら今までのモンスターなどザコだ! ザコ!」
そんなヴィールに狼たちがワンワンと吠え掛かっていた。
ザコ呼ばわりされたことへの抗議だろうか? コイツらはヴィールを群れの仲間と認めていない。
「だからな! これからはおれもダンジョン攻略に参加して一緒に乗り切るぞ! 共にラスボスの待つ頂上まで踏破しようではないか!」
「そのラスボスが目の前に……!」
仕方ない。
こうなったらとことんヴィールにつき合ってやるか。
コイツが特別枠だと自信たっぷりに請け合う五合目のモンスターに、俺も興味があるからな。
* * *
そして踏み込んだ五合目。
予想通りに冬エリア。
吹雪吹き荒れる雪山で俺たちを待ち受けていたモンスターは……。
「くまあああああああああーーーーーーーッ!?」
熊型モンスターではないか!?
今まで襲ってきたモンスターのように同種で群れを組んではいない。
あくまで単体だ。
それなのに巨体、剛腕というので、たった一体でもこれまでのヤツらより段違いに威圧感が強い。
立ち上がると、その高さは三メートルにも達し、見下ろされるだけでビビって腰が抜けそうだ。
オオカミたちが四方から囲んで吠え掛け、威嚇に徹するが効果らしいものはまったくない。
「近づくな! 並の者では撫でられただけで冥界行きぞ!!」
オークボ、ゴブ吉の二人が部下を下がらせ彼らだけで熊の相手をしている。
二段変異化し、並の勇者なら一捻りできるという強さでもあの熊相手に凌ぐのが精一杯ということか。
「……ヴィール、なんてモンスターを生み出したんだ?」
これまで出てきたヤツと違って完全ガチじゃないか。
「そうか? あれぐらいならまだ、おれがちょっと本気を出せば消し炭だが?」
最強生物の尺度は滅茶苦茶アバウトだった。
仕方ない。
ここでオークボたちが怪我でもしたら遊びどころじゃなくなるからな。
「オークボ、ゴブ吉、代われ」
「「承知!!」」
二人が飛びのくと同時に抜き放った邪聖剣の一閃が、逆袈裟に斜め下から斜め上へと走る。
その一閃に沿って熊の体に斜め一線の傷がつき、血を撒き散らしながら倒れていった。
「おおッ!? あれほどの強敵を!?」
「たった一撃で! さすが我が君!!」
オークボたちが誉めそやすけど、全部『至高の担い手』と邪聖剣の成果だからな?
冥神ハデスが、魔族の勝利のために生み出した聖剣の一振りを、造形神ヘパイストスから贈られた『至高の担い手』ギフトで最大限以上にポテンシャルを引き出したから、俺なんかでも強豪モンスター一撃死とかできたのだ。
決して俺自身の成果じゃないぞ!
持ち上げないでくれ!
「あっ……!?」
「まだよ旦那様……ッ!?」
一撃必殺できたかと思われた熊が立ち上がり、俺の方を睨みつけた。
しかし傷は深く満足に動くこともできないだろう。
あとは狼たちに任せるだけでも安全に嬲り殺しにできるはずだ。
しかし、それはあまりに残酷だ。
「我が君……?」
「苦しませぬよう、とどめを刺されるのですか?」
瀕死の熊に近づきつつ、俺は別の方に声をかけた。
「プラティ」
「はいッ!?」
「傷薬をくれ」
俺の要求に皆が戸惑ったことだろう。
言われるままに傷薬を取り出すプラティから受け取って、俺はそのままそれを熊の傷に塗り込んだ。
「ご主人様!? 何をしているのだ!?」
「ダメだな。一撃で殺せなかったのがダメだった」
こうして傷ついて苦しんでいる様を見せられると、可哀相という気持ちを抑えることができない。
その傷を拵えたのは俺自身だし、今まで何十体とモンスターを捕食や防衛のために殺しておきながら偽善もいいところなのだが、やはり非情に徹することができなかった。
まあ、あれだ。
熊なんて狩っても、肉や毛皮をどう利用していいのかわからないし。利用できない物を狩っても仕方ないよねってことで。
「体毛が分厚くて、傷口になかなか薬が染み渡らないわね。全快はするけれど時間がかかりそうよ」
「その方が好都合だ」
即刻全回復してまた襲ってきたら、今度こそ斬り捨てなきゃならない。
「さ、これで五合目もクリアだ。先に進もう」
呆気にとられる皆を先導し、俺たちは先に進む。
その後方を、熊が何を考えているのかわからないうつろな瞳で見送っていた。