852 エスプレッソ
コーヒー店新メニューを決意して早や数日。
俺は試作品をグレイシルバさんのお店に持ち込んだ。
「なんだ? このヤカンは?」
さすがに目を引いたようだ。
金属製のポッドは鈍い艶を放ち、また特徴的な形をしていて目を引きやすい。
素直に疑問を口にするグレイシルバさんに俺は得意満面、新兵器の説明を始める。
「新しいコーヒーは、このポットから出てくるんですよ」
普通よりもやや細長の、複雑な構造をしたポット。
俺の記憶を頼りにまたドワーフさんらと試行錯誤しながら完成まで漕ぎつけた。
その過程でまた二、三度ほどドワーフさんたちの魂が飛び出した。
細かく挽いたコーヒー豆と水を、決まった位置にセットして火にかける。
少しして水が沸騰すると『スコォ……!』と蒸気が鳴って、火を止める。
ポットを持ち上げて傾けると、注ぎ口から真っ黒な液体が……!?
「おお!? もう既にコーヒーが出来上がって……!?」
「エスプレッソです!!」
エスプレッソ。
それはコーヒーの一種で、淹れ方による違いで呼び方が変わるんだが、コーヒーに詳しくない人でも一度は耳にした名前ではあるまいか。
ぶっちゃけた言い方をすると、クソ苦いコーヒーだ。
通常のコーヒーよりさらに苦い。
新たに開発したこのポットはエスプレッソマシンと言って、一旦沸騰させたお湯から吹き出す蒸気が、ただお湯で抽出するよりも何倍も強い圧力をかけるので短時間でさらに濃いコーヒーを抽出できる。
しかも濃いから量が少ない。
おちょこみたいなエスプレッソマグでぐいと飲む。
クソ苦ぇ。
普通のブラックコーヒーなど問題にならないレベルでクソ苦い。
誰が飲むんだこんなもん、と思いつつぐいっと一杯一気飲み。
濃縮してあるから量が少なく、味の割に簡単に飲める。
もっともエスプレッソコーヒーの本場は情熱の国イタリアなのだが、イタリアでの正しいエスプレッソの飲み方は、カップの底にドロッとした砂糖が残るぐらいに砂糖入れまくって飲むのが大正解なんだとか。
こんなクソ苦いもんそのまま飲むヤツなんていねえよ。
ということを考えるたび思い至るのは……実はブラックコーヒーなんて好んで飲む変態は日本人ぐらいなんじゃないかって。
ソースはない。
俺の感想ですね。
しかし日本には古来から茶道というものがあって、そちらでもクソ苦い抹茶を他に何も入れずに飲んできたわけだ。
その伝統が引き継がれて舶来コーヒーにおいてもミルクや砂糖と言った不純物を入れるのに潔しとせず、ブラックという習慣が根付いたんじゃなかろうか?
逆にアメリカなどでは緑茶にも聞かれるまでもなく最初から砂糖が入っているとかなんとか。
欧米の方々にとってそれくらいお茶にもコーヒーにもシュガーインしろや! そのまま飲むな変態! ということなんだろう。
コーヒーをブラックで飲むヤツなんてのは大人ではなくただの変態なのだ。
さらにエスプレッソすらそのまま飲むヤツは、既に終着点に行きつく終わっちまった変態。
そんなことを考えつつブラックなエスプレッソを飲む俺。
にっが。
「はーん。……まあ、今までのコーヒーの味に慣れてきた人であれば、一捻りしたこの味に飛びついてくれるかもしれんな」
試飲したグレイシルバさんの感想。
「しかしただ単に味を濃くしただけでは、そこまで劇的な変化とは言いづらいのでは? 仮に飛びついてくれたとしても再び飽きるのに時間はかかりそうだなあ」
「その点については心配無用」
エスプレッソは、ここから始まる七変化の足掛かりにすぎません。
コーヒーはエスプレッソを得ることによってさらなるスキルツリーを広げていくのです。
「たとえばカフェラテ」
コーヒーにミルクをぶち込んだものがカフェオレ。
カフェラテとカフェオレの違いは何だろうか?
エスプレッソにミルクをぶち込んだのがカフェラテなんですな。
エスプレッソが、より濃厚なコーヒーである分ミルクを入れてもしっかりしたコーヒーの味わいが残る。そういう意味でカフェラテはカフェオレと別物扱いされているのだろう。
さらにミルクをかき混ぜて泡立てて、その泡が1cm以上の厚みになったものがカプチーノ。
泡化したミルクだけをエスプレッソに注げばマキアート。
エスプレッソにミルクにチョコレートソースを加えたカフェモカ。
カフェラテをキャラメルシロップで味付けしたキャラメルマキアート……。
「全部同じじゃないか」
グレイシルバさんの容赦ないツッコミが飛ぶ。
いや違うんだ。
これらが全部微妙に違うんだ。
とにかくエスプレッソを作れることでこれだけツリーが広がるの。
種類さえ確保すれば入れ代わり立ち代わりお客さんがやってきて、さらなる商売繁盛へつながるに違いない!!
情熱のイタリアンがこよなく愛するエスプレッソは普通に受け入れられるだろうし。
カフェラテは老若男女に大人気のシロモノ。
キャラメルマキアートは女子高生が必ず買って帰るイメージだ。
それらを兼ね合わせれば、かなりの集客を見込めること必定。
これでグレイシルバさんの喫茶店、復活の狼煙じゃあああああッッ!!
まあ、今でもそれなりに繁盛していますが。
「ふーん」
グレイシルバさん、相変わらずの冷静な視線でエスプレッソマシンを凝視。
「聖者様よ、時間をくれないか? オレもコイツを使い慣れないといけないからよ」
たしかにそうですね……!
グレイシルバさんは普通のコーヒーを淹れられるようになるにもたくさんの試行と失敗を重ねて、絶妙のドリップ加減を会得したのだった。
今回もきっと湯加減、豆の焙煎、挽きの細かさ、すべてにおいて最高のエスプレッソを淹れられるようになるだろうと。
* * *
それから数日後。
グレイシルバさんから指定された日数を経て再び的を訪問して驚いた。
「トールバニラソイアドショットチョコレートソースクリムゾンデストラクションドラグナーダーククリームキャラメルマキアートでございます」
「んッ?」
今キャラメルマキアートって言った?
また呪文のように恐ろしく長い商品名だったけど、その中でたしかにキャラメルマキアートって言った!?
キャラメルマキアートは、たしかにエスプレッソを元にしなければ調合できない。
それが意識高いコーヒーショップに!?
いや他にもカフェラテとか!?
グレイシルバさんの下を訪ねる前に偵察がてらに立ち寄ったら、何故かエスプレッソ系の商品が多く売られているのを確認した。
気になって他のお店も覗いてみたが、大衆コーヒーショップも同様だった。
一体これは!?
「オレが広めた」
グレイシルバさん!?
「エスプレッソマシンの製造にドワーフが関わっていると聞いたからな。商会を間に入れて交渉し、魔都中のコーヒーショップと共有したのさ」
「えええッ!?」
「シャクスとサミジュラの旦那たちも喜んでたな。いろいろ工夫をしてみるものの、メニュー自体は頭打ちになっていたようだからな。エスプレッソを作れたことでメニューの幅が大きく広がっただろう」
何故そんなことを!?
一頭群を抜けるチャンスだったのに!!
「そんな風に抜け駆けしたって仕舞いはいいことは待ってねえよ。幸せは皆で分け合わねえとな。せっかく聖者様がさらに美味しいコーヒーの作り方を伝授してくれたんだ。皆で一斉に発表して魔都中のお客さんに楽しんでもらいたいじゃないか」
と言うグレイシルバさん。
「いい目を見るなら皆でじゃないとな。そうじゃなきゃいらん恨みを買うし、何より暖かくねえだろう」
……何と言うことだ……!?
俺が他人を出し抜くことばかり考えていた横で、そんな崇高な幸せを分け与える方法について模索していたなんて。
急速に自分が恥ずかしい存在に思えてきた!
やはり傭兵として死線をくぐり、酸いも甘いも噛み分けて生き残ってきたグレイシルバさんの配慮は凄まじかった……!
こうして魔都には可及的速やかに、エスプレッソとそれに伴うコーヒーバリエーションが流布していくのだった。
まーた文化が押し進む。






