851 意識高きコーヒー店
えッ? 何?
呪文?
シャクスさんの言ったことがよくわからなかった。
高速詠唱すぎて俺の耳に聞き取れない。
「さあ、聖者様も注文をどうぞ!」
「はあッ!?」
そんなことを言われたって、俺にはそんな破道の九十番台の詠唱は無理ですぞ!
客に無理なことを注文する!
こんな時は……。
最後の手段!
「お、オススメをください……!」
これを言っておけばとりあえず通じる戦法!
きっと大丈夫! 出てきたものがどんなものであろうと黙って飲みさえすれば!
「かしこまりました。ではサイズはいかがいたしましょう?」
「サイズ!?」
「トールやグランデがございますが?」
ととととととととと、トール!?
徹?
何それ雷神!?
『実はそれ農耕神なんだよ』とか自称神話好きがドヤ顔で言うヤツ!!
サイズならS、M、Lがスタンダードじゃないのかよ!?
ちゃんと規格統一しろ始皇帝が激オコするぞ!!
「……ふ、普通サイズで」
「トールですね、かしこまりました」
これもなんとか凌いで注文完了した俺。
厳しい戦いだった。
ここ数年で一番厳しい戦いだったのではないか?
普通のコーヒー(普通サイズ)をトレイに乗せて、やっとこさカウンターから離れたところで……。
「さすが聖者様! 見事なご注文でしたぞ!!」
シャクスさんから拍手喝采された。
何故だろう虚しさばかりを感じた。
「画期的なシステムでしょう!? 席に座ってから注文するのではなく、まずカウンターで一括、注文と商品受け渡しを会計を済ませる! これによって様々な無駄を排する合理的な仕組みなのです!!」
「はあ、はい……!?」
「このシステムは特に時間の貴重なエリート魔族に好評でしてな! 店側もそういう客層を狙った内装にしております。高級感漂う清潔な造り! 聖者様もお気づきでしょう!?」
「うーん? はい?」
たしかに、前に利用したお店に比べたらハイソな感じが漂っているなあ。
利用客も統一的に身なりがよく、魔族のエリートサラリーマンと言った感じ。
「今現在、魔都ではこのコーヒー店『スターシャクス』に『魔空ブック』を持ち込み、コーヒーを楽しみつつ作業するのがトレンドとなっておるのですぞ!」
「意識高いなあ……!?」
俺のような田舎の農場主には踏み込めない厳かさがそこにはあった。
パンデモニウム商会……このように意識高いコーヒーショップを作り上げてしまうなんてさすがは魔族を代表する商業組織だぜ。
「フン、このように客をえり好みする店が長続きするか!」
そこへ物言いを入れるのが居酒屋ギルドのサミジュラさん。
移動したというのに、ついてきていたのか。
「お客様はみな平等! 老若男女隔てなくお楽しみいただけるように工夫した我が系列店こそ最後に生き残る最適解!」
「人類皆平等は金言なれど、それでも各自ライフスタイルが千差万別であるのもまた現実です。それに合わせて顧客ターゲットを絞り、よりフィットしたマーケティングを行うことが商人の務めではありませんか? それを放棄してすぐさま最大公約数を求めるのはただの怠慢では?」
シャクスさんとサミジュラさんとの間で火花散る商業論。
奇しくも意識高い系のコーヒーショップによく似合っている。
「「聖者様!」」
「はいッ!?」
一人静かにコーヒーを飲んでいた俺に唐突に話が振られてきた。
当然のように咽る。
「聖者様はどう思われますか!? 我が店のサンドウィッチセットを完食されたのですから当然、我らに賛同するものと!!」
「何を仰る。我が店であれほど優雅に注文できた聖者様ですぞ。このお店で佇むことこそ聖者様には絵になります……!」
いかん。
これはどっちかの味方になればどっちかの敵にならざるを得ないパターン。
こういう際はどっちに立っても角が立つ。
ついさっき地獄の注文ミッションを潜り抜けたばかりだというのに、どうしてすぐまたこのような試練を!?
「えーと……!」
「「……」」
「……………………コーヒーお代わり、グランデで」
飲んで誤魔化す以外に方法はなかった。
* * *
こうして腹タプタプになるまでコーヒー飲んでビヤ樽のようになった俺。
そもそもサミジュラさんのところで完食したサンドウィッチセットも充分に消化しきれていないというのに。
腹の内容量が限界を超えたのでやむなく視察を打ち切った。
そして逃げ帰った先はグレイシルバさんの喫茶店。
「ふははははは、さすがの聖者様も、サンドウィッチセットにやられたか」
無様な俺の姿を見て苦笑するマスター、グレイシルバさん。
やられたのはサミジュラさんとこのお食事の質量だけじゃなくて、シャクスさんのお店の意識高さもありますがね。
予想だにしていなかった。
魔都でこれほど熾烈なコーヒーショップ経営競争が繰り広げられているとは。
皆それぞれに個性を主張し、明確な客層を狙ってショップ展開している。
そんな中でグレイシルバさんが喫茶店を経営できているのは、想像以上に凄いことではないか?
大手が鎬を削るただ中で個人営業が生き残っていけるなんて想像するだに至難の業だ。
やはりグレイシルバさん……。歴戦の傭兵たるサバイバル知識がここでも生きているのか?
「オレなど所詮ただの雇われマスター。血なまぐさい知識などこんな平和な町の一角では何の役も立たんよ」
落ち着いてコーヒーカップを磨くグレイシルバさん。
「ウチが何とか生き残れているのはオレよりも、アンタのお陰さ聖者様」
「え? 俺?」
「アンタ、今でもウチの店にコーヒー豆を卸してくれてるだろう? 世界のどこぞにあるという楽園から仕入れた豆だ。それがまあ他にはない味を出してくれる」
魔国でコーヒーが本格的に流行り出したのは、遠い海に浮かぶ魔族の親戚の島が発見されてから。
これまでまったく没交渉だった海の孤島の魔族たちとの交流が活発化し、その島で生産されていたコーヒー豆が魔国にも入ってきた。
シャクスさんやサミジュラさんのお店で淹れられるコーヒーは、もっぱらその魔島から輸入されたコーヒー豆で、その点がグレイシルバさんの喫茶店と決定的に違う。
ここで淹れられるコーヒーはもっぱらウチの農場で栽培されているコーヒー豆だ。
俺が言い出しっぺで建てたお店なんだから、最後まで責任を持たんとな。
「理屈はわからんが、味に関しては聖者様のくださる豆で淹れるコーヒーが格段に美味い。だから大手チェーンがひしめく中でもわざわざうちにのみに来てくれるお客さんがいるのさ」
「なるほど」
それで最低限の売り上げを確保し、経営も成り立っていると……?
そういえば、ここに来るまでに撒いてきたシャクスさんもサミジュラさんも、自分の店を強く推しつつ『なので我が店にも豆の仕入れを!!』と迫ってきていたな。
そんなのレタスレートに直接頼めよ……と思ったがアレはコーヒー豆の仕入れの催促だったのか?
「ウチのように小さな店の唯一と言っていい武器だからな。これだけ多くのコーヒーショップが乱立するようになっても相変わらず、この味求めてやってくる常連さんがいる。あまりに悪いんで、少し値上げしたぐらいさ」
「なんで!?」
「それぐらいして手に届きにくくしないと、他のお店に申し訳ないだろう? それにこの味はたしかに上等すぎて、安月給の駆け出しには毒よ。若いうちから贅沢覚えるとろくなことにならねえ」
これまで苦労を重ねてきたであろう引退傭兵の、含蓄あるお言葉であった。
値上げして、なかなか手のでない値段にすれば、巷に広がる多店舗との違いが克明になり、いいバランスでお客も分散するってことだろう。
そこまでして地域に貢献しようとするなんて。
ちなみにこの喫茶店で得た利益の大部分は人間国の復興支援金に寄付されているそうです。
グレイシルバさんの、大きな視点に立った経営戦略は痛み入る。
……しかし。
それでも自分の立ち上げたお店がもっと繁盛してほしいものだなあと思う俺は我がままだろうか?
開店して時も経った今だからこそ、皆を『あッ』と言わせるような経営戦略でこの店に注目を集めたい。
そのためには……。
よし、新メニューだな。