833 人魚国の夫婦事情番外編
私の名はヘンドラー。
偉大なる人魚王アロワナ陛下に仕える官吏である。
周囲からは『腹心』『人魚王の懐刀』などと過大な評価で呼ばれているが、素直に受け取っている。
そんな私だが家庭を持ち、その営みも順調。
我が下へ嫁いでくれたランプアイは、人魚国を席巻する六魔女の一人にして『獄炎の魔女』と呼ばれている。
爆炎魔法薬の扱いもさることながら、人魚宮の近衛兵も務め、格闘戦でもその強さは比類ない。
女人禁制ゆえ実現は叶わないだろうが、武泳大会に出場すれば彼女の実力ならベスト8には確実に入ることだろう。
そんな彼女であるから人材としても優良。
かつての罪が許された今ならどんな場所でも活躍できる。
昔からの職場……近衛兵でい続けるのも無難だし、魔女の名声を持ってすれば魔法薬の研究機関からも諸手を挙げて歓迎される。
六魔女随一の戦闘能力を生かして軍部に入ることもできるし、農場で若者たちをシゴいていた経験から教導官も務まろう。
コネも多方面に亘っているから、それらを駆使してようやくにつくことも容易い。
魔女同士のよしみで現人魚王妃のパッファ様の侍女に就くこともできる。宰相ゾス・サイラ様の側近として働くことも彼女にはできよう。
しかしながら彼女は、そのいずれの道も選ぶことはなかった。
結婚直後こそ古巣の近衛兵に復帰して、家庭と仕事を両立させていたが、妊娠をきっかけに休暇へと入り、出産を経て正式に退官してしまった。
そして完全に家庭に入り、今は私の実家であるベタ家に暮らしている。
社会からは完全に身を引いてしまった状態だ。
私にはその判断が正しいことかどうか決めかねる。
あるいは彼女の総合能力は私より上かと思うこともあるのに、結婚という理由で彼女を家の中に閉じ込めていいものかと。
それは彼女にとっても、また彼女という人材を欠いた社会にとっても損失ではないのか?
時代遅れの我が父などは『女は家庭を守る! 当たり前のことだ!』などとランプアイの選択を誉めそやすが、あの人の意見など参考にもならない。
既に私たち夫婦の間には娘が儲けられてハーフムーンという名がついている。
『生まれるならばやはり跡取りの男児が……』などという無神経な声もあったが、ウチには関係のないことだ。
家系で言えば私は次男で相続の義務もなく、たとえあったにしても愛する人が生んだ子どもならば男女に関わらず愛しい。
だから早急に二人目を……などという妻のはやる気持ちも抑えたかった。
今はまだ生まれたばかりの長女に愛情を注ぐ時期であろう。
私自身もアロワナ陛下の右腕として昼間は王宮に上がらねばならず、なかなか家族のために取れる時間はない。
それでもやりくりしてたまに早めに帰ってくると、甲斐甲斐しく働く妻の姿を認めることができる。
名家ベタ邸の庭先で、何人もの徒弟がぶっ倒れていた。
ウチの妻の周囲で。
「旦那様、お帰りですか」
我が妻ランプアイはこともなげに言う。
この惨状を作り上げたのは間違いなく彼女であろうに、当人は息も乱れていなければ汗の一滴流していない。
「ランプアイよ……また徒弟たちの稽古をつけていたのか?」
「はい、いずれはこの子らもこの国のため我が家のために大事な戦力となっていきますので。今のうちからしっかり鍛えておかないと」
我がベタ家は『闘魚の家』などとも呼ばれる軍人家系なので、各地から見込みのある若者を集めて敷地内に養っていたりする。
そういう子らを鍛えて選別し、いずれは人魚軍に入隊させたり私兵として確保したりしておくのだ。
そうしてできる限りの優秀な戦士を取りこぼさぬようにという配慮なのはわかるが、私としては軍閥の温床になってるんじゃないかとかあんまり気が進まない。
ただ我が妻ランプアイは家にいる際の仕事として、徒弟たちの訓練に積極的なようだ。
おかげで邸内の若者たちが今にも死にそうになっているところをよく見かける。
「精を出すのはいいが……ハーフムーンの世話はいいのか?」
「そちらは問題ありません。メイドに見させているので」
まあウチもそれなりの貴族なのでメイドぐらいは雇ってるけどさ……。
できることなら母親には娘のことのみ集中してほしいものだが、このようにして家の様々な仕事に打ち込むのにも彼女は余念がない。
「そんなに訓練に精力的なら、正規軍の訓練場にも顔を出してみたらどうだ?」
「何を仰います。我が家の徒弟たちはいずれお城へと上がり旦那様の手足となって働く者たち。だからこそちゃんとお役に立つようにと鍛え上げているのです。ただ鍛えたくて鍛えているわけではありませんので軍の訓練場へ出向く意味はありません」
「そうか……」
ここ最近、気を張りすぎているのではないかなと思う。
私の妻は。
屋敷に閉じこもりきりで、オークボ城や武泳大会といった祭りの場へも顔を出さずに、農場の方々との旧交を温めることもない。
そもそも私の実家であるベタ邸に住まうのも私は気が進まなかった。
跡継ぎでもないので、城近くに屋敷でも借りて住もうとしたのをランプアイが強引に実家へと住むことにした。
跡取りでもない上に一度は出奔した家出息子としては相当居心地が悪いが、それでもあえて義父母と同じ屋根の下で暮らそうという彼女の意図は何なのか?
私のために彼女がかつて持っていた溌剌さを失ってしまうとしたら、この結婚は正しかったのだろうか?
そんな頭の隅にわだかまりつつあった。
「旦那様、ご心配には及びません」
そんな私の不安を見透かしてか、ランプアイが言う。
「わたくしは、アナタに嫁入りした以上アナタを支えることが第一の役割なのです。脇目もふらず、その一点にのみ突き進むのがわたくしの既婚者としての在り方」
は、はい……!?
「アロワナ陛下の腹心として召し上げられたアナタ様のために、わたくしのできることをすべてするのが、わたくしの嫁道です。わたくしがアナタを支えることで、十二分に活躍するアナタが国政をよくされる。さすればわたくしも世に貢献していると言えるでしょう」
う、うん、そういうもの……!?
ランプアイの迷いなき眼が彼女の考えの間違いないことを示すかのようだった。
元から人魚王家に仕える者として使命感に厚い彼女であったが、私と結婚することで私に尽くすことが自分の社会奉仕であると見極めたのか。
「しかしランプアイ、夫婦生活はそれほど社会への貢献を意識しなくてもいいんでは? それぞれ家族のことを考えてもよいのだしキミもできれば娘のことを……!」
「ご心配なく、これからちゃんと世話しに行きますので。第一今はお昼寝の時間なので母親としてのわたくしは手が空いているのです」
「そうなの……!?」
「次代を担う若者を育むのも人の務め。わたくしも我が子ハーフムーンに愛情注いで立派に育て、将来はモビィ・ディック殿下へと嫁げる立派な淑女としたく存じます」
そうか……!
彼女も自分の娘にしっかり想いを込めているんだな。
それさえわかれば一安心……って、ん?
今なんか不穏なこと言わなかった。
王子へ輿入れ?
「こないだ茶会に上がってパッファさんと約束してきました。ちょうど男の子と女の子でありますし生まれも同年ですので、将来二人が大人になったら結婚させようと」
オイオイオイオイオイオイオイオイッ!?
そんなこと勝手に決めないでくださいますか!?
当人がまだ赤子だというのに!
そんな段階で母親同士で決定させないで気が早い!
本人たちの意思もミリ入ってない上に、ちょっと危険が危ないその決断!
ただでさえこのヘンドラー、アロワナ陛下より抜擢されて今とてつもない権力を持たされているというのに。
その上で未来の国王へ娘を嫁がせたら時代の権力も約束されたようなものではないかッ!?
あからさまな佞臣による国家壟断の構図!
国を憂いる勇士たちによって討ち取られるコースだぞ私が!!
「何を仰います。ヘンドラー様こそこの国を支えていく忠臣の中の忠臣。そんなアナタが力を多く持たずしてなんとします。権力、財力、武力……。そのすべてを兼ね備えて後世に名を遺す大能臣となれるよう、このわたくしが全力にて補佐いたします。わたくしこそアナタ様を支える妻ですので」
ら、ランプアイはそこまで考えて考えて……!?
「旦那様のご実家に身を寄せるのは、政略において多大な影響力のある名家と連携を密にとれるように。徒弟を鍛えるのも将来旦那様が使える人手を育て上げるため。我が娘ハーフムーンは……それこそいずれ王妃となってくれればありがたいですがそれもあの子自身が決めること。とりあえず愛する旦那様の血を残すことが果たせればわたくしは満足です」
「ランプアイ……!」
「しかしながら、旦那様が国政を牛耳るためにはウチの娘が王妃となることは必須ですが」
「ランプアイ!?」
やはりこの妻、何か表に出せない野心とか抱えてないか?
大丈夫か? キミのことを信じていいんだな!?
「差し当たっては、今のところ果たしうる妻の務めをつき進めたく思います」
「妻の務め? それは?」
「無論、第二子の創造です」
そう言ってズイと胸を寄せてくる妻。
「せっかく早くお帰りになられたことですし、ハーフムーンもあと一時間はお昼寝から起きません。旦那様の優れた血筋をできるだけたくさん残すのも良妻の務め。シーラ前王妃様は十人近くの御子を世に送り出しました。臣下たるわたくしもそれに倣わねば」
我が妻ランプアイ。
ここ最近の気の張りすぎな様子は、彼女なりに私を愛することに全力であるということだった。
これもまた夫婦の一つの形か……!?
しかし待って。
さすがに帰ってくるなり夕食前に一戦というのは……ッ!?






