814 もう一組の新婚:妻side
私はカープ。
栄えあるマーメイドウィッチアカデミアに勤める人魚教師ですわ。
将来の人魚淑女を育成する学校で、生徒たちを常に厳しく指導しております。
私自身も模範となれるように己を律し、至高の淑女として振舞う所存ですわ。
そんな私も先日ついに結婚しました。
女なれば結婚は当然のこと。
いわば義務。
よその家庭に入り、自家と他家とつなぐ架け橋となりつつ夫の種を受けて世継ぎを生むのは人の営みに欠かせぬこと。
一流学部たるマーメイドウィッチアカデミアへの入学を許されるのはいずれも名家の令嬢ゆえ、なおさら婚姻の意味は定まります。
だからこそ令嬢たちを指導する立場の私も、節度ある人魚淑女に相応しい振舞いを体現せねばなりません。
淑女に相応しい妻の振舞いを。
ゆえに私も既婚者となった今、生徒たちにあるべき妻の振舞いを実地で教えるいい機会だと捉えておりますわ。
普段は三歩下がって夫を尊重し、あたかも召使いのごとく夫に従って夫を立て、夫に尽くす。
しかしてその裏では女家長として差配し、台所を自分の領域として守り、閨ではむしろ夫を乗りこなして従わせる。
それこそが結婚した淑女のあるべき姿。
私もみずからが結婚したからにはその理想を実践し、夫を立てながら乗りこなす良妻となってみせるのですわ!
ゴブ吉様!
哀れではありますが、私という完璧な淑女妻のお尻に敷かれることをお覚悟なさいまし!
しかしながら……。
ゴブ吉様は思った以上の難敵だったのですわ……!
「カープたん! カープたんしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきッ! ベロベロベロベロベロベロベロベロベロッ!!」
なんという攻勢でしょう!?
実際に式を挙げるまでは紳士的で武骨で……むしろ奥手だとばかり思っていたのに。
いざ夫婦となったらまるでタガが外れたようにガンガン攻めてくるようになったわ!?
怒涛の猛攻!?
「カープたん! カープたんカープたんカープたん! ハァハァハァ! 可愛いよ可愛いよカピュうううううううううううううううううッッ!!」
ゴブ吉様が、このように豹変される御方だとは思いませんでしたわ!
しかしわかっていましてよ、これこそゴブ吉様の作戦であらせられるのでしょう!?
このようにラブラブ甘々で主導権を取り、夫婦のとして上に立とうと!
見事な志であり、手段を選ばぬ執念、感服いたします!
さすがは私の夫に選んだ殿方ですわ!
しかしながら私とて淑女を指導する女教師として負けるわけにはいきません。
生徒たちに、夫を操縦する良妻の何たるかを教えるためにも、この夫婦生活始まって最初の戦いに負けるわけにはいきません!
私の方こそがゴブ吉様を魅了し、可愛い妻の言うことなら何でも聞いてしまうダメな夫に仕立て上げて見せますわよ!
* * *
そうして幾多もの戦いが繰り広げられました。
「カープたん! しゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅき!」
「ダーリン! ちゅきちゅきちゅきちゅきちゅきちゅきちゅきちゅき!!」
ゴブ吉様がタガを外せば、それに負けまいと私も一段リミッターを外す。
それを繰り返したら、どんどん段階が上がっていって気づいた時には取り返しのつかない惨状となっていました。
時折、我が家の垣根の向こうを因縁のゾス・サイラさんが通りかかって……。
『お前……それは、それはないじゃろ……!?』という困惑のこもった視線を送ってきます。
なんなんです?
お互いが幸せならそれでいいじゃないですか?
いや、違う。
私は、人魚教師としてあるべき妻の形を少女らに示しているにすぎないのです。
夫を支配し、思うように手玉に取れる賢き妻の姿を。
そのためにも、こうして手強い夫のゴブ吉様はよい好敵手。
この御方をいかに攻略して骨抜きにしていくかを、生徒たちへの教材といたしますわ!
そして今日は、私たち夫婦の主導権争いにおけるある意味での天王山!
オークボ城なる催しはたくさんの人が集まって騒ぎ楽しむのが目的とのこと。
本来なら私、人魚淑女を指導する者としてこんな浮かれたイベントには断固近づきたくありませんが、ダーリンことゴブ吉様に誘われたからにはいかないわけにはまいりませんね。
旨いこと乗せられている?
バカを仰い。
あえて相手の誘いに乗ることで油断を誘い、ここぞというところで首根っこを押さえる!
これこそ妻のしたたかな夫操縦術よ!
とにかくこういう乱痴気騒ぎの場では心も浮かれるもの。
その浮かれを衝いて、ますますゴブ吉様を惚れ込ませて私の言うことを何でも聞いてくれる都合のいい男に仕立てて見せるわ!
何しろゴブ吉様はそんじょそこらのイモ男とはわけが違いますから。そんな偉丈夫をお尻に敷いてこそ淑女の妙技というものですわ。
しかしゴブ吉様は見事なお方。
行列に並ぶときでも私に気を使って退屈させることなど一瞬もさせません。
互いの顔を見つめ合うだけで時間も忘れてしまいますわ。
え? 何?
私たちの番が来た? なんなのどうでもいいからもう少し見詰め合わさせなさい!
さらにそれ以降にも、ペアルックをその場で着たり、一つの飲み物を二つの管で吸って飲んだりと、それこそゲロ甘な一時。
こんなに素晴らしい時間があったなんて!
何かもうすべてを忘れてゴブ吉様とのひと時を満喫したい気分だわ!
……はッ!?
いけないいけない!
私の目的は、ゴブ吉様を心底惚れさせて私に服従する夫に仕立て上げることよ。
それこそが私の生徒たちに示せるよい妻の手本として!
しかし何なのこの浮かれっぷりの振舞いと衣装は!?
シャツにハート乱舞が浮かんでおりますわよ!?
いけない、こんな姿を知り合いに見られたら何と思われるかわかりませんわ!
『鋼の女人魚』と謳われる潔癖な私のイメージが台無しに!?
「いやもう手遅れじゃろう? こんな人気の多いところで何を浮かれポンチになっとるんじゃこの女は?」
「煩いわよゾス・サイラ! アナタはアナタの夫とイチャイチャしていなさい!!」
今誰か通りかかった気がするけど気にしている場合じゃないわ!
ペアルックでカップルドリンク片手に練り歩くなんて恥知らず以外の何者でもない!
知り合いに見つかる前に撤退したいおところですけど、隣りのゴブ吉様も楽しそうですし、いきなり中断して帰ろうなどと言ったらご機嫌を損ねないかしら?
『楽しくない』と思われたら。
そうして悩んでいるうちに危機が形を成して現れたわ。
オークボ城を満喫する来場者、数万人の中に紛れて歩く女子の集団。見覚えがあるわ!
あれは我らマーメイドウィッチアカデミアの生徒じゃないの!?
こんな陸の上まで。どこで陸人化薬を手に入れたというのかしら!?
こんな浮かれた場所で、ヒラヒラした格好でナンパにでもあったらどうするというの!?
これは様子を窺った方がよさそうね……!
人ごみに紛れて彼女たちの会話を盗み聞いてみると……!
「キャー楽しい! 陸の上でこんな楽しいことがあるなんて!」
「お父様やお母さまは『陸は地獄ぞ』と脅かされるけど、まったく違ったわねー!」
「そんなのウソに決まってるじゃない! 大人は私たちから楽しいことを取り上げようとするのよ! 勉強の妨げになるんだから!」
まったくその通りよ!
学生たる者、休日も勉学に励み予習復習、読んでなかった本を読み進めたり運動して体を鍛えるべきじゃないの!?
こんなところで遊んでいる場合じゃないわ!!
そもそも魔女クラスでなければ作成できない完全陸人化薬をどこで手に入れたというのあの娘たち!?
「でも新しい人魚王妃様って本当にいい御方よね! 高級品の完全陸人化薬をこっそりくださるなんて! きっとお高いモノだったでしょうに!」
「バカね新王妃様はご自身が魔女じゃないの。陸人化薬ぐらいご自身で作られるのはわけないことなのよ!」
犯人はアイツか!
ゾス・サイラの弟子の不良王妃め! あんなフーテン娘が妃の座についてはやっぱり世が乱れるわ!
「育ちのいい貴族令嬢に少しずつ悪い遊びを教えて、それで信奉者を増やしていくおつもりなのよ!」
「おかげで市井の生まれだというのに今では一派閥を築き上げて! これならアロワナ陛下が治められる新しい世も安泰ね!」
「私も喜んでパッファ妃に従うわ! 卒業したら王宮に上がって侍女として働くのよ!」
「そしてまた薬を貰って陸で遊ぶんでしょう!? 私だってそうしてやるんだから!」
いけないわ! 栄光ある我が校の淑女たちが不良王妃に誑かされて道を誤るなんて!
これを黙って見ていたら教師を名乗れないわ!
「待ちなさいアナタたち!」
「「「あッ!? カープ教諭ッ!?」」」
「何を浮ついているの!? 学生の本文は勉強! こんなところで遊んでいないでお屋敷で刺繍でも勤しみなさい!!」
「「「アンタの方が百倍浮かれていますよ!!」」」
今の私の格好。
ペアルックにカップルドリンクに男連れ。
いや違うのよ! これは夫を操縦するための淑女の嗜み……!
と何を言っても無駄だった。