718 深淵vs法理
話は継続中。
以前俺の眼前では、いい大人の女性たちが醜い争いを繰り広げている。
「いいからとっとと業務に戻れや真面目野郎がぁああああッッ! ここ一番で自分のキャラを忘れるでないぞおおおおッ!!」
「恋に目覚めれば脇目もふらず! それが私の真面目ですぅううううううッ!!」
取っ組み合っているゾス・サイラとカープさん。
いい年した女性が取っ組み合いなどを始めるとここまで見苦しいとは。しかしこれに介入しようものなら明らかに無事では済むまいよということはわかる。
「うーむ、どげんしたものか」
「面白いことになってますわねえ」
「わあ、ビックリした!?」
唐突に現れた誰かしらに誰かしら? と訝ったところ、そこに現れたのはプラティ……に似た年配の淑女。
いかにも大人らしい落ち着きを伴った……。
「シーラ王妃!?」
「いやですわ婿殿ったら。アタシマはもう人魚王妃ではありませんわよ。ダーリンからアロワナちゃんに代替わりして、アタシもとっくにお役御免なのですから」
そうでした!
しかしこの人が俺の妻プラティの実母にして、従って俺の姑である事実に変わりなし!?
彼女自身の人格もあいまって、真正面から相対すると無限のプレッシャーを強いられる!?
「長かった王妃業から解放されたおかげで気楽になれたこともたしかですけれど。パッファさんが意外なほどしっかり後釜を務めてくださいますから、アタシも安心してほっつき歩けますわ」
「はははは……!?」
現人魚王妃パッファは、嫁姑関係の問題を上手くこなしているようだ。
この義母との関係を悪くしたら夫婦生活が崩壊することは、同じく義理の親子の関係である俺もよく弁えている。
「それでお婿さん、本日はアタシの妹たちがお騒がせしてしまって申し訳ありませんでしたわね」
「はいぃいいいいいいッッ!?」
そんな!
シーラお義母さん閣下から謝罪のお言葉をいただくとは恐れ多い!?
「姉様ッ!? すみませんすみません! すみませんなのじゃあああああッッ!?」
「ぎゃああああああッ!? シーラお姉様が来たあああああッ!? 私の自由意思はこれにてバットエンドおおおおおおッ!?」
ゾス・サイラとカープさんが泣き叫んだり謝り倒したりしていた。
どうやらシーラさん出現を受けてのリアクションらしい。
「アタシの妹分たちがこんなにお騒がせしてしまって。よりにもよってプラティちゃんの旦那様にこんな醜態を見せてしまって恥ずかしいばかりですわ」
ああ、『妹』とか言うから誰のことかと思いきや。
ゾス・サイラとカープさんのことであったか。
お三人はお友だちか何かなんです?
「昔ヤンチャしていた頃にちょっとねえ。……で、カープちゃん?」
「びぇえええええええええッ!?」
泣き声で返事するのもどうかと?
「カープちゃんは職務放棄して戻ってこないとマーメイドウィッチアカデミアから連絡を受けて、アタシとゾス・サイラちゃんとで様子を見に来たのよ。アナタが本気になって抵抗したらアタシたちぐらいしか諌められないでしょう?」
「姉様! この舐め腐った真面目野郎にヤキ入れてやりましょうぞ!」
ゾス・サイラが三下みたいになっておる。
「お黙りなさいゾスちゃん、恋する乙女の胸の痛みはアナタだって弁えているでしょう?」
「すみませんッ!」
上役に一喝されて即刻黙り込むのも三下っぽい。
……。
…………恋する乙女?
「ともかくあの真面目なカープちゃんが恋に目覚めるなんてねえ。それなら学校側の指示に従わないのも納得がいくわ」
「それでいいんですか前王妃様?」
「恋心は何より優先されるのよ」
相変わらず人魚の恋はストロングスタイルだなあ。
「好いた男と結ばれるために世界消滅を断念したのがシーラ姉様じゃぞ? あの方にとって色恋以外は全部些末事じゃ」
「あら、ゾスちゃんだってそうじゃないの?」
「わらわが色恋だけを優先してたらとっくに人魚宰相なんて辞めとるわい!!」
「恋より仕事をとるなんて、ゾスちゃんこそよっぽど真面目さんなのねえ」
「違いますぅー! シーラ姉様が怖くて逆らえんだけですぅー!!」
ゾス・サイラにとって世界でもっとも優先されるのはシーラさんに対する恐怖心らしい。
わからない話でもないから困る。
「それでそれで? カープちゃん意中の人が、あのゴブ吉さんとやら? 清廉で清々しそうなお顔ね?」
そして今度はカープさんの想い人の品評会みたいなことになっておる。
「そうでしょうそうでしょう! さすがシーラお姉様見る目がある!」
「そしてあっちはオークボさんでしょう? ゾスちゃんの執務室の肖像画で親の顔より見た覚えがあるわ」
さらにゾス・サイラの想い人であるオークボにまで興味が移った。
「あちらはあちらで精悍で、懐が大きそうね。ゾスちゃんがああいうタイプを好むなんて意外だわ」
「そんなことありませんぞう! オークボは三国一の男なのじゃあ!!」
「でもやっぱりウチのダーリンが世界一ね」
「「はい……!?」」
そこはもうオンリーワンがナンバーワンということで。
ただでさえ面倒でデリケートな話題だなあ、と思ったところ、そこへさらにプラティがやってきて……。
「何を言っているの!? 世界最強はウチの旦那様に決まってるでしょう!? 知力体力戦闘能力において、宇宙一多次元一バリバリ最強ナンバーワンなのよ!!」
「プラティ、抑えて抑えて……!?」
俺のことを持ち上げてくれるのは嬉しいけれど、キミまでしゃしゃり出てきたらいよいよ収集つかなくなる!
「しかし奇遇な話よねえ。ゾスちゃんにカープちゃん、可愛いアタシの妹分二人の想い人が揃って同じ場所にいるなんて……そうだ、いいことを考えたわ」
『私にいい考えがある』がロクな考えであったためしがない法則。
「カープちゃん、アタシたちが訪問した用件は、学校の指示に従わないアナタを力ずくで連れ戻すことだけど……」
「やだぁあああああッッ!? シーラお姉様が実力行使以外の手段をもったためしがないいいいいいッッ!?」
泣き叫んで拒絶の意を表すカープさん。
これが教職のすることか?
「しかしアタシも鬼じゃないわ。アタシが出す条件をクリアできれば農場への残留を認めましょう。それでどう?」
「本当ですかお姉様!?」
「信用ならない? 人魚王妃の座を退いたといえども今のアタシは現人魚王の母親、一学校を黙らせる程度の権力ぐらいまだまだ残しているわよ?」
「シーラお姉様の場合、権力より実力では!?」
それもそうですが、あの……。
農場に残るとして、そこの責任者である俺の意見は?
「それで、どんな条件を出すというのじゃ姉様? 普段から真面目腐って、ヒトのことを犯罪者やら不良呼ばわりするコイツがわがままほざいとるんじゃあ。よっぽど厳しい条件でないとわらわも納得いかんし、皆も納得せんぞえ?」
「何を言っているのゾスちゃん、アタシの言う条件は、アナタにも一働きしてもらうのよ? 他人事気分じゃいけないわ?」
「はあ?」
そうして前人魚王妃シーラ・カンヌさんから提出された条件は……。
「ゾスちゃん、アナタ一つカープちゃんと勝負なさい。もしカープちゃんが勝てたら望みをかなえてあげようじゃありませんか」
* * *
そうして唐突に始まりました。
宿命の対決、ゾス・サイラvsカープさん、一対一による無制限一本勝負。
電流爆破金網生き埋め棺桶爆破デスマッチ。
どうしてこういうことになった?
「だって世の中に闘争こそ、結果がハッキリ見える物事はないでしょう?」
戦闘民族的な思想やめてください。
「カープちゃん、欲しいものがあれば勝ってもぎ取るのよ。ここにはマーメイドウィッチアカデミア教員カープはなく、恋する乙女カープしかいない! アナタの恋心の迸りを拳で示すのよ!」
「シーラお姉様の心遣い感謝いたします! このカープ、必ずや対戦相手を血祭りにあげて想いを知らしめてご覧に入れましょう!!」
血祭りにあげるな。
対戦相手を誰だと思っている?
「クックック、わらわとしても望むところよ」
望むんだ!?
相手側コーナーで不敵にたたずむゾス・サイラも、静かながらに対戦の闘志を燃やしている。
なんで?
「優等生ぶっていけ好かないカープを叩きのめす機会があれば、その時こそ全力を尽くしてやろうと常々思っておったからのう。シーラ姉様もいい余興を思いついてくれたものじゃ。こうして時々飴もくれるから逆らえんものよのう」
そこへカープさんがマイクパフォーマンスばりに勇ましく言う。
「ゾス・サイラさん! アナタなんでそんなにやる気なんです! この勝負アナタには一切のメリットはないでしょうに!?」
言われてみればそうである。
ゾス・サイラ、突然に戦いに参加することになったが、仮にこれに勝っても彼女にご褒美とかないよね?
「くっくっく……、何を言う? この戦い、わらわにとって何よりも得るものがあるわ」
「そ、それは……!?」
「お前の邪魔さえできれば、わらわにとってこれほど嬉しいことはないわぁ!!」
「この性悪女ぁ!!」
ゾス・サイラとカープさん。
何故ここまで仲が悪い二人なのであろう?
何やら因縁めいた確執はところどことで窺えるのだが、二人の過去に一体何が?
そういうのもこの試合で明らかになるのだろうか?
続く。