649 冬になる前に
秋の味覚を飽きるまで堪能した頃には、冬の足音がヒタヒタ近づいてくる。
今年も農場に冬がやってくる。
次男ノリトが生まれて初めて迎える冬。
とはいえ俺も農場の住人たちも冬はもう何度も経験しているので、さすがにもう慌てはない。
暖をとるための薪や炭、毛布の類もしっかり準備して『冬よ、さあいつでも来い!』といった風情だ。
大地の精霊たちも、冬の生命力が希薄な時期は土に還って眠りにつく。
「おやすみです~!」
「またあう日までですー!」
「しばしのわかれですー!」
と、元気に土を掘り返して潜っていった。
あの騒がしい大地の精霊たちが眠りにつくと、途端に静かになって冬の装いになる。
そんな中、いつもはないイベントが小さいが一つ起こった。
* * *
「え? 何? おみやげ?」
唐突に告げてくるのは、クマくんだった。
里帰りと称してしばらく農場に居つくこととなったクマくんではあるが、彼、冬眠しないのかな?
クマといったら冬眠するものだが、どうやら彼は違うらしい。
厳密にもただのクマではなくクマのモンスターだからな。
遭遇したのも山ダンジョンの冬エリアだったし、寒さには基本強い者なりなのだろう。
それはいいとして、おみやげ?
「はい、やはり訪ねるからには手土産の一つでもなければ礼儀にもとる……と考えて用意していたそうなのですが、鮭を獲るのに予想外にアツくなってしまい、後回しになってしまったと……!?」
通訳を務めるのは相変わらずゴブリンの一人。
「いやいや、そんな気を使わなくていいのに……!?」
クマくんが生まれたのが農場なら、ここはキミの実家のようなものだぞ?
家族に会いにくるのにお土産なんて、そんな他人行儀な!
「身内であろうとも相手には最大限の敬意を、それを示してこそ人間関係は上手く回るというのが、彼が外に出て学んだ経験則だということです」
処世術身についてるな。
よし、ではクマくんからの心遣いを有り難く受け取ろう。
してクマくんは何を持ってきてくれたのかな?
「ゴウ」
「『こちらです』だそうです」
そう言って差し出されたのは……。
一人の女の子だった。
逃げられぬように縄で縛って拘束してあった。
「助けてーッ! 殺して食べないでーッ!!」
と泣きながら暴れていた。
しかし縄の戒めは解けない。
「こらクマぁああああああああッッ!?」
贈り物がヒトってどういうことだ!?
人身売買か!?
奴隷制か!?
俺は一切そういうのを認めないぞ現代人の感覚からも、この世界に馴染んだとしても!
キミは外に出て悪いことまで学んでしまったというのか!?
「ゴウッ、ゴウ……!?」
「『落ち着いてください』と言っております我が君……! もう少し詳しく話をお聞きください……!」
ゴブリンくん通訳大変ですね!
ちなみに通訳の彼はゴブリンといえどゴブ吉じゃなく、その部下の一人だ。
「こちらはけっして人類の少女ではなく、奴隷にするつもりで贈ったものではない、とのことです」
「はあ?」
「こやつはモンスターです。蜂型のモンスター、ロイヤルハニービー、その女王バチだということです」
「ハチ!?」
そういえば、このがんじがらめの女の子。
よくよく見て観察したら、人類にあるまじき特徴がいくつも散見するではないか。
背中からはたしかに昆虫っぽい透明な羽が伸びているし、目は黒くて複眼っぽい。
額から伸びている二本の細い線のようなものは触覚?
その他、各所様々にある特徴は、いかにも彼女が人間でないことを示すものだった。
「たしかにモンスターでここまで人間に近いフォルムを持つものは滅多にいませんし、我が君が困惑されるのも仕方ないかと。本来、ここまで流ちょうに言葉も喋りませんし……」
というゴブリン。
彼を見て思ったが、彼らだって対外人間と同じフォルムではないか!
「疑人モンスターってヤツ? キミらみたいな?」
「他の生物の特徴が入り交じっていますので亜人モンスターというべきかと……。しかしどの道、こんなに溌剌と意思疎通はできないはずなのですが」
まさかもう農場の影響を受けてクオリアを発芽したとか?
とにかく元気に活発に、必死で命乞いしております。
「やめてよして殺さないで! お願いです死にたくないいいいいいッ!! ごはんに混ぜて一緒に炊かれて食べられるのは嫌ああああああッ!!」
それやるの幼虫の段階でじゃなかったっけ?
どっちにしろ中部出身でない俺は、その調理に挑戦する勇気も度胸もないが。
「どうしたのこの子……? 独立すべきところをいつまでもゴロゴロくっちゃ寝していたからついにキレた先代女王バチに叩き出されて強制独立させられたとか?」
「いえ、普通に前営んでいた巣を全壊させられて捕えられたそうです」
巣、壊滅?
誰だよ、そんな酷いことをやらかしたヤツは?
『ほら、オレってハチミツ大好きじゃないっすか?』という顔をクマがした。
犯人はコイツか!?
「たしかにクマの好物といえば鮭かハチミツかってイメージがあるな?」
前足についたハチミツをペロペロ舐めるクマの絵が容易に脳裏に浮かぶ。
「農場へ向かう途中、形成されるロイヤルハニービーの巣を見つけて、喜びの余りにテンションハイマックスで即突入してしまったそうなのです。お陰で巣は全壊」
俺の脳裏に、ダンプに突っ込まれた一軒家の絵が浮かんだ。
そんな感じだったんだろうなと思う。
「とはいえ相手もモンスターなんで、そんなのが巣を作り出したら近隣住民は大迷惑。普通の蜂とは比べ物にならない大軍勢と個々の凶悪さで、襲われでもしたら村一つぐらい壊滅……ぐらいあるのだそうです」
「マジかよ」
やっぱりモンスター怖ぇ。
だからクマくんがモンスターバチの巣を粉微塵にしたのは近隣住民にとっては大助かりで、英雄的扱いを受けたんだそうな。
「クマくんっていつもそんなことしてるの?」
「しかもロイヤルハニービーの集めた蜜は、通常よりも濃厚で栄養があり、高級品として取引されるから破壊した巣から一斉に掻き出されまして。近隣の村が経済的にも潤うということで益々クマ殿は感謝されたとのことです」
ヒーロー扱いじゃないかクマくん。
善行なの?
「しかし、そのお陰でクマ殿一番の目的であったハチミツを人々に分け与えねばならなくなり、独り占めしたかったハチミツを、全部自分のものにしたかったハチミツを、……舐められなかったそうなんです!」
「クマくん!」
なんという献身の精神!?
「半分しか」
「充分分け前もらっとるやないかい」
しかしクマとしては全然満足する量じゃなかったので、生け捕った女王蜂をわざわざこちらへ持ってきたんだとか。
「農場の超絶的な水準を持ってすればロイヤルハニービーから安定して蜜を取れるんじゃないかと」
「食い意地張ってるなあ」
一見ヒーロー気質なクマくんも、しかしハチミツに対してのみは欲望を制御できないらしかった。
ハチミツを安定して供給する仕組み?
っていうと……。
「養蜂か……!?」
このモンスターの女王蜂一体から、ハチミツを安定供給する養蜂を行えと?
「え? 何? 殺さないの食べないの?」
死をもっとも身近に感じ取っていたモンスター蜂の女王、自分に価値を見出されていることに気づいて一転態度を新たにする。
「ほーっほっほっほっほ! 私の集める蜜を欲しがるなんてなかなか見どころがある人類ね! いいわよ! この辺にある山を丸々一つ私の巣にするために差し出して、さらに周囲広範囲の花々すべてが枯れて散るほどに蜜を集め得たら場所代として褒美に一匙分ぐらい恵んであげてもいいわよ!」
禍々しい。
これがモンスターのハチたる由縁といったところか。
「どうします我が君?」
「そりゃ決まってるだろう?」
窺ってくるゴブリンに応える形で一言。
「断固拒否する」
「えええええええーーーーーッッ!?」
まさか断られると思っていなかったのか。
女王蜂と、あとついでにクマくんも衝撃に打ち震える。
「いやだって普通に考えてハチミツ一匙と釣り合わんでしょう? 山一つと周囲の花すべてが枯れて散るなんて」
「それは!? 言葉の綾と申しますか、勢いと言いますか!?」
コイツその場のノリで余計なこと言っちゃうタイプだな。
クマくんも期待したハチミツ浴びるほど飲むぜ計画の頓挫にオロオロしだす。
「でも待って! ハチミツは甘くて美味しいのよ! 蕩けるのよ! そんなハチミツをアナタの食卓に置いておけるなんて、とってもメリットじゃないかしら! もっと深く考えてみてもいいのよ!?」
途端にセールストークになって食い下がってくる女王蜂。
しかし残念だったな。
世にハチミツ大好きな人はたくさんいるだろうけれども、俺にはハチミツがそこまで魅力的なものには映らない。
何故か?
「俺にはこれがあるからだ!!」
ハチミツのパチモンとして有名な……。
メープルシロップが!!






