645 ジュニア、釣りをする
干し柿に続いてもう一つ秋のエピソードを……。
その日俺は、農場の周りを歩き回っていた。
色々と眺めながら、これからやることを整理しようと思ったからだ。
その途中で河に沿って歩いた。
正確には掘り進めて引いた用水路だが……。
まだ農場が始まって間もない頃、安定した水の確保のために作ったんだよな……。
オークボたちモンスター軍団や、ヴィールの力を借りて。
今から思い返しても農場最大級の一大事業だった。
用水路とは言ってもかなり幅広に掘ったためやっぱり川と言って差し支えない。
向こう岸に渡るには五十歩か百歩ぐらいいりそうだ。
いつか農場でワサビ作りもしてみたいなあ、と思っているのだが。そうなった場合ワサビを育てるのはこの川を使おうと考えている。
綺麗な流水が必要なんだよねワサビ作りって?
ただそういうことを考えつつも、他に事件が色々と起きて後回しになっているのも実情。
それに現時点でワサビを完成させてワサビ入り寿司を振舞ったとしても、まだ小さいジュニアやノリトがワサビの辛さを好むとも思えないので結局サビ抜きの寿司になりそうだ。
というわけで今年もワサビ作りは先送りとなりました。
今はただ、この清らかな川の流れをぼんやり眺めて心を洗うことぐらい……。
……おや?
川の中に何かいない?
流れを逆行し、上流へと向かっているかに見える……魚?
「魚が住むようになったのか、この川?」
なんせ始まりは用水路だからな。
人工的に作り出された水流で、生き物など住みつくいわれはなかったのだが、あれから何年も経っているのだ。
この人工河川にも少しずつ生き物が息づき、藻→水草→それを食べる水棲昆虫→小魚→もっとおっきい魚と生態系を広げていったのかもしれぬ。
「おおお……? なんか面白そう……?」
川辺で釣りとかいいかもしれないなあ。
海での釣りは何度もしてきたけど、川釣りはまた味わいが違うし、釣れる魚も違ってくるという。
ではやってみるか、川釣り!
* * *
一旦家に帰って、釣り具を引っ張り出す。
釣り竿に、針に、たもに、魚籠にー……。
「ぱぱー、あそぶー?」
「おおジュニア!?」
せっかくだからジュニアも釣りに連れていくか?
まだ早いか?
でも息子と一緒に釣りに行くなんて父親の夢トップスリーに入るんではないか?
他のランクインは『息子とキャッチボールする』『息子と将棋を指す』。そして究極の殿堂が『大人になった息子と一緒に酒を飲む』だな!
その夢を早速一つ叶えちゃっていいのか? いいのかな?
よしでは一緒に行こうジュニアよ!
んで川に戻ってきたら早速釣り糸を垂らしてみる。
とはいえどんな魚がいるかわからないことだし、針もエサも適当だ。
それで運よく何か釣れて、傾向がわかったら改めて戦略を組みなおしていこうという考え。
ジュニアがいることだから比較的浅いところを選んで父子二人、並んで釣り糸を垂らす。
…………。
……いいな!
この感じいいな! 今俺父親っぽくない!?
「つりばかにっしー」
ジュニアも案外楽しそうだ。
辛抱が備わっていない幼児期にはじっとしていられないかな? と不安だったが。
ウチのジュニアは歳の割の老成しているので、趣味が合ったのかもしれない。
それでも突き刺さる針を扱わせたり、溺れるかもしれない川辺で遊ばせたりとあとで知ったらプラティに怒られそう……!?
細心の注意でもってジュニアの安全を死守しながら遊ぼう。
「ジュニア、もし魚がかかったらパパに言うんだぞ? 獲物が大きいとジュニアの力じゃ釣り上げられないかもだからなー」
「だいじょぶー」
何が大丈夫なのか?
妙に自信満々のジュニアが一旦水中から釣り糸を引っ張り出すと……。
「……何だこの針?」
糸の先についていた針は、釣り針ではなかった。
曲がらず真っ直ぐな……縫い針じゃないか!?
「これじゃあいつまで経っても魚は食いつかないぞジュニア? いいのか?」
「さかなはつらない、おうこうをつるー」
おおもの?
まあいいか。たしかにまだジュニアに釣りは早かったか。
仕方ない、こうなったら俺が大物を釣り上げて父親の威厳を……。
……。
ちょっと待って?
なんか真っ直ぐな針を垂らしてって、エピソードどっかで聞いたことがあるような?
「楽しんでいますかな?」
誰?
気づいたら、知らないおじいさんが俺たちに近寄ってきた。
おじいさん!?
どういうこと!?
だってこの農場は人の行き来を隔てた秘境にあって、だから俺の知らない人なんか住んでるはずないんだけど!?
しかしおじいさんは馴れ馴れしくウチのジュニアに話しかけてくる!?
「アナタ様の尊顔を拝し、これ以上の喜びはございません。どうか我が下にあって天下へとお導きください」
そして唐突なヘッドハンティング!?
二歳児を!?
あっ、思い出した!?
真っ直ぐな針を垂らしてる釣り人をスカウトしに来る偉い人!
これアレだ!?
「帰れ! ウチの息子を八十歳から人生大逆転したニートになぞらえるな!」
「やるなら、ぐんし!」
「ダメです!」
親権限でスカウトを丁重にお断りし、偉い人は残念そうにしながらも自分のいた時代へと帰っていった。
「……先生が異界の神を召喚しまくっているせいで次元の壁が緩くなってるのかな?」
「ふくすい、ぼんにかえらずー」
とにかくこれから次元を越えてくる客人には注意することにしよう。
それはそれとして……。
「ぱぱ、かかったー」
「ええええええええッ!?」
気づけばたしかにジュニアの持っている釣り竿がビンビン引っ張られてしなっている!
大きな引きだ!
「どうして!? あんな真っ直ぐな針で何がかかったの!?」
ツッコみたいことは色々あるが、とにかく今はジュニア人生最初の辺りを必ず釣り上げねば!
俺も釣り竿を握って、力の限り引く!
「おーえす、おーえす」
「なんだこれ!? 引きがつえええええええッッ!?」
大人の俺が両手で掴んでなお引き返してくるぞ!?
この強さはけしてメダカとか小魚ではあるまい!?
一体ジュニアの竿に何が食いついたんだ!?
「どうぇありゃああああああッ!?」
そしてなんとか釣り上げ、地上に姿を現した魚は……!?
「これは……!?」
たしかに大きい魚だった。
これは……!?
「鮭!?」
鮭が遡上してるのこの川!?
たしかに秋だけどさあ!?
そしてこともなげに鮭を釣り上げやがったウチの息子!?
ビッチビッチ。
そんな音を上げそうな動きで岸辺に横たわる鮭。
その瞳は、こんなことを物語っているようだった。
――『この私で美味しいシャケ弁をお作りください。そして聖なる御方のお腹を満たしてください』
「コイツ自分から釣られに来た!?」
だから真っ直ぐな針でも容易にかかったってこと!?
世の獣たちがみずから供物になるために集まってくる。
我が息子ジュニアの聖者力がドンドン上がってきおる。






