637 山怪
山に入るための装備。
・雨具
山の天気は変わりやすいというので悪天候への備えは必須。しかも山中では風が強いから傘なんか当然のように役に立たない。
使うならちゃんとした雨ガッパが必須。これに備えてバティに水棲モンスターの皮で作った上質なものを仕立ててもらった。
・靴
山道は凸凹して、かつ岩肌で固いところもあるから底の厚い丈夫な靴でないとダメだという。
『登山靴』という独自の靴のジャンルもあるらしいし、俺たちもそれに備えて頑強な靴を用意した。
服に関してはバティの創作意欲赴くままに作ってもらっていたが、靴には関心があまり向かず盲点だった。これから研究を続けていこうかと思う。
・衣服
山は冷え込むからとにかく体を冷やさない配慮が必要だ。
ということで出来る限りの防寒対策をして、念のため着替えも用意しておいた。
『体を冷やさない』という配慮のためにもできるだけ早く乾き、汗を体表に溜めないよう肌着には金剛絹を久々に解禁した。
防御力もあるし保温性も高いけど、速乾性も高いんだアレ。
・夜用装備
山中泊するためのテントや寝袋、焚火をするための火種とかランプ等々。
ゴールデンバットのヤツは山で夜を過ごすつもりはないと言っていたが、それでも不測の事態が起こりえるのが山だ。
というわけで万全の体制を敷くために山中泊用の装備を、急ピッチであるが整えてみた。
テントは、それらしいものがなかったので自作。幕用の布には金剛絹を使い、小さな規模でも城塞級の防御力を実現。テントを支える骨にはマナメタルを使用したので強度はますます向上した。
寝袋にも金剛絹に綿を思い切り詰め込み、ランプはこの世界で一般的な灯火ではなく、強力な光を発する魔法石を組み込んだ懐中電灯みたいなものを用意した。
光度もLED並で、炎とは比較にならない明るさだぜ!
・食料
これも非常時に備えて万全だ。
ジュニアと食べるための弁当の他に、非常用のブロック型携帯食。栄養価の高いチョコレートを準備しておいた。
かつ、水も必要以上にもってきたぜ。魔法の水筒には本来の容量以上の水を収めておける。ためしに最大容量を計ってみたところ、大体四千五百リットルくらいだった。
そのくせ重さは全然ない。水筒にかかった魔法スゲェ。
塩分を保つために塩せんべいも用意してみた。
その他にも日よけの帽子、自分の位置を知るために方位磁石、山に余計なものを一つも残して帰らないためにゴミ袋。
そして何より汗を拭くタオル。
細々用意したぜ。
現代世界からやってきた俺は、山の恐ろしさを知っている。何を準備すべきかわかっているのだ。
これで俺に死角はない! 山よかかってこい!
「ちょっと肌寒いなー。ジュニアが風邪をひかないように竜魔法で温度を調節するのだー」
俺の想定した備えはすべてヴィール一人いれば何とかなった。
* * *
そうして意気揚々と不死山に挑んだ我々ですが……。
「死ぬ……!? 吐く……!?」
登り始めて二時間ほどが経過し、その時点で俺はもうグロッキーでした。
「どうしたどうしたー!? まだまだ始まりってところだぞー!?」
先頭の方でやたら元気なゴールデンバットが檄を飛ばす。
アイツは元気だが俺は死にそうなの。
登山しんどい。
俺も農作業やらヴィールの山を登ったり下りたりで体力に自信あったつもりなのに……。
こんなにも早く疲れるなんて!!
「ご主人様荷物たくさん背負いすぎなのだ。それじゃ疲れるのもしょんないのだー」
「そこか!?」
万全の備えが却って仇になるとは!?
「その上ジュニアまで抱えてたら体力消費するのも当然なのだ。おれが背負うからパスするのだー!」
「いやしかし!」
ジュニアのことは俺とヴィールが交代して背負っていくことになっていたが、ついさっきヴィールから受け取って背負いだしたばかりだ。
このままヴィールに即パスしたら父親としての威厳が失われる!!
「ぱぱー、ぼくあるくー」
「ジュニアは気を使わなくていいんだよ! パパが立派に連れて行ってあげるからな!」
ジュニアは今の時点で気を使う幼児だった!
『ジュニアくんばかり甘やかしてズルいにゃー。このか弱い猫も背負っていってほしいにゃ』
「黙れ化け猫! お前はどうやったって余裕で山頂まで行けるだろう!?」
『猫の歩幅の狭さを舐めるにゃー』
と言いつつ魔法で浮遊して、毛づくろいしながら進んでいっている猫。
コイツ一匹だけバスに乗って登っているようなもんじゃないか!?
「くッ、どいつもこいつも山を舐めおって……!?」
その中で一人、ストイックに一歩一歩踏みしめて山を登っていくゴールデンバット。
コイツだけが正真正銘の登山家だった。
「オレは今、夢にまで見て憧れた不死山の山肌を一歩一歩踏みしめていることに至福を感じているんだ……! この幸せを雑音で乱さないでくれ! 独りで静かで豊かな登山を保たせてくれ!」
「孤独の登山?」
趣味人はすぐ没頭しようとする。
しかし好きなヤツというのは本当に凄いな。この俺にとってはきつくて辛いだけの登山を過程からして楽しめるんだから。
俺にとってはただ延々と続く同じような風景なんだけど、彼には輝かしく美しいものに映ってるんだろうか?
「まったく同じ風景が続くな」
「やっぱり俺と同じ見え方だ」
そうだよね。
いくら好きでも、苦痛を快楽に変えるのには限度があるよね?
「いや、どうせお前は同じような風景が続くと思っていたんだろう?」
「うッ?」
「しかしオレは違う。まったく同じ風景だと言ってるんだ」
同じ“ような”ではなく……。
“まったく”同じ?
「どういうこと?」
「さっきから同じ場所をグルグル回らされている感じだ。ダンジョン主が仕掛ける魔法の罠に、こういうのがある。殺傷力のない初級の罠だがな」
ちょっと待て!?
同じところをグルグル回っているということは、俺がヒーコラ言いながら登ったあの距離は無駄になったということに!?
それが一番ショックなんだが!!
「しかしオレはこの手の罠に何度も遭遇して、今では踏み込む前から気づいて回避できるはずだ。それなのにループに入った瞬間どころか、入ってからもしばらく気づかされずに歩かされるなんて……!」
自分すら欺かれたことにショックを抱くS級冒険者。
『当然にゃー、ここがどこか考えれば、この魔法トラップを誰が仕掛けたかなんてすぐわかるにゃー』
「まさか……!?」
今だ毛づくろいに余念のない博士。
この人(猫?)ばかりがひたすら余裕だ。
『そもそもこれはそんじょそこらのノーライフキングが仕掛けた魔法トラップじゃないにゃ。それより遥かに上位の空間制御魔法……もとい仙術にゃー。石兵八陣にゃ。だからお前ごときが気づかないのも仕方ないにゃ。むしろよく時間かかっても気づいたにゃー』
「ぬごっく……!?」
博士からの子どもを褒めるような物言いに、たじろぐゴールデンバット。
世界最高峰の人類ですら赤子の手をひねるような世界がここであった。
「ぱぱ、ぱぱー」
「ん? どうしたジュニア?」
おしっこか?
それともお腹がすいたか?
「あそこ、だれかいるー」
「え?」
ジュニアが指さしたのは、なんと上。その先には空しかない。
そんなところには鳥ぐらいしかいないと思われたが、しかしながら青空を一点遮る黒き影。
それがたしかに一ヶ所に留まって浮遊している。
あんな飛び方は鳥にはできない。
どっちかというと『ドローンかよ!?』っていう……!?
「何者なのだ!? おれたちを罠にハメた輩だな!? どんなイタズラするヤツはお仕置きにこうだーッ!!』
「あッ、ヴィール……!?」
止める間もなくドラゴンの姿に戻ったヴィールが、上空の影目掛けて炎のブレスを放った。
いやそれ悪戯っ子を咎めるレベルを遥かに超えている。
街一つを一瞬で焼き尽くせそうな猛火の波を、上空の影は抗うことなく真っ向から浴びて……。
そして無事だった。
炎のブレスが収まったあとも依然として上空に浮かんでいる。
それこそ影法師のように。
『はあ!? おれ様のブレスを浴びて無事なのか? んなバカなーッ!?』
「魔法で防御した? そんな素振りも見えなかったし……!?」
困惑する俺たちの横で博士がクアッとあくびした。
『それこそ仙術極意の一つにゃ。「静為躁君」。静をもって躁がしいものの君主となるにゃ。そのようにあらゆる攻撃の動作は、彼の静なる不動に何の意味もなさないにゃ』
何その!?
剛を制する柔の拳みたいな!?
『彼の弟子であるベルフェガミリアも同じような技が使えるにゃが、ここまで完璧にできるのは本家本元の彼だけにゃなー。炎による分子レベルの動変すらも支配下に置く完全無欠の静。それは不死なる体と化して、数千年の修行を経なければ修得できないものにゃよ』
「では、彼が……!?」
あの空中をプカプカ浮いている布切れのようなものが……!?
究極のノーライフキング三賢の一人……。
ノーライフキングの老師。






