619 オレたち海のバブル組
引き続き人魚官僚のイサキです。
執務室にて宰相兼魔女であるゾス・サイラとの会話が盛り上がっていると、不意にドアをガチャリと開く音。
「あらあら、面白い話をしているわね」
「キェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッ!!」
ああッ、その人が現れた途端、宰相の口から絹裂くような悲鳴が!?
その人こそは、かつて王をもっとも近くから支えたパートナー。
前人魚王妃シーラ・カンヌ様ではないですか!
「ねねねねね、姉様!? 何ゆえこのようなところへ!? わらわが何か手違いでもしましたでしょうか!?」
「いいえ、アナタはとってもよくやっているわよ? アナタのお陰で国が回っているってアロワナちゃんも褒めていたんだから」
「英邁なる姉上のご子息から評価いただき光栄の極みです! サー!」
いつでも人を食ったような態度の魔女が、何故か前王妃の前では神妙になる。
まるで小魚のようだ。
一体この二人はどんな関係なのだろう……!?
「大した用じゃないのよ? ゾスちゃん今何してるのかなあって。ダーリンが退位してアタシも王妃でなくなったから、まあ少なくとも現役時代よりは暇になっちゃったのよねえ。持て余した時間の使い方になれていなくって……!」
「わらわはクソ忙しいのですが?」
「あ?」
「何でもないでっす!! 喜んで歓待させていただきます!! おいイサキぁ!! お茶ぁ!!」
は、ハイッ!?
ゾス・サイラ宰相の剣幕に押されて、私も慌てて応対の準備をする。
「でも我ながらちょうどいい時に遊びに来たわねえ。まさか『深淵の才媛』を話題にしているなんて」
「王妃……いえ太后様は『深淵の才媛』を御存じで!?」
「おいコラぁ! 勝手に発言すんなぁ! わらわたちは姉様が許可した時だけ発言できるんじゃあ!? しかも質問なんてもっての外!!」
だからなんで宰相は前王妃に対して、そんなにビビっているのか?
「いいのよいいのよゾスちゃん、私だって昔のように尖ってはいませんからね。むしろこうして年を取ったからには、後進の育英のためにもどんどん質問に答えてあげないとね」
「よぉし何でも聞け! 姉様の慈悲であるぞ! 質問しないと却って無礼千万じゃあ!!」
そのテンションいつまで続くんですか?
いつもと違って調子が狂う。
「『深淵の才媛』のことね。そりゃもちろん知っているわよ。彼女を人魚宮に入れたのはアタシなんですもの」
「そうなんですか!?」
明らかになる事実。
「アタシが嫁入りした当時は、ダーリンが人魚王になったばかりでもあってね。今のアロワナちゃんみたいに人材難に苦しんでいたわ。それでアタシのツテから頼りになる子を何人か紹介したの。その一人が『深淵の才媛』よ」
なんと!?
『深淵の才媛』の誕生にそんな秘話があったなんて!?
「同じタイミングで紹介した子の中にはカープちゃんもいたわ」
「カープ!? いまやマーメイドウィッチアカデミアを代表する有名教師!?」
そんなにも有望の士を多数人魚国に迎え入れたなんて!
さすがは前王ナーガス様をもっとも近くで支えた内助の功!
「あれでカープちゃんと『深淵の才媛』はとっても仲よしなのよ。今でも顔を合わせるとキャーキャー言って、まるで小娘のよう。お互い既にいい年なのにねえ」
「はあああッ!? なんであんなヤツと仲よしなんじゃ!? あんなクソ真面目頭でっかちはいつかホムンクルスのエサにしてやろうと……!」
「ゾスちゃん? アタシが喋っているのよ?」
「はい黙りますッ!」
さっきから宰相が煩い。
そしてその宰相を一瞬で黙らせる前王妃様の威圧は何?
「それでそうそう……『深淵の才媛』の話ね。あの子はカープちゃんと一緒に、最初はアタシの傍使いとして雇って、適性を見てから振り分けたの。カープちゃんは教職に、彼女は官僚に……とね」
はあ。
「ミノカサゴのヒレみたいに尖った彼女がお堅い仕事なんてできるのかと不安だったけど、少なくとも能力に関しては適性あったわね。元々魔法薬作りで計算や読み書きが得意だったから、普通のお役人さんが何日もかかって成し遂げる作業を一日のうちに終わらせちゃったりもしてたわ」
おお!
当時の人がナマで見た『深淵の才媛』の活躍。
「しかも当時のあの子、まだ十代だったからなおさら特異な目で見られてねえ。当然やっかみも多かったわ。見た目は綺麗なんだから自分から媚びればむしろたくさんファンができると思ったんだけど。本当に抜身のナイフのようだったからねえ」
何故かゾス・サイラ宰相が『ケッ』と喉を鳴らした。
話は続く。
「そうして彼女を目障りにしていた同僚の中には、賄賂やらなんやら不正に手を染めていた人もいてね。ある時それが露見しそうになって、その罪を被せようとしたのよ」
「誰に、ですか?」
「もちろん『深淵の才媛』によ?」
「そんな!?」
なんと卑劣な!?
「手口そのものは杜撰でお粗末だったんだけど前述の通りあの子、職場でツンケンしていたツケで友だちがいなくてねえ。逆に『ライバルを蹴落とす好機!』と捉えられてかなり不利な状況に追い込まれたの。それでついにキレちゃって……」
――『やられたらやり返す!』
――『二億四千万の悪じゃ!!』
「って言ったら即行動を起こして、自分を陥れた人だけでなく、職場の知りうる限りの不正の証拠を掴んでダーリンに直接叩きつけたのよ」
「ダーリンって……当時の人魚王ナーガス様ですよね?」
「そうよぉ、挙句の果てに上司同僚部下先輩後輩に関わらず文官全員を土下座させた様は、さながらあの子が王様みたいだったわ」
太后様の話を引き継ぐと、その騒動がきっかけになって人魚宮で大規模な人員整理が敢行。
不正を行った官僚は当然のように罷免されたが、同時に糾弾する側だった『深淵の才媛』もまた人魚宮から去ったという。
「何故なのです!? 彼女こそ不正をただした功労者ではないですか!?」
「喧嘩両成敗って言うの~? たしかに不正を摘発したのは手柄だけど、そのあとがやりすぎてねえ。自分を陥れた主犯の屋敷にホムンクルス軍団を引き連れて、崩壊するまで暴れ回ったのはさすがに倍返しすぎたわよねぇ」
「ひぇ……ッ?」
「何よりそのあと本人から辞職願が出されたのがねえ。以前のアタシならブチのめしてでも翻意させたんだけど、さすがにあの職場が彼女には合わないと目に見えたんで受け入れることにしたの。どう? アタシって大人でしょう?」
「はあ……!?」
回想の端々から大人げない部分も多量に匂ってくるのだが……。
実際に聞いてみると『深淵の才媛』って伝わっている逸話とイメージに乖離があるような……?
有能であることは間違いないんだろうが、太后様の口から語られた逸話からはもう一本の『深淵の才媛』のイメージ柱……清廉潔白という印象があまり伝わってこない。
精々不正に対する苛烈な報復に、悪を許さぬ心を感じるぐらいだ。
「そこは仕方ないわねえ。何しろ今言ったみたいな顛末で当時の様子を知る人は、本人も含めて全員現場を去っちゃったから。直接の目撃者によって語り継がれなかったのよ。それで清廉なんて間違ったイメージが……プププ」
「何も笑うことはないでしょう姉様」
「あらゴメンナサイ? でもよりにもよってアナタが清廉潔白なんて……プププ」
含み笑いする太后様に、弱り切った顔つきの宰相。
一体何?
「あら、ここまで行ってまだわからないかしら?『深淵の才媛』はもう既に人魚王宮に返り咲いているということに」
「え? え?」
「そりゃいくら有能だからって指名手配犯の魔女をいきなり宰相にはできないわよ。それでもかつてこの業界でこの上ない功績を打ち立ててるなら話は別じゃない? 特に今もっとも求められている旧弊を排し改革を行う実績がね」
「えええ~~~?」
私は、ゾス・サイラ宰相の方を向く。
「そうじゃ、わらわがその『深淵の才媛』とやらじゃ」
「ええええええええええええぇ~~!?」
「まあ、かつての職場で自分がそんな風に呼ばれているとは知らなんだがの。かつての武勇伝が尾ひれをつけて随分独り歩きしたようじゃ。まさかわらわが清廉潔白の士呼ばわりされていたとは……!?」
『ただ単に敵に対して容赦がないだけなのにねえ?』と太后様がまた笑った。
「わらわは姉様に逆らえんからの。性に合わん官僚の仕事もやらざるをえんかったのじゃ。逆にカープのヤツは教師が天職だったようじゃが。わらわは泣いて土下座してようやく解放してもらったってところじゃのう」
「まあゾスちゃんたら。その言い方じゃあアタシがヒトに無理強いする悪い人魚みたいじゃない」
「『みたい』も何もまさに無理強い……いいえ違います! 姉様は心からよい人ですとも!!」
宰相が太后様に対して明らかに心を折られていた。
多分かなり昔からバッキバキにへし折られているんだろうな。
「というわけで残念じゃったのう? 卿の憧れの才媛は、卿がもっとも毛嫌いする魔女じゃったのじゃ」
宰相が、『深淵の才媛』だったなんて……!?
「わらわは清廉潔白などからは程遠い女じゃぞ? 何しろ魔女じゃし。官僚時代不正に手を染めなかったのも、小役人程度がズルしたところで得られるはした金に興味が湧かなかっただけじゃ。悪行も善行も、大スケールで行わなければのう」
「宰相様ああああああッ!?」
「おうッ!?」
今わかりました!
アナタこそ私が使えるに相応しい御方!
一生仕えます!
共に人魚国を改革していきましょう!!
「何じゃこの手の平返しっぷりは!? 気持ち悪ッ!? わらわつい先まで毛嫌いされていたんじゃけれども!?」
「あらあらゾスちゃんたら早速忠実な部下を手に入れて、宰相も板についてきたわねえ」
* * *
そして最後に……。
「ねえゾスちゃん、一つ聞いていいかしら?」
「何でしょう?」
「壁にかかっている絵、何なの?」
そう、それは私も気になっていた。
執務室の壁面の、一番広い区域にかけたれた絵。
そこに描かれているのはなんか逞しい男性像で……人類ではないかもしれない。オーク。
「どうせ飾るならもっと荘厳な絵にしたら? 宗教画とか風景画とか、ここでは政談もするんだし、そういう絵柄の方がフォーマルでしょう?」
「やめてえええええッ!? これはわらわの心を支えなんじゃ! これを見ながら仕事するから頑張れるんじゃああああ! 絵のオークボまでわらわから奪わないでえええッ!?」
「えッ!? ……まあ、アナタがそれで救われるのならアタシも何も言わないけれど?」
あまりのなりふりかまわぬ哀願ぶりにさすがのシーラ太后様もドン引きして、オークの絵は依然として宰相執務室に飾られ続けることとなった。
ちっ。