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618 人魚宰相の手腕

 私は人魚イサキ。

 人魚宮に勤める文官だ。


 現在人魚国の中枢は、かつてないほどの忙しさに見舞われている。

 主な理由は政権交代。

 国王が代替わりし、かの剛力王ナーガス様からご子息アロワナ様へと位が引き継がれ、世が変わった。


 新・人魚王アロワナの誕生。


 アロワナ様が王位に就かれて、まず断行したことが旧弊の撤廃。


 先王時代、その大らかさにつけ込み目を盗んでは私腹を肥やしてきた。人魚国に溜まりに溜まった膿を徹底的に出し切ること。

 先王の長い治世に積もった埃をすべて掃き出す改革であった。


 腐敗勢に異を唱えながらも、勢力の差ゆえに言論封殺され、日陰へと追いやられた正しい志の者たちはどれほどの喝采を上げたか。


 アロワナ陛下は、まさしく新世代の旗手だ!


 しかしそんなアロワナ王といえども完璧ではない。

 その施策の中には明らかに間違いであろうと思えるものある。


 この私自身が、アロワナ王の失策だと心より信じて疑わぬもの……。

 それは……。


 私の目の前にいる人魚宰相ゾス・サイラそのものだ!


    *    *    *


「近衛兵隊より報告が届きました。元宮内長官ゲドゥの捕縛に成功したと」

「んむー」


 私自身が宰相の筆頭秘書官に抜擢されてしまったため嫌でもこの女と毎日顔を合わさなければならない。


 義憤だ!

 由緒ある人魚王国の官僚たるものが何故魔女風情に頭を下げ、使われなければならないのか!?


 今、宰相の椅子に座っている女は、かつて『アビスの魔女』と呼ばれた悪党。

 最悪の魔法薬使いたちと称された『狂乱六魔女傑』の一人だ。


 いや、その魔女たちの中でももっとも旧く、もっとも奸智に長け、それゆえ指名手配されながら一度も捕まることもなく、人魚国の法を蔑ろにし嘲笑ってきた最悪の女だ。


 犯罪者が宰相に。

 宰相といえば王に代わって国家の運営を舵取りする、もっとも重要な役職。

 人臣が就くことのできる官位の最上級ともいえる。


 そんな重要な役職に、指名手配中の犯罪者を据えるなんて。

 いかに英邁なアロワナ王と言えども『こんなあからさまな間違いはない』と言えるまでの暴挙だった。


 私にも、人魚官僚としてのプライドがあるから、こんな犯罪者を上司として敬愛するなど、今は排斥された腐敗組に頭を下げるよりずっと屈辱だ。

 不正をはねつけ、当時の主流から目の敵にされて左遷の憂き目に耐えてきたのは、こんな境遇に甘んじるためじゃないぞ!


「近衛兵隊っつっても、どうせ現場で指揮を執ったのはヘンドラーとランプアイの夫婦じゃろう? 前線に出したらアイツらぐらいしか確実にやれるヤツがおらんのじゃからな」

「は、はい……!」


 正論がまたムカつく!

 言ってることが正しかったら反論できないじゃないかバカ!


「しかし、今回逮捕されたゲドゥ元長官も軽率に過ぎましたね。まさかクーデター未遂などをやらかすとは……!」

「それだけ追い詰められたってことじゃろう。フツーならこんな危なっかしいこと、みずからの手を染めず、失っても痛くない捨て駒を用意してソイツにやらせるもんじゃ」

「それすらせずに自分でことを起こそうとは、余裕を失っていたのでしょうね」

「アロワナ小僧が修行の旅から戻ってきた際、多くの不穏分子が炙り出されて検挙されたでのう。大方それで使える手駒を根こそぎ失ったんじゃろう。イサキよ、これがどういうことかわかるか?」

「はあ……?」


 急に謎かけみたいな話の振り方やめろ!

『どう?』ってどうだよ!? 質問が漠然としすぎている。


「わからんかのう、はぁ、ため息じゃ」

「自分で『ため息』言わないでください」

「つまり、これで小僧の粛清が大詰めを迎えたということじゃ。ゲドゥは、ナーガス王の時代に起こったあらゆる不正の黒幕であった。これまであらゆる尻尾を切り離し追及から逃れてきたが、段階を経て、ついに身柄を抑えるまでにきた。本丸陥落といったところじゃな」

「た、たしかに……!?」


 ゲドゥの逮捕は一朝一夕に成しえたことじゃない。

 アロワナ陛下が王子時代に執り行った、ビランビランを始めとする反乱分子の一斉逮捕。

 それによってヤツの有する手駒を一挙に奪い去った上、その後も大過なく進められる治世に付け入る隙を見いだせず、ゲドゥは焦りと苛立ちによって、冷静な判断力を失っていった。


 まるで針に食いついた魚を性急に引き上げることせず、まずは好きなように泳がせて疲れるのを待ってから釣り上げるかのような、時間をかけても確実に仕留めることを念頭に置いた計略。


 その絵図を描いたのはアロワナ陛下当人ではなく、目の前にいる魔女だというのだから戦慄する。


 人魚国の政治を滞りなく運営しながら、かつ陰謀を巡らせて敵を排除することも完全を期す。

 しかもそこまでできながら、魔女としての魔法薬研究もやめていないで同時並行に続けているというのだから益々その手腕に舌を巻く。


 この女は、どれだけ有能なんだ?


「し、しかし閣下もこれで少しは余裕が出てきますね? このままゲドゥの有罪が確定すれば、旧来の腐敗勢力は完全排除できたと言っていい。閣下の事業が一つ、完遂したということなのですから、その分リソースに余白が……!」

「イサキ、我が筆頭秘書官ともあろうものが、そんな唐変木な見立てでは困るぞえ?」

「ええッ?」

「大変なのはむしろこれからじゃ」


 魔女からダメだしされた?

 一体何が間違っていたというんだ!?


「たしかにゲドゥを潰して、腐敗勢力の排除は一段落を見た。しかしだからこそ次の事業に早急に取り掛からねばならん。新たなる人材の育成じゃ」

「あ……!?」

「腐敗していようと人材は人材、それを除けば空白となるのは必然のことじゃ。このままでは人魚国は純粋にマンパワー不足で立ち行かなくなるぞ」

「た、たしかに……!?」


 そ、そういうことなら新たな人材が出揃ってから粛清した方がよかったのでは……。


「ホムンクルスの製作工程と同じじゃ。汚染された細胞を除ききらぬまま新しい細胞を注入しても、結局汚染が広がって意味をなさぬ。稚魚を入れる前にしっかり水槽を洗い清めておくことは、やはり正しい順番なのじゃよ」


 考えていたことを見透かされたように!?


「結局しばらくはわらわたちで二人分以上働くしかあるまいて。しかし、あの小僧の持ち駒の中で、魔女を除いて使えるのがたった一人ヘンドラーだけというのもしょっぱい話よのう。こりゃ随分先まで楽できそうにないわい」

「僭越ながら! 私も全力で働きます!」

「ん、偉いのう頑張って」


 クッソ、完璧に話半分に聞いてやがる!


 悔しいことだが、この魔女がこの上なく有能であることは認めざるを得ない。

 今ここで述べた見識や推察も的を射るものであったし、分析した末に取るべき対応のビジョンもしっかり持っている。


 少なくとも宰相職を務めるに足る……ということがコイツの下で働けば働くほど実感できてくる。

 しかし納得はできない!

 だってコイツ魔女だから!


「しかしイサキ秘書官よのう。卿もまた随分とひねくれた人材よのう」

「は、はあ……?」

「賄賂を拒否し、腐敗勢力の儲け話を一つぶっ壊したために睨まれ、僻地へ左遷。そうして何年か冷や飯を食ってたところに政変でもって呼び戻された。ヘンドラーも然りじゃが、結局まともな人材が人魚宮の外でしか育まれなかったのが皮肉じゃのう」

「恐縮です……!?」

「じゃが、当時ウソでも恐れ入る程度のポーズぐらい取っておけば、左遷なんて憂き目にも遭わなかったんじゃないかえ? 卿はわらわたち魔女のことを毛嫌いしているようじゃが、卿自身なかなかに魔女にも劣らぬ反骨気質ではないか?」


 見透かされていた……!?

 私が内心彼女に反発していることを……!?


「……で、では包み欠かさず申しますが、私の反骨心は、アナタたち魔女のものとは本質的に違います」

「ほほう?」

「アナタたちが体制に反するのは、単に無法者であるからでしょう? 私は違います。自分の正義に反することをしたくないだけです」

「正義と来たか、ホホホホホホ……!」


 笑うなよ。

 これだから魔女は。


「私が官僚になったのは家の方針もありますが、私自身この仕事に誇りを持っています。それは見習い時代に聞いた、ある伝説の役人についての話によってです」

「んんー?」

「その人は、かつて何十年も前に人魚宮に仕えていたという文官なのですが、清廉潔白な精神の持ち主で不正を決して許さなかったといいます。その上能力も高く、様々な効率的なシステムを生み出し、人魚官僚界から無駄を排し、優れた機構を作りだしたと言います」


 その知勇兼備の才人を賞賛し、当時はこんなあだ名で呼ばれたそうな。


『深淵の才媛』と!!


「私はその『深淵の才媛』にずっと憧れてきました! いずれ彼女のように優れた官僚になろうと日夜努力しています! だからこそ『深淵の才媛』のように、不正に手を染めるわけにはいかなかったのです!」

「んんんー?」


 宰相が、なんかムニョムニョした顔つきになっている!?

『アビスの魔女』などと呼ばれながらも、真なる有徳人には、その噂話を聞いただけでも尻込みするということかな!?


「……そ、その『深淵の才媛』とやらは、今どうしておるのかの?」

「それがもう随分前に職を辞し、退官なさったそうです。清廉であるがゆえに腐敗勢力と衝突するのは必然だったのですね……!」


 当時の人魚官僚界は、アロワナ王即位前後よりもさらに腐敗が酷かったと聞くから、なおさら清廉を重んじる『深淵の才媛』は耐えがたかったのだろう。


 もし彼女があのまま人魚宮に仕え続けていたなら、今頃彼女こそが宰相に就いていても不思議ではなかったはずだ。


 こんな魔女宰相ではなく。


 ああ、望むことなら一人の官僚として、伝説の『深淵の才媛』に一目お目にかかりたかった……!

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書籍版19巻、8/25発売予定!

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↑コミカライズ版こちらから読めます!
― 新着の感想 ―
[一言] アビスの才媛さん顔真っ赤案件。
[一言] 分かりみが深い(〃゜д゜〃)
[一言] イサキうし...いや前々!
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