617 新生人魚国の様子
我が名はゲドゥ。
真なる人魚国の衰退と危機を憂う、烈士の一人である。
真なる人魚国とは何か?
歴史を重んじ、故人を敬い、彼らが決めた法や伝統をけっして蔑ろにすることのない教養ある人魚たちの治める国のことだ。
今、この国では伝統が破壊されつつある。
一人の愚かな新王によって。
人魚王アロワナ。
名君と称された先代ナーガスのあと即位した若王ではあるが、若いがゆえに判断が未熟で、様々なる失策を演じている。
その中で最低最悪なるものが王妃選びだ。
人魚王妃は、人魚王の傍らに常に立つ伴侶。
時に国家の共同統治者として絶大な影響力を持つ。
だからこそ王妃選びは、ある意味王自身を選定することよりも慎重でなければならない。
何よりもまず生まれは高貴で、貴族以上の名家から生まれた令嬢でなくてはならない。
かつ教養に長け、古今の礼儀作法に通じ、親に従い兄弟を立てることを美徳とした貞淑なる女が相応しい。
学歴もなくては。
人魚国一の名門たるマーメイドウィッチアカデミアを首席で卒業していたら言うことなしだ。
ことほど左様に人魚王妃の選定には何重にもわたる審査を受け、臣下の意見も取り入れなければならないというのに。
現王たるアロワナはそういうことを一切無視し、最悪の花嫁を迎えてしまったのだ。
最悪の人魚王妃パッファ。
生まれ卑しく、学歴もなく、どこからどう見ても人魚王妃となる資格もない女。
しかも魔女だ。
魔女とは、せっかく授かった大いなる魔法薬の才能を間違ったことに使い、社会に災いをもたらす悪女たちのことだ。
反社会の象徴であり、けっして王家に近づけてはならないものだというのに、アロワナ王はそれを破った。
パッファは『凍寒の魔女』などと呼ばれ、凍結魔法薬の作製と扱いに秀でた天才と聞いている。
しかし性格は反骨に傾き、あらゆる権威に反発し、自分の研究によって世界が滅ぶことになろうと一向にかまわないという危険な女だ。
そんな女を、人魚王妃の重責に据えるなどあってはならないのに、アロワナ王はタブーを犯した。
これでは人魚国は滅亡の道をひた走るばかりだ。
いや、まだ希望はある。
たとえ王や王妃が愚劣であろうと、臣下が賢明で正しく主君を諌めれば、国は間違った方向から正しい方向へと軌道修正できるはずだ。
そうでなくても教養も品格もない庶民の女など、人魚王妃という大役を務めきれるわけがない。
三日も立たずボロを出し、王妃に相応しくないと自分から証明することだろうよ。
その時こそ家臣揃って提言すれば、いかに愚かな王と言えども従わずにはいられまい。
速やかに離縁し、今度こそ王妃に相応しい才媛が選び直されることであろう。
……と。
期待をかけて一年以上が経ち。
全然期待通りになっていない。
あの人魚王妃の座を掠め取った悪女は、今なおのうのうと王妃として居座り続け、しかもそれに反発する声は徐々に鳴りを潜めている。
あんな教養も学歴もない女が、どうしてきっちりと王妃を務めきれているんだ?
各種式典に王と共に出席しても振舞い穏やかで、少しも見苦しいところがない。
政策にも出しゃばって掻き乱すどころか、的確な助言をして文官が舌を巻くこともあるとか。
どうして庶民女ごときがそんな学識豊かなのかと頭を捻るが、ある時どこからか聞こえてきた噂話では……。
「魔女といえば世界最高峰の魔法薬使いでなければ得られぬ称号。その魔女であるパッファ妃が愚かなはずがないであろう」
なんと言うことだ! 学のない庶民女は皆、ナマコのように愚かで鈍いのではないのか!?
いらん知恵などつけおって庶民女め……!
しかも庶民女はそればかりでなく、自分から何かを始めおった。
ツケモノとかいうものを作り出したのだ。
最初は何事かと思い、臣下一同注目していたのだが見る見るうちに国全体に広がっていった。
何やらツケモノとか言うのは食べ物の一種らしく、陸から伝わってきた料理とか。
それが途轍もなく美味だというので、最初は夫のためだけに拵えていたのがお裾分けで家臣たちに広まっていき、ついには組織だって生産して売り出すようになった。
いまやツケモノは人魚国の隅々まで行き渡り、大人気の商品だ。
ツケモノの発明者としてパッファ妃は下民どもにまで周知され、人気を集めているという。
所詮、貴族に支配されるだけの存在でしかない庶民風情がどう思おうと関係ないが、たとえどんな分野だろうとパッファ妃の評価が上がるのは面白くない。
まして貴族の中にも『風評は大事』などとたわけたことを抜かし、庶民人気を重視などするバカ者がいる。
益々よろしくない。
上も下もパッファ王妃を認めていくではないか!
おのずから崩れていくのを待てばいいなどと、のんびりかまえている場合ではなくなってきた。
まだ懸ける望みがあるとしたら、世継ぎだ。
王妃の何より重大な務めは、王の高貴なる血筋を受け継ぐ後継者を生むこと。
これができなければどんなに美しかろうと賢明であろうと王妃失格。
離縁の正当な理由となりえる。
あの憎きパッファ妃が一年……いや半年の間に懐妊の兆しが見られなければ家臣総出で問題化し、正式な王妃の再選定を王に願い出ればいい!
……と思った矢先。
パッファ妃の懐妊が公式発表。
上も下も国王夫妻を祝福し、もはやあの魔女が王妃であることを完全に認めるかのようだ。
これはいかん!
このままでは本当に由緒ある人魚王室が、あの魔女に荒らし尽くされてしまう!
こうなればこの忠臣ゲドゥ。
あえて王室に牙を剥いてでも忠誠心を示す時。
手勢を集めよ!
一団をもって王宮へと駆け登り、毒婦パッファを討ち取るのだ!
アロワナ陛下は一時の悲しみに暮れるかもしれないが、それが人魚国全体のためといずれわかってくださるはずだ!
皆の者奮いたて!
正義は我らにあり!
討ち入りじゃああああッ!!
* * *
その直後、秘密のはずのアジトに雪崩れ込んだ近衛兵によって我々は一網打尽にされた。
何故?
我々の動きが察知されたのか? どうして?
「元宮内長官ゲドゥ、反乱を企てた罪でお前を拘束する。申し開きは取り調べと裁判の場で述べよ」
「お前はベタ家のヘンドラーッ!?」
愚王に取り入って官職にありついた太鼓持ちめ!
「自分の娘を王妃にして次世代でも権力を保とうとした、お前の野望はとっくの昔に潰えた。それでも未練がましくパッファ妃を排斥しようとし続けたのが、お前の破滅の原因だ」
「貴様の悪巧みはとっくに近衛兵隊が察知し、かねてから監視していたのです。まんまと尻尾を掴ませてくれましたね」
くッ、『獄炎の魔女』ランプアイッ!?
近衛兵に復帰したと聞いたが、よりにもよって何故私を捕まえに来る?
ぐおおおお……!? 決起のために集めた手勢が、近衛兵たちによって完全に制圧されている……!?
決起の瞬間を待って泳がされたというのか!? 言い逃れしようもないたしかな罪で拘束するために!?
おのれ、私はこのようなところで終わるべき男ではない!
アロワナ王子飼いのヘンドラーを懐柔するのは無理だろう、ならば……!?
「ランプアイよ!『獄炎の魔女』と謳われた最強の魔法薬使いランプアイよ! お前はこの状況がつまらなくはないのか!?」
「はい?」
ここでコイツを味方に引き入れれば、チャンスはまだある!
「同じ魔女と称されながら、パッファは見初められて王妃となり、お前は近衛兵としてパッファに顎で使われる! そんな自分を惨めと思うだろう!? お前にも等しく機会が与えられるべきはずだ! 我らと共にパッファを取り除けば、お前にだって人魚王妃となるチャンスがあるのかもしれぬのだぞ!」
女人魚ならば誰であろうと王妃となることを夢見るはず。
バカ女を分不相応な夢で誑かし、手駒にして操ってくれるわ。
「……」
「ぐぶおッ!?」
返事の代わりにぶん殴られた!?
「……愚かな、既に主人を持つ私に、不倫を持ちかけるというのですか?」
ええッ!?
「世の女性のすべてがアナタのごとく下賤な野心に囚われていると思わないでください。恋する相手に嫁ぐことが女の幸福なれば、相手が王様だろうと庶民だろうと些細なこと。パッファさんとてそうです。あの人にとっては恋した相手がたまたま一国の王になる人だった、ただそれだけのこと」
バカな……そんなバカな……!?
「私にとっても恋した相手がたまたま気鋭の才人だったから、彼の助けになれるよう私も魔女としての力を発揮するまでのこと。それがアナタの迷惑になっても詫びる気にはなりません」
「働き者の妻をもって私は幸せ者だ……!」
ヘンドラーとランプアイ。
見詰めあう二人。
え? どういうこと?
「私たちの結婚を知らないとは、自分の計画以外に興味が向かないのだな。そんな視野の狭さでは失敗するのも仕方のないことだ。……連れていけ! 人魚王宮の大掃除……これが総仕上げだ!!」






