590 塔とおでんとコーヒー
引き続き真魔王……ではなく『島の魔王』アザルじゃ。
魔国に着いた。
港から馬車に乗って魔都へ。
ここが大陸魔国の中心地……、かつて大崩壊によって滅び去った旧魔都に代わって築き上げられたという、いわば新魔都。
我がそこに一歩踏み込んだ時、想像以上の歓迎を受け正直ビビった。
「『島の魔王』ご来訪ぉーー!!」
「ようこそ魔都へーー!」
「よく帰ってこられたああーーッ!?」
あまりに熱烈歓迎で、受けたこっちがビビって引く。
どういうこと?
一体どういうことなんじゃーい?
「我が民の皆が、長く離れていた同胞の帰還を祝っているのだ。我が国の民は思いやりが深いのでな」
ホントかよ!?
どちらにしろ、民の心が王にしっかりと寄り添っているということでもある、この歓声が示すのは。
魔王ゼダン殿は、民心を完全に掌握しているのだ。
王が喜べば、民は踊り浮かれ。
王が悲しめば、民は泣いて涙の川を作る。
王が怒れば、民は怒涛となってすべてを砕き、滅し尽くす。
王と民の心が一つになることほど恐ろしいことはない。
同じ為政者として、その恐ろしさがわからなければ無能だ。
「アザル殿」
「はいです!?」
「右手をご覧いただこう、面白いものが見られるぞ」
馬車に乗ったままパレードを進む我の視界に、なんか奇妙なものが映り込んできた。
……何アレ?
塔か?
細長くてやたらに高い建築物だから『塔』と呼ぶのが適当に思えるが……。
我が知ってる塔となんか全然印象が違う!?
なんか塔の左右から広げた両手のようなものが伸びていて!
そして塔の頂上辺りに顔がついていて!
その顔が光り輝いている!?
建築物としてはあまりにわけわからんものがゴテゴテ取りついていて、本当に何なのかわからん!?
「あれこそ魔都の新名物の塔だ」
一緒に馬車に乗るゼダン殿が解説してくれるが、解説されてもわけわからん!?
「昨々年に開催された博覧会で建造されたモニュメントのようなものだな。あまりに衝撃的なデザインから人気を博し、博覧会が終了した後もああして解体されずに保存され、民に親しまれている」
そっすか!
「あまりの芸術的な出来栄えに太陽神が見惚れて足を踏み外し、地上に落ちてきたなどという逸話まである。それゆえ『アポロンの塔』などという愛称も付けられ今でも人気のスポットとなっているのだ」
「なるほど……!?」
とは言うが、あの巨大な塔がどういいのか不甲斐なくも我にはさっぱりわからなかった。
芸術わからねえ……!?
凡人の感性しか持たない我にはまったくわからねえ。
* * *
「さてアザル殿、当然ながら魔王城ではアナタを歓待するために晩餐会を開き、我が魔国の重鎮たちと挨拶を交わしてもらう予定なのだが……」
「はいぃッ!?」
やめて!
そういうこと言われると緊張するから!
「その前に一つ寄り道していかぬか?」
そう言って密かにパレードから抜け出し、我を連れて向かった先が……。
「……ここだ」
何だここは?
人通りの少ない裏路地を曲がって曲がって辿りついた先は、なんとも小さな料理屋であった。
天下の魔王がこのような小さな店に出入りしているというのか?
益々ゼダン殿という人物がわからない。
「邪魔するぞ」
ガラガラと扉を開けて入ると、中はますます狭くてこじんまりとし、とても魔王が利用する商店とは思えない。
「いらっしゃいませー」
店員もたった一人で、カウンターの向こうから声を出すだけだ。
鍋の中から何やら落ち着く匂いが漂ってくる。
「すまぬな。本来であれば夜から営業なのを無理やり昼間から開けさせて。しかも貸し切りで」
「聖者の友人の頼みとあらば多少は融通を利かさねば。それにおでんの本番は冬だから、それを過ぎたこの時期はけっこう暇なことばっかっす!」
何だこの店主は?
ノリが独特?
「夜から会食があるのであまりガッツリとはいけないが、その分小量でもこの店の神髄をわかってもらえる厳選した取り合わせを頼む。……あと我は黒はんぺんを頼む。酒は冷で」
「わかったっす!」
いかにも慣れた感じで注文するゼダン殿に、店主の手つきも慣れたもの。
あらかじめ鍋で煮込んでおいたのだろう食材を取り出して皿に盛り、我とゼダン殿の前にそれぞれ並べる。
「大根と卵とちくわ! 基本三種おでんっす! そして純米大吟醸の冷!」
なんか色々出てきた。
そしてどれも見たことがない感じ。
何やら薄いスープで煮込まれた具を味わう料理らしいが……。
まあゼダン殿から勧められた料理なら毒でも食べないと立つ瀬がないから。
うーん……。
美味い!!
何だコレ!? 具の中にしっかりと染み込んだスープの美味さが途轍もない次元なんですけど!?
薄すぎず濃すぎず、それでいて柔らかい味わいで飲み込んだ腹の中を癒すかのようではないか!?
さらに一緒に出された水……水じゃない!?
水のように透明だから気づかなかったが酒だコレ!? 一口含んだ途端にふわっと広がっていく酒気は、今まで飲んできたものとはまったく別物だ。
何なんだこれは!?
本当にお酒なのか!?
「アザル殿が喜んでいただけて本当に何よりだ。店主、つゆのたっぷり染み込んだ豆腐を一つくれ」
「魔王よ、食いすぎっす!」
我もあまりに美味しいのでガツガツおかわりしてしまったわ!
晩餐会があると言っていたのに、入るかな?
「会食には様々な種類の酒が出るだろうから、すべて味わってほしい。私が作ったものばっかっす!」
充分満足して店を出る間際、店主がそんなこと言っていたがどういう意味だ?
「彼は酒の神バッカスだ。アザル殿の土地には伝承が残ってないか?」
えッ? あれが?
地上に唯一残ったという半神!?
* * *
そして。
魔王城での会食を終えたあとは、我は呆然とするより他なかった。
圧倒されたからだ。
ゼダン殿の本拠、魔王城の凄まじさに。
魔王城の一角……ホールにて行われた晩餐会は、まさに百花繚乱の華やかさ。
並べられた料理の豪華さは無論のこと、それを盛り付ける皿の特別な意匠。さらに透き通るほどのガラスの器。
それも特別なブランドのものらしく、どれも我が魔島には存在しない水準のものでため息が出た。
出される酒も、あの店主が言ったように色とりどりで、『酒とはこんなに種類があったのか』とそこから驚かされるばかりだった。
さらには晩餐会に出席した人々の鮮やかなることよ。
特に女性出席者の着るドレスが、輝くように煌びやかで目に眩しいほどであった。
聞けば、これもとあるブランドの作品で大流行し、魔都を席巻しているという。
魔都中の女性たちが我先にと争ってドレスを購入し、みずから着飾って美しさを示しているという。
公的行事は国威を示すものといわれるが、今日の晩餐会は魔国の凄まじいまでの国力と文化水準を示すものだった。
これに比べたら、我が国の衣食住いずれも何とみすぼらしいことよ。
それこそ田舎の一地方程度のものではないか。
改めて、このような強国へ向かい『真魔国』などと称した自分の身の程知らずが恨めしい。
「疲れましたかな? あちこち連れ回してしまい申し訳ない」
そしてここまでの文化水準を見せつけながら、なおも客人を気遣うこと召使のごときゼダン殿の慎ましさ。
恐ろしい。
「お国自慢などさもしいとは思ったが、客人に我が国のことを紹介するのが楽しくてついやりすぎてしまった。まあ、コーヒーでも飲んで落ち着かれよ」
「はあ……」
差し出されたコーヒーカップを受け取り、口をつける。
こうした激動の締めくくりに、こんな香りよいコーヒーで気を鎮めてくださるとは。
ゼダン殿は本当に気の利くお方だ。
「いや、本当に美味いコーヒーですな。余程よい豆を使っていると見ました」
「いや驚かれましたかな? このような真っ黒な液体がとてもいい香りを放つことに。これこそコーヒーと申しまして今、魔都で大流行の兆しを見せている」
「ん?」
「ん?」
今何か会話が噛み合わなかったぞ?
「……これはコーヒーですよな?」
「いかにもそうだが……アザル殿はコーヒーを御存じか? 魔都でもまだまだ知る者は少ないという……!」
「え?」
「え?」
最後にまた一つ突拍子もないことが起こって、その日は終わった。
我が魔島では当然のように昔から飲まれていたコーヒーが。
ここ魔国ではつい最近まで存在していなかったらしい。