569 浸食するコーヒー
吾輩はシャクス。
パンデモニウム商会の長である。
今日は何やら疲れる訪問であった。
農場に住む聖者様は、我々にはない貴重な知識をたくさん有しており、それがビジネスチャンスに繋がることは多々ある。
ここでできるだけ間が空かぬように足しげく訪問しているのだが、今回は逆に聖者様の方から売り込みを受けた。
珍しいことだ。
普段はこっちから頭を地面に叩きつけて頼み込み、先方があまり乗り気でないのを説き伏せて商売の許可を得るというのに。
今回はあっちから提案してきた。
しかもけっこう推しが強火。
この不思議な飲み物『こーひー』とやらを広めるのに情熱を燃やしているようだ聖者様は。
その本気ぶりを示す一例として、今回お土産にコーヒー作製セットを頂いてしまった。
主原料であるコーヒー豆(焙煎済み)は無論のこと……。
そのコーヒー豆を粉状に砕き潰すミル。
お湯で漉しとるためのフィルター。
コーヒーを淹れる専用のヤカン。
そしてカップ。
至れり尽くせりすぎる。
コーヒーの何が聖者様をここまで駆り立てるのだろうか?
見立てでは欲の薄い人だと感じていたのに。
まあしかし折角だから、自分でもコーヒーを淹れてみるとするか。
やり方は聖者様にみっちりと教わったことだし……。
ミルで豆砕くのけっこう力がいるなあ。
粉状にまで細かくなったものをフィルタに入れて、お湯を注ぐとコーヒー粉が膨らむのが面白い。
一杯分注ぎ終えて……吾輩はまだ初心者なので砂糖をたくさん入れて……。
……うん、美味い。
味がいいのはたしかなんだ。聖者様が強く推したがるのもわかるし、吾輩も歴戦商人としてこれは金になる商品だと確信できる。
それに覚醒作用があるのが強みだ。
日々の仕事に疲れる者たちが一時でも疲労を忘れるためならコーヒーは飛ぶように売れていくだろうが……。
……。
あッ、しまった。
寝る直前にコーヒー飲んじゃった。
* * *
案の定、その晩はベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。
やっと眠気が来た辺りでカーテンの隙間から朝日が差し込んでいたように思える。
そんなわけであんまり眠れずふらつく頭をコーヒーで無理やり覚醒させ、なんか悪循環を作りつつ、今日はある人物との会合を持った。
居酒屋ギルドを仕切るギルドマスター、サミジュラだ。
彼とは少年時代に同じ店での丁稚奉公を経験し、苦楽を共にした仲ではあるが長い間疎遠であった。
彼との親交が取り戻せたのも聖者様のおかげであったな。
だからこうしてアポを取れば普通に会えるようになった。
「それで今日は何の用だい?」
居酒屋ギルドマスターの貫禄たっぷりに、大柄な体格となったサミジュラ。
吾輩など、何故か偉くなるたび痩せていくので面と向かうと圧倒される。
「こんな年になってまた昔のような仲を取り戻せたオレたちだけどよ。まさか遊びに来たってわけじゃねえだろう? 今はお互い立場ってのがあるんだからな」
「当然です。アナタはギルドマスターで吾輩は商会長。この二者が向き合えば商売抜きに済ますことはできません」
それは相手も承知の上で、裸一貫から魔都最大手の酒場数軒を切り盛りする剛腕の商売人。
友だち気分で馴れ馴れしくしていたら、どんなしっぺ返しを貰うかわからない。
「とはいえウチに割り食わせる話はゴメンだぜ。大資本の商会様は、いつでも零細は無造作に蹴飛ばすものだと思ってるからなあ」
「僻みっぽいのは相変わらずですね。しかし商会とて顔色を窺わねばならない相手はたくさんいますよ。今回はそういう御方からの打診です」
「そりゃあ大物だな。どちら様だい? ひょっとして魔王様かい?」
魔王様ももちろん最大限に顔色を窺わねばならない相手だが、言ってくることの予測がつく分、対応しやすい相手でもある。
対して今回の相手は、突拍子もないことしか言ってこないから厄介でしかない。今まであの御方の言うことやること予想できたことが一回もない。
「そうか、聖者様か。……そりゃ厄介だな……」
「ええ」
「あとで聞いたが、あのバッカス様の居酒屋もバックには聖者様がついてたって話じゃねえか。そんな人の持ってくる話なら、そりゃさすがの商会長様といえど持て余すだろう。どれ一つ、このオレが手を貸してやろうじゃねえか。何でも言ってみな?」
こういう時だけ得意げになりやがって。
まあいい、彼が協力してくれるというなら。
聖者様から提案を受けた『キッサテーン』なる店舗は、話を聞いてみた限り『難しい』というのが吾輩の商人としての直感だ。
何故かというと、そういう形態のお店がこれまで魔都には一軒もなかったから。
正確には、アルコールでもない飲み物を提供し、それだけを売り物として成立するお店が。
無論魔都にも飲食店は昔から数限りなく点在しているが、その大半は食事をメインに提供するお店だ。
腹を膨らませるための。
そうでないなら酒を飲むためのお店だ。
酔って楽しい気分になるための。
その両方に属さず、メシも出さない酒も出さないで飲食店を名乗るなど『バカじゃねーの』としか言われないと思う。
これまで幾度もの常識を覆した聖者様の考案物であるが、やはり適切な売り出し方でないと最大限の効果は見込めない。
コーヒーも、まずは覚醒効果に着目し、妙薬として売り出せば大ヒットすること間違いないと思う。
しかしまだ認知も得ていない非アルコールの飲み物を頼りに店そのものを売り出すのは高リスクだと思えるのだ。
その点サミジュラは飲食業界の頂点に立つ者。
彼の意見は有益だと思い、こうして場を設けてみたのだが……。
「なるほどな……、とにかくまずは、そのコーヒーとやらを試飲させてもらおうじゃないか。それなくして話は始まらねえ」
お?
飲むか?
今までしたこともない体験をしてみるか?
そう言うと思って道具一式は持ち込んでおいたのだよ。コーヒー豆も無論な。
お湯だけはそちらで用意してもらおうか。
「お前もゴリッゴリにハマッてない?」
そんなことはありませんよ?
一商人として、これから富を生み出しそうな有望商材を徹底して研究しているというだけです。
ところで最高に美味しいコーヒーを味わうためには、カップを先んじて温めておいた方がよさそうですな。
そうすることでカップに移す際コーヒー自体の温度が下がるのを防げるわけです。
「滅茶苦茶研究してない?」
「これくらい一般教養の範囲ですよ」
「うぜぇ!」
さあ淹れましたよコーヒーを。
共に味わおうではありませんか。
「ほーう、これがコーヒーか? ビックリするほど真っ黒じゃの?」
「初心者は無理せずミルクや砂糖で味を調えるのがお勧めですよ? 吾輩はもうブラックで飲めますが!」
「うぜぇ!!」
そして一旦沈黙して、ひたむきにコーヒーを味わう。
旨し。
コーヒー旨し。
「なるほどビックリするような苦さだのう。しかしその中に微かにフルーティな甘みもある。なかなかに複雑な味わいだ」
コイツ一口で知った風な口をききやがって!
「酒飲みを舐めるなよ? アルコールが混じってない分こっちの方が鋭敏に舌が働くぜ。たしかに今までに味わったことのない種類の味で目新しさはある。しかしアルコールがないのがネックだなあ」
「やはり……!」
やはり飲食で扱おうとするならお酒でないと話にならないということか?
だよなあ。
正直言って魔都では、酒以外の飲料にお金を払うという概念そのものがない。
そんな中でコーヒーをメインとした『キッサテーン』は討ち死にの可能性が大……!
「それはそれとして、このコーヒーという飲み物自体は美味しいな」
「そうなんですよね……」
「カクテルにするとさらに美味しくなるんではないか? 蒸留酒辺りがいいかも」
おお、酒飲みが早速コーヒーに酒を混ぜることを思いついた。
「ちょうどよくいいブランデーが家にある。小間使いに持ってこさせよう」
「いいな! つまみなどもあるとより美味しくなるのではないか!?」
「この苦さなら甘味と大層合うことだろうよ! コーヒー自体も相当な味の濃さだから、併せものも主張を強くしても負けん! これは相当に面白くなってきたぞ!」
「研究のし甲斐がありますな!」
こんな感じで、あとは商売そっちのけで『どうしたらコーヒーをより美味しく楽しめるか』で盛り上がるだけの日になった。
大の男が向かい合って何してるんだ? とも思ったが、これはこれで楽しかった。






