509 浴槽の中の賢人
温泉のあまりの気持ちよさに、あの大魔王と全裸で並んでいるという状況のキモさに気づくまでに時間がかかった。
気づいたらもう随分とキモかった。
しかしキモいからといって浴槽から出たいとは思わない。
それぐらいに温泉が気持ちいい!
しかも体感がいいだけでなく、見晴らしもいい。
天空風呂といったか。
その名前に恥じぬ、空に浮くような眺めではないか!
六階建てという、魔都にもなかなかない高層な建築物の、その頂上に設えられているのだ。
元々山間に建てられた旅館だけに、連なる山々の遠景を一望出来て素晴らしい。
そうして目を楽しませながら、体は温かな湯につかって溶けていくような心地なのだ。
世の中にこれほど贅沢な時間があったとは!!
日々の政務で溜まった疲れが湯の中に染み出していくようだ!!
「ほほう! たしかにこりゃいい場所じゃのう!!」
そしてあんまり疲れてなさそうな人はひたすらはしゃいでいた。
くっそコイツさえいなけりゃ、もっと静かに疲れを癒せたのに。
「やはりここには疲れを溜め込んだ者だけで来た方がよさそうですな……」
「お前もここのよさを認めてきたか? そうじゃろうそうじゃろう! ではガンガン行って次のスポットに参ろうぞ!」
えッ? 移動?
私もうちょっとここに浸かって体を癒したいのですが?
「この旅館には、他にも色んな種類の風呂があって打たせ湯とか、泡風呂とか、壺湯とか、他のフロアにあるらしいんじゃ! コンプリートしないともったいないじゃろう! ガンガン行くぞ!!」
はしゃがないでください。
クッソ体力有り余っている老人は動きが激しい。
こちとら中途半端に癒しを実感したせいで、体が疲れを思い出してガタガタしてるんだが。
もうちょっとゆっくり浸かって体からじっくり疲れを染み出させたいんだが……。
仕方ない。
大魔王様のノリと勢いは今に始まったことじゃないからな。
現役時代もこう言った勢いに乗せられて無茶な予算案を作成し押し切った。
今ではいい思い出だ、いいや嫌な思い出だ。
「時間はたっぷりありますから最初の方だけは付き合いますか」
「それでこそ我が忠臣!」
やめんか忠臣呼ばわり。
そんなわけで私は名残惜しいもザバリと湯音をたて、一旦天空風呂をあとにした。
* * *
そしてすぐ戻ってきた。
別階にある他の入浴施設を回り、締めに卓球とかいう遊戯で大魔王様をコテンパンに叩きのめしてから別行動になった。
大魔王様は旅館の外にある秘宝館なる施設を見に行きたいと言っていたが、さすがに付き合いきれなくなった。
そうして私は最初の天空風呂に戻り、湯に浸かるのである。
「くぷぇーーーーーーーーーーーほ」
やはりこの湯はいい。
疲れた体がお湯に溶けていく。
そして凄まじい施設だと益々実感する。
この天空風呂、高層建築の屋上に湯を運び込むなど相当な労力だろうに。それを惜しげもなく遂行しているところがまた凄い。
この浴槽、男同士で気持ち悪くならない程度に距離をとって、余裕をもって入浴しても二十人は楽に入れる規模ではないか。
そんな大浴槽を満たす定量のお湯。
六階の屋上まで運び込んでくるにはどれほど強力なポンプ魔法が必要になるのか。
しかもそれを常態的に……!?
「警戒が必要かもしれんな」
浴槽で疲れを癒しながら、心は魔国宰相であることを忘れられない。
ここまで高度な技術を持った者。何者かはわからぬが仮にも魔国の敵と回れば負けぬとしても面倒なこととなるのは必至。
何かしら処置を講じておくべきではないか、しかし相手の実像もわかっていない段階で騒ぎ立てると逆に藪蛇となりはしないか?
その辺大魔王様から詳しく聞ければいいんだがあの人からまともな答えを得られるとは思えないし……。
「よくない表情をしておりますな」
「うおッ!?」
唐突に話しかけられビックリした。
ザバンとお湯を揺らしてしまった。
「誰かおる!?」
「これは失敬。驚かせてしまいましたな……」
いつの間にか同じ浴槽に、別の者が入っていた。
誰だ? 初めて見る顔だ?
しかしこの風呂は共同施設だと聞いておるし、私以外の誰かが入浴してきたとしても全然不思議ではない。
ここでは私も魔国宰相ではなく、ただの一般湯治客。権威ばらずにせねば。
「いや失礼……、考え事をしておりましてな」
「それで眉間に皺が寄っておりましたか。思索は楽しゅうありますが、ここは疲れを癒し、明日への活力を育むための場所。難しいことを考えては取れる疲れも取れませんぞ」
たしかにそうだ。
ここでは一旦すべての仕事を忘れるべきなのかもな。
しかしこのいきなり話しかけてきた湯治客。なんとも落ち着いた風格よ。
見た感じ若々しい……二十代か三十代だろうか?
肌の色からして人間族のようだが、それにしても若さに似つかわしくない貫禄がある。
一目でただ者ではないとわかる。
「しかしこの風呂は壮大ですなあ……。このような高所に、このような大量の湯。一体どうやって運び込んだものかと……!?」
「考え事の内容はそれですかな?」
あっさり見抜かれた。
世間話風に誤魔化したつもりなのに、なんだこの御仁?
「建物の最上に浴場を築くというのは、施工主の発案です。そもそも源泉は地中深くありまして、深さはこの建物を縦に並べての六十棟分はありますからな」
「そんなにですか!?」
「そこから湧き出すお湯を、ベレナが考案した新式ポンプ魔法で汲み上げておるのです。まあそこまで深いところから出ているのですから、地上でさらに高所に運んだところで誤差範囲……というわけです」
聞けば聞くほど凄いことだ。
そんなポンプ魔法が実在するなら、井戸だってさらに深いところから掘りだせて魔国の水源事情ももっとよくなるだろうに。
やはり、この温泉旅館……。
ただの娯楽施設と見せかけて恐ろしい技術の結晶体だ!
「あの、失礼ながら……?」
私は注意深く言葉を選んで問いかける。
この若い人族に。
「そこまで深く事情に通じるアナタは、この温泉旅館と何か関わりが? もしやアナタこそが……?」
「いや、単なるご近所と言ったところですよ。在所が近いというだけでよくしてもらっております」
さりげなく言っているけど、これガチガチの関係者!?
ここはより親密な雰囲気を築いて、情報を聞き出さねば!?
「いけませんぞ宰相殿。また眉間に皺が寄っています」
「!?」
私が魔国宰相であることを見抜いて……!?
「ワシもかつてそれなりの地位におりましたから、アナタのような責任の大変さは共感できるつもりでおります。だからこそアナタにはここで、すべてを忘れてお寛ぎいただきたい」
「う、うぬ……!?」
「本当に大事なものは、荷から下ろしたあとでも自然に還ってきましょう。それを持ち上げる体力を取り戻すためにも、ここでは一旦手ぶらになりませんとな」
なんと含蓄ある言葉なのだ……!?
とても二、三十代の若僧が吐けるセリフとも思えん!?
よく見ればこの御仁、とても人とは思えぬ異様な魔力に包まれていないか?
偉大というか禍々しいというか……!?
このような魔力をまとっているこの御仁自体も、尋常な者ではない……!?
「遅れて申し訳ないが、御名を聞かせていただけまいか?」
湯の中で威儀を正す。
「人間族にありながらその強勢なる魔力。賢者の佇まい。相当なる御仁とお見受けした。もしよろしければ、その叡智をもっと語ってくだされませんか? 魔国の発展にも寄与できると存じます」
「いけません、いけませんぞ……」
御仁はカラカラと笑って湯を波立たせる。
「ワシもアナタも、ここではただの湯治客。裸で一緒の湯船に浸かっているのに。肩書きも使命もありますか」
「ううむ……!?」
「心配せずとも、ゼダン殿がいる限り魔国は安泰にあろう。このような年寄りの出る幕ではない。今は不安も悩みも、湯で流し落とそうではありませんか」
そういうと御仁は立ち上がり、湯から上がる。
「あの! どちらへ……!?」
「あまり長く浸かるとのぼせますでな。湯から出て、寒風に体を冷やしまた湯に浸かって温まる。これを繰り返せば体の疲れもたちどころに吹き飛びますぞ」
そう言って去って行かれる御仁。
ううむ……!?
この温泉旅館とやら、私が想像するよりももっと凄まじい場所なのかもしれん。
同じ利用客としてあのような賢人と出会うとは。
あの方を魔国中枢に迎え、国政に参加させたいぐらいだ。
何とかこの休養期間中に口説き落とせないものか。
……と考えている時点で私は、休暇の取り方も上手くなれない仕事人間なのだなとわかった。






