508 到来温泉宿
引き続き魔国宰相のルキフ・フォカレだ。
休暇を取って、骨休めすることにした。
休むにあたって政務に滞りがないよう、先んじて片付けられる仕事はできる限りすべて片付け……。
私の不在中の処置を部下たちに指示し……。
万一の場合に対するマニュアルを数冊作成してから、やっとの出立であった。
「休むために余計疲れておる……!?」
「何です?」
何故か休養先へ同行してくる大魔王バアル様。
我が生涯で『殺したい』と念じた回数最多の相手。
この人が傍にいる限り心休まらない気がするんだが。
ただ、今回の休養場所がこの人の紹介だからな。
一体どこへ連れていかれるのやら?
「着いたぞー」
「早いですな」
転移魔法を使ったからな。
やっぱり便利だなこの魔法。保安上の理由で制限しているが、より円滑な執務のためにも使用者を増やした方がよいかも。
「ほれ、ここがお前を連れてきたかった場所じゃ」
「ご自分が来たかった場所では?」
大魔王様相手にはどうしても言葉の棘を抑えることはできないが……。
目の前に広がる景色は、そんな私の気分を晴らすに充分だった。
「何だあの建物は……!?」
ここがどこぞの山奥であることはわかった。
緑に溢れて閑静で、地形が起伏に富んでいるから、ただ風景を眺めるだけでも目に楽しい。
しかし一層目を引くのが、自然のただ中に聳え立つ建築物。
あれは何なのだ!?
塔か!?
そう思えるほどに軒が高い。
一体何階建てなのだろうか?
外観から数えてみるに……一、二、三、四……!?
「六階建てじゃ」
「ろっかい!?」
そんな高い建築物ができるものなのか!?
しかもあれ、外観からでもレンガや石材を使用していないことは一目でわかる。
木造だ!
木造でそこまで大きな屋敷を建てられるものなのか!?
「フッフフフフフ……、驚いておるな? さすればお前をここまで連れてきた甲斐があるというものじゃ」
大魔王様が得意げに……!?
この人がいい気になってるだけで無条件にムカつく。
「あれを建てた者どもの技がそれだけ卓越しているということじゃ。中に入ればもっと驚くことであろう。だからこんなところで呆けてないでさっさと行くぞ!!」
「はいはい」
大魔王様に急かされて、進む。
あの奇怪な建物へと近づいていく。
するとまず門へと行き当たった。
その門の傍らには、やはり木でできた看板が掲げられていて、そこには『この門をくぐる者、一切の疲れを捨てよ』と刻まれていた。
「この門がのう、特に疲れていない者がくぐろうとすると弾き返される魔法がかかっておるんじゃ」
「だったらアナタは弾き返されるのでは?」
「だからお前を連れてきたんじゃろうが! ゴネにゴネまくって同伴者としてなら入所可能という条件を取り付けたのじゃ! お前と一緒でようやく入れるぞ!!」
また不特定多数に迷惑をかけて。
そんな魔法がかかっているならいっそ今度も『コイツだけ弾き返してくれないかな?』と思ったが、願い虚しく私も大魔王様も門を潜れた。
「やったー! これで温泉旅館を堪能できるぞ!」
「ちッ」
舌打ちなんてしていないぞ?
しかし、結局そのオンセンリョカン? というのは何なのだろうか?
大魔王様の美しいものを見極める眼力はたしかだ。それに翻弄され苦労を重ねてきた私は、業腹ながらそのことを誰よりも理解している。
その大魔王様がこうまで執着するということは、さぞや審美的な方面で凄いものが待っているのは疑いないか……?
* * *
「ようこそおいでくださいました」
そう言って我々を出迎えたのは、何やら奇妙な装束の女性たちだった。
恭しく頭を下げ、最大限の礼を払っている。
「当旅館の仲居を務める者でございます。ルキフ・フォカレ様とその付き添いの方でございますね? ご予約は承ってございます。お部屋は既にご用意してありますのでご案内いたしますね」
「うむ、苦しゅうない」
天下の大魔王様を付き添い呼ばわりしやがった?
すでに引退した身とはいえ大魔王バアル様はかつての魔国支配者にして、現魔王の実父。
今でも魔国でもっとも敬服されるべきお方の一人であるのだが、ソイツを差し置いてのここまで丁寧な物腰。
けっして私を魔国宰相だから敬っているというわけではないのか?
そうならば私よりも大魔王のヤツを先に立てるはずだからな?
私の推察は、建物内に入って益々確信に近づき、中には多くの客とすれ違ったが、ナカイとかいう従業員は誰にでも分け隔てなく礼を尽くしている。
ここで働く者たちにとって、客の社会的地位など関係ない。
すべてが最大限に敬うべきということか……!?
「こちらがルキフ・フォカレ様とその他のためにご用意させていただいた『牡丹の間』でございます」
案内されたスィートルームはこれまた豪勢なものだった!
「おおおおお……!?」
「部屋には履き物を脱いでお上がりください」
なんだこの……、見たこともない質感の床は!?
踏み心地が良すぎる!?
「畳でございます」
「うおおおおおッ!? 窓からの眺めも最高じゃぞおおおおッ!?」
「五階ですので」
はしゃぐな大魔王。
しかし、このルームの居心地のよさは朴念仁の私でもわかる。
部屋へ辿りつくまででも圧倒された。
この建物は外観だけでなく内装も、圧倒される出来栄えだった。ロビーには、室内だというのに池があったり、また花や調度品で品よく飾られていたりと、いかにも大魔王様が好みそうな意匠だ。
しかし驚かされるのは文化的な面だけでなく、文明的な面でも驚かされた。
このルームは五階にあるらしいが、私ももう歳。そんな階まで階段で上がったら息切れして足腰もガタガタになってしまう。
しかしそうはならなかった。
私はこの足で一段も上がることなく五階まで辿りついたのだ。
「あの……ナカイさん? ここへ上がるために使った……?」
「エレベーターでしょうか?」
そうそれ。
あれは実に不思議な施設だった。
小さな部屋の中に入ったと思ったら、その部屋自体が上昇し、私たちを上階まで連れて行ったのだ!
「当旅館のオーナーが考案いたしました、各フロアへ労なく行き来するための装置です。魔法を動力にしています」
「そ、そうか……!?」
「それでは、ご夕食の時間までお寛ぎください」
そう言って部屋から出ていくナカイ。
その所作は感心するほど流麗で、足音一つ立てなかった。
「よしルキフ! 早速温泉に入ろうぜ! 温泉!」
落ち着く暇もありませんな大魔王様。
しかし前から何度もオンセンオンセンと、一体何なのです?
「説明するより浸かる方が早い! 下調べはもう済んでいる! まずは天空風呂に行こうぞ! 最上階にあるらしい!」
「はあ……!?」
大魔王様に連れられてルームを出る私。
とりあえずここに来て充分驚いたと思うのだが。
これ以上まだ驚くことがあるというのか……?
* * *
「なんだこれはあああああああああ……!?」
驚いた。
温泉というものの気持ちよさに!!
湯の中に浸かるということがここまで気持ちのよいことだったとは!!
しかもなんだ!? この湯を貯め込んである水槽のある場所は?
最上階ではないか!?
外観でも圧倒された六階建ての建物の一番上に、こんな大量お湯があるなんてどういうことだ!?
「魔法動力のポンプで最上階まで汲み上げておるらしい。そもそもこのお湯も、さらに地下深くから湧き出ているということだから、聖者の作り上げた施設のいちいち凄まじいことよ」
むむむむむむむむ……!?
この建物自体からそれにまつわる装置に足るまで、一つとして例外なく目を見張るものばかり。
これを作り出したのが、どんな天才か怪物であるのか。
私は魔国宰相として興味と警戒を高じさせるのだが……。
でも今は……。
温泉が気持ちよすぎて考えがまとまらない……!
体が溶けていくぅ~……!?
お湯に溶けていくぅ~……!?