430 ほっとする居酒屋
オレの名はサバス。
魔国一の酒豪を自負している。
世界中のあらゆる酒を飲み、その味を知っている。
それだけが自慢のしがない男さ。
だからこそ新しい酒が出回ったと聞いたらジッとしていられない。
売り出されたのがどこであろうと真っ先に急行し、駆けつけ一杯しなければ。
あの時もそうだった。
魔都で数年ぶりに博覧会が開かれ、多くの宣伝がなされた。
その中に『酒館』なるパビリオンが開かれているとチラシに記されていたのだ。
酒豪の血が騒いだ。
どんな小さな催しであろうと酒に関わるならば、行って何が飲めるかたしかめる。
それが新酒ハンターの務めだぜ!
というわけで開催初日に馬車で揺られ、博覧会場へと乗り込んだオレ。
わき目も降らず『酒館』とやらに訪れた。
そこでまず驚いたのは『酒館』を取り仕切っていたのが人類でなかったこと。
酒神バッカス。
我ら酒飲みが崇拝する、それこそ神ではないか!?
酒の神みずから主催していなさるなんて、いきなり凄い。
出される酒も、バッカス様が振舞われるだけあって期待以上のものたちだった。
まず飲み慣れた葡萄酒が『いつも飲んでるヤツと違う!?』というぐらいに美味しい。
豊潤で、深みがあって。
これに比べればオレが普段から飲んでいる、酒屋ギルドが流通販売している葡萄酒など薄過ぎて雑過ぎる。
なんておいしい葡萄酒!
これが酒神みずからお作りになられた酒かと感動していたのに、興奮冷めやらぬ間に次々と新たな驚きが襲ってくる。
ビール。
ウイスキー。
ニホンシュ。
今度は見たこともないほど新しい酒。しかもそれが一度に何種類も。
どれも最初に出された葡萄酒と同じぐらいに美味しく、しかもどれも、他に二つとない特徴を備えていた。
ビールは口の中でシュワシュワと泡立ち。
ウイスキーは喉を焼くような酒の強味に、香ってくる煙の匂い。
ニホンシュとやらは水かと思うほど透明なのに、しっかりとした酒の風味。それに加えて喉越しのよさ。
どれも今まで飲んだことがない上に、今まで飲んだどんな酒よりも美味かった。
魔国一の酒豪である、このオレをして、だ。
これはもう飲み尽くすしかないと、差し出される酒を次から次へと飲み干した。
恐ろしいことに、博覧会の一部であるこのイベントでは、すべての酒を無料で配布しているという。
この超弩級に美味しい酒を、だ。
そんな奇跡のような話があるのか!?
だったらなおさら飲み尽くさなければ!
と怒涛のハイペースで飲んでいった。ビール、葡萄酒、ウイスキー、ニホンシュと飲んだらまたビールと代わる代わる。
それがいけなかったのだろう。
仕舞いには吐いた。
気づいたときにはすっかり酔っぱらっていた。
魔国一の酒豪であるオレが飲むペースを見誤るとは何たる不覚。
なんかたくさんの種類の酒をいっぺんに飲みまくったのも悪かったようだ。
オレのようなしくじりをやらかした者は他にもいて、酷くは意識をなくして担がれていく者までいた。
とにかく酷い有様だった。
案の定というか。
翌日『酒館』は閉鎖になっていた。
二日酔いする頭を抱えて博覧会へ出かけたオレは茫然としたね。
何度も『酒館』の再開を嘆願したが結局、聞き入れられないまま博覧会は終了してしまった。
『酒館』復活も断たれたということだった。
ああ、オレは何というバカ者なのだろう。
自分の限界も見定められず酔い潰れてしまうなど、飲み始めの若造みたいな失敗をしでかしてしまうなんて。
魔国一の酒豪などと名乗るにはおこがましかった。
すべてはあの酒が美味しすぎるのが悪かったんだ!!
失意のうちに飲み歩く毎日。
そんな日々もだいぶ経ったある夜のことだった。
* * *
「……ん?」
あんなところに飲み屋などあったっけ?
魔都の歓楽街。
その外れの寂しげな一角で、見覚えのない看板を発見。
『おでん ばっかす』と書かれていた。
おでん?
何だそれは?
得体の知れない感じだが、店名にかの酒神の名を使うとは大胆なヤツめ。
そうでなくとも初見の飲み屋はとりあえずチェックしておきたくなるのが酒豪というのも。
オレはとりあえず中に入ってみた。
「……らっしゃい」
店内はやけに狭い。
テーブルが、厨房と客席に挟まれていて横に長く伸びていた。
初めて見る形だがなるほど、こうやって店主が出来たものを直接客に出せる仕組みなのだな。
「何にいたしやしょう?」
店主が聞いてくるので、とりあえず……。
「酒」
と答えた。
何よりまずは酒を飲む。
この店がどんな酒を出すかで、どの程度の店か判断する。それが魔国一の酒豪としての嗜みだ!
「いけませんよお客さん」
しかし店主から拒まれた。
「空きっ腹に酒を入れちゃあ体に悪い。酒はあくまで食事の友ですぜ。まずは食い物を頼んでくだせえ」
はあ?
客に指図するとは何様のつもりか? と苛立ったが、すぐに思い当たった。
そうだ。
博覧会の時も、オレは何も食わずに酒だけを流し込んで、それで酔い潰れてしまったのだ。
今の言葉は、まるでかつての失敗に対する適切な反省のようではないか。
一本取られたな。
「店主の言うとおりだ。何か食べるものを……、と言いたいがここは何を扱っているんだ?」
看板には『おでん』と書いてあったが、そのおでんとやらが得体の知れなさすぎる。
「では、生意気なことを言ったお詫びに、こちらサービスです。試食してみてください」
テーブル越しに差し出される皿。
けっこう深いその皿の中には、半透明のスープに満たされた、やたら大きな具材が入っていた。
「これはスープの類か? にしては具がやけに大きいが?」
「おでんというのは、その具を単位にして頼んでいただきます。今お客さんにお出ししたのは、だいこん、たまご、それにがんもどきです」
はあ?
よくわからんが、試しに半透明の根菜めいたものを食べてみる。
カブ……の仲間だろうか?
よく煮られて半透明になっているのがいかにもそれっぽいが。
食べてみると、よくスープが染み込んでいるのがわかる。
根菜自体の味も混ざって非常に優しげな味だった。
茹でた卵も、それなりにスープの味が染み込んでいる。
しかしこれは何の鳥の卵だ? 食べるだけで力が漲ってくるような?
「ヨッシャモの卵はエネルギー豊富で、茹でても力強さを残します。喜んでいただければ頑張って捕まえた甲斐があったというものです」
?
まあともかく、……だが、三つのうち最後がことさら得体が知れないなあ?
なんだこの……何?
この『がんもどき』なるものは?
「がんもどきは、潰した豆腐に様々な刻んだ野菜を練りこみ、油で揚げたものです」
うん?
説明されてもわからないものがあるということがわかった。
えいままよ、と口に入れてみるが、これがまた美味しかった。
さっきのだいこん以上にスープが染み込んでいて優しい味だ。
「はあああ……!!」
そうかわかった。
この『おでん』とやらの肝はスープなのだ。
スープの味が色々な具材に染み込んで、本来よりずっと優しい味にしている。
テーブル越しに見える四角い大きな鍋の中には、だいこん、たまご、がんもどきと、他にも様々な具材が詰め込まれてスープに浸っていた。
優しさの原因であるスープの中に。
……そうか。
あの博覧会でオレが見落としていたのは、これだったんだ。
酒ばかり流し込んで荒れ切ったオレの腹の中は、おでんのスープの優しさに今、癒されている。
あの時におでんがあったなら、オレはあんな無様な悪酔いをしなかっただろうに。
酒だけを飲むことが体にどんな負担を与えるか考えもしないで……。
「ではそろそろ酒もお出ししましょう」
「あッ、いや……!?」
今日はもう酒を飲む気分でもなくなってしまった。
そう言おうとしたオレの面前に置かれた杯。
中に満たされているのは、水かと見間違うぐらいに透明で、しかしたしかに芳醇な香りのする……。
「ニホンシュ!?」
博覧会の『酒館』で出会った!?
閉鎖になって、もう二度と飲めないと思ったのに……!?
「……」
今日はもういいと思ったばかりなのに、出されると飲んでしまう酒豪の哀れさ。
……。
うむ! この味だ!
博覧会で飲んだ時より美味しい!
おでんに癒された腹に、ニホンシュを遺憾なく受け止められる活力が甦った!
おでんの素朴な味と、ニホンシュのクセのない爽やかさが互いに引き立てあう。
……そうだな。
酒とは本来こうやって楽しむものだったんだ。
「味わっていただけたでしょうか? 日本酒の味を?」
「あッ、はい! それはもう!」
この店主出来る!!
ここまで計算しつくして、酒の味を最大限引き立てる献立を完成させるとは。
一体何者……? あッ!?
まじまじと見てやっと気づいた。
服装がまったく違うので最初気づかなかったが、博覧会で一度見たご尊顔、忘れようはずがない。
アナタはまさか……。
酒の神バッカス!?






