380 開催準備:ポスター作り
本格的に冬到来して、農場の住人達も博覧会開催の準備に没頭し始めた。
もう農場に住み始めて三度目の冬だし、さすがにもう準備不足で慌てたりはしない。
防寒設備は秋のうちに揃えていたし、本格的な冬到来の頃にはストーブで暖まった部屋に、セーターを着てヌクヌクすることができた。
冬間近に手に入れたウールはバティの創作意欲を大いに刺激し、瞬く間に編み物の技術をマスターして冬物衣料を量産していく。
その間もバティは並行して、博覧会に展示する衣装を拵えていた。
最近バティの作業量が未知の領域に踏み込んでいて、傍から見ていて心配だ。
そして博覧会を迎えるにあたって、その影響を受けているのはバティのみではない。
皆、想像以上にやる気に燃えていた。
* * *
もっとも燃えている中の一人がエルロンだった。
エルフチームの代表的存在エルロン。
俺はある日、彼女が奇妙なことをしているのに出くわした。
「……何やってんだ? 筆? 紙?」
エルロンといえば、我が農場の陶器製作班のリーダーでもある。
日頃は陶器の材料となる土をこねて、窯で焼くのが日常の風景だ。
そんな彼女が紙に向かって筆を走らせているというのは案外意外な光景。
「っていうか絵? 絵を描いているのか!?」
エルロンってそんなこともできたの!?
一応、皿づくりという創造的な分野を任せていたから、そこまで意外でもないけれども……!
……やっぱ意外!?
「よしできた」
できたの!?
どんな絵を描いたんだろう……? と俺が気になって覗きこもうとするところ、それより先に……。
「ミエラル! 頼むぞ!」
「承知!」
エルロンは他のエルフに絵を渡してしまった!?
そのままダッシュで持ち去られてしまったために、俺は絵の完成品を確認することができなかった。
しかも受け取った相手のエルフは……。
「……ミエラルか?」
エルフチーム木工細工班の班長のミエラルか?
木工細工を担当するミエラルにどうして絵が?
益々わけがわからない。
ただの趣味か?
「おお聖者、こんなところで暇そうにしてどうした?」
いかにも一仕事終えて溌剌そうな表情のエルロン。
やっと俺の存在に気づいた。
「……実際暇だからな」
冬だから。
暇なので、なおさらエルフどもが何をしているか気になってしょうがない。
「エルロンは絵なんか描けたの?」
「器の模様を描きつけて練習したのでな。お前からのアドバイスも受けて上達したぞ」
アドバイス?
そんなことしたっけ?
「今回の試みは、聖者からのアドバイスを実現できるかの実験だからな。せっかくだしあっちの作業も見学してみるか? 私も結果だけ見ればいいかなーと思ってたけど、なんだか気になってきた」
そう言うとエルロンは俺の手を引っ張っていく。
何処へ向かうんだ?
この方向はミエラルたち木工細工班の工房か!?
「やっぱり木工細工で何かが起こっている!?」
でも絵と木工細工で何も繋がる感じがせず。
俺は戸惑うばかりだった。
* * *
実際工房に着くと、木工担当のエルフたちが甲斐甲斐しく木を削っていた。
木の板を。
「……あんなうっすい板削ってどうしようというんだ?」
俺には、彼女らが何を作ろうとしているのか皆目見当がつかなかった。
そんな俺たちの姿にミエラルが気づいて……。
「頭目、結局見にきたんですか? 『自分の仕事は終わったのだから、あとは座して待つのみ!』とか言ってたくせに……」
「やっぱり気になってなー。……いや、この聖者がさ! 気になって仕方がないらしいから案内してやったんだよ! それだけだよ!!」
ウチで働いているエルフたちは全員かつて一つの盗賊団だった。
エルロンは頭目の地位に就いていて、ミエラルは平の団員だったはず。
エルフの名前に必ず入れられる『エル』の号を、そのまま入れることが許されずにミ『エ』ラ『ル』と分けて刻まれることを強いられた彼女はエルフ族の中でも虐げられる階級だったらしい。
しかし森から出た盗賊団の間では関係ないことだし、農場では益々関係ない。
エルロンとミエラルもあくまで対等な仲よしさんだった。
以上は余談。
「で、一体何を作っているの?」
「これは聖者様、視察に来てくださるとは光栄です。どうぞ我々の仕事ぶりをご確認ください!」
そんな畏まらなくていいから。
で、板を削って一体何をしておるの?
「版画を作っています」
「はんが?」
そういえばエルフたちの板を削っている道具。
小学生の時に使っていた彫刻刀に似ているような……?
「班長できましたー」
「こっちもですー」
木工担当エルフたちから次々と完成宣言。
続々と提出される木の板は、たしかに表面が意図的な形に彫り出されていたが、結局何の形かまったく判然としない。
「これ一枚だけでは足りません。全部が合わさって完成体となるのです」
「どういうこと!?」
その間もエルロンのヤツがテキパキ準備を進めていた。
「紙と塗料の用意ができたぞー」
「わかりました。では早速試してみましょう」
用意された紙(農場製の上質紙)と、様々な色の絵の具。
エルロンは、塗料の中からまず赤色を取り出して……。
「じゃあこれから行くかー、赤色に対応する版木は?」
「これですね、ズバーッと塗っちゃってください」
削り出された版木の凸面に赤い塗料を塗りたくり……。
充分塗られたところで……、それを紙に押し付ける!
「おおッ?」
当然紙には判で押されたように、赤色の地面が刻まれるが……?
その図は紙面のほんの一部を占めるだけで、何の絵かまったく見当もつかない。
そもそも俺絵心まったくないし……!?
「じゃんじゃん行くぞー、次は黄色だー」
「了解です」
エルロンとミエラルは、新しい版木を取り出すと、そこへ別の色の塗料を塗りたくって……。
同じ紙に押し付ける。
「ええ……!?」
それを何度も繰り返し、別の版木、別の色の塗料を、同じ一枚の紙に重ねていくことによって最終的には……!?
「絵になった……!?」
一枚の完成された絵画が、紙の上に現れた。
溌剌な女性の姿を描いた一枚で、しかしこれを描くのに絵筆は使われていない。
すべて版画によって刷り出された絵画だった。
つまりこれは……。
「絵を印刷した……ってことか?」
木版を使って。
木版を一枚ではなく複数枚用意したのは、カラーで印刷するため。
赤なら赤用の版木、青なら青用の版木と一枚の紙に重ねて印刷することで、最終的に色鮮やかなカラーの絵が完成する。
コイツら異世界でカラー印刷を完成させやがった。
「何を言ってるんだ? これ聖者に教えてもらったことだぞ?」
「え? ウソ?」
「聖者のいた世界ではこういう風に、木で押して描く絵があるとか」
もしかして浮世絵?
そんなことを言ったような言わなかったような?
じゃあコイツらは、俺のそんなあやふやな発言を頼りに異世界で浮世絵作成を再現してみせたというのか!?
エルロンが元絵を描き、それを参考にミエラルたちが板を削って版木を作り出すというのはまさに、浮世絵の製法。
俺の聞き齧りだけれど。
エルフたちの職工技術が未知の領域まで踏み込みつつある……!?
「でも、何故このタイミングで印刷絵なんて?」
少々唐突な印象も否めないが……!?
「何言ってるんだ、これも博覧会の準備だぞ?」
「博覧会の」
「ポスターってヤツだ」
ポスター!?
まさか、博覧会の宣伝用の!?
紙の存在自体貴重なこちらの世界では、それを使い捨て形式で使うポスター宣伝なんて発想すらされていない。
それを農場の超高級紙で実行するというのか。
「たしかに印刷形式なら同じ絵を大量生産可能だが……!?」
出来上がった印刷ポスターには、たしかにエルロン作のセンス迸った女性画の他に、博覧会の開催を告げる文言がこの世界の言葉で印刷してあった。
「な、何枚ぐらいする予定なの……!?」
「最低百枚?」
ポスターがないこの世界では、衝撃的な宣伝になるだろう。
農場博覧会。
俺の予想を遥かに超える展開になるのでは? と、その時初めて怖くなった。