375 甦る羊毛
「ヒィッ!? 気持ち悪ッ!?」
牧場主の魔族さん。
目の前で起こる奇怪な出来事にビビりまくり。
それもそのはず俺の触れた羊の全身から凄まじいスピードで毛が伸びてモコモコになっていくのだから。
モコモコはどんどん増え膨らんでいき……。
「あッ、そろそろ止めないとヤバいなー」
と俺が思ってもなお止まらずに生え続けた。
すべては我が手に宿る神の力によって。
「んひいいいいッ!? 凄いことになってるうううッ!?」
バティも驚くこの事態。
さすがに離そうと思っても羊毛に手や指が絡めとられてエラいことになっていた。
何とか力任せに指を引き抜くも、その時には羊の表面積が元の六倍ぐらいになっていた。
「なんじゃこりゃあああああッ!?」
と言わんばかり。
つるつる無毛の羊さんは、今や見上げるほどの毛の塊へと変貌を遂げた。
もじゃもじゃすぎてもはや中身も見えないほど。
「うわああああーーーッ!? 私の羊がああああーーーッ!? 私のーーーーッ!?」
さすがに牧場主さん、慌てて毛の塊に駆け寄る。
彼らにとって家畜は大切な財産にして共に生きる仲間。心配になるのもしょうがない。
「大丈夫です」
俺は二、三歩後退してから邪聖剣ドライシュバルツを抜き放つ。
牧場主さん、それを見て顔を真っ青に。
「心配しないで。アナタが危惧するようなことには絶対なりません。ちょっと窮屈になっている彼を……!」
もはや生物かどうかも俄かに判別つけがたい毛の塊へ、邪聖剣の刃を放つ。
「んひいいいいッ!?」
羊自身に代わって悲鳴を上げたのは牧場主だった。
刹那のあと、斬り裂かれた毛の塊の跡には、刈り取られて再び無毛状態となった羊が立っていた。
傷一つない。
「さすが聖者様……、羊本体にかすり傷も付けずに毛を刈り尽してしまうなんて……!?」
「聖剣が凄いだけだよ」
バティからの賛辞に落ち着いて答える。
実際聖剣の方が凄いのは本当で、日々ジャガイモやニンジンの皮を剥いたりする経験が生きたなって感じだ。
この邪聖剣の切れ味をもってすれば、野菜の皮を極薄で削ぎ落とすことができ、羊の毛だって同様だった。
「さて……、この刈り取った毛だけど……、いてえッ!?」
サッパリした羊。
またしても俺に頭突きをくらわして、そのまま草原へと戻っていった。
残ったのは膨大な羊毛だけ。
「これが羊の毛……!?」
「存在しないものとされてきた……!?」
バティも牧場主も、初めて見る謎物体羊毛に興味津々。
「うっわフワフワした手触り。山羊や牛の毛とまったく違うじゃないですか!?」
「バティすまないけれど農場に戻ってゴブリン呼んできてくれる。糸紡ぎ用の道具も一緒に持ってくるように言って」
「わかりましたー。あ、おじさんすみません、ここに転移ポイント仮設させてくださいね?」
牧場主の叔父さんが呆気にとられる間に、バティはみずから転移ポイントを設置し、そして転移魔法で飛んで行った。
こうしておけば戻る時もひとっ飛びだから。
俺は待ってる時間を利用して、この羊毛を洗うことにしよう。
然るべき処置の準備だ。
「水場があったら使わせてもらえませんか?」
「あう? ああ……!?」
完全に魂消た牧場主さんは、いいように俺の要望に従うのだった。
羊毛はさっき生え出したばかりなので、特に汚れてもいなかったが一応洗っておく。
『至高の担い手』の効果を使えば汚れもスラッと落ちていくし、すぐ乾いた。
そうこうしているうちにバティが戻ってきた。
指示通り、数人のゴブリンを連れて。
これまた俺の指示通り、ゴブリンはそれぞれ糸車といった紡績の道具を持ち込んでいて、準備は万端だった。
「よし、この羊毛から毛糸を紡いでくれ!」
こうなる当地のゴブリンたちは優秀だ。
日頃から金剛カイコの吐き出す糸や綿から手紡ぎを経験している彼らは、多少色合いが違う相手にも臆すことはない。
テキパキと作業を進め、無秩序に散らばる羊毛は見る見るうちに消え去り、数個の毛糸球にまとまっていく。
その迅速さはさすが我が農場のゴブリンたちと褒め讃えんばかりだった。
「では、出来上がった毛糸を使い……!」
再び俺の出番だった。
手には既に編み物用のかぎ針がある。
バティがゴブリンたちを連れて帰るのを待っている間、木を削って作った。
削ったのはもちろん邪聖剣ドライシュバルツでだ。
聖剣大活躍。
かぎ針が毛糸を掬いあげて、糸と糸が編み合わさっていく。
普通であれば亀の歩みの編みものであろうが、俺には『至高の担い手』があるから滅茶苦茶速く進む。
バティや牧場主さんがその速さに驚いている間に、早々一着仕上げることができた。
「セーター!!」
急ごしらえで簡素な作りではあったが、きっちりと作り上げた一着のセーター。
「やっぱり聖者様の作る衣服って飾りっ気がまったくないですよねえ……」
できた瞬間ダメ出ししてくるバティ。
「いいだろッ! 俺の能力はそういう風にできているんだよッ!?」
「我が君の作る服って堅苦しさが残ってますよな」
ゴブリンにまでダメ出しされたッ!?
いいよ、だから服作りは全面的にバティに任せるんだよ。
このセーターはいわば試作。
この世界の羊からでも毛糸が取れて編み物ができると立証された。
あとは……。
「牧場主さん!!」
俺はこの牧場のオーナーさんに頭を下げた。
全力で。
「この毛糸を俺たちに買い取らせてはいただけませんかッ!?」
「えッ? 私からッ!?」
いきなり提案を受けて戸惑う牧場主さん。
まあ当然か。
「もちろん、この毛糸は、この牧場の羊から採れたものですから。その羊を育てるアナタに所有権があります! だからまずアナタから買い取らなければ!」
「そうは言われても、いきなりのことで何が何だか……!?」
「既に金銭も用意してあります」
「こんなに!?」
バティにゴブリンたちを呼びに行かせた時、一緒に用意させていた。
この金銭は、パンデモニウム商会のシャクスさんから紙の代金として貰ったもの。
これを毛糸の代金として渡すことで、富が正当な相手に還元されている……、はず!
「では……、これで……!?」
牧場主さんは立て続けの驚きで思考力も麻痺したのか大して抵抗なく受け取ってくれた。
「俺が触れた羊はこれからも毛を伸ばすでしょう。さっきみたいに急激ではありませんが、ごく自然な速度で伸びていくはずです」
「そうなんですかッ!?」
俺の『至高の担い手』を通じて感じ取ったことなので間違いない、はず。
「他の羊たちにも触れて毛穴を開いておきましょう。これからは羊が伸ばす毛を刈り、それを仕立屋に売って生計を立てていくといい。きっと儲けられますよ」
シャクスさんに率先して買い上げるように言っておこう。
これでこの牧場も羊たちも、倒産の憂き目から這い上がることができるはずだ。
「おお……! なんと有り難い……!」
ようやく事態を飲み込めたのか、牧場主さんは涙を流しながらその場に膝をついた。
「なんというお慈悲。なんという奇跡の御業。……このような奇跡を行えるアナタ様は一体いかなる神様なのでしょう?」
「俺はそんな大層なものではありませんよ。自分の業を消化したかっただけです」
いや本当に。
「ぐふぉッ!?」
そしてまた羊からタックル頭突きをかまされた。
何なんだコイツら!?
* * *
こうして俺は、俺たちの流出させた異世界技術から職を失いそうになっていた人のケアを成功させたのであった。
余談ではあるが、その牧場はのちに『毛が生えるはずのない羊から毛が生えた』ということが有名になる。
全国から薄毛に悩む紳士たちが訪れ、世にも珍しい毛むくじゃらの羊に触れることで御利益を得ようとするのであった。






