374 毛を求めて
明日7/24(水)が『異世界で土地を買って農場を作ろう』コミック版1巻の発売日です!
場所によってはもうお店に並んでいるかもしれません、どうぞよろしくお願いします!!
引き続き、羊牧場でのお話。
「毛がない!?」
放牧されたハ……じゃなくて無毛羊はのどかに草を食んでいる。
好きなところに歩いていって好きなだけ食う。
まさに牧歌的風景であるが。
「毛がないと毛糸も手に入らないし、毛糸がなければセーターも腹巻も作れない!?」
「だから毛糸って何です?」
服作りのプロであるバティすら毛糸の存在自体を知らないのだから、完全にこの世界にない概念なのだろう。
肝心な羊がこのザマではなあ……。
羊の皮は、紙の原料。
その価値観が支配的な世界では、羊皮紙を求めるあまり世代を重ねていくごとに羊から毛がなくなっていったのかもしれない。
だって皮を加工するのなら、皮の上から生えてくる毛は邪魔者でしかない。
毛の残っている羊皮紙はさぞかし書き心地が悪いことだろうから。
業種として羊皮紙を産出している人たちは、作業の効率化を目指して羊に毛を生やさせない努力をしたのかもしれない。
品種改良という知識を知らずとも、経験的に自分らにとって優良な品種を掛け合わせることぐらいはしたかもしれない。
そんな繰り返しを何百年と続けているうちに、毛のない羊がスタンダードとなった。
というか毛のない羊しかいなくなった。
羊皮紙生産に適した無毛羊が。
「しかしどうしたものかなあ……?」
俺は牧場の無毛羊たちを眺めながら嘆息した。
バティの要望に見合うには、やはり羊毛で編まれるセーターや毛糸パンツがジャストだ。
しかしその大元となるべき羊たちが毛を生やさないのであればどうしようもない。
でも俺も、この話が始まってすっかりこの冬はヌクヌクセーターで過ごしたい気分になってしまったし、どうしたものか……?
「またダンジョンで、羊毛的なものを生やすモンスターでも見つけてくるか……?」
また骨が折れそうだな。
そう思って心がしんなりしていると……。
牧場の広大な草原に羊じゃない動くものが見えた。
「……アレは人か?」
いやここ魔国内だから魔族か。
でも、いかにも農夫といった印象のよれよれした服に麦わら帽子。
魔族もまったく人間と変わりないんだなということがわかる。
「あのー、すみませーん」
俺は何となく声をかけてしまった。
牧場勤めらしい年配の男魔族は、気づいてやってくる。
「こんな辺鄙なところへ珍しい。私の牧場に何用ですかな?」
『勤め』どころか牧場主だった。
威儀を正して話を続ける。
「いや、ただの見学の者です。元気な羊がたくさんいるなあと思って」
俺とて何か明確な目的があって話しかけたわけではない。
世間話でもしながら、もしかしたらこちらの世界にはいない毛のある羊の、ヒントの糸口ぐらい掴めたりはしないものか毛糸だけに。
「……こんな珍しくもないものを見学など、モノ好きもいるものですなあ。まあ、よければ好きなだけ見ていってください」
「ありがとうございます」
「どうせもうすぐ閉める牧場ですからな。見たければ今のうちでしょうよ」
「えッ?」
なんかいきなり抜き差しならぬことを告げられてビックリ。
「閉める? 牧場辞めちゃうってことですか? 一時的に休むんではなく?」
「ああ、本格的に店仕舞いですよ。採算が取れなくなりましてね。これ以上羊を育てていても損しかない」
そう言って牧場主は寂しげに笑うのだった。
何もかも諦めたあとに出る乾いた笑いだった。
「そんな……!? じゃあここにいる羊たちは……!?」
「血筋のいいヤツは他の牧場に引き取ってもらえますがね……、そうでないのは廃棄だろうなあ。歳とった羊は臭みがあって食用にもならないから……」
なんとも世知辛い話を聞いてしまった……!
それがビジネスの厳しさとわかってはいても、何だか……!
「いや、それおかしくないですか?」
横から聞いていたバティが口を挟む。
「ここ、魔王軍のお抱え牧場のはずでしょう? 育てた羊はすべて羊皮紙に加工されて魔王軍に納入されるんです。売れ残るなんてありえないです! 事務政務に紙がいらなくなることなんて絶対ないんですから!!」
たしかにバティの言う通り。
俺が前の世界でいた職場でも、紙なしで成り立つかと想像して、絶対無理だとわかる。
「いや……! それがあるんだよお嬢さん。魔王軍の方から言われてね、もうウチで作る羊たちはいらないって」
「まさか……!?」
「なんでも代わりが見つかったらしいよ。ウチで育てた羊たちの皮で作った紙よりずっと綺麗で丈夫で、その上たくさん作れるのが……」
なにいッ……!?
そんな質のいい紙が魔国で作られるようになっていたと?
「何でもパンデモニウム商会さんがね。その凄い紙を作り出したとか言ってね。魔都のお役所関連は皆その紙を使うようになっちまって……。都の製紙ギルドなんかも大弱りらしいよ……」
「辛い話ですね……」
独り言のようなバティの呟きに俺も賛同した。
技術の進歩はなくてはならないものだとしても、その軋轢によって生活を脅かされる人はいてはならないはずだ。
パラダイムシフトに伴って影響を受ける人のケアもしっかり行うべきではないか。
新しい紙を開発したのはパンデモニウム商会だという。
あそこの商会長のシャクスさんとは知り合いだ。
俺からも何か言って……、あれ?
「聖者様……、これはまさか……!?」
バティも気づいたのか、俺へ不安げな視線を送る。
我が農場。
実は紙も作っている。
ダンジョン果樹園で育てた材木となる木を伐り出して、オークやゴブリンチームが漉いて紙を生産しているのだ。
メモ帳としてあった方がいいかなーと思ったんだが、思ったより用途がなくてやめようかなと思った。
それを見つけたパンデモニウム商会のシャクスさんが目の色変えて……。
『作るのやめないで! いらないならウチに売って! いくらでも払いますから!!』
……と言ってきて、断る理由もないから売ってあげた。
『ウチ金の使い道もないから貰っても困るんだよなー』
とか言いつつ。
その後も我が農場では、シャクスさんに引き取ってもらうためだけに紙を漉き続けることとなったが……。
最近は留学生の使うノート用に使ったりするけど……?
「バティ……、これはもしや……!? 出回ってきた新しい紙というのは……!?」
「十の内、九か十ぐらいの可能性でウチ製でしょうね……!!」
ほぼ100%じゃないかッ!?
この牧場潰そうとしてるの俺たちだった!?
よくまあ、どの面下げて見学に来られたもんだ!?
「まあ、魔王様から手厚い保護は受けてるんでいきなり路頭に迷うことはないだろうけれど。時間かけてゆっくり牧場の規模を縮小しながら、次の職を探すつもりですよ。まあ、この歳でまったく別の職に就くのもしんどいんで、何か別の家畜でも育ててみようかと思っとりますよ……」
「は、はあ……!?」
「羊しか育ててこんかったのが来て仇になりましたなあ。牛にしろ山羊にしろ羊とはまた違うでしょうし、買い取り手の開拓をしなきゃならんとなると気が滅入りますわ。それでもやらんことには、おまんまの食いあげですからのう」
「あははははは……!」
乾いた笑いしか出てこなかった。
この人の! この人へ降りかかった災厄の根源は俺たち!?
何とかしなければという焦燥感が巻き起こる。
俺は、自分の責任で起こった問題に知らんぷりで目を背けられるほど神経が太くないの!!
心臓に毛なんか生えてないの!
この世界の羊には毛生えてないけど!
「そッ、そうだ! 牧場主さん、羊を触らせてもらえませんか!?」
「触ってどうするんだってんだい? 変なお客さんだねえ?」
見学というだけでも物珍しく、俺の奇行を益々怪しむ牧場主さん。
しかし、もう先がないということで捨て鉢になっているのだろう。
その気持ちも手伝って、俺の不躾なお願いにもすんなり聞き入れてくれた。
ほどなく、草原を気ままにふらついている羊の一匹を捕まえ、首根っこを掴みながら引っ張ってくる。
さすが本職の畜産家は家畜の扱いに迷いがない。
間近で見ると本当つるっつるの素肌だった。
改めて毛のない哺乳類を間近で見ると変な印象を受けてしまう。
「ほら、好きなだけ触りな」
「ありがとうございます! ……ホラホラいい子だねえ……、ぐべしッ!?」
いきなり頭突きをくらわされた!?
凶暴!?
イメージに違って羊凶暴!?
「だ、大丈夫だよ。大人しくしてくれればすぐ済むから……、ぐべしッ!?」
二発目を喰らって痛い思いをしながらも、俺は何とか両手で羊に触れる。
久々に出番だ。
この両手に宿る『至高の担い手』よ。
俺の両手には神からのギフトが宿っていて、触れたものの潜在力を充分以上に引き出せる。
その力が羊にも作用するなら……。
本来人にとってとても有益な羊毛を生やすことがなくなった羊たちにも……。
モココココココココ……。
という擬音が聞こえてくるかのような勢いで毛が生えてきた。
俺の見慣れたモコモコの羊毛が。