373 羊毛の謎
今日はバティが相談にやってきた。
「暖かい衣服を作りたいです」
と。
バティは我が農場の衣服製作担当。
元は魔王軍の軍人だったが、生家が服の仕立て屋だったことと、彼女自身も衣服を仕立てる仕事が夢だったために、我が農場での需要と供給がマッチした。
そんなわけでバティにはもうけっこうな期間、ウチで衣服を作り続けてもらっている。
そんな彼女が、ついに新境地へ挑戦したいという。
「そろそろまた冬が近くなってきましたし……、それに備えて冬用の防寒着を作りたいんです!!」
とのこと。
……そうか、そろそろそんな季節か。
異世界人である俺は、既にこの世界での冬を二回経験した。
一度目は不意打ち気味でまったく対処が間に合わず。
本格的に準備できたのは二回目の冬からだった。
その間バティだって、唯一の衣服作れる人として獅子奮迅の活躍を見せてくれたはずだ。
一度目の冬には暖かい綿入り布団を急ピッチで揃えてくれたし、二度目の冬だって暖かい毛皮のコートを人数分仕立ててくれた。
「……そうだよな。もう毛皮のコートがあるじゃないか?」
だから暖かい衣服を作るのだとしても、別に新しい試みにはならない。
ウチの農場もさらに住人が増えたから、バティにはまたしても振るって服を量産してもらわないといかんのだが……。
「違うんです」
とバティは言う。
「毛皮もいいんですが、何かもっと別の暖かい衣服を作りたいんです」
「ほう?」
バティ曰く。
冬場の衣類の主役素材としてはやっぱり毛皮。
そもそも獣類が厳しい寒さを耐え凌ぐためにまとうものだから、それをそのまま剥ぎ取って包んでも暖かいだろう、ということらしい。
「しかしそれでは創造性が得られないんです!!」
クリエイターが面倒くさいこと言い出した。
どういうこと?
「毛皮は毛皮で既に完成されたデザインなので、作り手側の創意を盛り込む余地が少ないんです。それにやっぱりカサがありますから、どうしても大仰なコートぐらいにしか加工できないし……」
「たしかに部屋着にはしにくいな」
思えばたしかにこれまでの冬は、ストーブでガンガン室内を温めても衣服自体は夏場と同じ絹や綿製で、寒いから布団を羽織ったり着ぶくれしたものだった。
もしくは室内でも毛皮のコートを着たり。
「たしかにああいうのはもういいなあ……」
「この冬はそうした問題をクリアしつつ、デザインも綺麗カッコいい服を作りたいと考えております! デザイナーとして!」
デザイナーとしてかあ……。
バティも今や魔国の首都で大人気となっているファッションブランドの代表。
意識が高まっておることよ。
「それで聖者様のお知恵を借りたいと思いまして」
「俺のこと聞けばなんか妙案が出てくるボックスみたいな扱いされてる……!?」
「何かないでしょうか? 毛皮ほど大仰にならず、綿か絹ぐらいコンパクトな作りになりつつ、綿や絹より保温性の高い生地が……!?」
「毛糸とか?」
ウールとも言うな。
冬着の定番だろうに。あれでセーターとか腹巻とか作ればさぞ暖かいことだろう。
「毛糸? 何ですそれは?」
「えッ!?」
毛糸知らない!?
「こっちにはないの? ほら羊の毛を紡いで……、糸みたいにして……!?」
侮ってはいけない異世界。
俺の元いた世界では常識だということも、通じないことはままある。
この世界にも当然いるものと思っていた。
羊。
山羊の獣人がいるくらいの世界だし、羊だっているだろうよと。
でもいない?
羊、この世界いない?
だとしたらウールもないだろうし、ウールを素材にしたセーターやマフラー、腹巻、毛糸のパンツだってないことになる。
被服の専門家であるはずのバティが、冬の衣服の作成について頭を悩ませる理由もわかる。
「この世界、羊いないのかあ……?」
「いますよ」
「えッ!?」
どっちなんだよ?
いるの?
いるのに羊毛を利用していないということ!?
どういうことなの!?
「あの……、羊がどうして服作りに関わってくるかわからないんですが……!?」
「いやだって、羊なんて毛を狩るために育てるような家畜でしょう?」
他に肉を育てるために育てるのかもしれないけれど。
美味しいよねジンギスカン。
「いまいち話が噛み合わない感じがするんですが……。普通、羊を育てる目的と言ったらあれじゃないですか?」
「アレ?」
「紙です」
紙!?
なんか思いもしないところから、思いもしないものが出てきた。
* * *
羊皮紙。
そこに思い至るまで俺もかなり時間を要した。
だって精々映画の中でしか見たことないんだもん。
昔の……、特にヨーロッパ辺りでは羊の皮で紙を作っていたらしいな。
それと同じようにこちらの世界でも動物の皮から紙を作るのが一般的であるらしい。
魔国にある大規模な羊牧場も、育てるすべての羊が皮を紙に加工する用なんだとか。
「ちなみに人魚国では、何を紙として使ってるんだっけ?」
「昆布よ」
通りすがりのプラティが簡潔に答えて通り過ぎていった。
まあ、自然物をどのように利用するかは各所の文化次第。
あっちでは宝物のように珍重されても、こっちではゴミ……、なんてよくあることだろう。
しかし、わかってしまえば簡単だ。
羊皮紙を作るために営まれている羊牧場から、羊毛を貰ってくればいい。
きっとこちらの世界では皮ばかりに注目されて、毛は顧みられていないのだろう。
二束三文で購入できてウハウハする未来が目に見えるようだ。
ひょっとしてタダでもらえるかも!?
「あのー……、さっきから聖者様が何言ってるかわからないんですけど……!?」
バティが、さっきから可哀相な人でも見るかのような視線で俺のことを眺めていた。
「え? なんで? 羊毛だよ羊毛! それで毛糸を作って編めば見事な冬服生産体制確立じゃない!?」
「だから、その羊毛というのがわからないんですって」
「え?」
やはりさっきから会話が噛み合っていない。
理解に齟齬がある。
「だって、羊に毛なんかないじゃないですか」
「はッ!?」
* * *
論より証拠ということで、俺は農場を離れて訪れてみた。
ここは魔国内にある羊牧場。
魔王軍が直営して、生産される羊皮を一手に買い上げているのだそうな。
「政務に紙は必要不可欠ですからねー」
案内役として同行してきたバティが言う。
対して、俺は初めて見るこの世界の牧場風景。
いや、前の世界でも牧場なんか見学したこともなかったけれど。
そんな俺でもわかる、この牧場の異様さ。
ここは魔王軍の指示で羊皮紙の原料となる羊を専門に育てているため、放牧されているのは羊ばかり。
その羊たちが……。
「毛が生えてねええええええええッ!?」
毛がない!?
つるんとした肌を全身晒す、毛のない羊。
まるで生まれたての赤ちゃん肌だった。
「そりゃそうですよ。毛が生えてたら書くのに邪魔になって紙に加工できないじゃないですか。毛がないからこそ皮紙の素材として優良なんでしょう?」
子どもに諭すように俺へ言ってくるバティ。
ずっとわからなかった齟齬の正体が実見することで判明した。
異世界羊。
それは羊皮紙を生産しやすくするように毛が一本も生えない羊だった。
これじゃあ繊維業への切り替えの発想すら起こらない!?






